Day051~060

Day051:明日になったら

※旅支度をするグ・ラハと冒険者のお話。
※冒険者はアウラの男性です。

冒険者たちが多く集う晩鐘の街、レヴナンツトール。

ロウェナ商会に旅先で見つけた古物やよく分からないものを持ち込む者や、長旅で疲れた羽を休めようと酒場へ向かう者、クリスタルタワーの調査団と思しき学者風の者。さまざまな風体の人々が入り混じる中、二人の青年は居た。
「早くはやく!あっち見に行こうぜ!」
「ふふ、そんなに引っ張らなくてもちゃんと行くよ」

赤毛のミコッテは親子ほどの体格差がある冒険者風のアウラ族の青年を半ば引きずるようにして市場へと向かっている。待ちきれない気持ちを抑えられていない赤毛を青年はたしなめるも、その表情は慈しむようなやわらかさしかなかった。

二人の向かう先は道具屋と、冒険者であれば誰もが馴染み深いロウェナ商会が管轄するトームストーンの交換所だ。
「まず、グ・ラハのエーテルと携帯食は多めに買って……」
「あ、あと羊皮紙とインク!これからたくさん書くんだから、予備は必要だ」
「日記でも始めるの?」
「そう!オレたちの紀行録!」

ニッと満面の笑みを咲かせたグ・ラハ・ティアに青年はじわりと胸の奥に熱い波が寄るのを感じた。

水晶公から幾度となく聞かされていた。青年の旅路が行き詰まった未来の希望となる、と。誰かの手記に、語り継がれる物語に、あるいは人々の心の中に遺された光。それを今度は彼の意志を継いだ彼自身が紡ぐ。それも追い続けた星と共に。

青年は滲みそうになる目元を隠すために、大きな手でぐしゃぐしゃと赤毛を乱してやる。

上機嫌なグ・ラハはくすぐったそうに身を捩りながらも嫌がることはなく、相棒の気紛れに付き合ってなされるがままになっていた。
「ふはっ、何だよ急に」
「グ・ラハと一緒に旅が出来て良かったなぁって」

ぱちり、と目を瞬かせたグ・ラハ・ティアはさっきよりも更に明るく、それこそ彼が太陽かのような満面の笑みを見せる。

明日、日の出と共に彼らはレヴナンツトールを発つ。

新たな冒険の旅、約束の旅路へ。

Day052〜053:深慮の間の床の色

※水晶公と冒険者が深慮の間を大掃除するお話。

「ギャッ」

カエルを踏み潰したような酷い声が響くと同時に何かがバサバサと落ちる音が重なり、来訪者を報せた。

見えない書類に囲まれて身動きが取れなくなっているあの人は、あうあうと妙な鳴き声を上げて助けを求めている。なかなか見れない姿が面白くてしばらく放っておこうか、と意地悪い考えが一瞬過ぎったが、流石に可哀想だと本の山の合間から手と杖を降って、バニシュを解除する。
「いらっしゃい、英雄殿」
「水晶公……君って奴は……」

足の踏み場もないほどの書類、本などの紙に囲まれたあの人は助走なしにその場からぴょんとひとっ飛びで私の近くまで、文字通り跳んでくる。踏まないようにという配慮と驚異的な脚力に思わず拍手を贈ると、英雄は照れたように首の後ろを掻いていた。
「あのね、今日はライナから『依頼』を受けて来たんだ」
「ライナから?あの子があなたに依頼なんて珍しい。一体どんな内容だろう?」
「深慮の間の掃除」

一呼吸、無音。
「……何だって?」
「おじいちゃんが半端なく散らかしている深慮の間を掃除してほしいって」
「……ライナとあなたの気持ちはありがたいが、それには及ばない。私だって伊達に年を取っていない、掃除くらい出来るよ」
「この紙の山を見てから、私の目を見て言える?」
「……心配せずとも今度しようと思っていたんだ」
「それ、絶対しない奴の言い訳だからね。じゃあ勝手に始めるから、君は見回りでもしてきて」

