06__共に歩く者たち

人の意志が歴史を紡ぐ。

影の王の騒乱と光の氾濫によって歴史も暮らしも、何もかも押し流されてしまったレイクランドがあるべき未来を掴もうともう一度立ち上がる。オレはまさにその歩みを目の当たりにしていた。

毎日モノを作り出す音や人々の声が空高く響き、日に日に活気を増していく塔の足元にテントは一つも残されていない。住居だけでなく食用や研究用の植物を育てる仮の施設もつい先日仕上がって、並行して建てられていた医療施設もじきに使えるようになるという。

もう僻地としか呼べなかった頃のレイクランドの影はなく、クリスタルタワーを中心として最早隣人となった滅びに抗うための拠点が築かれていた。

それにしても、街を創ろうと決めたあの日から想定していたよりも時間はかかっておらず、この発展速度はオレとしても嬉しい誤算だった。ひとえに街のみんな一人一人が自分の持っている力を惜しみなく発揮してくれたお陰だ。一人じゃここまでのことは出来なかっただろう。そういえば、こっちに来てすぐの頃は全部オレだけでやりきるつもりをしていたんだったっけ。今思い返せばとんでもない傲慢だと一人笑みが漏れる。
「おはよう、塔の兄さん」
「今日は頑張ってこいよ! 期待してるぜ!」
「おう! 任せろって!」
「よぉ、兄ちゃん! また品種改良の試作が上がったんだ。小腹が空いたら食いに来いよ」
「おおっ、すげぇ! 後で行くぜ!」
「おにいちゃん、あそぼうよー!」
「ああ、ごめんな。今日すっげー忙しいんだ……また今度な」

塔から出て少し歩くだけで、あちこちから寄越される声に一つ一つ返事をしながら歩くのにもようやく慣れた。そして、日に日に辿り着くまで時間がかかりつつある広場に至ると一度足を止める。机と椅子を準備している人たちを横目に、シルクスの塔を背後して見上げれば、塔とは違った色を持つ地脈の楔──エーテライトが輝いていた。

街を創ると決めて指針を話し合った場所をそのまま街の真ん中に位置する広場とすることを決めた時、新たな門出の祝いとして塔から持ち出したのだ。まだ街の中での移動を短縮する都市内エーテライトとしての機能しか発揮出来ていないが、可能な限り早くノルヴラント各地にもエーテライトを設置してモノや人の流れの潤滑になるようにしたい。そうすれば、あいつがこっちで旅をする時にも便利に使ってくれるだろう。

街を創ると言い出したからにはオレが率先して動かないと、とエーテライトを始めとして塔に眠る遺物、原初世界で身につけた知識や経験を使い倒している内に、いつしかオレは街の代表や顔役のようなものになってしまっていた。ノアとして活動していた時みたいに、人を率いるのは柄じゃないなんてもう言っていられない。そう思うと、随分と遠くまで来たような気がしてきた。次元も時間も超えておいて今更なのだけど。
「遅い! 次!」
「どりゃあ!!」
「脇が甘いぞ!蹴りを入れろと言っているような、ものだ!」
「っぐ……!」

広場を抜けて街の外に出るまでにある仮造りの正門を通りがかると、部下たちと手合わせをしているルネが吼える声が聞こえた。

はじめはレイクランド連邦の騎士団を中心に構成されていた──つい最近、正式に名付けられた──衛兵団にも志願者が続々と入り、随分と大所帯になってきた。たまに街の子どもたちが衛兵ごっこをしているのを見ると、彼らの存在感とそこから与えられる安心感が分かる。出会った時よりも渋みが増した騎士、改め衛兵団長のルネを始めとして、今も精鋭部隊はルネの元からの部下たちが務めているが、じきに人員の入れ替えをしても良いだろうと後進の成長を嬉しそうに語っていた。

その団長本人が部下を蹴り飛ばしているのを横目にそっと通り過ぎようと歩調を早める。見つかれば一緒に鍛錬していけと捕まってしまうから、用事がある今日ばっかりは避けたい。
「青年! 何処へいく!! 通りがかったのなら一本やり合っていくと良い!! まだ時間はあるだろう!!」
「やべっ……! だ、駄目だぞ、ルネ! オレ、これからイヴに呼ばれてんだ!」
「何ぃ? 本当か?」
「本当だって! じゃあな!」

