敏腕まじない師の人生相談室

研究者という職業は私にとっては天職だと言える。

だって好きなものを好きなだけ調べて突き詰めていればそれがそのまま街の、ひいてはこの理をなくしかけた世界の未来のためになるのだから、これ以上やり甲斐のある仕事を私は考えられない。

ただ、ちょっと。少しだけ行き詰まっただけだ。

錬金術を活用して、作物に暑さや寒さの耐性をつけるアイディア自体は悪くないはずだ。水晶公から貸していただいた書物にもそういった試行錯誤が過去にあったことが書かれていたし、そこからいくつかヒントを得て、計画の精度が増したところもあった。だから、理論上は間違っていないはずだった。

でも、何かが足りずに実験は失敗続き。夜が戻ったとはいえ、まだ豊かとはいえない資材を無駄にしてしまったことにひどい罪悪感と無力感を感じて、吐き出さないとどうにかなりそうだったアイディアも遂に泉が干涸びるように出てこなくなってしまった。

私は公のご同郷の方々のように天才でも秀才でもない。今までだって数えきれない挫折や無力感を味わってきた。だから、こんな多少の挫折で心が折れるなんて、ないはずだった。

先輩に息抜きをするようにと言い渡された折角の休暇も部屋でゆっくりしようにも何だか心休まらず、つい街中をふらふら宛てもなく散歩しても何処か居心地が悪くて、そういえば先輩から美味しいドリンクがメニューに仲間入りしたと聞いていた彷徨う階段亭でようやく落ち着くことが出来た。理由をつけないと休めないなんて、自分の不器用さに改めて溜め息が漏れる。

噂のパープルカロットジュースに見えない手で渦を作って弄びつつ、飲み終わったら博物陳列館に行って本でも読もうかしら、とふんわり考えていると不意にテーブルの向かいに誰かが座る。他にいくらでも席は空いているのに一体誰かと見遣ると、星のような綺麗な装飾に彩られた夜空のように黒く揺蕩うローブを纏い、口元をヴェールで隠したエルフの男性が柔和な笑みをこちらを向けていた。
「ご機嫌麗しゅう、お嬢さん」
「あ、公のご同郷の……?」
「いいえ、私はしがない敏腕まじない師……ここで極稀に星の力を以って占いをしております」

シャッとどこからか取り出した数枚のカードを私に見せつつ、なおも微笑む自称敏腕まじない師さんはやさしげな雰囲気だというのに何故か怪しい。ヴェールをしていても、その特長的な装束で正体が隠せるはずがないのに面白い人だ。
「さあ、私のことは良いのです。お嬢さん、あなたは大いなる壁を前にしているのでは?それも、天職と定めた自らの役目のことで」
「えっ、どうして分かったんですか……?」
「ふふふ……全ては星々が囁き、私に報せたこと……差し支えなければ、そのお悩みをお聞かせくださいませんか?さすれば、道が拓けることもありましょう」

カードを机に並べながら、深い森のような静謐さを含む声とやさしい笑みに促されて、何故か知られていた内側にわだかまるいくつかの黒点がぽつぽつと表出してくる。もしかしたら、私はその言葉を待っていたのかもしれない。

研究で行き詰まっていること。底が見えてしまったアイディアの泉は他に水源がある気がしていること。そして、それは最近気になっている魔法や新しい人々と交わることで掘り当てる術を得ることが出来るのではないかと薄々感じていること。

でも、街に眠る家族を置いて行きたくない気持ちがあったり、自分がクリスタリウムを離れることで周りに迷惑をかけるのではないかという危惧があること。

きっと初めて話す人に打ち明けるようなことではなかったかもしれないけれど、促されるまま話し続けていると霧が薄くなるように、少しだけ頭がすっきりしてきた。
「──お聞かせいただき、ありがとうございます。さて……もう御自らの中に答えはお持ちやもしれませんが……この敏腕まじない師があなたに寄り添う星を解き明かし、微力ながら支えさせていただきましょう」

そう言うと敏腕まじない師さんは颯爽と椅子から立ち上がり、腕を広げたかと思うとさっきまで机の上に置かれていたカードが眩い光を放ちながらぐるぐるとその長躯を囲み、やがてその中の一枚が手の中に収まった。同時に敏腕まじない師さんの頭上に浮かんだ模様──瓶を持った人が見えた──から透きとおる水音が聞こえた気がした。
「……ふっ……やはり、あなたを護る星は水天座、サリャク。我らの故郷で知を司るこの男神はその手に携えた水瓶を以て、大いなる知を与える河を創り上げたという神話が伝わっております……」