ぐい、と本の山から引き出されるやいなや、そのまま戸口へと背中を押してくるこの人の頑なさは一体何だ。だが、ここで流されるわけにはいかない。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!大事なものも沢山あるんだぞ!」
「心配されなくても、勝手に捨てたりはしないよ。整頓しておくから、後で私と選別しよう」

戸口ギリギリで腕を突っぱねて耐えようとするが、存外に強い力で押し出してくる英雄の腕力に叶うはずもない。このまま持久戦に持ち込まれれば必ず負ける。ならば、かくなる上は──
「……私も一緒にする……」

思ったより拗ねた調子になってしまった声がぼそぼそとまろび出る。すると、同時に背中を押す力も止まった。
「本当に?途中で書類とか本読んだりしない?」
「しない、ように努力しよう……」
「……読みだしたら摘み出すからね」
「ぐぅ……」

よし、と背後で大きく頷いた気配がして、ようやく背中を抑えていたあたたかいものが離れていく。振り返ると、まるで部屋の主の如く私を迎え入れるように手を中へと向けて、それはもう清々しい笑顔の英雄がそこにいた。ああ、こんなにも素敵な笑顔が見られたのだ、ライナには感謝しなければいけない。
「終わるまで逃さないし、仕事もさせないから頑張ってね」

前言撤回。なんてものを送り込んでくれたんだ、あの子は。

清々しい笑顔が途端に恐ろしいものになった瞬間、逃げ腰になった私を歴戦の戦士であるこの人が見逃すはずもなく、碌な抵抗も出来ないまま私と英雄はそのまま夜通し掃除と片付けをすることになった。
「公、この書類は?」
「あー……それはテセレーション桟橋の計画書だな。博物陳列館に持っていくから、そちらの箱へ」
「あと、とっくに貸し出し期限過ぎてる本も山程あるけど」
「……今度、モーレンに謝りに行ってくる」

深慮の間には基本的に私以外の人が立ち入らないのを良いことに、あらゆる物を持ち込んでは散らばり放題にさせていた。いや、部屋の主たる私は全てを把握していたとも。だから、共に片付けをしてくれている憧れの人が判断仰ぐ紙切れや本たちをすぐに処断出来るわけだ。
「水晶公……君って人は……」

陳列館に返す本をまとめているあの人の背中が何故か落ち込んでいた。そうさせてしまっている原因は恐らく自分だと分かっているから余計に遣る瀬ない。
「ここにあるものは全部大切なものだろう?忙しいのは分かるけれど、整頓はしよう?」
「……耳が痛いな」
「こら、フード被らないで」

物理的に耳に蓋をしてしまおうと被ったフードは伸びてきた手に取り払われ、あの人の笑顔とも真顔とも言えない曖昧な表情が乱れた前髪の合間から垣間見えた。
「君が頑張ってきた証だ……誰よりも君が大事にしてよ」

膝に置いていた紙の束を拾い上げ、じっと内容を読んでから選別の箱へ。まだこちらの文字に離れていないと言っていたから、ゆっくりにならざるを得ない動作は一つ一つ流れるような中にも丁寧さがあって、それがどうしようもなくむず痒くて嬉しかった。

ぴぴ、と揺れる耳が背を向けて作業をしているその人に見られなくて良かった。
「……ありがとう。そして、すまなかった」

立ち上がって数歩を詰め、座り込む英雄の隣りに腰を下ろす。途方もない百年を想うその瞳に見守られるなら、苦手な掃除もいつもより上手に出来る気がする。いや、実際二人なら出来るだろう。そう思えばこそ、自然と気合が入って書類と本を選別して運ぶ手も早くなる。

ぽつぽつと会話を交わしつつ夢中になって作業を進める。一人だと億劫な片付けもこの人となら案外悪くないようだ。

選別が終わった本を星見の間に運び出した時、ふと外の様子が気になって大鏡にふれると、いつの間にか夜が来て明けていた。

空の様子を伝えても尚、手を緩めない英雄は日が高くなった頃にようやく「出来た!」という勝鬨を挙げた。美しい文様を再び見せてくれた深慮の間の床をぐるりと見回し、ふふん、と息巻いたその人と私はどちらからともなくぐっと熱い握手を交わす。何故だろう、とても良い冒険の旅を乗り越えたような気すらする。単に私が片付け出来なかった後始末をしてもらっただけなのに。

