夜を唄う

冒険者という職業柄、さまざまな街を渡り歩いてきた。土地によって異なる言葉や文化、人々にふれる中、また訪れようと思える素敵な街にはとある共通点があると肌で知っている。

それぞれの場所で昨日を懐かしみ、今日の暮らしを営み、明日を望む人々の歩み。心が惹かれ、ふとした時に手綱を引いてチョコボの足を向ける街にはまた会いたいと思う顔が必ずあるのだ。

ここ、クリスタリウムもそう。いつだってあたたかく迎えてくれる街の人々は、あの人の同郷だからという理由だけでは説明出来ないほど良くしてくれる。終わりかけの世界でも余所者にやさしい彼らは、百と余年もの歳月をかけて世代を超え、壮大な旅を続けてきた。遂にレイクランドの空に夜を取り戻したあの日、街の人々は怯えと高揚を抱えて空を見上げ、強い眼差しで星々をなぞっていた光景を今もよく覚えている。同時に、未だ日が落ちないノルヴラントの各地にいる人々にも同じ空を見てほしい、と強く想ったことも。
「おや、微笑ましいね」

右隣りを歩くアルフィノがふと呟く。あたたかい視線の先には何人かの子どもたちが集まっていて、真剣な表情で何か相談をしているようだった。そろそろ影も伸びきる頃だから、明日の遊びの約束でもしているのだろうか。

数え切れない悲哀と祈りの先、大人たちの背に守られながら共に立って懸命に生きる子どもたちもまた、歩みを止めずにいる。
「……ねえ、こっち見てない?」

左隣りを歩いていたアリゼーが形の良い眉を寄せている。言われてみれば、額を突き合わせていた子どもたちが顔を上げて丸い瞳をこちらへ向けている気がする。目が合った、そう思った瞬間には全力疾走で子どもたちが駆け寄ってきていた。
「旅人さん! 助けてください!」

わあわあ、ぴゃあぴゃあと子クァールに囲まれたかのような元気な騒ぎっぷりに思わず頬がゆるむ。アルフィノとアリゼーも子どもたちの勢いに押されてたじろいでいて、それもまた微笑ましい。
「助けてって、何かあったの?」
「幽霊なの!」
「ゆ、幽霊……!?」

ピシリと表情を強張らせたアルフィノは置いておいて、口々に何かを説明しようとしている子どもたちを落ち着かせようとしゃがみ込む。この方が声もよく聞こえるし、顔も近い。
「みんな、落ち着いて。幽霊がどうしたんだ?」
「えっと、夜に歌が聞こえるの」

子どもたちが言うには、夜になると何処からか歌が聞こえてくるらしい。室内からは遠すぎてよく分からないし、知らない言葉にも聞こえる気がするそうだ。

問題はここからで、翌朝大人に聞いてもそんなものは聞こえなかった、と口を揃えて言うらしい。街に住む多くの子どもたちが聞いているというのに、大人だけ聞こえないというのはおかしい。
「だから、子どもだけに聞こえる幽霊の歌なんじゃないか、と……」
「お歌の声、寂しそうなの」
「昨日も、その前も、その前の前も聞こえたのに!」
「お願い、お兄ちゃん。僕らと一緒に幽霊を見に行ってほしいんだ」
「お願い!」
「おねがい!」

確かに、夜闇が戻って罪喰いの脅威が薄れたとはいえ、子どもたちだけで夜に出歩くことを大人たちが許すはずはない。そこで大人を納得させられるだけの理由、つまり腕っ節の強い旅人たちを連れていけばいい、と考え至ったのだろう。

私だけでなくアルフィノとアリゼーの服の裾をも握って、子どもたちの本気が見える『お願い』を断ることが誰に出来るだろうか。まして、私は冒険者だ。

子どもたちに怯んでいる双子を見上げればすぐに意図を汲んでくれた二人は、正確に言えば片方はまだ顔を強張らせていたけれど、こくりと首を縦に振ってくれる。
「その依頼、請けよう」
「ほんとに?」
「ありがとう!」
「でも、私たち三人で探しに行くよ。みんなは待っていてほしいんだ」

