凍った大地にて

※冒険者は男性寄り。種族の描写はありません。

 

情報は力だ。時に物理的な力よりも身を助ける。

冒険者たるもの、その大小玉石を問わず、常に細心の注意を払って情報収集に努めるべし。初心者の内に冒険者ギルドで口を酸っぱくして教え込まれる、生存戦略の一つだ。

身軽に世界各地を飛び回れる反面、情勢に身の振り方を大きく左右される冒険者は、噂話さえ生死を分かつ判断材料になる可能性がある。先達の失敗を繰り返させないように、ギルドの面々や先輩冒険者たちは後輩に経験談を混ぜながら語り聞かせるのが通例だ。

光の戦士、エオルゼアの英雄、救国の英雄、解放者、そして闇の戦士。今やさまざまな称号で呼ばれる青年もまた、その先達の教えに従って冒険を続けてきた。

時に青年本人を知らない人々は、英雄はさぞ常人離れした力があるから英雄になれたのだと噂する。だが、真面目に堅実に、何処でも誰にでも話しかけていくことで積み重ねたものがあったからこそ今があると、青年を知る者皆が異口同音に評価をする。

勿論、今回もイシュガルドを出る前に天気予報士から情報を仕入れていたし、雪が降るからと自分の持つ鞄にもチョコボに持たせている分にも防寒具を詰められるだけ詰めてきた。

だが、今日ばかりは熟練の冒険者たる青年も困り果てていた。

まさか、視界が完全にホワイトアウトするほど酷い吹雪になるとは、流石に予想出来なかった。幾度となく訪れたクルザスの新たな一面を知れて嬉しいような、だが今はむしろ勘弁してほしいの一念しかない。

適当な岩陰を探してビバークしようにも方角すら分からないままでは、迂闊に動けば崖から足を踏み外してしまうかもしれない。雪が積もった薄氷に足を突っ込んで、そのまま氷の池の底に沈む可能性だってある。

雪がつぶてのように容赦なく吹きつける中、なす術もなく立ち尽くす青年には愛鳥が自身の主人にぴったりくっついてくれている。これがどんなに心の支えになっているか、なってきたかをチョコボは識っているからこそ、風が酷くなる直前に己だけを逃がそうとする主人の尻にチョコキックをかましてまで賢い相棒は居残ったのだ。旅路の合間、青年によってよく手入れされた羽は凍ってパリパリになってしまっているが、羽毛の奥からトクトクと伝わってくる鼓動に激励の効果でもあるのだろう。一瞬でも気を抜けばエーテルの海を渡ってしまう最悪の状況下でも、青年の心は折れてはいなかった。むしろ、頭の中ではこれまでの経験の棚を引っくり返して、生き残る策を探し続けている。ただ、指先から、足先から、雪に打たれる目元からじわじわと酷い冷気に侵されている状況は青年の知らぬ間に体力を奪い始めていた。

全てを白く塗り潰された世界をもう一度、何か見えないかと辛抱強く目を凝らす。見覚えのある岩や建物、徘徊するモンスターを探す最中も、存外思考は落ち着いていた。きっと雪国生まれの友ならば、同じように諦めないだろうと確信があったからだ。否、彼ならこんな状況に陥ることなどないのだけれど。
「雪は初めてか?」
「見たことはあるけど、こんなに積もっているのは初めてだ。君の育った景色はきれいだね」
「おお、我が故郷の景色を気に入ってくれたのなら嬉しいぞ。フフフ……まっさらな雪原に佇む冒険者……イイ!」

そういえば、雪道の歩き方を教えてくれたのは彼だった、と青年は回顧する。足全体で踏みしめて、歩幅は小さめに。慣れない足運びを体に染み込ませるために、キャンプ・ドラゴンヘッド付近でモンスターを狩る草原生まれの冒険者を彼はいつだって見守ってくれていた。

苦戦すれば声援を、上手く出来ればその長躯から溢れんばかりの賛辞を、時には武人としての視点からもたらされる助言を。何も見えない吹雪の向こうから、あの快活な大音声が風に混ざって聞こえてきそうだ。

一際暴れる風が一人と一匹の周りを巻き、視界がますます煙る。ピュイと小さく愛鳥が鳴くのを、青年は宥めるように、落ち着けるように顔の近くにある嘴に手を添えてやった。
「お前は雪の恐ろしさを知らぬまま、このクルザスを旅することもあるだろうが……雪の旅路で欠かせない知識を識っているか?」
「……寝たら死ぬぞ、とか?」
「はっはっは!それもまた身を守るために必要な知識だな」