そのままキレイになった深慮の間で二人揃って雑魚寝してしまい、様子を見に来たライナに怒られたのはまた別の話だ。

Day054:雪原、共闘

※クルザス西部高地にてアランベールと名乗る竜騎士と手合わせをするお話。

その男とは偶然出会ったに過ぎない。ファルコンネストから飛び立とうという時に、ただならぬ雰囲気の二人を見かけて声をかけた。竜騎士の男──鋭槍のアランベールは強い訓練相手を探している、と宣った。打ち負かされた聖フィネア連隊の兵を見たところ、満身創痍ではあるが酷い傷はついていないようだ。

なるほど、少し興味が出てきた。
「訓練相手になるかは分かりませんが、私で良ければ……」
「よろしい。あなた、斧を使うのですね」
「槍に持ち替えましょうか?」
「いえ、そのままで。私の鋭槍がどこまで通じるのか……さあ、心を、魂を滾らせるような戦いを!」

刹那、アランベールは雪原を物ともせず踏ん込んで刺突を繰り出す。咄嗟に受け止めた刃に火花が散り、ジンと衝撃が手の平に伝わってくる。流石、イシュガルドの精鋭部隊に所属しているだけあって技の一つ一つが重く、速く、無駄がない。
「まだ、壊れないでください」

アーメットから垣間見える光に欲が見えた。強くなりたい、この時間をもっと味わいたいという熱が伝わる。

イシュガルド人らしい長躯が槍を振るう姿は、強くなること、一瞬前に出来なかった技をこなせるようになることが楽しくて仕方がないと全身で表していた。それはまるで彼のようで、自然と斧を握る手にも力がこもる。
「残念ながら、そんなに軟じゃないんでね」
「っはは!なら、準備運動は終わりです!」

湧き上がってきた高揚感を隠さない竜騎士に釣られて、体が熱くなるのを感じた。鍔迫の状態でアーメットの死角から鎧に守られた胴に向かって思いきり裏拳を叩き込む。直接的なダメージではなく、手数の多さを見せつけて動揺を誘うそれは当たる直前に間合いを取られて空振りに終わった。若くても精鋭の名は伊達ではないらしい。
「もっと!もっとです!」
「言われなくてもっ」

刃を振り下ろす、力を流され返される、こちらも柄で受け流して振り上げる、距離を取られて踏み込まれる。二人の戦士によって踏み荒らされた雪原は地肌が見え始めていた。足裏に感じる濡れた土の質感、ここは私の領域だ。
「!!」

隙がないなら作る。渾身の力を込めて薙ぎ払った刃を槍で防いだもののその質量と勢いに耐えきれず、吹き飛んでいったアランベールは白い雪の上を転がり、やがて岩に当たって止まった。剥き出しの土から雪に足を踏み入れ、よろよろと立ち上がろうとする竜騎士に刃を突きつけてこの楽しい時間の終わりを告げる。
「も、っと……私はまだ、」

だが、若き竜騎士の声は獣の咆哮によって掻き消された。
「何!?」

地響きを感じて振り返ると、そこには角を持つ二足歩行の魔物が群がっていた。氷のような角は私が来た方向、ファルコンネスト方面へと向いている。このままだとまずいと経験が告げる。
「チッ!氷鬼め……私は仕切り直します。あなたはそれまであれを食い止めてください」
「っはあ?!」

さっきまでふらふらだった竜騎士は引き止める間もなく飛び去っていった。仕切り直すも何も、この群れの数を見て私一人置いていくなんて。
「ああもうっ!」

心が滾ったとかそういったことを言っていたから、てっきり。なんとなく胸の内に渦巻くもやもやを晴らすように、私は魔物の群れ相手に斧を振りかぶって突っ込んでいった。だが、心は晴れることもなく、さっきの手応えの何十分の一にも及ばない淡々とした作業のような感覚が更に虚しさを増長させる。人の命がかかっている討伐に抱いていい感覚ではないと分かっているけれど、どうしても。
「鋭槍のアランベール、推参!」

