残りの手札

※サイト開設1周年記念企画のリクエストです。
※ティスタ・バイのお話(シチュエーション自由)

エーテライトを頼りに地脈から体を引き上げ、いつもより慎重に着地した。どこよりも豪華なエーテライトプラザに備えられた噴水の水面にブーツがふれる音と、腕の中の紙袋の中でガラス同士が擦れる繊細な音が重なる。

もう月が高くなっているというのにユールモアはまだまだ人出も多く、クリスタリウムとは違う種類の活気に満ちていた。アルフィノと一緒に、画家とその助手として初めて訪れた時よりもずっと雰囲気がやわらかくなった街の雑踏を進んでいく途中、顔見知りに声をかけられれば会釈や笑顔を返しながらも依頼品を壊さないように気をつけて人の合間を擦り抜ける。納品先であり依頼人のカイ・シルが待つキャバレー・ビーハイヴへ向かうため、足早にデッキへ出れば心地よいそよ風と月影が頬を撫でる。

歩調を緩めて、真円に近い月を見上げながら瞳にやわらかい光を浴びていると、同じように月をじっと見つめる姿が目の端に映る。この街で彼女以上に翡翠色のドレスが似合う人を私は知らない。
「ティスタ・バイ嬢、こんばんは」

歩み寄りながら熱心に月を見ている彼女の名を呼べば、ゆっくりとまばたきをした琥珀色が私を捉え、形の良い唇と共にゆるやかな半月を描く。
「やあ、君か。こちらに来ていたんだね」
「はい、カイ・シルに会いに」

そう言いながら腕に抱えた紙袋を傾けて中を見せると、ティスタ・バイは合点がいったように相槌を打った。
「そうか、君は腕の良い職人でもあるんだったね」

おもむろに伸ばされた細い指が紙袋の中身──カイ・シルの依頼で作ってきたキャバレーの土産品を一つ取ると、月明かりにかざして時折角度を変えて眺めはじめる。作ったものをじっくりと見られるのはいつまで経ってもなれないものだ。でも、悪い気はしない。

ガラスの球体の中にユールモアを象った模型を入れ、その周りをふわふわと紙吹雪を模した粒子が彩るそれはユールモアの門出を祝っているようで、我ながらよく出来ていると思えるお気に入りの作品だ。
「ふふ、きれいだな……これね、お客さんにもキャストにも評判が良いよ」
「本当に?嬉しいな」

最初は冒険の合間、戦う術以外にも身につけておいた方が良いかもしれないと思って始めた製作活動だったけれど、最近ではありがたいことに真正面に褒めてもらえることも少なくなくて、何でもやっておけば繋がっていくものだということを強く感じる。

嬉しさと照れではにかむと、ティスタ・バイも満足そうに微笑んでくれた。冴えざえとした月の光が彼女の横顔を照らし、薄紫色の髪をよく見せてくれていて、ようやく違和感とその正体に気付く。
「それにしても、キャバレーの外で会うなんて珍しいですね」

ティスタ・バイといえば、やはりカードゲームだ。カイ・シルへ納品をしにキャバレーを訪れると、彼女はいつだって定位置の机で誰かとゲームを楽しんでいる。机上で繰り広げられる小さな戦いに興じる彼女はとても生き生きとしていて、これまでに出会った何かに夢中になっている人たちと同じ輝きがそこにあった。カードを扱う手や、対戦相手との駆け引き。上品な仕草の裏に隠れた高揚感はきっと対戦相手を務めたものにしか分からないだろう。
「おや、私だってずっとあそこにいるわけじゃないさ。最近ではこうやって夜を楽しむ日だって少なくないんだ。それに……」

翡翠色のドレスに隠れて見えないヒールがデッキの床を鳴らし、スイ、と距離が詰められた。夜風が運ばれて甘い花がふわりと嫌味に感じないほどに香り、何故か頬に少し熱が生まれる。ティスタ・バイの琥珀色の瞳が固まったままの私の目をじっと見つめながら、ついさっきまで月にかざして見ていた土産品をそうっと紙袋の中に戻して、ツンと私の鼻をつついた。
「夜風が君を連れてきてくれないか、と空を見上げるのも悪くないものだからね」
「ティスタ嬢、あなたって人は……」

いよいよ無視出来ないほど顔に熱が集まってしまって、片手で顔を覆いながら大きく息を吐く。全く誤魔化しきれていない様子の私を見てクスクスと楽しげに笑うこのお嬢さんには、カードではともかく、魅きつける言葉では勝てる気がしない。悪戯っぽく笑う彼女に微笑みを返しつつ、降参と顔を覆っていた手を挙げれば楽しげな笑い声が上がる。
「納品の後でよければ、一勝負どうですか?」
「いいね、もちろんいつでも歓迎だ。ああ、でも……」
「でも?」
「もう少しだけ、ここで夜を眺めていっても良いかな。折角こんなに綺麗な月なんだから」

そう密やかな声音で言って、彼女は側の柱にもたれて夜空を仰ぐ。ノルヴラントをやさしく照らす月や星々の光が琥珀色の瞳に映っていて、それがどうしようもなく泣きたくなるような不思議な色を見せてくれていた。きっと言葉にすれば見えなくなってしまうだろうその色を留めておきたくて、私も彼女にならって空を振り仰ぐ。

今夜は月が随分と綺麗だ。