ゴンドラに乗って
二人で連れ立って、ドッサル大門を抜けてスパジャイリスク医療館の面々に手を振ってから屋内へ入る。博物陳列館に向かって歩く間、ひんやりと心地よい風が肌を撫ぜた。園芸館を囲むように引かれた水路のお陰でこの通路はいつだって涼しい、と食薬科のメンバーに教えてもらったことを思い出した。クリスタリウムに数多く存在する、癒しスポットの一つなのだそうだ。
水音が静謐を誘うのか、自由弁論館で会議が行われていない時は比較的静かで落ち着いた雰囲気に包まれているが、今日ばかりはひそひそとした黄色い声が尻尾を揺らしていた。
「子どもがいっぱい居るね」
「うん?ああ、そうか。今日だったか」
「何かあるの?」
「ああ。今日は街の水路を小舟で巡る催し物をしているんだ。最初は水路の保守のために始めたのだが、ある時子どもたちに自分たちも乗りたいとねだられてしまってね。今は年に一度、子どもたちに街のことを知ってもらうためにツアーをしているのさ」
言われてみると、数人一組になった子どもたちが順に衛兵団員や園芸館の職員に伴われて小舟に乗り込み始めているところだった。みな一様にキラキラと目を輝かせ、未知多き地下水路の冒険に心を弾ませているようだ。
クリスタリウムはシルクスの塔を中心に、その時の必要に応じて拡張を重ねてきたために、住人でさえ迷子になるほど複雑な構造になっている。歩ける場所だけでも十分冒険の舞台になるというのに、今回は普段立ち入ることの出来ない水路に友達と一緒に行けるのだ。こんなにも素敵なことはないだろう、と子どもたちの姿に冒険者として旅立った当時を思い出して頬が緩む。
「いいな、楽しそう」
ぽつり、思わず漏れた羨望に、傍らで子どもたちへやさしい眼差しを注いでいた水晶公がぐるんと物凄い勢いでこちらを向いた。この時ばかりは大きな目が少し怖かったのは秘密だ。
「なら、あなたも一緒に参加しないか?」
「え?いや、でも資料探しに来たんでしょ?」
「なに、資料探しも仕事もいつでも出来ることだ。それに、そんなにわくわくしたあなたに手伝ってもらうのは忍びない。あ、すまない!この人も追加で参加出来るだろうか!」
「これは公と闇の戦士様!まさかお二人もツアーに参加していただけるとは。どうぞどうぞ、こちらへ」
有無を言わせずぐいぐい腕を引っ張る水晶公は私の返事を聞く前に、子どもたちを抱えて舟に乗せているエルフに声をかけていた。この勢いは一体どうしたというのだろう。しかも、エルフの彼も快い二つ返事を寄越してくれて、あれよあれよという間にツアーに参加することになってしまった。
いそいそと先に舟に乗り込んだ水晶公に手を差し伸べられたら、もう今さら尻込みするなんて出来なかった。それに、クリスタリウムの水路は以前から気になっていたことだし、この機会に思う存分見学させてもらえるならありがたい。
「この二人も一緒に連れて行ってあげてください。ツアーガイドは公にお任せしても良いでしょうか?」
「勿論だ。さあ、おいで」
「こんにちはー!」
「こんにちは、よろしくね」
「やったー!公と闇の戦士様といっしょのお舟だ!」
私たちがこちらを訪れてからは特に忙しくしていたこともあって、水晶公が子どもたちとふれ合うのは、久し振りのことなのだろう。公と手分けして軽い体を抱えて舟に乗せる間も子どもたちは大はしゃぎだ。魔法の名手となった水晶公がいるのだから、小さな舟は転覆することはないだろうが、うっかり落ちてしまわないか少し不安だ。
ガイド役を受け持つ水晶公が船尾に立ち、バランスを取るために私は船首に座って栗毛のミステル族とまだ未熟な白い鱗を持つドラン族の二人と向かい合う。うきうきと待ちきれない様子の旅の仲間はしきりに周りを見渡したり、水晶公のローブの裾を握ったりしていて可愛らしい。
「しっかり舟の掴まっていなさい、落ちてしまっては大変だからね。さあ、出発だ!」