了承を口にした途端に私の口から出てきた留守番宣告によって喜びから急転して驚きと動揺が子どもたちを支配して、口々に理由を問う言葉やコートをぐいぐい引っ張る力に現れる。気持ちは痛いほど分かる、だけど今回ばかりは私も頷くわけにはいかないのだ。それは私の両脇にしゃがみこんだ二人も分かってくれているようで、子どもたちと目線を合わせてゆっくりと言葉を選び取っている。
「冒険の機会を取り上げてしまって、本当にすまない。しかし、もし幽霊でなかったら……君たちを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。どうか分かってほしいんだ」
「心配しなくても、明日の朝にはきっちり報告しに来るわ。ね?」
「……分かった……」

真摯に語りかける二人に渋々といった様子ではあったが、今回の依頼人たちは頷いてくれた。それからはより詳しい情報と明日の報告についての約束、いくつもの心配の言葉をもらう。やさしくて聡い子たちだ。
「あの、お金ってどれくらい要りますか?」
「お金? ああ、依頼料のことか。そうだね……」

きっと大人たちと同じような取引を自分でするのは初めてなのだろう、ドギマギと落ち着きのない様子で真正面にいた少年を手招きして、小さな耳にこそこそと言葉を吹き込む。隣りにいる双子には聞こえないくらいの小声だったがちゃんと伝わったらしく、少年は丸い瞳をまんまるにして驚いていた。
「……それでいいの?」
「それが良いんだ。よろしくお願いします」
「はぁい」

少年は友人たちを引き連れて、今日のところは家路についたようだ。対になった居住館目指して、小さな影が駆け出していく背中を見送った後、じとりとアリゼーが視線を寄越してくる。
「……ちょっと、何をもらうつもりよ」
「お金より大事なものだよ」

悪いことはしていない。それだけは信じてくれたらしいが、答えを言うつもりがない私の様子にはただ呆れたと言いたげに肩をすくめて溜め息をこぼされてしまった。

パン、と拍手を一つ鳴らして切り替える合図をすると、二人の視線の色が変わる。未知の存在を解き明かそうとする探求者の目だ。
「さて、二人に冒険者の基本問題だ。依頼を請けたら?」
「勿論、情報収集よ!」
「正解。手分けして聞き込みをしよう。夕方には一旦エーテライトプラザに集合で」
「分かったわ!」
「アリゼー、走ると危ないよ! やれやれ……じゃあ、私は博物陳列館に行ってくるよ」
「了解。じゃあ、また後で」

彷徨う階段亭めがけて文字通り弾丸のように飛び出していったアリゼーと、平静を装いながら自分もそわそわとした気配を滲ませたアルフィノをそれぞれ見送って、私も人が集まる場所を思い浮かべながら街を歩き出す。

人の集まるところに情報もまた集まる。二人の邪魔をしないように、私はムジカ・ユニバーサリスへと足を向けた。

夜の帰還からこちら、クリスタリウムの台所は日に日に活気を増しているように感じる。確かな一歩目の勢いを忘れないように、掴んだ夜闇のヴェールを離さないように。今日も人々は自分の役割を果たし、明日のために生きている。
「いらっしゃいませ、お客様」
「こんにちは、店長さん。悪いけれど、今日は買い物じゃないんです」
「おや、左様でございましたか。新しいクッキーの試作が出来ていたのですが……」
「……いただきます」

顔馴染みの店長さんにカウンター越しに声をかけると、軽快な掛け合いになる。やっぱり、私はこの街がかなり気に入っているらしい。

店長さんがサービスで出してくれた試作のクッキーを有り難くかじりながら改めて向き直る。やわらかく微笑む店長さんはいつもより一層機嫌が良いようだ。
「それで、お買い物以外のご用事とは?」
「調べ物をしていまして。ノルヴラントの伝承や噂話に、夜になると歌う幽霊のお話ってありますか?」
「夜になると歌う幽霊、ですか……」

唇に手を遣りながら記憶を探るように考え込む店長さんの眉間には薄く皺が寄せられている。しばし視線を彷徨わせてくれたものの、思い当たるものがなかったことを今度は下がり気味になった眉が教えてくれた。
「大変申し訳ございませんが、そういった幽霊のお話は聞いたことがありませんね……」
「そうですか……すみません、突然こんなこと聞いてしまって」
「いいえ。もしや、何かの依頼でしょうか?」

聞き込みをした手前、事情は話しておこう、と子どもたちから聞いた噂と依頼の一部始終とを明かす。店長さんは話している最中、驚いたり困ったりといつも以上に表情を変えて聞いてくれていた。

