路地裏の雑貨店

早朝と言うには少し遅く、昼と言うには早すぎる頃。数日間に渡る任務を終え、昨晩遅くにミストヴィレッジにある自宅へやっと帰り着いた私の休日が始まった。

身支度もそこそこに愛刀だけを引っ提げた軽装で向かう先は海だ。人出の多い時間とはずれているのか、誰もいないビーチにサンダルを放り投げて海へ一直線に歩き進む。指先から足をつけていくと、その水温で季節を感じられた。今朝は心もちひんやりとしている。だが、まだ暑さが残っているから丁度心地良かった。いよいよ実りの季節がラノシアのすぐそこまで来ているようだ。

ひとしきり水遊びをしたら日課の散歩の再開だ。一歩踏み出す度に足裏に浜から連れてきてしまった砂が擦れる心地がするが、歩いている内に細かい砂は落ちていくだろう。

砂浜から上がって中心区を避けて東向きに歩いていくと、一人で住むには大きすぎる中規模のお家を小さな一軒家たちが取り囲むエリアに行き着く。お店が立ち並ぶシーゲイズ商通りや住人や観光客で賑わうミストビーチも活気があって好きだが、やっぱり潮騒が聴こえる静かなエリアが私は一等好きだ。立ち並ぶ家々のエクステリアやお庭を見せてもらいながら、宛もなくふらふらと歩き回っていると、路地の奥にふと見慣れない看板を見つけた。

興味の向くまま誘われるように看板に近付いてみると、思わずギョッとしてしまう。看板には部族の文字や見たことのない文字がたくさん書かれていたのだ。

終末という大災害に対して共同戦線を張ったことをきっかけに、『蛮族』と呼ばれていた種族たちとの関係性は随分と良くなった。たまに諍いが起こるものの、交流は着実に増えていて街では彼らの文化を目にする機会も少なくない。

そんな世の中で彼らの言葉は珍しくなくなったとはいえ、あらゆる言語が所狭しと書きつけられた看板は本当の意味で何者にも寄っていないように見えた。一見無秩序にも見える言葉たちの片隅に見つけた共通語が言うことには、どうやら雑貨屋さんが路地の奥にあるらしい。

こんな面白い看板を出すお店だ、きっと品物も面白いに違いない。まるで芽を出したばかりの若葉のように好奇心が歩調を速めていく。

看板の主、雑貨屋はこの辺りでよくある様式の小さな建物だった。庭先にはチョコボ厩舎と訓練用の木人、そして小さなベルが置かれている。それらは周囲と変わらない冒険者の家という印象だが、何より目を引くのは庭だ。こじんまりした池を中心に雰囲気の異なる植物が共生している庭園には、懐かしい香りと瑞々しく潤んだ緑に彩られていた。

最早庭だけでこの雑貨店のファンになりそうなほど、ここにずっといたいと思える居心地の良さを振り切って、いよいよ雑貨店の扉を開く。

そこはまるで棚の林だった。本来窓があっただろう壁は木製の棚と額縁で埋め尽くされ、採光は天窓とだけに頼っているせいで洞窟のように薄暗い。店内をぐるりと見回していると、店の奥で何かが蠢く気配がした。
「いらっしゃい、どうぞごゆっくり」

気配はどうやら店の主だったらしい。朗らかな女性の声がカウンターを飛び越えてくるのと同時に、その近くにいる二人の人影もこちらを振り返った。
「あら、お客さんじゃない。じゃあ、私たちは行きましょう」
「また来ーるね」
「はい、ありがとうね。今度はお兄ちゃんも連れておいで」

こちらに気付いた細剣を携えたエレゼンとコボルト族の青年との二人は店主に親しげに声をかけてから、こちらに流れるような洗練な仕草で会釈を残して店を出ていった。素敵な人だった、とその背中を見送ってから今度こそ店内に足を踏み入れる。

危険と隣り合わせの冒険者にとっては生命線と言える武器やアクセサリー、どうやって遣うのかも分からない機械から果てはお菓子まで。恐らく店主さんの好きなものを集められるだけ集めた結果、本当の意味で雑貨としか分類出来ないお店になってしまったのだろうことが窺える陳列棚だ。

どれもこれも好きな感性に彩られている。お陰で一歩進むのに随分と時間がかかって仕方がない。

繊細な天球儀と無骨な鎧の間に置かれた素敵なアクセサリーたちの中、淡い水色の石が嵌め込まれた指輪を見つけた。つい手に取ってみると不思議と手に馴染む。指につけるには少し勇気が出なくて、天井から差し込む外光に翳していると、先客の二人が見ていた商品を棚に戻していた店主さんがこちらに近付いてきた。
「ラズライトという鉱石です。遠い国ではお守りにも使われるそうですよ」
「お守り……きれいですね」

肯定も否定もせず、ニコリとやわらかく微笑んで店主さんはまたカウンターの中へ戻っていく。

お守りの石、ラズライト。日々を荒事の最中で過ごすことが多い冒険者稼業の自分にはぴったりかもしれない。今日このお店を、そしてこの指輪を見つけたことも偶然とはいえ何か縁があったと思いたい。正直、無駄遣いを出来るほど懐があたたかいわけではないし、ラズライト自体がありふれた石で、また手に取れる機会が来るかもしれない。それでも何故か、今日この時を逃せばもう二度とこのお店に来ることが出来ないような気がして。
「あの、これください。おいくらですか?」

