03__信じていたかったもの
クリスタルタワーの深部に扉で二つ続きになっているちょっとした小部屋があることに気が付いたのは、塔を封印していよいよ眠りにつく直前だった。
ノアのみんなとの調査の時には辿り着かなかった区域にひっそりと存在していた小部屋は、壁や床全面がアラグの技術で作り出された星空のように美しい紺碧で埋められていて、奥にオレの背丈よりも大きな鏡が据えてある。しかし、それよりも十三の小さな円と一つだけ大きな円が描かれた床の文様が目を引く。ガーロンド社のみんなに起こされてから知ったことだったが、この紋様はどうやら原初世界と鏡像世界とを表しているらしい。
アラグ帝国は一体どこまで世界の真実を識っていたのだろう。この鏡の部屋が何のために作られたものなのかは結局分からなかったが、一人でいるには広すぎる塔の中、ここくらいの狭さはオレにとってちょうど良い大きさだったから、原初世界から持ち込んだものを全部放り込んで作業部屋のように使っていた。
ルネたちレイクランド連邦のみんなと別れて、塔に駆け戻ったオレは部屋にこもって深い思考の海に潜り続けていた。騎士たちが語り聞かせてくれたこの世界の現状は原初世界のみんなが長いながい時間をかけて積み上げてきた研究成果や情報と合わさることで、オレにいくつかの確信を持たせてくれた。
この世界はまだ終わってはいない。まだ間に合う。
掴み取った思考を書き連ねた羊皮紙や持ち込んだ資料、本が綺麗な夜空に散らばる星々のように床を埋め尽くしていった。ペンを走らせる度、膝で丸まっていた子どもや一緒に焚き火を囲んで食事をしたみんなの顔が順々に浮かんでは消える。あいつの命を繋ぐためにオレは生きる。その途中で知り合ったみんなも一緒に、世界丸ごと救ってやる。
「よし、やるぞ」
夢中になってペンを動かし続ける。それこそ昼夜問わずにひたすら。それでも唐突に集中の糸はふつり、と途切れてしまう。ぐっと伸びをするとバキバキと小気味の良い音を立てて関節が鳴った。どれほどの熱を持っていたとしても、人間だから腹は減るし外の空気も吸いたくなるものだ。
少し休憩をしよう、と立ち上がると凝り固まった足が絡れて床に転がってしまった。妙な高揚感がまだ続いていて一人なのに声を出して笑いながら改めて体勢を整えると、ようやく体がシャンと立ち上がる。一応念のために弓矢を手に、塔の中枢にある螺旋階段を恐々降りて正面の門を押し開けると新鮮な空気が流れ込んできた。数日振りの外の空気は旨いが、空を見上げると目から耳にキンと響くような不快な光が気分を台無しにする。堪らずマントについているフードを被ると、幾分かましになったような気がする。
しばらく塔の周辺を歩いて、これからのことを考えようかと弓を背負い直していると、ちょうと塔の出入口の近くの岩陰で気配が動くのを感じた。昨日の白い奴か、と矢筒から特製の弓矢を抜き放ち番えるとたちまち気配は慌てた様子でその全容を見せる。
「ま、待ってくれ! 敵じゃない、敵じゃないから!」
「……よかった、あの白い奴じゃなかったのか。悪い、驚かせちまった」
岩陰から出てきたのは白い奴ではなく、若いヒューランの男だった。この間、辺りを歩き回った時には人の気配がなかったのに何処に隠れていたんだろう。ひとまず脅威ではないことが分かって弓を降ろすと、男も同じように息を吐いてこっちに駆け寄ってきた。
「いや、俺の方こそ……じゃなくって! 兄ちゃん、あの塔から出てきたよな?」
「あ、ああ……」
「急にこんなでっかいのが出てきたもんだからよ、みんなで様子を見に来たんだ。兄ちゃん、これが何か知ってんのか?」