店を訪れた時はクリスタリウムから出ることが少ないという店長さんに、街の外の話をするのが私達の定番だ。しかそ、今日はいつもの冒険譚以上に表情をよく見せてくれていた気すらする。
「子どもたちの間でそんな噂が……面倒を見てくださって、ありがとうございます」
「いえいえ、これくらいは軽いものです」
「……夜といえば、今夜も風が強いようです。日が落ちてからの調査は、どうかお風邪を召されませんようにお気をつけください」
「ありがとうございます。じゃあそろそろ行きますね。次は買い物に来ます!」
「ええ、お待ちしております。いってらっしゃいませ」

微笑む、という言葉のお手本のような満面の笑みで見送ってくれた店長さんに手を振って店を離れる。やはり、今日は店長さんにとって良いことでもあったのだろう。嬉しそうな人を見ると自分も嬉しくなる、特にそれが自分にとって好ましい人だと尚更だ。少しだけ軽くなった足で私は再びマーケットの中での聞き込みを再開した。

日が落ちると行きつけの雑貨屋で聞いた通り、昼間よりも風が強くなって、肌寒さを感じるほどに気温が落ちてきた。昨夜、幽霊の歌が聞こえたという居住館近くで待機している、私たちのコートの裾が風にはためく音ばかりが響く。

夕陽が射す頃、一度エーテライトプラザで落ち合った私たちは互いの戦果報告──とはいえ、確信に迫るようなものは一つもなく、ただ幽霊の噂は聞いたことがない、という事実を確認出来ただけだった。
「もしかしたら、本当に大人には聞こえない歌なのかもしれないな……」
「なら私たちの誰も聞こえないんじゃない?」
「え、どうして? 二人は多分聞こえるでしょう?」
「……ちょっと、喧嘩売ってるの」
「アリゼー、そういうところだよ……」

言葉足らずは私の良くないところだ。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまったアリゼーに向けて、内心慌てて言葉を追わせる。
「二人は耳の良いエレゼンだからって意味でね」
「もう、最初からそう言いなさいよ!」
「ごめんごめん」

和やかなひとときの間を風が通り抜けていく。やはり今夜は冷えるようだ。腕をさすって寒そうにしているアリゼーの横にさり気なく寄ってみると、すぐに意図に気付かれて照れ隠しの軽い平手を肩にもらってしまった。

そんな他愛のないやり取りをする私たちを微笑ましく見守っているアルフィノもすんすんと鼻を鳴らしている。
「こんなに風が強いと、階段亭の美味しそうな匂いがここまで漂ってくるね」
「終わったら休憩しに行きましょ。あったかいものが飲みたいわ」

そうだね、と首肯した瞬間、まるで風が運んできたかのように一つの答えが脳裏に浮かび上がった。
「……そうか、風だ。昨日の夜も風が吹いていた。つまり」

私より何倍も賢いアルフィノもアリゼーも全て理解したらしい。頭の中を整頓するように視線を宙に彷徨わせていると、また強く風が吹いた。今度は美味しそうな匂い以外の何かを伴って。
「風に乗って歌が運ばれていたんだね。昨日の風向きは確か……東から吹いていたはずだ」
「今夜も東からの風ね。さっさと行って幽霊の正体を明かしてやりましょ」

言うが早いか、アリゼーは彷徨う階段亭の方へ駆け出していった。アルフィノと私も彼女の後を追って、向かい風を受ける。

まだ多くの客で賑わう階段亭の中を突っ切る最中、誘いの声をいなしながらも歌を探していた。酔った客の陽気な声、賞金稼ぎたちのひそひそ話、限られた逢瀬のひとときを過ごす二人の話し声。その合間を強め夜風が吹き抜けた時、かすかに歌声の端を捉えた。
「二人共、聞こえた」
「ああ、私にも聞こえたよ」
「あっちね、扉の向こう」

階段亭には街の外周へ出られる分厚い扉がある。丁度サイエラがその扉を開けた時に風と歌が吹き込んだのだろう。私たちは足早に人々の合間を、扉を擦り抜けて、物見台の近くに出てきた。スウィートシーヴ果樹園の面々も既に仕事を終えた後で、人影は私たち以外には見えない。