次に刃を突き立てようとした獣に上空から黒い影が降り、飛び散った鮮血が頬を濡らす。槍を抜き去って次々と獣の頭上を飛び跳ねていく姿は、まるで翼でも生えているのかと見紛うほどの鮮やかさは流石の一言だ。獣たちの頭上を一巡りした竜騎士は宙返りをして私の隣りに降り立つ。
「随分と背中が寂しそうでしたよ」
「……要らないこと言っていないで、早く終わらせますよ……」
「ふふ、よろしい。私たちの美技、見せつけてやりましょう!」

悔しくも彼が戻ったことで肩の力が抜けたような気がする。強ばった体をほぐして、ス、と呼吸を合わせて。今、このひととき背中を預け合う私たちは再び戦場の熱に身を委ねた。

Day055:お裾分け

※暁の新人くんとアルフィノくんがお茶会しつつ、思い出話をするお話。

よく知った筆跡を目で追って、読み終わったら新しい束へ。

アリゼーとの鍛錬を終えた後、特に急ぎの用事もないなら、と倉庫から資料を引き出してオレが寝ている間の歴史を辿ることにした。

暁の血盟に所蔵されている資料の中には第八霊災の末に失われてしまっていたものも多くあり、見たことのないものを適当に持ち出してきただけで相当量になってしまった。しかも、倉庫にはまだまだ読んだことのないファイルがたくさん眠っている。しばらくは読み物に困ることもなさそうだ。

持ち出したものの多くは報告書だった。ページを捲る度、彼らは草原、砂漠、空の上や海の中までありとあらゆる場所を舞台に冒険を繰り広げる。自分もそこに居ることが出来たなら、なんて思う気持ちもないわけじゃないけれど、この歩みが今のオレに繋がるのだと思うとどれも愛しく、視界が潤む。

これからはオレもこの報告書の登場人物となるのだとは、まだ実感が沸かないけれど。
「やあ、すごい量の資料だね」
「アルフィノ!へへ、みんなの軌跡は全部知りたいからさ」

こそばゆそうにはにかむ学士殿へ席をすすめるとすとんと収まって、手にしていた二つのマグカップの内一つを差し出してくれた。お返しに、と摘んでいたクッキーの皿を二人の間に置く。ちょっとしたお茶会みたいだ。
「……これは、イシュガルドの記録だね。あなたが眠ってすぐの出来事だ」

一番上に置いていた資料を手に取ったアルフィノがひっそりと、懐かしむような音を漏らす。伏せられた目元は誰かを想うようにやわらかく弧を描いていた。

イシュガルド。千年の戦、偽りの歴史、ビッグス三世が好きだった物語の舞台。他の土地でもそうだったように彼らは雪煙るクルザスの地で旅を続ける中、たくさんの出会いと、数え切れない別れを経てきた。

アルフィノの視線の先の影は、記録としてしか知らないオレには決して声をかけることが許されない領域だ。だから、オレは黙して資料に目を落とし、彼が次の言葉を紡ぐのを待つ。
「……大審門を抜けて雲廟を歩いている時、数歩先すら見えないほどの猛吹雪が吹いていたんだ」

ピ、と思わず両耳が立ち上がる。それを一瞥して尚、アルフィノは言葉を続ける。その瞳には吹雪が見えていた。
「タタルと一緒にすぐ前を行くあの人の背中を追うのが精一杯でね。横殴りの風にさわられてしまわないかとヒヤヒヤしたものさ。ようやく着いたイシュガルドで踏み締めた石畳の感覚は、今も覚えているよ」

どうかな?と悪戯っぽく微笑むアルフィノは年相応の表情をしていた。心が、震える。
「私で良ければ、資料の補足するよ。きっと、この先一緒に冒険をする時に役に立つはずだからね」

ああ、なんて眩しいのだろう。

そうだ、彼が一番近くで一番長く、肩を並べんとしてあの人の背中を追い続けてきたのだ。そこにはオレとあの人とのものとは違う形の信頼がある。
「断る理由がない……ぜひ、たっぷり聞かせてくれ!」
「それじゃあ、僭越ながら……」

