道が続く先

「ただいま!」
「おかえり〜届いているよ〜」

図書館で目当ての本を無事に手にしたグ・ラハ・ティアがバルデシオン分館に足を踏み入れると、受付を務めるオジカ・ツンジカが満面の笑みで彼を迎えた。
「……ありがとう、オジカ。部屋で読むよ」

ほくほくとした穏やかな笑顔から、星芒祭の贈り物を前にした子どものような期待でいっぱいの笑顔へ早変わりしたグ・ラハは溢れそうになる気持ちの色を言葉に滲ませて、両手いっぱいに抱えた本の上に封筒を乗せてもらう。オジカは何も言わずただ笑って、歩く度に跳ねる紅い尻尾を見送った。

荷物でいっぱいの両手の代わりに尻尾で私室の扉を閉め、彼はひとまずはオジカ・ツンジカから受け取った封書を私的な書類や手紙の束の上に積み、借りてきた本を机の上で分別して落ち着きを取り戻そうと努めた。しかし、シャーレアンではなかなか見ない佇まいの紙片がそんな悠長な振る舞いを許さない。いくらか抵抗してみせたグ・ラハだったが、やがて本に伸びていた手は封筒に記されて乾いたインクの軌跡を撫でていた。封筒とその中で眠る数枚の便箋で踊る筆跡は彼にとって一番憧れの英雄──光の戦士その人のものだ。

星の存亡を巡る旅を終え、いくらか身軽になった英雄は気ままな旅へ出ていき、グ・ラハはバルデシオン委員会の再建に向けてオールド・シャーレアンを拠点に活動を始めて短くない時間が経った。時折小さな冒険に出かけるか、どうしてもお互いの力が必要な時に約束する以外、共に過ごす機会はぐっと減ってしまったが、二つの世界を巡る旅路の中で結ばれた縁が細くとも途切れることのない糸のように、二人の間に距離も時間も関係ない日々を紡ぎ続けている。

今、グ・ラハが手にしている手紙もその細い糸の一本だ。

彼にとってはまさしく宝物に等しい封筒の口を破らないようにそうっとペーパーナイフで開いて、中に封じられていた便箋数枚とを取り出す。

存外几帳面な筆跡はひんがしの国での冒険を事細かに記していた。かつてドマ解放のために一緒に戦った人たちと再会したこと、その時にドマの若君からグ・ラハへよろしく伝えてほしいと言付かったこと。手合わせをしていたらあちこちから人が集まってきてちょっとした大会になったこと、やはりクガネとヤンサとでは味付けが違うがどちらも好きだということ。英雄譚には載らないいくつもの物語の最後、成り行きで望海楼の料理長に出汁のとり方を教わったから今度振る舞いたいと未来の約束で手紙は締められていた。

最後の最後に恐らく急いで書いたのだろう走り書きのような署名に笑みを漏らしたグ・ラハはもう一度最初から読み返してから、便箋に顔を埋める。ざらりとした粗い紙の繊維と冒険者お手製インク、そして異国の花の香りが鼻先をくすぐった。

はじめは些細な書き置きだった、とグ・ラハ・ティアは記憶している。いつからこんなに贅沢な手紙のやり取りになったのかグ・ラハも冒険者も覚えていないし、たとえ覚えていても互いに明かすことはしないだろう。
「ラハくん、お客様!」
「ああ、今行く」

グ・ラハはそれまでの手紙と同じように、彼のエーテルに反応して開く仕掛け箱に新しいものを入れて封じる。次の手紙は何を書こうか、あの人だって驚くような冒険の訪れを想い、筆と便箋一式を鞄に詰め込んで部屋を飛び出した。

「おや……珍しい、貴殿のそんな表情は初めて見た」

頭上から降るやわらかい声音をかけられた冒険者──暁の英雄、あるいは光の戦士と呼ばれる──は、ゆるんだ口角をさらにゆるませて月の監視者を振り仰いだ。
「仲間からの手紙、下で受け取ったものを読んでいたんだ……約束をしているわけではないのだけど、もう随分と長い遣り取りになる」
「そう、それは素敵だ」

オールド・シャーレアンへ手紙を届けた折、フルシュノからレポリットたちへの届け物を引き受けた冒険者は月を訪れていた。無事に届け物をリヴィングウェイへ手渡せたその人は少しチョコボの足を伸ばして、月の監視者と話す。表情は見えずとも快く迎えてくれる旧い友人との時間は、落ち着きがないと評されるその人にもゆっくりとした穏やかな流れを作ってくれる終末後の習慣だ。

冒険者は手にしていた紙片を一旦鞄に押し込み、監視者が差し出してくれたティーカップを受け取る。一歩館の外に出れば荒野が広がる月を思うと、冒険者はほのかな花の香りを思い出すほど二人の時間になくてはならない月生まれのお茶が今日もたっぷりと波打っていた。
「手紙を書いてくれた仲間……前、一緒に来た紅いミコッテの彼なのだけど。歴史が好きで、とても賢くて、ちょっと……いや、かなり頑固な人なんだ」
「貴殿をして頑固とは、相当な頑固者なのだろうね」

何かを納得したように大真面目な様子で頷いている監視者に冒険者は目を丸くして、そして気恥ずかし気に頬をかいて返答とした。
「それで、手紙には何と?」
「今……あ、この手紙を書いている時はリムサ・ロミンサっていう海の都にいるみたい。地質調査をしていたらアラグ帝国の遺物が出てきたらしくて、専門家として出向いているって」

アラグ帝国とはかつてエメトセルクが携わっていた古代文明であること、その遺物が今もたまに思いもしない冒険を巻き起こすこと、今も空を彷徨う博物館が存在すること。冒険者はまるでその場で見てきたかのように──実際経験していることもあるのだが──失われて久しい古代文明について、そして手紙の差出人が縁深い研究者であることを時折カップのお茶で唇を湿らせつつ語り聞かせる。鮮やかな記憶の風景を目の前にしているような冒険者の言葉は嘆きに満ちる荒野の月にも瑞々しい海風が吹かせ、新芽が香り、熱砂が肌を焼く、在りし日のアーテリスの情景を監視者に見せた。
「貴殿は本当に楽しそうに話す。よく彼女も……ヴェーネスもアゼムとして赴いた土地の話を聞かせてくれたものだ」
「ヴェーネスも?」

話すこと一つ一つにも感嘆や悲哀、喜色を寄越してくれる善き聞き手だった監視者は話しきって満足そうにする冒険者を懐かしそうに眺めていた。
「旅や報告で疲れているだろうに、休む間もなく話しに来てくれることもあった。本当に、あの頃から奇特な人だった」
「……ヴェーネスの気持ち、分かるかも。旅の思い出は聞いてほしい人に話したくなってしまうから、ね」

言葉の意味を問おうと首を傾げる監視者へ冒険者はいつぞや自分がされたように静寂を示して微笑む。しばし考えを巡らせた監視者が一つ頷いたのを見届け、空になったカップの礼を述べたその人は脇に置いていた得物と荷物とを背負い直した。
「今度は例の彼を連れてきても? 彼はあなたともっと話したいと思うから」
「ああ、勿論。思い出話で良ければ……きっと、また来るといい」

次の約束はせずに館を飛び出していった冒険者は相棒の背に乗り、月の道を駆け抜けていく。チョコボの嘴は潮風が生まれる方へ向けられていた。