自分のためにいくらか逡巡を模してからは吹っ切れて、店主さんが作業をしているカウンターに指輪を置いていた。価格によっては諦めることになるかもしれないが、それも縁だと割り切ろう。どうか払える金額であってほしい、と手を握りしめている私とは対極的に、店主さんはまたやわらかくふんわりと微笑んでくれた。
「ありがとうございます。千ギルです」
「千ギル?!」

思わず大きな声が出てしまった。千ギル。冒険者ギルドのリーヴ報酬で支給されるアクセサリーでももう少し良い値段だ。いくらなんでも安すぎる。何故か店主さんは不安げにこちらを見ていてますます分からない。
「……高い?」
「いえ、むしろ安すぎて驚いたというか……」
「……あ、石は本物です。採掘から加工まで全部自分でしているからその値段、ということで」

唖然とする私に怪しまれていると思ったのか、店主さんは少し慌てた風に言葉を重ねる。逆に怪しく見えてしまっているが、こんなに素敵なお店を作り出す人が小悪党のような真似をするとも思えないし思いたくない。

しかし千ギルは安すぎる。かと言って客である自分から値上げをするように言うのも変な気がするし、どうしたものか。言葉を探していると、慌てていた店主さんが今度は照れたように頬を掻きながら声を潜めた。
「その、実は作る指輪を間違えたの。本当は護り手が使えるように丈夫にするつもりだったのだけれど、うっかり術師用に作ってしまって」
「……だから千ギル……?」
「ええ、本当はお代も要らないくらい」

洞窟の奥で宝箱を見つけた時のような。

遺跡の調査で未踏の通路を見つけた時のような。

逢いたいと願い続けていた人にやっと出逢えた時のような。

自身の頬にふれる店主さんの手に今までの旅の足跡を見てしまった瞬間、確かな高揚感と躊躇いとがないまぜになった熱が体を火照らせる。

このお店は店主さんの宝物庫。売り物すべてに想いがこもっていることは、ゆっくりと巡り歩く中でまざまざと見せられてきた。だから、もしこのラズライトがただのガラスでも宝石ですらない石でも構わないと思えたのだ。
「千ギル、払います」
「ありがとうございます。お包みしますね」

お財布にぴったり入っていた千ギルを手渡すと、店主さんは深々とお辞儀をしてから指輪を一旦下げていく。小さな紙袋を取り出し、緩衝材を詰める手は無駄がなくて素早い。きっと聞くなら今しかない。
「いつもこの時間は開いているんですか?」
「実は不定期営業なんです。今日は三ヶ月振りの営業だったり……お恥ずかしい」

視線は私に寄越しているのに包みを準備する手に狂いはない。店主さんのはにかむ笑顔はさっきの指輪の謂れを教えてくれた時と同じ、お店の人ではないただの一人の人の一面を垣間見せてくれているような気がした。
「冒険者ギルドの仕事の合間にしているからなかなか開けられないの。営業する時は必ず看板を表に出しているので、また気が向いた時にでも覗いてくださいね」
「はい、素敵なお庭もまた見に来ます」
「ええ、是非」

まるで魔法のように、いつの間にかきれいに包まれた指輪を手渡される。ほのかな重みを手のひらに受けて、温度がないはずのそれがじんわりとあたたかく感じた。決して愛想ではない、心からの嬉しい気持ちが事前と店主さんに笑みを返す。
「またのお越しをお待ちしております」

丁寧に戸口まで見送ってもらって雑貨屋さんを出ると、外は燦々と日が照っていて眩しさに少し目がくらんだ。光に慣れるまで目を閉じるとさまざまな花が香っていることが分かり、次いでクガネの街を歩いた時の記憶が何故か呼び起こされる。もしかして、と辺りを見回せばかの地で見かけた花がラノシアの花々の合間で咲いていた。きっと店主さんも思い出のある花なのだろう。庭をゆっくりと巡ってもなお名残惜しさを感じながら、でもいつかまた出会う予感をうっすらと積もらせて、もう一度だけ閉まった扉を振り向いてから私は家路へ就くために表通りへと歩き出した。

ミストヴィレッジを歩く最中も胸の高揚感は未だ収まらないままで、握ったままの包みをついつい見ては嬉しくなって仕方がない。遂に帰り着くまで耐えられず、小ぶりの紙袋に入れてきれいに包んでくれた指輪をそうっと取り出して随分高くなった太陽に翳すと、海が反射する陽光も相まってか店内のわずかな光が見せた色とはまた違う煌きがそこにあった。
「きれい……」

ふ、とラズライトが嵌め込まれている細工部分に極々小さな文字が刻まれていることに気付く。職人たちは自分の作品に名を刻むことがあるというから、きっとこの指輪を作った店主さんの名や屋号が刻まれているのだろう。目を凝らして読んでみると、そこにはエオルゼアの英雄と称えられ、その話題を聞かない日はないほどに広く知られる人の名と同じ銘が刻まれていた。かの英雄の名前は珍しいものではないし、何よりあの英雄がミストヴィレッジに住んでいるなんて聞いたこともない。きっとあの店主さんはただ同姓同名なだけの冒険者なのだろうけれど、不思議な縁に少し嬉しくなる。

最近では珍しいほどの満足感で胸がいっぱいだ。やっぱり手に入れられてよかった。指につけられる日はきっともう少し先だろうけど、それまではネックレスにして首にかけておこう。