扉から人が出てくる気配を察知して歌うのを止めてしまったのか、と少し心配になりながらも辺りの気配や音を探る。アルフィノもアリゼーも静かに、注意深く辺りを見回してくれているようだ。二人の銀髪が月光に照らされて、風が吹く度にゆらゆらと揺蕩う上質な絹布のように見える。

すると、アリゼーが私のコートの裾を引いた。指差す先は目の前の物見台、ギャングウェイの上の方。なるほど、人の視線は上に向きにくい。背の高い物見台の上なら見つかることなく隠れおおせることも出来るだろう。無言で頷いた私は二人を伴って階段を上りだした。

音を出来るだけ立てないよう、ゆっくりと上がっていくと止まっていた歌がまた聞こえ始める。風に紛れて高く、低く、時に掠れながら紡がれる歌声には聞き覚えがあった。クリスタリウムの人々に語りかける時の、そして不意に私たちに気遣いをしてみせる時のあの人の声だ。アリゼーたちも声の主に気付いたらしい、驚いた表情を見合わせて目を瞬かせている。

しかし、聞き覚えがあるのは歌声だけではないようだ。以前聞いたエオルゼアの子守唄に似ている。どこで聞いたのかまでは思い出せないけれど、その時も何故か今みたいに隠れて聞いていたような気がする。それより、どうして彼が原初世界の歌を知っているのだろう。

じきに一番上に辿り着くが、名も顔もフードの向こうに隠した彼がきっと答えてくれない疑問は一度仕舞い込んでしまう。そっと頭だけを出して物見台の頂上を覗き見ると、縁に座って丸まった背中が歌の調子に合わせてゆらゆらと揺れていた。まだこちらには気付いていないのか、振り向くこともせずに歌は続く。

第一世界を冒険していると、原初世界と似ているものや全く同じものをいくつも見つけた。それは動植物だったり、人の習慣だったりいろんな場面で見られたから、元は一つの世界だという話に実感が生まれたのだ。勿論、世界の始まりについて信じていなかった訳ではない。それでもどこか現実離れした物語に感じていた知識が経験となり、身に染みた。そんな感覚を第一世界を歩く内に強く感じるようになった。だから、きっと彼の歌もそんな似たものの一つなのだろう。

ふ、と歌が途切れる。あの人が深呼吸をして空を見上げる、その一呼吸の後を狙って声をかけた。
「水晶公」

ビクリ、と肩を揺らして半身だけ振り向いた彼は見えている口元だけでも慌てているのがよく分かった。
「あっ、あなたたちは……一体いつから!?」
「さっきからよ。ぜーんぜん気付かないんだもの」
「声をかけてくれればよかったものを……三人揃って老人をからかうものではないぞ」

窘める呆れ声もどこかやわらかい。怒っているわけではないと分かった私は二人と一緒に水晶公が座っている縁まで近付いていこうとすると、彼がすっと人差し指を口元に寄せて声を潜める。
「ああ、どうか静かに。やっと寝ついたところなのだ」

半身だけを振り向かせていた理由がやっと分かった。豊かな生地の渦の中、水晶公の腕に抱えられていたのは小さな赤ん坊だ。私たちは細心の注意を払って足音を殺し、座ったままの水晶公の周りにしゃがみこんだ。
「さて、どうしてこんなところに? もう休んでいてもよい頃だと思うが」
「子どもたちの依頼でとある噂話の真相を確かめに来たのです」
「夜になると聞こえる幽霊の歌の噂、ですって」

状況が飲み込めず首を捻っている水晶公に私たちは子どもたちにしか聞こえない、夜に歌う幽霊の噂を話して聞かせた。子どもたち曰く、その歌は聞いたことのない言葉のようで、しかし寂しそうだった、と。
「……なるほど、そういうことか。まずは子どもたちの相手をしてくれたことに感謝を。きっとその幽霊の正体は私だろう。噂になっていたとは知らなかったが……」

困ったな、とはにかむ公はその口振りの割に嬉しそうで、頬を掻く右手は浮ついていた。私たちも依頼主に良い報告が出来そうで、寒さで少し下向きになっていた気持ちがあたたかくなっていくのを感じる。
「公が歌っていたのはその子のため?」
「ああ。最近、街に来た赤子だ。両親とも、ホルミンスターの戦いで亡くなってしまった」