物理的に呼び止められる前に手を振って駆け出せば、背中に恨めしそうな視線をビシバシと感じる。置いてけぼりにした団員たちに心の中で謝罪しつつ、オレは目的地に急いだ。

ルネから逃げる方便ではなくて、イヴに呼ばれているのは本当だ。今日は彼女だって忙しいのに、何か渡したいものがあると言って呼ばれたが、一体なんだろう。一つも予想がつかないまま、子どもたちの教室として使われている居住館の一室に着く。常に開かれている扉をノックして、訪いを告げると本に視線を落としていた黒衣のヴィエラが顔を上げた。
「イヴ、来たぞ」
「ああ、塔の君。忙しいだろうに、呼び立ててすまない」

イヴは読みかけの本を机に置く代わりに手に取った紙包をオレに差し出す。渡したいものとは恐らくこの包みのことだろう。
「これを、君に」

押し付けるように手渡された包みは見た目以上の重みがあって少し驚いた。中身が予想出来ないことと急すぎる贈り物の意図が読めずに戸惑っていると、視線で開けるように促される。素直に言うことを聞いて紙包みを破かないように慎重に開けると、黒い布がまず目に入る。ゆっくりと広げて見れば、黒を基調として白や赤の生地や貴重な金属の細工が贅沢に使われた、顔がすっぽり隠れるほど大きなフードが付いているローブだった。
「……これは?」
「かつて我が師、ディアミド様が使っていた法衣を仕立て直したローブだ。手芸の上手い子に手伝ってもらって、今朝やっと完成したんだ」
「えっ? そ、そんな大事なものオレが貰えないって……!」
「良いんだ」

イヴや彼と共に在った者たちにとって、大事な思い出の品をオレが身につけることの意味を分からないはずがなかった。押し返そうとするが長い腕に阻まれてそれも叶わず、困り果ててイヴを見つめるが彼女は決して絆されることもなく、ローブを抱え持つオレの腕に自らの手を重ねる。
「どうか、あなたに貰ってほしい……最早、光耀教が廃れきった今、法衣だけあっても仕方がない」

寂しげに笑うイヴにオレは言葉を詰まらせる。

光の氾濫を経た今、光の神に祈る人も機会も急速に減りつつある。イヴの言葉を借りれば、廃れたと言えるほどに。

その急速な衰退の一因として、罪喰いが光の神が遣わした使徒であり、原罪を持つ人々を罰しているのだという考えが一時は信徒たちの間に吹き荒れたらしい。遂に自らその身を罪喰いの前に差し出す者が出始めた時、イヴや他の司祭たちの働きかけもあって恵みを与える主神を貶めかねないその解釈は禁忌とされた。だが、その思想は遺された者たちに色濃く影を落とし、やがて光の神への信仰心を失わせるに至る。

永く信じていたものが環境や時代の変化によって、かんたんに形やその在り方を変えてしまう。変わることで前に進むのは、きっと宗教だけじゃなくて国や人、他のいろんなものも同じだ。光耀教の衰退と同時に今、喪った者たちの死後の旅路と遺された者たちの安寧を夜暗に願う、新たな信仰の形が生まれている。オレでも身勝手な寂しさを感じているのに、ずっと寄り添ってきたイヴたちはどれほどの、それこそ裂かれるほどの哀惜を抱えているんじゃないのか。なのに、師の思い出の品を、大切にしていたいものを手渡す気持ちをオレは受け取っても良いのか。
「それに、君は気付いていないだろうが……そのお気に入りのマント、随分と、いやかなり酷いぞ」
「えっ」

ギョッとして身につけているフード付きのマントを見れば、確かに言われてみれば汚れもほつれもそれなりにあって、一言で言えばみすぼらしく見えるかもしれない。それでも、ガーロンド社のみんなにもらった一張羅をかんたんに手放せるはずがなかった。服だけで大袈裟かもしれないけれど、拠り所にしていたのかもしれない。オレがオレであることは着替えたくらいで揺らぐことはないのに。
「我らがクリスタリウムの代表として表に出るのだから、それなりの格好をしてもらわなければ」