暁に保管されている資料は、読んでいるだけで脳裏に舞台を思い浮かべられるほど優秀だ。それでも脇道に逸れないように実態のみを描くそれと、アルフィノが五感で得た情報を加えられてつぶさに語られる景色はその比ではなかった。

今、オレは共に旅路を歩いている。

Day056:キャンプで君と朝ご飯

※気ままな旅の途中、暁の新人くんと冒険者の朝の風景に関するお話。
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

澄んだ水面にぼうっとした寝ぼけ眼の男が映り込む。我ながら寝起きは酷い顔だ。

目的地まであと少し。今夜には宿に着くだろう、とやわらかくてあたたかい寝床に思いを馳せながら、冷たいさざめき川に手を突っ込んで顔を洗う。

流石に頭も冴えてきたところで、茂みの向こうに敷いたキャンプからのそりと小柄な影が這い出てきた。
「……おはよう」
「おはよ、グ・ラハ」

ふわふわとあくびを繰り返す若い賢人にタオルを投げ寄越す。しっかり顔面で受け取ったのを笑ってやってからキャンプに戻った俺は、どっかりと腰を落ち着けて朝食の準備を始めた。

今朝のメニューは何にしようか、と顔の横の黒い角をコツコツと指で爪弾く。

そういえば、昨日のうちにメープル樹液を採っておいたのだった。蜜にしてトーストに付けよう。朝一番の甘いものは一日の元気の源になる。ついでに寝坊助のために濃いめのコーヒーも用意してやろう。

慣れた作業を手早くこなしつつ、昨日の残り火を焚きつけてケトルを置く。お湯が沸く頃には川から帰ってきてくれると嬉しいのだけど。
「良い匂いだ。コーヒー、オレがするよ」
「ありがとう、頼むよ」

予想通り、ケトルから湯気が上がり始めた頃、旅の仲間が戻ってきた。顔を洗ってスッキリしたグ・ラハが肩に顎を乗せてくるのにも今では慣れたものだ。角が刺さりそうで怖いから止めろと言うのはもう諦めた。

ちゃんと隣りに座るのを確認してから、あつあつのケトルを手渡すと「任せろ!」と腕まくりしてドリッパーにお湯を注ぎ始めた。

川のせせらぎ、人里から聞こえる鶏の鳴き声、天気は快晴。誰かと旅をして、ゆっくりと朝を迎えられるなんて、少し前は考えられもしなかった。

のどかだ。

諸々火急の問題が行き詰まり、俺に出来ることといえば休むことだと言われたなら、気ままな冒険に出るしかない。旅支度をする俺を落ち着きなく伺っていた誰かさんを攫ってから七日程が経った。

それにしても、その誰かさんからの視線が痛い。
「グ・ラハ」
「ん?」
「お湯がこぼれるぞ」
「えっ?うおっ」

慌ててケトルを火に戻して、ほう、と息をついたその人はまた俺を、正確には俺の肩あたりを見ていた。
「何か気になることでも?」
「あんたってさ、何で髪伸ばしてるんだ?邪魔じゃないか?」

そう言ってグ・ラハは手を伸ばして、頭の高い位置で結わえて背中へ垂らしている俺の髪にふれた。
「邪魔な時もあるけど……昔、何処かの戦士は髪を伸ばすものだって本で読んだんだ。要は相手をおちょくってるんだよ、この髪を掴めるなら掴んでみろ、首を獲ってみろってな」
「……思ったより、その……過激だった」
「そういうものだよ、冒険者の本質なんて」

さらさらと髪で遊び始めたグ・ラハは好きにさせて、俺は仕上がったメープルシロップを手元のトーストに容赦なく塗りたくる。満足したらコーヒーに戻ってくれるだろう。
「はい、グ・ラハの分」
「ありがとう。オレ、出来たてのメープルシロップなんて初めてだ!」
「それはよかった。さあ、ちゃちゃっと食べちゃおう」
「ああ。じゃあ、いただきます!」

思いきりトーストにかぶりついた途端、グ・ラハの顔が綻んで今回のメープルシロップも上手く出来たらしいことを教えてくれた。彼に倣って俺もサクサクのトーストをかじる。じわりと口いっぱいに広がる甘さに幸せを感じる。