ホルミンスター。

まだ、否、きっといつまでも鮮やかなままだろう戦場のにおいが鼻の奥に過ぎった。クリスタリウムと友好な関係を結んでいたというかの集落は、戦火に包まれる前はきっと牧歌的な風景が美しい場所だったのだろうと想像に難くない。
「夜泣きが激しいと医療館で聞きかじったものでね。眠れない者同士のよしみで、子守唄を聞かせていたのだ」
「そう……」

アリゼーが寝息を立てる赤ん坊のおくるみにそっと手をふれる。繰り返す呼吸を手のひらから感じることで留まっている、彼女の心もまた戦場に引かれかけているのだろう。
「あの、公が歌っていた子守唄が原初世界の歌に似ていて驚いたんだ」
「おや、そうなのかい? 確かに、エオルゼアの共通言語に近い言葉ではあったね」
「……それは、すごい偶然だな。これは私の故郷に伝わる歌なのだ。元々世界は一つだった名残がこんなところにもあるなんて、不思議なものだな」

自分が考えていた仮説と水晶公が口にした理由が似ていたことが少し嬉しくて、口元がゆるむ。こんな身近なところにも世界の不思議はあったのだ、と気付けた夜はきっと忘れることはないだろう。
「ねえ、水晶公。もう一回歌ってくれないかしら」

それは意外にもアリゼーからのお願いだった。水晶公は赤ん坊を抱いたまま、慌てたような困ったような様子で口元をまごつかせている。
「あ、その……決して、歌が上手いわけではないのだ。老人は声が出にくくてね、だから気付かれにくいところで」
「もう、下手でも上手くても何でもいいから! このままじゃ私も眠れそうにないんだもの……」

決して大きくはなかったが勢いのある声は尻すぼみに、最後には風に流されてしまうほど消え入ってしまって。いつだって思い切りのいいアリゼーには珍しい歯切れの悪さは、きっと彼女が抱える風景に理由があるのだとこの場の誰もが分かっていた。
「公、どうにか頼めないかな……」
「水晶公、私からもお願いだ。一曲だけ……駄目?」

だから多勢に無勢となってしまっても、この機会を逃すわけにはいかなかった。それに、私自身も彼の歌が気になっている。どこかで聞いたことのある子守唄は一体どこで、誰の声で聞いたのだったか。もう一度聞けば思い出せるかもしれない、そんな自分のための理由は隠して双子と一緒に困り果てた様子の水晶公を見つめる。

すると、耐えかねた水晶公が大きく息をついて腕の中の赤ん坊を抱え直すと、目深に被ったフードを更に下ろしてぽつりと呟いた。
「……笑わないでおくれよ」

ふ、と一呼吸。水晶公の声はシルクスの塔の地下水源のように深く低く、そして天をつく塔のように徐々に高く登っていく。

夜に聞こえる歌声は暗闇の中で眠れない人たちをなだめ、眠りの淵に手を取って連れて行ってくれる付き添い人だった。

本人の言う通り、お世辞にも上手いとは言えない硬さのある歌声は、しかし確かにやさしさがこもっていることが感じられる。それは百年もの間、クリスタルタワーと共に街を、人を見守り導き続けたこの人だからこその色だ。

ああ、ようやく大人たちが首を横に振っていた理由を、そして決して自分からは何も明かさなかった理由を理解出来た気がした。

いつだって見守ってくれている視線にきっと気付く、その日まで。クリスタリウムの人々はそうやって碧い塔から降り注ぐやさしさを受け、自らも子孫たちへと手渡してきたのだ。言葉は要らず、ただ振り向くのを待って。

ならば。
「というわけで、『幽霊は』いませんでした」

翌朝、約束の場所に行けば待ちきれない様子の子どもたちが私たちを待ち受けていた。何かが隠されていることは気付いたようで、子どもたちは首を傾げて報告の続きを待っている。だけど、これ以上は私たちの口から言うべきではないだろう。
「じゃあ、誰がいたんですか?」

昨日の聞き込みで雑貨屋の店長さんが私に向けてくれたように、微笑みを以て答えとする。

ただし、これでは依頼人の要求には満足に応えられたとは言えない。不満こそないようだがもやもやと腑に落ちない様子の子どもたちに申し訳なさを感じつつ、改めて依頼人たちに向き直った。
「今回の依頼、君たちの満足する答えはどうしても出せないんだ。だから、お代も要りません」