そうっと肩にイヴの手が添えられる。その手のぬくもりに目頭が熱くなって、そんな情けない姿を見られたくなくて抱き締めたローブに顔を埋めると、ふわりと懐かしい香が薫った。司祭のテントで彼らの教えを聞いたひとときが蘇る。

全てを分かった上でそれでも託そうと言うのなら。もしそうならオレはこの世界でもまた、もう一つの願いを受け取り、連れて行こう。
「……ありがとう、大切に着る」
「さあ、そろそろ時間だ。着替えたら出迎えに行こう」
「……ああ、そうだな」

クリスタリウムを創ると決め、大まかな方向性を決めたあの日からさまざまな方向で計画は動き出していたが、遅々として進まなかったのが交易だった。元々ノルヴラントの各地から寄り集まったからこそ、個人間での物々交換はすぐに始めることが出来た。だが、国や都市という規模での物資のやり取りとなると途端に道がなくなる。

そんな困り果てていたオレたちの前に現れたのが、アム・アレーンを拠点とする旅商の一座だった。その座長はなんと原初世界ではリムサ・ロミンサと対立していたコボルト族だった。尻尾が膨らむほど驚いていたのは自分だけで、他のみんなは特に警戒するようすもなく普通に接していて、思わぬところで次元の隔たりを感じることになった。

そのコボルト族の座長、ゴーンゴンが街を一から創ろうとしていること、世界の滅びに抗おうと知るや否や、「気に入ったヨ!」の一声でノルヴランド各地への外交パイプになることを申し出てくれたのだ。
「私の集落にも、故郷なくした人がたーくさん来たネ。みんな元気ないヨ……でも、ここの街のこと知ったら、きっと前を向く気力も湧くネ」

つぶらな瞳が実際見えなくなるほどの笑顔と、親交の証として彼らの商品の中から買い物をさせてもらった時の街の盛り上がりは今も覚えている。その後、レイクランド各地との道を太くしつつ、アム・アレーンの集落モルド・スークとの交易が始まった。特に『この世界にあるもので要らないものなんてない』と言って、量産に至らなかった試作の果物やまだ不慣れな職人たちが作ってしまった寸法違いの武具など、何でも買い取っていっては資材や物資を運び込んでくれるモルド・スークとの交易は始まりから上々だった。

やがて豊かになっていく物資で家が建ち始め、ようやく街らしい様相になってきた頃、ゴーンゴンによって一通の手紙が届けられた。

差出人はコルシア島の一大都市、ユールモア元首その人。

その日の内に街で各分野のリーダーを務めている面々を招集して会議を開いたオレたちは期待半分、怖さ半分でその手紙の封を開いた。内容は、最近になってレイクランドに新しい街が出来たことを知り、この厳しい情勢の中でノルヴラントが一丸となるためにも、互いの更なる発展のためにも交流が始められないかという内容だった。

ユールモアは光の氾濫以降もノルヴラントで最大といって過言ではない規模の都市機能を維持していて、そこと繋がりを持てるようになることをオレたちは一つの目標にしていた。それを相手側から申し出てくれたことにオレたちがお祭騒ぎになったのは言うまでもない。その後、元首とオレとの間で何度か手紙を交わし、今日という日を迎えた。

そう、クリスタリウムは一つの節目を迎えようとしている。

オレがその運命の行く末を握っているのだから緊張するのも無理からぬ話だ。あいつだって三国の重役連中との会議に参加しなきゃいけない前の日は自分が場違いじゃないか、誰かの不利になるようなことをしでかさないか、と溜め息ばかりをついていた。
「……なあ、服に着られてないか? 舐められねぇかな……」
「ローブはよく似合っているし、堂々としていれば舐められない。それに、その問いはもう五回目だぞ、塔の君」

イヴのぴしゃりとした返答を得てもなお溜め息、もとい深呼吸が止められない。塔の中で見つけた杖を握る手もやけに汗でベタついて気持ちが悪くなってきた。少しでも威厳があるように見えればと思って塔から持って来たけれど、ない方が良かったかもしれない。

だが、もうつべこべ言っていられない。街の歩みを邪魔するものが出来るだけ少なくなるならオレは何だってする。全てを救うと決めたのだから。
「ほら、しゃんとして」
「ああ……」