やっぱり誰かと一緒の朝食は良いものだ。

Day057:雪だるま事変

※星芒祭の季節、アルフィノが遭遇したある夜の不思議な物語。

頭の中でカーバンクルとあの人が元気いっぱい暴れている。

魔道書に書かれた術式の理論を解説する言葉を追いつつ、どういった場面で、今まで経験してきた戦場ならどう役立てられるか頭の片隅で思考が走っている。

最前線ギムリト、帝国の政変、ボズヤを始め帝国属州の蜂起、黒薔薇やウェポンシリーズと呼ばれる兵器、そしてアシエン・ファダニエル。私たちが把握している以外にも、未知の脅威がいつ現れてもおかしくないのだから、私は私に出来ることを全力で務められるように準備を整えておかなければ。

不意に足元にひやりとした冷気を感じた気がした。けれど、それは集中を乱すほどではなくて、私は構わず目の前の魔道書をなぞり続ける。

大勢の敵に囲まれた時、あの人ならどう動くだろう。圧倒的な劣勢でも振り返って笑顔を見せてくれた、いくつもの戦場が脳裏に甦った。

それにしても、夜も更けてきたせいで手がかじかむほどに寒くなってきた。そろそろ星芒祭の時期だから、雪でも降っているのだろうか。一旦休憩がてら、外の空気を吸いに行こうと大きく伸びをして椅子から立ち上がり、振り返ると──
「ダレダコイナネ」

そこにだけ雪を降らせた大きな白い雪だるまが背後に立っていた。

「うわぁ!!」

自分の叫び声に驚いて横たえていた体を飛び跳ねるように起こしてしまった。部屋の中を見回してもあの雪だるまの姿は見えなかった。一体何者だったんだ。それに私はいつの間に寝たんだ。

悶々と考えているとコンコン、とドアが控えめにノックされる。
「おはよ、アルフィノ。入ってもいい?」
「君か!どうぞ、鍵は開いているよ」

寝起きで乱れた髪を手櫛で撫でつけながらベッドから飛び降りて、すっかり身仕度を整えてひょっこり入ってきたあの人を迎えた。
「やあ、すごい大声だったから見に来ちゃった。怖い夢でも見た?」
「いいや、なんだか私にもよく分からなくて……」
「君がそんなこと言うなんて珍しい。よかったら聞かせてよ」

乞われるまま昨夜の不思議な出来事と雪だるまを話すと、冒険者らしい真面目な顔で聞いていたこの人は何か結論づけたように一つ頷いた。
「アルフィノ、夢を見たんだよ。最近遅くまで起きて勉強しているでしょう?疲れていたんだ」
「だ、だが確かに寒くて、何やら呪文を唱えていたのを聞いたんだよ!」
「ふむ……でも、侵入者がいれば私が気付くし、少なくとも昨日は誰の出入りもなかったよ」
「そう、なのか……では、あれは夢か……」
「そうそう!夢だよ、夢!」

そのまま朝から上機嫌な英雄殿は朝ご飯に誘ってくれた。もちろん快諾した私は仕度がまだだったため、後ほど大広間で待ち合わせることになった。

手を振って部屋から出ていく間際、あの人が急にこちらに歩み寄り、そして私の髪にふれる。
「髪にこれ、付いていたよ」
「ああ、ありが……これは!」

手づから取ってくれたそれを見た瞬間、呼吸が一瞬止まる。

それはキラキラとしていて、まるで雪の結晶のようだった。ただ、綺麗なだけではない。見覚えのあるそれは雪だるまが頭の上から降らせていたものだ。

そこでかろうじて残っていた冷静な思考が叫ぶ。さっき髪を撫でつけていた時、それにはふれなかった。
「……ダレダコイナネ」

ぞわり、背筋を昨日感じた冷気が撫でる。

目の前の英雄が呟いたのは、雪だるまの呪文。つまり──

Day058:氷中の獣たち

※ある冒険者とその師の砕氷戦での一幕。

血が沸騰しているのかと思うくらい、体が熱い。

一瞬で変わる戦況を何とかこちら側に引き寄せたくて、有り余る体力を武器に護り手たちと最前線に躍り出た。

身軽に飛び回る忍者は同僚に任せて、治癒の術をばらまく白魔道士に突進して一撃を打ち据える。昏倒する敵を流し見て、次の標的を探すと弓を構える影を視界の端に捉えた。間に合わない、と冷静に思考が断じる。
「!!」

