幕間__寄る辺

この世界に来て初めて誰かと過ごした一夜は、悲しみに包まれていた。

オレはこの夜の空気を知っている。ふれれば崩れそうになるほど脆くなってしまった心ばかりが塔の中にあった。だからこそ、塔に迎えた全員がゆるやかな眠りの波にさらわれて、その沖で身を沈めるまで弦の音を鳴らし続けた。異郷の音楽が彼らにとってどう聞こえるかは分からない。でも、いくらかでも隣りに寄り添う絶望から気を逸らせるなら指先がどんなに傷んでも気にならなかった。

夜が明けて、オレたちはディアミドを弔うことにした。彼の弟子、襲撃を教えてくれたヴィエラのイヴが先導して限られた物資でも必要なものを出来るだけ揃えていく。大体はディアミドの持ち物の中にあったものを拝借して揃えることが出来るようだが、彼が眠る場所だけが問題だった。出来ればディアミドの家族と共に弔いたいというイヴやみんなの気持ちは痛いほど分かる。だが、彼の故郷は今や罪喰いが跋扈する危険地帯となってしまったそうだ。
「なら、塔の近くはどうだ? そうすりゃみんなも会いに行けるだろ」

自分でも驚くほどするりと提案は出てきた。彼らがずっとここにいるかは分からないし、傷が癒えれば、あるいは癒すために新しい土地を求めて旅に出るかもしれない。だけど、オレとクリスタルタワーはずっとここにいるから、どんな時でも彼に会うためにこの塔を目指して帰ってくれば良い。
「ありがとう、その提案をありがたく受けさせてほしい」

深々と頭を下げるイヴをなんとか止めさせて、オレたちはそれぞれのやるべきことへと向かっていった。穴を掘る人員には塔の大広間に誰かが置いたままだったスコップを貸して、塔の近くの草地に場所を定めて彼の寝所を整え始める。一緒に作業をする面々の中にはウィルもいた。彼は他のみんなよりも顔を一層白くさせていたが、イヴの制止を断ってでもスコップを手にした。

ここに言葉はない。

ただひたすら黙々と土を掘り返す音と誰かの抑えきれない嗚咽だけがある。でも、みんなの手から力が逃げることも、足が崩れることもなかった。漏れ出す嗚咽は悲しみと戦っている証だ。
「お疲れ様、こちらの準備が出来たから手伝いに来た」
「ああ、イヴ。こっちも大体終わったぜ、こんなもんか?」
「これだけ深ければ十分だ、ありがとう。みんなも泥を落としたら支度をしてくれ。揃ったら始めよう」

頭上から降ってきたイヴの声に顔を上げてやっとかなりの深さまで掘り進めていたことに気付いた。強い光を背にした彼女を眩しく見上げていると、頷いた様子だけは長い耳が揺れる陰で分かった。

一緒に作業をしていた男たちと穴から這い出して、塔で着替えを済ませる間もやっぱり誰も言葉を発すことはなかった。誰もが悲しみと向き合おうとしている、胸の内側で戦っていることが分かっていたからオレも何も言うことはない。
「みんな、揃っただろうか。では、始めよう」

棺に納められたディアミドを前にして、礼装に着替えたイヴが集まった村人へ厳かに告げ、いくつかの詞を呟く。彼らの教えに則った別れの儀式は知らない作法で進められているはずなのに、異郷人のオレがいても決して爪弾きにすることなく、自然と包み込むようにして進行していく。隣人を愛し、共に手を取り合い、生を全うする。そういう教えの元に彼らは在るからだろう。
「最後の別れを」

いくつかの祈りを終えると、イヴが棺の正面から横へずれる。村人たちが順々に棺の側へ寄り、手にした花を供えて言葉をかけていくのをオレは少し離れたところから見ていた。すると、こちらに気付いたイヴがオレに歩み寄り、飾りとして髪に挿していた花を差し出してくる。
「塔の君。あなたさえよければ、ディアミド様へ花を手向けてはくれないだろうか」
「いいのか?」
「勿論。師は喜んでくださるだろう」

少しだけ躊躇ってから花を受け取ると、彼女は赤く腫らした目元を和らげて、棺まで伴ってくれた。すでに他の村人からの献花は終わっていて、イヴとオレが最後らしい。彼女も手に持った花を彼の手元に供え、目を閉じたまま何かを口の中で呟いている。

オレも同じように花を彼の体の横に供えて、彼を今一度目に焼き付けようと別れの時に臨む。棺の中で横たわるディアミドは罪喰いから受けた傷をきれいに隠してもらっているお陰で、まるで眠っているようだった。手には彼が身につけていたブローチが持たされている。ぐ、と噛んだ唇にじわりと鉄の味が滲む。護れなかった、なんて後悔がオレに出来るはずもなかった。

イヴが目を開けたのを感じ、オレは棺の側を離れて輪の一番外で最後の時を共に寄り添う。
「祈りを捧げよう」

はじめはイヴが一人で、そして徐々に重なっていく彼らの祈りの声が明るすぎる空へ昇っていく。

冥府への旅路が恙なく、安らかなものであるように。傍らに控えたまま、オレも彼らの祈りの仕草を見様見真似で捧げてみると、不思議とディアミドの不器用そうな笑顔が浮かんだ。