大型飛空挺が徐々に高度を落とすことで巻き起こる風にフードが飛ばされないようにしっかりと手で押さえて一行が姿を表すのを待つ中も、決意を抱えた心臓は早鐘のように打つのをクリスタルに覆われていてもこういうことは分かるものなんだな、とぼんやり他人事のように感じていた。大鯨のような機体が無事に着陸してエンジンの駆動音が止むと、やがて迫り出してきたタラップを伝って正装に身を飾った人が続々と降りてくる。
「よし、行くぞ」

イヴと頷き合って、オレは意を決して一歩、また一歩踏み出す。新しいローブの裾が揺れる度にやわらかい香が薫り、ようやく私の心臓は緩やかに落ち着きを取り戻し始めた。
「遠路遥々ようこそ、ユールモア御一行」
「まさかクリスタリウムの主自らお出迎えいただくとは。はじめまして、ユールモア元首ジーナです」
「私がクリスタリウムの顔役、をさせてもらっている者だ。手紙でも申し伝えてあるように、好きに呼んでくれて構わない。本来はこちらが出向くべきところをわざわざ申し訳なかった」
「街が立ち上がったばかりの今、あなたを街から出す方が申し訳ないですもの。それに、あなたがたの街をこの目で見たかったので」

淑やかな見目に強い意志を灯した瞳を併せ持つユールモアの元首と私は互いに歩み寄り、固く握手を交わす。文字でしか知り得なかった同志と会えたことの喜びはきっと二人とも同じく胸に抱いている、と確信出来た。
「こんなところに立たせるのも忍びない。早速、街へ案内させてもらおう」

そうっと手を離した後、彼女と一行をイヴと共に街へと導く。ローブの裾を翻して歩く街への道は通い慣れているはずなのにどこか新鮮に見えた。

会談の前にユールモアの面々には街を一回りして、クリスタリウムの今を実際に見てもらう段取りになっていた。まだ仕上がっていない建物や片付いていないところはたくさんあるが、下手に隠さずにありのままの現状を知ってもらうことで誠意を示そうというのが狙いだ。

真新しい制服に身を包んだ衛兵たちが出迎える仮設の正門を越えて、実をつけだした樹木が並ぶ果樹園、そして街の住人が新しい生活を営んでいるアパルトマントに至ったところでジーナが一度足を止めた。
「代表殿、この建物は元からここにあったものを利用されているのですか?」
「いいや。元々ここら一帯は山しかなかったものなんだ。だから塔以外の建物は全て一から作り上げたものだ」
「……ほう、余程腕の良い職人をたくさん抱えていらっしゃるということですね」
「お褒めいただき光栄だ。だが、この住居を仕上げた職人はほとんどが素人同然から始めた者ばかり。腕が良いのは確かだが」

ジーナとユールモアの面々は、私の答えを聞いて信じられないと言うように目を丸くしていた。目は口ほどに物を言う。きっと私もフードの下では目元が緩みっぱなしだろうから隠せていてよかった。
「さあ、まだ案内したいところがたくさんあるのだ。こちらへ」

一度クリスタルタワーの前を横切って、まだ作りかけの医療施設に立ち寄る。丁度、奥の薬棚を組み立てているところらしく、中に入ることは出来なかったが外にいてもツンとした薬草の香りが鼻を掠めていき、苦手なそれが顔に出る前にそそくさと一行を次の場所へと促す。少し歩けばすぐに土の匂いが強くなり、植物の研究を進めているチームが慌ただしく行き来しているところが見えてきた。
「あっ、御一行様! すみません、トラブルでここから先、立ち入り禁止です!」
「トラブル? 何があったんだ?」
「そ、それが品種改良をしていた植物の蔓が異様に伸びてしまって……! 私たちで何とかしますのでお気になさらず! では!」

急に現れてそのまま去っていってしまった研究員の背中を呆然と見つめていると、ジーナが顔を背けながらも耐えきれないという様子で笑い声を漏らす。
「あなたたちの街は本当に……ふふ、元気ですね」
「お恥ずかしいところを……」
「いいえ、皮肉でも何でもなく。人が元気な街は良いものですから」

スッキリとした笑顔を向けられれば素直に言葉を受け取っても良いのかもしれない、と思えて軽くお辞儀をしてみると、ジーナは笑みをより深くしてくれる。

短い時間ではあったが歩きながら交わす言葉、仕草、視線、どこを取ってもユールモア元首を務めるこの女性は偉大な人物なのだろうということがよく感じられた。この人もまた、この世界にとっての英雄であるのだろう。