駆け寄ってきた勢いをそのままにぐいぐいと迫ってくる男は随分と興奮している様子だった。ちょっと暑苦しいけれど、きっとこの人も好奇心に満ちているのだろうとは予想が出来た。オレだってこんな見たこともない塔が急に現れたら気になって夜も眠れなくなるし、危険な目に遭う可能性があっても詳しく知りたい一心で吸い寄せられてしまう。
「ああ、まあオレが喚んだから……」
「喚んだ?! すげえな、魔道士様だったのか!若いのに達者だなぁ」
「へへ、ありがとよ……ん? 待ってくれ、みんなでって?」
男が言うには、『みんな』とは彼が一緒に行動している、住むところをなくしたレイクランドの民らしい。彼の住んでいた村が壊滅して家族と彷徨っていたら、同じように住むところを追われていた他の村の者たちと合流を重ねて、今では三十人くらいの集まりになっているらしい。生きるために故郷を捨てざるをえなかったという痛みを持つ者同士で励まし合いながら、だが罪喰いの襲撃に怯えながら宛もなく進む旅路は苦行そのものだったが、ここ数日の内に山々の狭間に聳え立つ碧い塔が見えて、ひとまずの目的地として何とかここまで歩いてきたのだと言う。
「なるほどな。罪喰いってのはあの白い奴らのことか。ここまで大変だったろ」
「まあな。でも、もう何もなくなった村にいるよりはいいさ」
「そうか……あ、なんであいつらを『罪喰い』なんて呼んでるんだ?」
「うんとなぁ、あいつらは天から来たから?……俺じゃあ上手く説明出来ねぇや。そうだ、司祭様に聞いたらいいよ。俺みたいな馬鹿にも分かりやすく説明してくれるからさ!」
男はニッと明るく笑って、オレをみんなのところへ案内して、彼の言う司祭にも会わせてくれると申し出てくれた。ルネとの出会いといい、オレって結構ついてるのかもしれない。ウィルと名乗った男と一緒に旅の仲間が待っているという林の中へと一緒に分け入っていく内も、新しい世界について知ることが出来る高揚感で徐々に足取りは軽くなっていく。強すぎる光が降り注ぐ世界でもまだまだ希望はある。
紫色の木々の向こう、少し奥まったところに彼らは集っていた。小さなテントがいくつか立ち並んでいて、さながら小さな村のようになっている。わいわいと活気のある様子に人間の強かさを見たような気がして、オレはじんわりと胸に広がる感動を覚えた。エレゼンやヒューランだけでなくアウラやルガディンなど、さまざまな種族が入り混じっている集団はバラバラの土地から集まってきたことが見て取れる。
「司祭様、戻りました!」
「おお、ウィル! よくぞ無事で……おや、そちらの方は?」
オレの隣りにいたウィルはしゃがみこんでテントの補強作業をしていた老エレゼンに駆け寄っていく。呼び声に反応して丸めていた背を伸ばした男はこちらへと顔を向け、同胞の帰りを認めると少しだけくたびれた笑顔を浮かべながらウィルとその後ろに控えるオレを迎えてくれた。
「オレは……あー……その、あの塔の管理人だ。よろしく!」
「ほう、あの塔の。私はディアミド、光耀教会の司祭を務めております」
「コウヨウ教会……?」
その名を聞いてもいまいちピンときていないオレに対して、司祭は訝しむような表情を見せた。なるほど、この反応からコウヨウ教会というものは第一世界でかなり大きな宗教だと分かる。ここは無理に取り繕うより、正直に言った方がいいだろう。
「気を悪くさせたなら謝る。オレ、田舎から出てきたばっかりでよく分からねーんだ」
「そうでしたか……それはさぞ辛く長い道のりだったことでしょう」
オレの言葉に気を悪くするどころか、ディアミドと名乗る司祭は哀れみの色を見せる。純な想いは決して不快にはならないどころか、どうしても隠しごとを織り交ぜてしか話せないことに申し訳なさを覚える。
