お揃い、あるいは無意識の話

誰しも苦手なものの一つや二つは持っているものだ。たとえそれがエオルゼア随一の、そしてオレの一番の英雄であっても人の子なら当たり前のこと。

彼は半日前からずっと机にかじりついて、うんうん唸りながら紙にペンを走らせ、傍らの資料を捲くっては大きな溜め息を吐いていた。ただでさえ大きな黒い角と鱗でかなり強面に見えるのに、眉間に皺が寄っているせいで見た目が大変よろしくないことになっている。

本人は至って真面目に仕事をしているだけなのだが、子どもに見られればきっとこの世の終わりのごとく泣かれそうな姿に思わず漏れた笑みをそっと隠して、マグを持っていない方の手で英雄の肩を叩く。普段なら近付いてくる足音で顔を上げる彼も余程余裕がなくなっているのだろう、気力が搾り取られたような弱々しい笑顔がまた愛しい。
「お疲れさん、ちょっと休憩しようぜ」
「そうする……うわ、もうこんな時間か」

書類や資料をガサガサと雑に端へ寄せて作ってくれた場所にマグを置く。彼の好きなステップミルク入りのカフェオレがふんわりと石の家の広間に香った。
「ありがと、グ・ラハ」

律儀に礼を言ってからマグに口をつける彼を眺めていると、うっすら目の下にくまが出来ていた。提出用にまとめられた書類の束の数を見る限り、かなり根を詰めていたことが伺える。すぐに無理をするのは本当にいつまで経っても変わらない。
「あとどれくらい?」
「……終わりが見えない……なんだこの量は……まさか、陰謀……!?」
「あんたが報告書くらい自分で書くって言ったのにサボったからだよ」

ガックリ肩を落とす様子に思いきり笑って、自分もマグを手に取る。
「なあ、オレも手伝おうか。あんたよりは得意な自信があるぜ」
「気持ちだけもらっておく。君だって忙しいんだから、休める時に休んどけ」

どの口が言うのか。抗議の声を上げる前にさっさとマグの中身を飲みきってしまった英雄は早速作業へ戻っていく。

手助けは断られてしまったが、何となく戦場とは違う種類の真剣な眼差しを見ていたくて、そのまま斜向かいの席をオレは陣取り続けた。頬杖をついてじっと眺める態勢に入っても、英雄は特に何も言わずペンを握る。

ここ一番の集中力は流石の一言で、もうオレが視線を注いでいることも背景と同じになってしまった。時折資料を見て息継ぎをする以外は記憶の海を延々と潜り続け、見た目にそぐわず繊細な筆で紙の上に記憶の風景を書き写していく。

普段からどんなに厳しい強行軍にいても、過酷な旅路にあっても紀行録をつけている筆まめだから、書くことに苦はないようだが、『報告書』という体裁が彼を苦しめていた。

英雄曰く、出来るだけ客観的に出来事だけを書くのが難しいらしい。ヤ・シュトラに提出したレポートが真っ赤になって返ってきたと嘆いていたことも記憶に新しい。

紀行録はいわば日記だ。自分の気持ちや覚えておきたいことを好きな言葉で好きなだけ感情を込めて書けば良いだけ、とは本人の談だが、それも難しいことだとは彼は気付いていないようだけれど。

不意に彼の紺色の髪、その一房がするりと垂れる。ろくすっぽ手入れをしていない硬い質感のそれが視界に入ると集中しきっている最中でも気になるのか、たまに落ちてくるそれを邪魔そうに払って、またしばらくすると落ちてくるのを耳にかけていた。

至極鬱陶しそうに眉間の皺がじわじわ深くなるのを見ている内に、一つ良いことを思いつく。
「なあ、こっち向いて」
「後でな。終わったら遊んでやるから」
「ちげーって。ほら、髪」
「髪?」

顔を上げた瞬間を見計らって、黒い角を避けて濃い紺色の髪に指を差し込む。びくり、と肩が跳ねたが特に抵抗はせずに黙ってオレが次に何をするのかを伺い待っていた。

誰に向いているか分からない、ちょっとした優越感に浸りつつ髪を梳いてやる手とは逆の方でウエストポーチを探ると、やがて指先に固いものがふれた。
「何するんだ?」
「良いこと。目ぇ閉じてて」
「ん」

彼が素直に目蓋を降ろしたのを確認して、ポーチからピンを掴み出した。自分の髪を留めているものと同じ、特に装飾もない何でもないピンだ。それを戦士の証と言っていた長い紺色にゆっくり挿していく。額から角の上あたりに前髪を流して、十字になるようにピンを留めれば書き物をしている間くらいは問題ないだろう。鍛錬の途中、オレと同じで旅が好きらしいピンはすぐ何処かに行ってしまうから、と予備を持っていてよかった。

最後にするり、と目の下のくまを親指で撫でてやると、流石に嗜めるように唇がゆるく引き結ばれる。
「はい、出来上がり。頭振ってみろよ」
「……おお?髪が落ちてこない!」
「それ、貸してやるから頑張ってくれ、英雄」
「ああ!ありがとな、グ・ラハ」

物珍しげにピンにふれる彼に似合ってるぜ、とか、ピンはお揃いなんだぜ、とか。いろいろ言いたいような気持ちは湧き上がるものの、何処か老成してしまった自分がそんな恥ずかしいこと言えないと待ったをかけてしまう。今はオレの方が彼よりも年下だし、この人相手に今更遠慮することなんかないというのに。
「あ」

一人悶々としていると俄然やる気を出した様子の英雄が声を漏らす。
「資料か?それか、飲み物のおかわりか?」

じっとこっちを見たまま微動だにしない彼を覗き込むと、何か確信を得たように頷き、身を乗り出してオレの耳元でぽつりと言葉を漏らす。
「……これ。お揃い、だな」

言いやがった。いろんなことが要因でオレが固まってしまったのを良いことに、英雄様はにかみまで見せてきやがった。

しかし、自分で言ってから恥ずかしくなったのか、無言でポリポリと自慢の角を掻きつつ、机越しに詰めた距離をまた元の位置に戻していった。
「……終わったら、もう一杯コーヒー淹れてやるよ」

さっきよりも随分と背を丸めて視界いっぱいに紙を見つめている英雄様のつむじに話しかけてやると、こくりと小さく頭が動く。おかわりのコーヒーには焼き菓子でもつけてやろう。