腕で受けるのも已む無し、と覚悟したところでぐいっと見えない手に体が後方に引き戻される。ついさっきまで自分が立っていた場所に凄まじい勢いで矢の雨が降っていた。

半分浮いていた体の自由がきくようになった瞬間、隣りに自分と同じ制服を纏った小さな影が並び立つ。
「……チッ……逃した」
「こらこら、舌打ちなんかするなよ。可愛いのが台無しだ」
「もう、単独で突っ込みすぎでしょ。もう少し周りを見て」
「ごめん、助かった」

ぴしゃりと叱られて曖昧な笑みを浮かべる私にじっとりとした視線と溜め息を贈った学者殿は、淡い光を放つ魔道書を改めて構えた。癒し手の師でもある彼女が見据える先にはいつだって勝利の道筋がある。
「援護する、撹乱してきて」
「了解」

三つ巴の敵味方が入り乱れて大混戦になっている戦場。気を抜けば横から後ろから頭上から容赦ない攻撃に晒されて、あっという間にベッドの上に強制送還されるだろう。

だが、癒し手が後ろにいるというだけでこんなにも心強い。

わざと受けた傷がまたたく間に癒えていく様に驚いた相手は一瞬の隙が出来る。そこに叩き込む一撃の爽快感たるや。

返り血と自分の血で真っ赤に染まる私に師はひたすら文句と治癒を投げてくれる。たまに向こう脛を蹴りつけるのは止めてほしいけれど、こればかりは甘んじて受けよう。

戦場の空気に当てられて徐々に研ぎ澄まされていく五感を感じながら、同僚と息を合わせて立ち塞がる敵を雪に埋めていく。

敵本隊とぶつからないように進軍を続けて谷に差しかかった時、ピリッと肌がひりついた。

誰かがこちらを見ている。

刃を向けている。
「頭下げろ!」
「っ!?」

流石の反射神経で屈んだ師の夜空色の髪にその鋭槍がふれるより先に投擲で後方に続く味方側に竜騎士の体を吹き飛ばして、自分はしゃがみこんでいる小さな背中に駆け寄る。

獲物に狂喜乱舞する味方の歓声と竜騎士の断末魔を背景に、服についたホコリを大事な魔道書で叩き落とす、可愛らしい見た目に似合わないこの人らしい仕草に思わず吹き出してしまった。
「ふふ、怪我は?」
「ない!次、いくよ」
「ああ」

すぐに魔道書を掲げ、タッとその小さな歩幅からは想像出来ない速さで駆け出していく背中を追う。

古代文明の発掘も、三国の威信も、自分がどう見えているかさえも、今はどうでもよくなってしまいそうな。そんな衝動が胸の奥に渦巻き、抑えきれない闘気が白い呼気になって漏れ出る、
ああ、どうしよう。

こんなにも、楽しい。

Day059:風が強く吹いている

※冒険者によるグ・ラハのための演奏会のお話。
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

今夜は強い風がバルダム覇道の方角から吹いている。

集落の明かりから少し離れた風下の大岩に腰掛けて、借り受けたアジムステップの伝統的な木製の楽器を膝に乗せる。弾き手の愛情が推し量れる手入れの行き届いたすべらかな木目を撫でながら、勝手についてきたくせに今更遠慮して岩の下で突っ立っている旅の仲間を手招きする。

ぐずついていた影は意を決したように一息で岩を登り、いつもの特等席ではなく俺と背中合わせに座り込んだ。すんすんと鼻をすする小さな振動が伝わってくるのを感じながら、太く低い音から細く高い音へと階段を登るように、弦にふれて音階を調整する。
「……あんた、楽器も弾けるんだな」
「これだけだよ。親が教えてくれた曲と、あと旅の中で覚えた一曲しか出来ないんだ」