「あのさ、よかったらあんたたちの信仰を教えてくれないか?」
「ええ、勿論ですとも」
ディアミドがパパッと法衣についた土を払って、彼が補強作業をしていたテントの中に入るよう勧めてくれた。そんなオレたちの後ろから、いつの間にか弓を背負っていたウィルと数人の村人たちが声をかけてくる。男女四人で狩りに出るらしい一行はすらりとした佇まいをしていて、腕の良い猛者だと分かる。
「じゃあ司祭様、俺たち近くで狩りをしてきます!」
「いつもありがとう、でもあまり遠くに行ってはいけませんよ。それと、必ず独りにならないこと」
「了解です。兄ちゃん、今夜の夕飯は楽しみにしてろよ!」
元気よく駆け出していく若者たちにオレは手を振って、その隣りでディアミドは何やら手で仕草を示してから目配せをしてからテントへと入っていく。
「その手の仕草もあんたたちの祈りなのか?」
「ええ、道中の無事を願うおまじないです」
幕で目隠しされたテントの中は外から見るより広く、寝台、かんたんな書き物机や本、備蓄物などがきちんと整頓して置かれていた。英雄の足跡を追ってアジムステップを訪れた時、ガーロンド社のみんなとオレを迎えてくれたゼラの氏族で使わせてもらったゲルを思い出す。
「さて、我々の信仰についてでしたね。ああ、質問があればぜひ聞かせてください」
「ありがとな、本当に助かる」
自分の信じるものに興味を持つ者がいる嬉しさからだろうか、にこりと柔和な笑みにほのかな高揚を滲ませて、彼は手作りの椅子を勧めてくれた。
司祭曰く、光耀教はディアミドのようなエレゼン族を始めとして、種族を問わず第一世界──ノルヴラントで広く信仰されている、光の神を祀る宗教らしい。光の神を愛し、その清らかな光によってもたらされる恵みに感謝し、隣人を愛し、共に手を取り合って生を全うする。
「なるほど、よく分かったぜ。そういう教えがあるから、あんたたちは手を取り合ってここまで来たんだな」
「そうですね。それぞれが深い心の傷を抱えていながら、それでもなお前を向いていられるのは祈りと隣人の慈愛があってこそでしょう……しかし、ここ数年は祈りを捧げることに疑問を持つ者もおります」
「……それってどういう……?」
「あの白い者たち、罪喰いは……その名の通り、罪を喰らうのです」
ディアミドが少し躊躇いの色を見せて、一瞬の間の後に口を開きかける。その瞬間、テントにヴィエラの女性が転がり込んできた。押さえた右腕には真新しい赤が滲んでいる。
「イヴ、その腕は」
「ッディアミド様! 狩りの途中で、罪喰いに!!」
「何ですって!?」
ガタリと思いきり椅子を跳ね飛ばした司祭は顔を真っ白にさせて、何かを掴もうと手を宙に彷徨わせ、やがてぎゅっと胸につけたブローチを握る。
「ディア、ミド様……?」
苦しげな表情のままディアミドは何も言わず、ただブローチを握りしめたまま爪先を見つめていた。イヴと呼ばれたヴィエラは困惑の色を強くして今にも泣き出しそうになっていて、様子のおかしい司祭を窺っている。出てこない言葉を待てるほど事態は悠長なものではないみたいで、外と司祭との間で視線は忙しなく行き来している。待ちきれないのはオレも同じだ。
「案内出来るか? オレが行く」
「っすまない! こっちだ!」
「ディアミドはみんなと隠れててくれ! オレたちが帰ってくるまで出ちゃ駄目だ!」
「……ええ」
動こうとしないディアミドと人を導く彼の役目とをテントに残して外に飛び出すと、遠くに微かな空気の振動を感じた。随分と近いところまで迫っているのか。