「しゅっぱーつ!」
杖を掲げて水のエーテルを操り、小舟を前へと進ませる。しかも、キラリと杖の先を光らせるサービス付きだ。子どもたちは間近で見られた美しい魔法にきゃあきゃあと黄色い歓声をあげている。
「公は子どもたちを喜ばせるの、上手だね」
「ふふ、伊達に何百年も生きていないさ。あっ、ほら!あっちをご覧」
注目してほしいポイントにぽわっと光を灯して、得意げな表情を隠しもせずに街の機構を解説してくれる彼の姿は、確かに調査団として同じ時間を過ごしたあの日の面影があった。
「街が拡がる度に生活用水として、そして街の中の経済を支える道として水路も拡げられたのだ。今やクリスタリウムの血管と呼ぶに相応しい、私達の要だよ」
共に街を造った人々との思い出を交えながら歴史を語る姿には、静かな夜の天幕で彼の大好きな英雄譚のページを捲ったあの日の視線と同じだった。
それがどうしようもなく眩しくて、きゅっと胸の奥が締め付けられるような感覚をもたらす。
「……闇の戦士様、おなかいたいの?」
ぼうっとしているうちに二対、いや、三対の瞳に見つめられていた。一体自分はどんな表情をしていたのだろう。何にせよ、楽しい冒険に影を落としてはいけない。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「お舟、こわいの?」
「怖くないよ。あのね、私はクリスタリウムが好きだなぁって思っていたんだ」
見上げると、丁度舟は酒場やペンダント居住館の真下に差し掛かっているようだ。静かな水に支配された世界の上から、活気溢れる人々の営みの声が陽の光と共に霧雨のように降り注いでいた。
決して世辞ではない、常々思っていたことを初めて口に出してみただけだ。もう随分とこの街で過ごして長くなるというのに、薄情な奴だと自分でも思う。
そんな薄情者の言葉でも、子どもたちには嬉しいものだったらしい。心配そうな表情は、途端に親しい仲間を見つけたように明るく華やぐ。くるくると変わる表情は見ていて飽きない。
「ほんと?わたしもクリスタリウム好き!」
「ぼくも!あっ公もすき!」
「……だってさ、我らが水晶公」
「ありがとう。私もこの街と民が誇らしく……その、大好きだよ」
最近は脱いでいることが多いフードで慌てて目元を隠したが、緩みきったその口元ではあまり意味がないよ、とは教えないでおこう。
「そうだ。あなたにも、二人にも特別に見てほしいものがある」
「特別!?」
いつかのように、口元に人差し指を当てて秘密を共有することを示した公は、エーテルを操って舟を動かす水の流れを少しばかり変えたようだ。前を行く舟とは違う水路に入っていく。その悪戯っぽい表情に、子どもたちの期待はピークを知らないように上がり続けるばかりだ。
先程までとは違い、明かりが極端に少なくなった水路はに何故だろう、懐かしい雰囲気が漂っていた。よくよく目を凝らすと、水路の壁にはただの石材ではなく、淡い光を含むものが見られる。この光はシルクスの塔に似ている、むしろそのものじゃないか。
「あなたなら気付いただろう。ここはクリスタルタワー……シルクスの塔にある、地下水源の近くだ」
「地下水源?シルクスの塔にそんなものがあったのか……」
「ああ。クリスタリウムの水はほぼ全てここから賄われている、文字通り命の水だ」
そう言われると、確かにシルクスの塔に突入した時にもあちこちから水が流れ出ていた気がする。当時は水の出処について、アラグの謎技術はすごいなぁとしか思っていなかったが、独自の水源を持つとなると納得出来る。
だが、シルクスの塔は、原初世界では霊災に巻き込まれて地中に埋まっていた時代もあったらしい。おまけに、第一世界という本来とは異なる地盤に来ても尚、豊富な水源を維持している仕組みは理解出来そうにない。
ただ、それでクリスタリウムの街が潤っているなら、守り手たちに願われたように、正しい活用が出来ているのだろう。