いつだって彼は決して無知な青年に呆れたり、たしなめたり、責めることはしなかった。受け入れ、必要な知識を与え、新たな冒険が恙無く楽しい記憶となった冒険の後で、雪まみれになって帰還した青年からもたらされる冒険譚を聞くことを何よりも喜んだ。

彼はこういう時、どうすればイイと教えてくれていただろうか。肝心のところに靄がかかったように、青年はその声を思い出すことが出来なかった。

ふと青年は気力よりも体力が限界が近づいていることに気付く。自覚すればそれはずるずると気力も引きずっていき、あっという間に肩で息をする始末。一か八か、力を振り絞って岩陰を探すべきか、それとも穴を掘って風を避けるべきか。青年の思考から冷静さばかりが暴風にさらわれていく。
「常に勝利を求め、前進する姿……それもひどくそそられるし魅力的だが、たまには肩の力を抜くことも覚えるとイイ」
「……そうは言ってもなぁ」
「お前はもう少し周りを頼ることだ。たとえば、アルフィノ殿やこの愛鳥チョコボ」

青年のチョコボは冒険者として歩み始めた当初から旅路を共にする、暁の面々よりも長い付き合いの相棒だ。誰に似たのか主人以外の人間に馴れず、多くの時間を共にしたアルフィノにさえ未だ怯えを見せるチョコボは、しかし、向日葵畑のように鮮やかで、やわらかい毛並みをすいてくれた彼には珍しく心を開いていた。
「私が居ないところで主人が困っていたら、お前が助けてやるのだぞ」

主人の顔に押し当てられていた愛鳥の凍てついた嘴が離れていく。鋭く声を挙げ、見上げた白い嵐の先には微かに、だが確実に何かが揺らいだ。

その仄かな揺らぎをもう一度捉えようと、目を凝らす。

白く塗り潰された空、極わずかな隙間から揺らぐもの。ファルコンネストからクルザス西部高地に出る玄関口、物見の塔の一番高いところに置かれた篝火。

まさに、それは青年にとって希望の灯火だった。

存外近かったその明かりは動かなくなりつつあった脚に、腕に最後の気力を与えた。凍ついた手綱を握り直した一人と一匹は、確かに一歩ずつ光へと向かって歩いていった。

「あと少し遅ければ凍死していたのだと分かっているのかな、英雄殿」
「はい……ご迷惑をおかけして申し訳ないです……」
「全くだ!貴公は雪の恐ろしさを知らぬわけではあるまいに」
「面目ないです……」

ようようファルコンネストに踏み込むと、張り詰めていた緊張が解けたのだろう、青年はしたたかに美しく敷き詰めなおされた石畳に体を打ち付ける羽目になった。その音を聞きつけた兵が倒れ込む青年と主人を守るように折り重なったチョコボを発見し、すぐに医務室に担ぎ込まれる騒動があった。

半日経ってその騒ぎの原因がようやく目を覚ましたということで、ファルコンネストの警備を司るレッドワルド直々に青年にお説教、もとい事情聴取をしに来たのだ。これも命があったから聞けるのだと青年は分かっている上、正論で殴られるものだから反論の余地もない。
「とにかく今はよくよくあったまって休むことだ」
「ありがとう、レッドワルドさん。あの、私のチョコボは……一緒にいたと思うのですが」
「ああ、一緒に保護されているぞ。今は厩舎で休んでいるが、元気にギザールの野菜を食べているそうだ」
「そうですか……よかった」
「ああ、だから貴公もゆっくり休んでいくと良い。何かあれば隣室の兵に声をかけて、気軽に呼んでくれ」

しっかりとした青年の受け答えに安堵を含む笑みを見せて、騎士は自らの職務に戻るため医務室を出て行った。

青年だけが残された部屋に広がる火の匂いと音が疲れ切った青年の体を癒していくと同時に、あたたかい空気がふわふわとした安心感をもたらす。よく馴染んだ匂いは、雪の家に滞在していた頃を思い出させた。とろりとした心地よい眠気に今は身を委ねることにする。

微睡の中、かつてそのかんばせに触れた武人の指が青年の頬を撫でたような気がした。