来た時と同じように林から飛び出して、イヴの先導でひたすら駆ける。一点だけが妙に明るい。肌がひりつくような不快感、罪喰いたちの放つ嫌な気配そのものだ。もし怪我人がいたら、既に罪喰いが仲間を増やしていたら、一人で対処出来ないくらいの大群だったら。いくつものもしもを考えながら、頭の片隅ではさっきのディアミドが気にかかっていた。先導してくれているイヴの戸惑いからも普段の彼とは違う行動だったろうとは予想が出来る。最後にディアミドが言い淀んだ言葉、それがきっと彼の躊躇いの正体なのだろう、とも。
今はそんなことを考えている場合ではないと分かっていても、嫌な予感が腹の底に渦巻いていて。早く、どうにかしないと。
「見つけた!」
罪喰いは全部で三体。四足歩行が二体、翼を持った細身の奴が一体。アムダプールの石像のような形のやつはいないようで、不幸中の幸いに少しだけ胸を撫で下ろした。
四足歩行の奴の足元に折り重なって二人が倒れているが、まだどっちも微かに動いているのが遠目でも分かる。まだ間に合う、全員助かる。その肉を食らおうと伸びてくる腕から必死に逃げながら、たった一人で仲間を守ろうと短いナイフで応戦しているのはウィルだ。怒りと恐怖、いろんな感情で爛々を瞳が輝いている。
「オレが引きつけるから怪我人を塔へ!」
「分かった!」
あいつらは音に反応することはルネたちとの共闘を通して分かっていた。鏑矢をめいっぱい空高く打ち上げ、オレという罪喰いにとっての脅威が現れたことを声高に宣言すると、目論見通りウィルに向けられていた敵視はオレの方へと集中する。いいぞ、オレが残らず相手をしてやる。
「兄ちゃん!」
「逃げろウィル! 塔へ走れ!」
助けが来たことに気付いてほっとした表情を束の間見せたウィルは袖口で乱暴に汗を拭うと、にっと笑って短刀を握り直してみせた。
「兄ちゃんも、ちゃんと来いよな!」
「勿論だ。オレは何があっても、死ねねーんだよ!」
駆け出すウィルのタイミングに合わせて広範囲に矢を放つ。怯んだ四足歩行の眉間を一発、正確に撃ち抜く。断末魔と共に霧散していく白、それに紛れて猛攻を仕掛けてくる残り二体はどうしてやろうか。今みたいな不意打ちはもう出来ない。正々堂々、勝負してやる。
戦火と混乱に支配された原初世界で、いかに不利な状況でも生き延びるための術をいくつも身につけてきた。それはきっと、今、護りたいと思うものを護るために使うべきものだ。
少しずつ体の中にエーテルを練り上げながら、隙を作るために牽制とあわよくば決め手になれる矢を射続ける。親指の感覚がじわりじわりと失われ、矢羽で切れた頬が痛い。だが、それも内側を確かに満たしていくエーテルに上塗りされていき、感覚が遠くなっていく。そう、満ちた瞬間、そしてエーテルの楔が罪喰いの体を縛り付ける。
今だ。
忌々しい光に支配された天に向かって号令となる一矢を撃ち放つと、やがて降り注ぐ矢の雨は逃げる隙など許さない。飽和攻撃になす術もなく貫かれていく罪喰いの体がなおも降り続く雨の中で巻き起こった土煙と共に霧散するまで、オレは決して目を逸らさなかった。
「兄ちゃん!」
「ッウィル! 危ない!」
「っ!?」
背後。逃げたはずのウィルが仲間を連れて加勢に戻ってきていた。彼らが駆けている横の茂み、白い刃が飛び出してくる。
撃ち漏らした。いや、隠れていた新手だ。大技の反動で感覚の消えた手指を何とか勘で動かして最後の一矢を放つ。だが、その一瞬で間に合わないと何かが悟る。
獲物となったウィルを刈り取ろうとする爪との間に影が滑り込み、赤が吹き出す。崩れる体からブローチが落ちる乾いた音が響いた。
「ディアミド……っ!」
「……司祭様……司祭様!!」
矢は正しく当たった。だが、一瞬遅く。また同じように隠れた敵がいないか周囲の気配を探りつつ、ウィルと加勢に来てくれたみんな、そしてぐったりと倒れたまま動かないディアミドを目指す。三馬身ほどの距離が、こんなにも遠い。