そう思えば少しだけ緊張が蘇ってきてしまい、最後の目的地である今日の会談場所へと一行を導く最中はまた心臓が早鐘のようになってしまった。

ユールモアとの会談の場は塔の正面広場に準備した急拵えの特設会場だ。広場なら街の象徴である塔を始めとして、今のクリスタリウムを一望出来るからと準備に関わる者たちの満場一致で決めたその会場の周りには、珍しい来客を一目見ようと街中から集まった人々に囲まれていた。
「丁寧にご案内いただき、ありがとうございました。こんなに歓迎していただけるとは思いませんでしたわ」
「喜んでいただけただろうか」
「勿論! 貴重な時間でした」

席に着いた私たちの間には和やかな雰囲気が漂っていたが、にこやかな笑顔はそのまま、ジーナのまとう空気に鋭いものが混じる。試されている。まず気付くか、そして気付いたとしてどう出るか。
「さて、ジーナ殿。お互いに忙しい身だろう、本題に入らせてもらっても?」
「ええ、そうですね」

対面に座るユールモア元首は細い手指を組んで机の上に乗せ、一呼吸置いてから言葉を紡ぎ出す。
「ユールモアはクリスタリウムとの交易を開始するつもりで今回、この場を設けていただきました」

ピリ、とした空気と凛と通る声。ああ、まさしく英傑の器だと相対する私も押し流されまいと足を踏ん張る。
「街を見せてもらい、クリスタリウムの今を見せていただきました。極々短期間でここまで『街』を作り上げる皆様の技術力、何より街を作るという活気がある……しかし、自給自足の力に乏しい今、物資不足という難題を外の力を借りて解決したい。違いますか?」
「流石、ユールモア歴代元首の中でも特に名君と呼ばれる英雄だ。確かに、街は急速に発展を続けているがこのままではいつか頭打ちになってしまうだろう」
「……我々ユールモアはクリスタリウムに豊かな物資をもたらすことが出来るでしょう。しかし、交易とは互いに利があってこそ。クリスタリウムは我らに何をもたらしてくれますか?」

来た。必ず問われるだろうと見ていたそれは、存外真っ直ぐな言葉で私たちの前に姿を現した。

相手はノルヴラント一の大都市。生半可なものを差し出すようでは逆に飲み込まれる隙を与えることになる、と会談が決まった時点で街のリーダーたちと協議を重ねてきた結果を今こそ見せる時が来た。
「……あれを見てほしい」

ゆっくりと指し示したのは淡い光を帯びたクリスタル、エーテライト。原初世界でも謎が多いエーテライトの技術が何故塔に隠されていたのかは分からない。だが、これこそがクリスタリウムにとって最大の武器になることは明らかだ。原初世界で身につけた知識、それとレイクランドの魔道士に指南してもらった魔術の理論を元になんとかエーテライトを設置して起動することは出来るようになった。

第一世界には存在しなかったそれを興味深そうに見ていたジーンやユールモアの面々にも分かるように、そしてその有用性を理解してもらえるように一つずつ言葉を選び取っていく。
「あのクリスタルはエーテライトと言う。地脈の流れの結束地に置くことで、エーテルの流れに乗って別のエーテライトへ移動することが出来るようになる装置だ。我々クリスタリウムはこの技術をユールモアへ提供しよう」

準備していた文句は当たり前のように霧散してしまっていた。だが、走り出したものを止めるわけにはいかない。
「ゆくゆくはユールモアだけではなく、ノルヴラント全土にエーテライトを置き、誰もが罪喰いの襲撃を恐れることなく、人もモノも移動することが出来るようにしたいと考えている。移動時間の短縮と安全の確保……これは今、この時を生きる我々だけでなく、未来の子どもたちにも等しく必要なものだと考えている」

ジーナの表情は動かない。ここは戦場だ。武力ではない、言葉の力で戦う第一線。ユールモアという最初の壁を越えて、その手を取るための言葉を絞り出せ、と己を鼓舞し続ける。
「この街は、クリスタリウムは滅びに抗い続けるために止まるわけにはいかない。だから、どうか……あなたがたの手を貸してほしい」

