彼を怒ってくれてありがとう
一言で表すなら豪華絢爛。色とりどり、見た目も雰囲気もさまざまなお菓子が皿いっぱい、机いっぱい所狭しと拡げられている。
ペンダント居住館に与えられたあの人の私室は、私やアルフィノ、他の住人と比べてかなり広く、備え付けの調度品も部屋に相応しい立派なもので揃えられていて、いつ来てもここを用意した人の気合いが垣間見える。
もちろん、あの人が装備の手入れや製作で作業をしても問題がない広い机も用意されている。その机の上を埋め尽くす皿、皿、そして皿。軽く見積もっても四人分はある甘味の数々を前にして思わず圧倒されてしまう。いつもなら嬉しい好物の山も、理由も分からず前に差し出されると素直に喜べない。
「ね、ねえ……これ、どうしたのよ」
問いかけた先には、私をここに連れてきた張本人が首を傾げてこちらを見ていた。更なる皿を運ぼうと両手に持っている上に、コック服を身につけたあの人の背後にはまだまだ甘味の大群が運ばれる時を待っている。おまけに愛用のスティレットにはまだ作りかけのものもあるらしく、香ばしいバターの匂いが漂う。
「アリゼー、甘いの好きだって言ってたでしょ?前にカフェで食べたメニューを中心に再現してみたんだけど……ん?あれ、違った?」
「あ、甘いものは好きよ!でも、どうしてこんなにたくさん?他のみんなは?」
「今日はアリゼーだけ。さあ、とにかく好きなだけ食べてね。あっちから持ってきたリンゴジュース、レモネード、あと紅茶もあるよ」
あの人はそう言いつつ、シュンシュンと湯気を吹くヤカンからポットにお湯を注ぎながら、もう片方では手際よく茶葉や砂糖、ミルク、シロップの準備も進めている。
どうやら質問には答える気がないらしい。まずは目の前に並べられたお菓子を食べないと、このティーパーティーを開いた理由を教えるつもりはないのだろう。この人は一度決めたら動かない、そういう子どもっぽいところがあることを私は今までの冒険の中で度々見てきた。こうなったらもう私にはどうにもならない、諦めよう。
「じゃあ、遠慮なく……いただきます」
改めて、見渡す限りの甘味は壮観という言葉がよく似合う。冒険の傍らで調理師ギルドで修行したらしい手の広さに感心を覚えると同時に、いつそんな時間があるのかと呆れに似た何かも感じた。そういうところが英雄のこの人の良いところなのだけれど。
とりあえず、一番近くにあったナッツペストリーを一口。すると、サクサクした生地の食感と、香ばしいナッツの甘さが口いっぱいに広がる。あたたかみのある、懐かしい家庭の味。
「美味しい……!これ、本当にあなたが作ったの?」
「そうだよ。口に合って良かった!ささ、どんどん食べてね」
不安そうにこちらを伺っていたあの人は、欲しい言葉が聞けたのかパッと表情を明るくして、上機嫌であれもこれもと私の前に一推しの皿たちをどんどん並べていく。
なんだか楽しくなってきて、自分の表情がどんどん緩んでいくのを感じる。多分、一年振りに味わう故郷の味で嬉しくなっているだけじゃない。誰に対してという訳でもない、優越感を感じている自分が居るのも気付いていた。誰にでも信頼されて引っ張り凧のこの人を独り占め出来る機会なんて、アルフィノはともかく、私にとっては貴重な時間。
だって、楽しそうにお手製の甘味について話す姿から、戦場で身の丈ほどの斧を振り回す英雄を想像出来る人なんて居ないでしょう。こんなに楽しそうなこの人を、独り占め。
ここは目一杯楽しまなきゃ後悔する。この際、暴力的なカロリーのことは全部忘れて、目の前の料理全部を食べきるまで今日は終わらないことを決意した。
次々と差し出される皿に手を伸ばし、気になるものはレシピや食材を聞き、これもまたいくつもの種類を取り揃えたお茶に舌鼓を打ち、会えなかった時間を埋めるように会話を楽しむ。
夜が戻ってひと段落していたとはいえ、まだ予断を許さない状況で知らない内に疲弊していた心が、お腹の充足感と一緒にゆっくりあたたかくなっていくような気がした。
「ごちそうさま!美味しかったわ」
「はい、お粗末様でした」
窓際の椅子に腰掛けて食後のお茶を楽しむ頃には、夕陽に染まりかけだった空も、とっぷりと暮れて月明かりが美しい頃になっていた。