「お水きれいだねぇ」
「公、これさわってもいい?」
ミステル族の子がドラン族の子と手を取って、水面を指さして水晶公にお願いをくり出した。二人はもう堪えきれないという風に舟の縁に手をついて、偉大なる魔導士のお許しを今か今かと待っている。
床面にも壁と同じ材質が使われているのだろう、底が淡く光って水面を揺らしていて、幻想的な雰囲気は好奇心をくすぐられる。この子たちは良い冒険心を持っているようだ。
「ああ、もちろんだ。すまないが、落ちないように支えてやってくれないか」
「分かった。こっちおいで、だっこしてあげる」
水晶公はまた杖を振り、舟を進めていた波を宥めて古い水路の真ん中に静止させる。まるで自分の手足のように波を操る彼は、まさに賢人らしい姿だ。
舟を揺らさないように、ゆっくりにじり寄ってきてくれたミステル族の子の小さな体を抱き上げて、水面にふれられるところまで一緒にそっと体を倒す。
重みが偏っても舟がぐらつかないのは、波を操る彼のお陰だろう。水の中に古く馴染むエーテルと、彼のものを感じた気がした。
腕の中で大人しくしていたミステルの子は、最初はこわごわ指の先だけで水にふれていたが、そこにある何かを感じ取ったらしい。その内、撫でるようにやさしく手の平で水をかきまぜるようになった。
「気持ちいい?」
「うん!つめたくて、やわらかい!」
「ぼくもさわるぅ」
「はい、じゃあ交代ね」
ほう、と満足げなミステルの子を水晶公の足元に降ろして、今度はドラン族の子を抱き上げる。小さなメープルの葉のような手でぺちぺちと水面にふれていた彼も、やがて幼いながらも労るような手つきになった。水に何かがいるかのように、やさしく何度も撫でつける。
満足したと言うように、こちらを振り返ってにっこり満面の笑みを浮かべたドランの子を舟に降ろす。ぴぴぴ、と手を振って自然乾燥を試みる彼がじっとこちらを見詰めている。
「あのね、闇の戦士様もお水さわる?」
「……そうだな、折角の機会だからさわっておこうかな」
「じゃあ、ぼくたちが持っててあげるね!おちたらあぶないから!」
水晶公の足元から身軽に動いてきたミコッテの子も一緒になって、私の上着の裾をしっかりと握ってくれた。小さな手が四つ並んでいて可愛らしい。
「ありがとう、二人のお陰で安心してお水にさわれるよ」
もし落ちてしまってもコウジン族の加護のお陰で溺れることはないのだけど、子どもたちのやさしい気持ちが嬉しくて、思わずそのふくふくとした二人の頬を撫でてしまった。二人の驚いた顔に、そんなに親しくもない奴の、しかも決してやわらかくはない手では嫌がられただろうか、と後悔した次の瞬間。二人して頬を真っ赤に染めて、きゃあきゃあと黄色い声をあげていた。
「……あなたも大概、子どもの扱いが上手い……いや、あんたのはただの人たらしだな」
溜息と共に呆れたような声が降ってくる。一部始終を見守っていた彼の表情は、何ともいえないものが浮かんでいた。そう、それはクリスタリウムの若者とリーンが話しているところに出くわしたサンクレッドと同じ表情だった。
「……その、お父さんごめんなさい?」
「もう、ふざけていないで。水、さわるんだろ?」
「あ、はい……」
くっくと喉奥で笑う彼の視線を背中に受けつつ、子どもたちにつかまえてもらいながら手を水に浸ける。普段、籠手に包まれている指先はとろりとした水の感触を敏感に拾った。魔術はかじった程度の私でも分かる、ここの水は強いエーテルを含んでいる。
強すぎるエーテルは、必ずしも心地よいものではない。特に自分と相性の悪いものなら悪酔いするような感覚に陥る。だが、ここの水に溶けているそれは力はあれど、心地よささえ感じる。
「……よく分からないけれど、アラグってすごいな……」
「もしや、何か感じたのだろうか?」