カードを翻して見せてくれた柄は見たことがないほど緻密で、美しい男神がまさに瓶から大地へ豊かな水を放ち、大河を創り出そうとしていた。これが敏腕まじない師さんの故郷の神話の一幕なのだろう。初めて見るものなのに、まさに水のようにすっと体に馴染むような不思議な心地だ。
「さて、お嬢さん……あなたは岐路に立っていらっしゃいます」

一度大きな仕草で腕を横に振ってから、そうっと大切そうに水瓶のカードを私に向けてテーブルに置き、敏腕まじない師さんは真っ直ぐに琥珀色の瞳でこちらを見つめていた。そこで、ああ、この人も私も同じように内側に泉を持っているのかもしれないと感じる。
「このままクリスタリウムにて皆と力を合わせて知恵を高めるか……はたまた迸る知の探求心を満たす旅に赴くか……しかし、ゆめお忘れなきよう……いずれの道も必ずや、あなたの大切な方々を護り、導く力となりましょう」

そう言って、敏腕まじない師さんは水瓶のカードを再び手に取って向かいに座る私へと投げた。急なことでびっくりして目を瞑ってしまったが痛みはなく、むしろ淡い光に包まれた体の奥底に何かが漲るような、側にいた隣人が戻ってきたようなあたたかい心地がする。
「ここから先は貴女が紡ぐ物語。敏腕まじない師の占い屋はお役御免となります……我らの星が交わる時、再び相見えましょう」

パチンと敏腕まじない師さんが指を鳴らすと、いつの間にか私たちのテーブルを囲んでいたキラキラしたものが弾けて、真昼の酒場に夜空と澄んだ鈴の音とを作り出す。それはまるでレイクランドに夜が戻ってきた時のようで、胸の奥がじんわりと熱くなる。

お礼を言わなければ、と突然現れた小さな天球に奪われた視線を向かいの席に戻した頃には、既に敏腕まじない師さんはさっき見せてくれたカードに似たデザインの御符だけを残して姿を消していた。

あらゆる意味で不思議な人だった。でも、私たちの軌道が重なる時、きっとまた逢えるのだろう。

「ウリエンジェさん!」
「おや、丁度ご報告に伺おうとしていたのですが。わざわざ来ていただけるとは……」

お嬢さんとのひとときの語らいを終え、工芸館へと向かう途中、まさに会いに行こうとしていた人──件のお嬢さんの先輩が駆けてきた。息を切らして上下する背を撫でて宥め、次の言葉を待つ。
「ああ、無事に終わったんだな……ありがとう。だけど、すまん。実はこっそり見てたんだ……」
「ええ、気付いておりました。あの方のことを想われてのこと、私に謝罪をされることはございません」

数日前、博物陳列館で資料を探していた折、悩ましげに溜め息を吐きながら書物を抱える彼を見かけ、思わず声をかけたことから今回の依頼は始まった。以前の私なら考えられない、自ら外界との接点を持ちに踏み出す一歩はまるで我らが英雄のようで、私も存外アリゼー様やアルフィノ様、そして水晶公を言えた立場ではないと識った。

我らの持つ知識が何かの役に立つかと聞いてみれば、悩みの種は彼の後輩についてだという。優秀な後輩が不調に陥っていること、そして芽を出し始めた新たな才能に気付いたものの今のクリスタリウムの環境ではそれを伸ばすことが出来ないこと。道を示そうにも要らぬ誤解を生みそうで、どうしたものかと悩んでいるということ。
「なれば、私に一つ策がございます」

そうして始まった、名付けて『敏腕まじない師の人生相談室作戦』は数日の準備期間を経て実行となったのだった。

彼が後輩のお嬢さんに休暇を取らせ、占い師に扮した私が待ち受ける彷徨う階段亭へそれとなく足を運ぶように誘導する。緻密に計算された我らの計略は成功し、無事にお嬢さんへ彼の想いを伝えることが出来た。
「後はあなたと彼女次第……あなた方の行く末に星の加護がございますように」
「ああ、本当にありがとう!」

手を振る若き研究者に別れの挨拶を残し、その場を辞して眩く輝く碧き塔へと足を向ける。

彼らの結末を私は自ら探すことはないだろう。きっと胸の内に豊かな泉を持つ彼らであれば、いずれの道を選んだとしてもサリャクが然るべき結末へと至る知恵を示すのだから。