「どう、して、嫌だ駄目だよ! こんな、だって!!」
ウィルの悲鳴が響く。駆け寄りながらカバンを漁っても役に立ちそうなものが見当たらない。ポーションもエーテルも、この傷には間に合わない。治癒の魔法を使えないオレは、今、無力だ。ただ、せめて苦しまずにいてくれと祈ることしか出来ない。
赤い水の真ん中にぐったりと体を横たえたディアミドの呼吸が少しでも楽になるように、ウィルは自身の膝が染まるのも気にせず彼の上半身を乗せている。誰かが呼んだのだろう、村のみんながオレの横を擦り抜けて司祭の周りに集まってきていた。抗い難い別れへの悲しみと絶望を、また大切なものを奪っていった罪喰いへの憎しみと怒りを、人々の紡ぐ想いは脆い城壁のようにディアミドを連れ去ろうとする者から彼を引き留めようしている。口々にかけられるディアミドという司祭への想いに応えようと言葉を紡ごうとしても、ヒューヒューと空気が抜けるような嫌な音と時折激しく咳き込んだ拍子に鮮血が喉から漏れる。
ぼろぼろと嘘のような量の涙に濡れているウィルの頬にディアミドはゆっくりと節くれ立った手を伸ばし、その形を確かめるように指を滑らせる。確かに生きていることを確かめるように。
「あ、ウィ……ル? ぶじ、ですね……ないているの、ですか……」
「ディアミド様! 泣いてない、泣いてないよ! ほら、無事だから……だから、死んじゃ駄目だ!」
ふ、と息をいくつか吐くように微笑んだ老エレゼンはごぼごぼと水音を漏らしながらも言葉を重ねる。
「あの者、たちは……き、と……罪深き、私を、裁く……光の神の遣、い……」
ウィルがディアミドの指に頬を寄せる。人の輪の一番外で、オレもその時を見ていた。
「……罪を、贖うの、は……私、だけで……いい……見捨てた、私、だけ……」
誰もが最期の言葉を聞き逃すまいと静かに、嗚咽を抑えていた。
「……共に終われぬ、私を、ゆるし……」
ほとり、とウィルの頬をふれていた手が落ちた。引き攣るような声がいくつも重なって、さざめきのように広がっていく。ウィルはエーテルの海へと還っていったディアミドを抱えこんで動かない。
そんな彼の隣りに襲撃を教えてくれたイヴが跪き、手をかざしていくつかの詞を口にする。彼女も光耀教の教えに生きているのだろう、立板に水を流すように澱みない祈りの言葉は悲しみの渦の中、一筋の光のように染み入っていく。
この光景は今までも見てきたものだ。世界を超えても、決してなくなりはしない別離の悲しみ。
だからこそ。今、オレに出来ることを。あいつを、その過程で出会ったものも救うと定め、歩き続けるオレにしか出来ないこと。
深い悲しみに覆われるみんなの中に入り、ウィルとイヴの隣りに膝をつく。地面に落ちていたディアミドのブローチをウィルの手に握らせ、震え続ける肩に手を置く。
「みんな、塔に行こう。ここにいるより……みんなの村に戻るよりは安全だ。オレが、必ず護る。今夜だけでもいい、信じてくれ」
やっと顔を上げたウィルにひとつ頷いて、イヴと共に立ち上がる手助けをすると、その腹は真っ赤に染まり切っていた。そして、ディアミドを一緒に抱えて、いくつもの悲鳴じみた泣き声と啜り泣く声を連れ、かつては余人が入ることを許されなかった塔へと村人たちを招き入れた。塔に入ってすぐ、今は動いていない転送装置が置かれた大広間で標を亡った村人たちは体を寄せ合う。
もう夜も深い。けれど、泣き声も悔しさに満ちた祈りも途絶えることはない。ここは深いふかい悲しみの淵だ。
祈りが微睡の向こうへと手を引くことがなくても彼らが安心して眠れるように、せめて一晩中弦を爪弾き続けよう。