「強いエーテルが溶けてるってことくらいかな。詳しく調べるなら、ヤ・シュトラやウリエンジェを呼んだ方がいい」
「そうか……また機会を作って声をかけよう」
新たな冒険の匂いを敏感に感じ取ったのだろう、自称老人の彼は目を爛々と輝かせて、しかしすぐ側にいる子どもたちに向き直るとやさしく微笑んで見せた。
「さあ、そろそろ戻ろうか。みんなが心配してしまう」
「はぁい」
来た時と同じように杖を光らせて、ぐんと舟は進む。元のルートに戻っていく舟はゆらりゆらりと心地よい振動を伝えてくる。舟が水面を割く度、名残惜しむような光が瞬いていた。
出発地点に戻ってくると、何やら人がたくさん集まっていた。舟を用意してくれたエルフ族の人や、ライナたち衛兵団の団員たちまでいる。はぐれ罪喰いの襲撃か、はたまた未知の敵の出現だろうか。
「あっ!水晶公!」
「戻ってきたぞー!」
こちらに気が付いた彼らの驚きや安堵の声が一斉に沸き上がる。そして、ライナの鋭い視線がただ一点に刺さっていた。美人が厳しい表情をすると背中がシャンと正されるような迫力がある、などと思考が明後日に逃避したところで、熱視線を一新に浴びている我らが水晶公を見上げる。
「……水晶公、ライナさん怒ってない?」
「………少しばかりゆっくりしすぎたかな……」
努めて軽い調子を装う声は隠しきれない動揺で震えているし、垣間見える尻尾は体に巻きついている。おもむろにフードを目深に被りなおしたせいで耳は見えないが、きっとぺしゃりと畳まれてしまっているのだろう。子どもたちは特に気にした風でもないところを見ると、とっくに見慣れている風景でしかないのか。
岸に近付くにつれ、徐々に口元が強張っていくのが見て取れる。外交も器用にこなしていた水晶公も、孫娘には型なしらしい。
「公、どうしてこんなに人が集まっているかお分かりですか?」
「……すまない」
「闇の戦士様と子どもたちと遊べるからといって、羽目を外しすぎですよ、もう」
「ライナ、みんなも。心配をかけてすまない、怪我などはないから。各々持ち場に戻ってくれて構わない」
しょんぼりとしながらではあるが、きびきびと集まった民たちに言葉をかけながら、日常へ戻るように道を示す。その間も波を操って小舟をゆっくりと接岸させてくれたので、お小言を浴びている彼に代わって、子どもたちを舟から降ろしていく役目は請け負うことにした。
どうやらツアーに参加していた他の子たちは既に帰路についたらしい。人一倍安心した表情をしているエルフの彼の周りには衛兵団員や園芸館の職員たち、大人しかいない。
「二人とも、今日はありがとう。お陰で楽しかったよ」
「わたしも!あのね、またどっかいこうね」
「ひみつきちおしえてあげる!」
「秘密基地!楽しみだなぁ」
少し遠くから名前を呼ばれた二人は呼んでくれた声を、両親を見つけて駆けていく。今日のパーティメンバーの二人は、やがて見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「子どもたちを帰してくれたのか、ありがとう」
「いいんだ、気にしないで。あの子たち、楽しかったって」
「そうか、よかった。なら、怒られた甲斐もある」
少ししおれてはいるものの、まだ目には冒険で得た光の残照をたたえている。大事な孫娘をあまり困らせてほしくはないけれど、楽しそうな彼が見られるなら、次は一緒に怒られてもいい。
「そうだ。ライナからもう今日は仕事にならないだろうから休め、と資料を取り上げられてしまったのだ。よければ、これから食事でもどうかな?」
「いいね。そういえば、お腹ペコペコだ」
街の歴史やアラグの遺構のこと、聞きたいことは枯れることを知らない地下水脈のように湧き出てくる。彼が私の戦歴を聞きたがるように、私だってグ・ラハが水晶公としてこれまで辿ってきた足跡を知りたいのだ。
続きはエールで滑りを良くした後で、彼自身の言葉で聞かせてもらおう。