いつ手の中の羊皮紙を渡そうか、と機を見ていた小さな拳をそっと抑えて意思を示す。驚きの色を帯びた瞳と、折角時間を割いてくれたことへの罪悪感がむくむくと腹の底に起き上がるが、こればかりは頂けない。
「せめてものお詫びの気持ちだ。『君たちの幽霊』の歌をここに」

重々しい鎧はまばたきの間に狩人らしい軽装へ取り替わった。わあ、と歓声を挙げてくれた子どもたちに一礼をして、いつでも調っている弦と弓で昨夜の音をなぞる。

高く、低く。決して上手くはない細い音はいくらか和らいだ風に乗って空に上がり、さわやかな朝の陽射しと共に街に降り注いだ。子どもたちへの気持ちと併せて、いくつもの明るい夜を越えた人々のために弦は歌う。

ひとしきり演奏が終わって視線を上げると、子どもたちたけでなく道行く人たちも遠巻きに歌を聞いてくれていた。その顔ぶれには見知ったものもいくつかあって、恥ずかしさが今更になってふつふつと湧き上がってきてしまう。しかし、今回ばかりは甘んじて好奇の視線を受け入れよう。
「ありがとう、旅人さん!」
「素敵なお歌!」
「こんなにきれいな歌だったんだ」
「幽霊、じゃないけど、その人の歌も聞いてみたいなぁ……」

口々に感想を伝えてくれる子どもたちの後ろから、さっき依頼料を渡そうとしてくれていた少年が進み出てくる。
「旅人さん」

すると、しっかりと握られていた羊皮紙をおもむろに差し出してきた。これは貰えないと首を横に振っても、あちらには退くつもりがないようでさながら膠着状態になってしまった。

他の子どもたちはというと、既に興味は双子との感想大会に移っていて、こちらの様子は目に入っていないらしい。アリゼーもアルフィノも演奏を楽しんでくれた子どもたちの様子を我が身のことのように喜び、誇らしげにしていた。
「前、歌を歌ってくれた旅人さんにお父さんがお酒をあげてたんだ。だから、これ」

半ば押し付けるようにして少年は存外強い力でベルトと服との隙間に羊皮紙を捩じ込んできた。ここまでされれば最早断る方が無粋だろう。
「ありがとう。歌のお代としていただきます」
「こちらこそ。歌、ありがとう。あとね……僕、分かったよ」

ふと耳元に寄せられた吐息はほんの小さな声で彼が辿り着いた、眼差しの色を教えてくれた。
「ありがとう、僕たちのわがままを聞いてくれて。それと、側にいてくれてありがとう」

少年は清々しい表情で深く頭を下げ、まだ興奮が残る子どもたちを今日の遊び場所へと引き連れて行く。めいめい大きく手を振って新しい一日へ駆けていく子どもたちと年少者を見守る少年。その背中はクリスタルタワーから降り注ぐ朝日の光を受けて、冴えざえと明るい方へと歩んでいった。
「ねえ、結局依頼料は何だったの?」

少年との遣り取りを意外と見ていたらしいアリゼーがベルトに刺さったままの羊皮紙を指差す。アルフィノも興味深そうに披露の時を待ってくれているようだ。
「歌のお礼として、ね。冒険者にとって情報は武器であり防具であり、生きる糧。という訳で、レイクランドの家庭料理のレシピを教えてもらったんだ」
「これは……! ふふ、君らしい依頼料だね」

丸まった紙を広げれば、丁寧に整理された文字と合間を縫って描かれた図がびっしりと書き込まれていた。これを用意するのは骨が折れただろう、無駄にしてしまいかねなかった己の詰めの甘さを胸中で反省すると共に、上手く再現出来た暁には彼らにも味見をしてもらおう、と心に留め置く。
「さて、冒険の後は依頼料でパーッと打ち上げだ。二人共、さっきのレシピでご馳走するよ」
「そうこなくちゃ!」
「嬉しいよ、君の料理はいつも絶品だからね」

駆けていった子どもたちに負けず劣らず、跳ねんばかりの二人を連れて私もまた新しい今日へ歩き出した。

ふと視線を感じて振り返る。見上げた先には朝日の光を返す、碧い塔が変わらず街を見下ろしていた。