そして一陣の風が吹き、目深に被っていたローブのフードを吹き飛ばしていった。だが、構うことはない。真っ直ぐにユールモア元首を見据えたまま、私は言葉を収める。
「……正直、驚いています。あなたの見据える未来、それを叶えられる独自の技術……そして、本来真っ先に明かすべき名を隠しているのに信じたいと思える強さ。包み隠さず申し上げるならば、脅威であると感じます」

ジーナの静かな声はひやりとした響きを持って広場に広がり、周りで聞いているクリスタリウムの住人たちにざわめきを起こす。フードと一緒に被ったはずの冷静さで自分の動揺を隠し、静かに次の言葉を待った。人々の声の波が引かないうちからジーナはまた口を開く。
「……同時に、味方であればどんなに心強いだろう、と」

決して声を張っていなかったのに、ざわめきの中を真っ直ぐ突っ切る声は誰もに聞こえた。思わず椅子を跳ね飛ばした私にジーナは笑みを漏らす。
「では……!」
「ええ、ユールモアは正式にクリスタリウムとの交易を開始させていただきたい」

椅子から立ち上がったジーナに歩み寄り、今度はこちらから手を差し出す。一度伏せた目を上げたジーナからはもう試す者の雰囲気はなく、熱くて強い意志の力を湛えていた。
「信じてくれてありがとう……本当に心強い!」
「こちらこそ。この世界を生き抜くため共に戦う同志として、これからよろしくお願いします」

その瞬間を待っていたクリスタリウムの人々がわっと歓声を上げる。踊り出す者も出るほど喜びに溢れるクリスタリウムを広場の中心から私たちは見回して、そして笑い合う。これから先の未来、こんな風景が当たり前になるように私たちは歩み出したのだ。
「一つ、これだけ……慣れない言葉遣いは止した方が良いですよ?」
「……バレてた?」
「ええ、最初から」

にこり、と悪戯っぽく笑う彼女もまた肩の力が抜けたようで、お互いに緊張していたのかもしれないとまた笑みが漏れる。英雄と呼ばれたあの人だっていつまで経っても緊張していたのだから、そういうものなのだろう。

その後、国をいつまでも空けるわけにはいかないから、とユールモア一行はすぐに発つことになってしまった。取り急ぎ、エーテライトの設置に向けて地脈の観測をしにユールモアへ近日中には訪ねる約束を取りつけて、詳しくは今後も手紙でのやりとりで決めることになった。

私とイヴの二人きりだった出迎えとは違って、見送りにはクリスタリウムの住民がほぼ全員出てきて口々に別れの言葉や初めて目にする大型飛空挺に驚きの声を上げている。
「こちらにいらしたら宴席を設けましょう。今回いただいた分、めいっぱい皆様を歓迎しますわ」
「ははっ、楽しみにしているよ」

飛空挺のタラップの前、もう一度握手を交わす。名残惜しさもあるが『次』という約束のため、それぞれの場所で走り続けている人がいると実感出来た今日は互いにとってこれ以上ない実りのある日となった。
「本当にありがとう、ジーナ」 
「……あなたの街と人を守ろうとする気持ち。それこそがクリスタリウムを導く標なのかもしれませんね」

ぽそり、と呟かれた言葉は飛空挺のエンジンが駆動しはじめる音に紛れ、きっと後ろに控えているイヴには届いていない。眩しいものを見るように目を細めたジーナはすぐに凛々しい笑顔を貼りつけ、丁寧に別れを告げる。
「では、また近いうちに。それまでどうぞご無事で」
「あなたがたも気をつけて。互いの旅路に、クリスタルの加護があらんことを」

タラップを上る背中が見えなくなったら、クリスタリウムの住民たちと一緒に風に飛ばされない位置まで退がる。やがて大きな翼を広げてユールモア一行という希望を乗せた大型飛空挺は空へと羽ばたいていき、その巨体が果てに消えてしまうまでみんなで見送り続けた。やがて飛空挺が地平線の向こうに飛び去っていってしまった後、バラバラと帰り路につく人々の中でオレは誰にも聞こえないように、だが自分の決意を確かめるように独りごちる。
「……クリスタリウムだけじゃない、オレは何もかもを救ってみせるさ。たとえ、歴史を書き変えることになろうとも」