君の歌と違って特技とも言えない、それくらいのものだ。

もたもたと張り直した弦にそうっと指を添えると、母の衣に焚き染められていた懐かしい香の匂いが喉奥に甦る。かつて母が手を添えてくれたように、その香りに導かれるように指先は弦の上を踊り、古くから草原に伝わる音の連なりを奏でる。一人で旅に出てからはふれていなかったのに、意外と覚えているものだ。

いくつか曲を奏でる間もグ・ラハは背から動かず、ただ静かに耳を傾けるばかり。いつもなら「もっと聴かせろ」と興奮気味におかわりを要求してきてもおかしくないのに。
「……なあ」
「うん?」

丁度、曲の切れ目にしばらく振りに聞かせてくれたグ・ラハの声は少しだけ掠れていた。
「あんたの旅の中で覚えたってやつ、聴かせてくれよ」

そうやって君に請われて俺が断るなんてこと、有り得ないのに。恐らく何度も言葉を選び直したのだろう、簡素なようでいて彼のやさしさが詰まった言葉に応えて弦にふれるために屈みがちだった姿勢を少しだけ背中のぬくもりに凭れかける。ぐ、と支えてくれるその力強さがひどく心地良いと思えた。

こんなに風のある夜だからか、それとも彼らの同胞を追ってこの草原を訪れたからか、不意に思い出したのは天まで届くほど高く吹き鳴らしたピカピカのラッパの音色だった。あの時の風の匂いと腹の底に横たわる旅愁が胸に染み渡る。
「……途中で止まっても笑うなよ」
「ああ、もちろんだ」

一呼吸置いて、指先を滑らせる。

かの竜と、背中のぬくもりにとって今夜が平穏な時であるように。拙い願いを込めて。

Day060:待ち人来たりて

※オルシュファンと待ち合わせするお話。

ほう、と少し上向いて息を吐くと、白い煙が碧い地脈の錨に沿って立ち昇っていった。

それをぼうっと眺めていると、急にやってきた厳しく冷たい風に鼻先をいじめられて、さっとぐるぐる巻きのマフラーに顔の下半分をうずめる。

エーテライトの下に突っ立って、寒い中でも特に顔色を変えずに行き交う人々や元気に走り回る子どもたちを見ていると、もしかして私だけが寒がっているのかなと少し不安になった。

しばらくクルザスに身を寄せていて慣れたかと思っていた寒さは、やはり北上するほど、標高が上がるほど厳しくなるようだ。凶暴な冷たさの風に身を晒されながら、かつて豊かな緑を有していたというこの地で第七霊災を経験した人々の逞しさを文字通り身にしみて知った。

私が想像することも出来ない苦難を近しい者たちと肩を寄せ合って耐え忍んだ、その道程を。
「フフ……百面相するお前もイイ」

よく知った声に振り向くと、オルシュファンが子どものように頬を上気させて、それでも悠々とした足取りでエーテライト・プラザの小さな階段を登ってきていた。一部始終を見ていたのだろう、隠そうともしていない満面の笑みが憎らしいほど清々しい。
「すまない、待たせたようだ。顔が赤くなっているぞ」
「大丈夫だよ、これくらい……ちょ、待って、引っ張りすぎ……」

ぐいぐいと力任せにマフラーを引き上げようとする彼のグローブ越しの手をなんとか捕まえると、なおも浮かべられている笑みに少しだけ悪戯っ子のような色が混ざっていた。彼にこういうおちゃめな一面があることを一体どれくらいの人間が知っているのだろう。
「ふふ、今日の友はよく考えているな」
「心外だな、私はいつでも思慮深ぁく考えているよ」
「ハッハッハ!そうだな、今日のおやつや晩餐のこと……そして、腹ごなしの鍛錬だな!イイぞ!」
「人を食いしん坊みたいに言わないでよ、もう」

訳知り顔で肩を叩く彼と連れ立って、私たちは一路、ひとまずの腹ごしらえのためにマーケットに赴く。不意に見遣った彼の横顔、エレゼン族らしい立派な耳が赤くなっていて、なんだか少し安心したのは秘密にしておこう。