流石は調理師ギルドのホープ。生まれた家の性質上、今まで悪くない暮らしをしてきたから舌は肥えていると思っていたけれど、この英雄様の料理の腕はとんでもないものだった。お陰で何皿平らげたか数えるのも馬鹿らしいくらい堪能してしまった。もうしばらく甘いものは食べなくてもいい。
部屋に備え付けられている流しで使い終わった調理器具や皿を洗いながら、あの人も満足そうに笑っている。
腹ごなしも兼ねて、皿洗いを手伝おうとティーカップを置いて隣りに立つと、布巾と洗ったばかりの皿を手渡してくれた。積み上げられた皿の山を見て、こんなに食べたのかと少し明日が怖くなった。この先一ヶ月はトレーニング量を増やす必要がありそう。
愛用のスティレットを丁寧に洗っている今は調理師の英雄を横目に、そろそろ我慢の限界がきた。向こうから話す気がないなら、私から訊くしかない。
「いい加減教えてくれるんでしょ?こんなにご馳走してくれた理由」
チラリ、視線を送ると同じようにこちらを見遣っていたあの人と目が合った。いつもなら逸らしてしまうけれど、今は我慢。知りたいことを教えてもらえるまでは強気でいなきゃいけない。
「……さっき、水晶公がもしもの話をした時。すぐ怒ってくれたでしょ。そのお礼がしたかった」
静かな声に思わず顔を向ける。泣きそうな笑い顔。何度か見たことがある、あまりしてほしくない表情だ。それに、いつも凪いだ海みたいに静かな翡翠色の目の奥に嵐が見える。私が知らない、この人を遺していった人たちの影がちらつく。
「当たり前よ。本当に気に食わなかった、それだけ……」
水晶公はこの人の冒険を英雄譚として、第八霊災が起こる未来で読んだと言っていた。なら、あの言葉がどんなにこの人を傷つけるか分かってもおかしくなかった。仲間をたくさん喪ってきたこの人に、どうして今度は自分の手で仲間を、自分を殺してなんて言えたのか私には分からないし、そんな覚悟は分かりたくもない。
「さっきも言ったけど、あなたが最後に笑ってないなんて、そんなの私が絶対許さないわ。絶対に」
自分でも思ったより静かな声が出て驚いた。落ち着いて話を出来ている、気がする。
私が出来ることなんて、たくさんはないかもしれない。それでも、私は出来ることを一つずつこなしながら、前に進んでいくしかない。
「誰かが犠牲になって『ハイ、お終い』なんて……そんなことしても、絶対に誰がが何処かで泣いてるもの。そんなの、もうたくさんよ」
この人を遺した人たちも、お祖父様もそれぞれに出来ることをした結果だって分かってる。否定はしない。でも、どんなに良い結果が訪れても、世界が救われたとしても、泣いてる人はいない方が良い。そんな終わり方が難しいなんて、子どもの私でも分かる。でも、探し続けなきゃ見つからない。だから、もしもなんて仮定で考えるのを止めたくない。
「……ありがとう、アリゼー。彼を怒ってくれて」
不意に隣りから手が伸ばされる。拭ききれていない水分で少ししっとりとした手が私の髪を撫ぜた。いつもは恥ずかしいから避けちゃうけれど、今日は許してあげる。表情を盗み見ると、さっきまで吹き荒れていた嵐は少し収まったようで、穏やかな笑みを見せてくれている。
「あなたも、言いたいことがあるならちゃんと言わないと駄目よ」
「そうだね。ちゃんと、聞いてもらわなきゃいけない」
何かを決めたように、ポンポンと二回頭を軽く撫でて手は離れていった。自分がミコッテ族みたいに尻尾と耳がある種族じゃなくて良かったと心底思った。
「さて、このお皿の山を片付けちゃいましょ!次は私がお茶を淹れてあげるわ」
「本当?楽しみだな」
ぐいっと腕まくりをして、中断してしまっていた皿拭きを再開する。手早くすればきっと月が高くなるまでに終わることが出来るだろう。そうしたら、今度は私がこの人に美味しいものをご馳走してあげる番。美味しいものは心を落ち着かせてくれる、と私は身を以って知ったばかりだから。少しでもこの人の辛い気持ちが和らげばいい。
「いっぱい聞いてほしい話もあるのよ」
出来ること一つずつ、確実にこなしていけば、きっと。