蝶よ花よ

※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

「……何してるの」

絞り出した声は想定よりも震えていて、まるで地を這うほど低くから穿つように放たれてしまった問いはあの人に拾い上げられても尚ふわふわとしていた。
「何って……働いてる?」
「そうじゃなくって!どうしてあなたがここにいるのよ!?しかも、そんな格好……!」

どちらかというと厳ついアウラ族の彼がこてん、と小首を傾げる仕草も何故か格好良く見える。普段、重めのコートや術士のローブをまとう人がいきなりエプロンとシャツ、そう、ギャルソン姿になるなんて反則すぎる。
「どうしたんだい、アリゼー。大声なんか出して……おや」
「おいおい、相棒。なんだ、その格好……くくっ」
「アルフィノ、エスティニアン!やっほー」

私の渾身の叫びを聞いても呑気に登場してきたアルフィノはあの人の姿を認めると、事もなげに微笑んでさも普通のことのように手を振り返していた。一緒についてきたエスティニアンは衣装に着られているな、なんて言ってニヤニヤしている。どうしてそんな普通にしてられるのよ。
「今日は二人で出かけていたはずだろう?」
「そう。たまたまご飯食べに寄ったら人手が足りないって言うからさ」
「それでウエイターか?全く、お前は仕方ないな……」
「ここの人にはお世話になったから。ほら、グ・ラハもあっちにいる」

ピ、とあの人が指し示した先には見慣れた赤毛のミコッテが見慣れない格好で注文を取っているところだった。ミコッテは小柄だけど体格がしっかりしているからか細身のシャツがよく映える。立ち振る舞いも都市の主として培った優雅な所作に固められていて、悔しいけれど格好良く見える。普段よりほんの少しだけ。それは身内の欲目という訳ではないらしいことは、彼が担当しているテーブルの女性客の熱視線からも明らかだった。

そのまま穴が空いちゃえばいいのにと思うほど熱いそれを難なく躱したラハは、店の入口で立ち止まっていた私たちにようやく気付いたようだ。注文を取り終えてお辞儀をしてからテーブルを離れたラハは、パチリとウインクを寄越してきた。何よ、気取っちゃって。
「昼食をいただきに来たのだけれど……席はまだあるかい?」
「ああ、丁度空いたところなんだ。風が気持ち良いテラスがあるから、きっと気に入る」
「だって。よかったね、アリゼー」
「うるさいわよ」

妙な笑みを向けてくるアルフィノに一撃お見舞いして、心なしか普段よりきれいな動きのあの人の背を追う。穏やかな陽光が射すテラス席に誘導してくれる背中になんだか寂しさを感じて目を上げてみると、いつも頭の高い位置で結わえられて黒い鱗の尾と同じように揺らめいている髪が大振りな女物のバレッタで留められていた。

女物のバレッタ。

あの人は誰よりも強くて、格好良くて、私の剣で、でもそもそも冒険者なんだから私の知らないところにいろんな知り合いがいることなんて今までもしょっちゅう、それこそ数え切れないほどあった。だから、親しい女の人の知り合いがいたって自然なことで、むしろいないほうがおかしい。
「相棒、ここのおすすめは何なんだ?」
「俺のおすすめは特製パエリア!海が近いから海鮮が美味いんだ」
「ほう。じゃあ、俺はそれにするかな」
「私はこのサーモンマフィンにしよう」

三人の会話が上滑りしていっている気がする。私も何を食べようか悩んでメニューを眺めてはいるけれど、文字が全然頭に入ってこない。あんな小さなことで情けない。
「了解。アリゼーはどうする?」
「…………」
「アリゼー?」

ぬっとメニューの端に指がかけられて引き下げられたと思ったら、あの人が私の顔を覗き込んでいた。もしかして呼ばれていたのなら、どれだけ呆けていたのか分からなくてボワッと顔に熱が集まる。
「っ!はっ、な、なに!?」
「ぼうっとして、大丈夫か?もしかして疲れが溜まってるんじゃ……」
「だ、い丈夫よ!何食べようか悩んでたの、本当に!」

そう?と首を捻りながらも、一旦身を離したあの人はメニューの上のいくつかに指を順番に置いていった。それを目で追う。ペスカトーレ、トマトシチュー、アップルパイ。
「俺のおすすめ。迷ったら参考にしてみて。どれも美味しいから」

パチリ、とラハがやったみたいにあの人からもウインクをもらう。他の人がやったら気障でむかっ腹が立ってもおかしくないのに、この人は妙に様になっているから困る。

ぐっとこみ上げるものを押し込むように、おすすめメニューにもう一度目を走らせる。どれも魚介がふんだんに使われた郷土料理とアレンジレシピみたいだった。名前と一緒に料理のスケッチが描かれているから、知らない名前でもどんなものが出てくるか分かりやすく工夫がされている。
「ちなみに、オレのおすすめはペスカトーレだ」

さらりとグラスと一緒にあの人よりも小振りな指先がメニューを指し示した思ったら、ラハがグラスを乗せたトレーを持ってテーブルに回ってきたところだった。
「グ・ラハ!お疲れ様。二人ともがおすすめなのだから、きっととびきり美味しいのだろうね」
「そうね……なら、それにするわ」
「かしこまりました、なんてな。じゃあ、もう少し待っててな」

ラハを私たちのテーブルに置いて、あの人は私の手からさらっていったメニューを片手に建物の奥の厨房へと消えていってしまった。揺らめく黒曜の尻尾と広い背中を見送ってから向き直ると、にこにこしているアルフィノ、さっきからずっとニヤけたままのエスティニアン、それに微妙にあたたかい視線を寄越してくるラハが目に入った。文句の一つでも言ってやろうかしらと口を開きかけた時、また一つ引っかかる。
「……ねえ、ラハ。そのピン、どうしたの?」
「ん?ああ、これか?」

ラハはクリスタルタワーから出てきた後、もう紅い目を隠す必要もないから、と前髪を上げるためにピンを使っている。ただ、鍛錬や外出、単純に石の家にいるだけでも何処かに行ってしまう小さなピンには困っていると言っていたから、いつそれが彼の髪から長い旅に出てしまっても惜しくないようにと特に装飾もないかんたんなものを愛用しているのだと度々口にしていたことを私は何度か聞いていた。

だけど、今日彼の髪を留めているのはタビスズメのチャームがついた小さな子どもが付けていそうな可愛いデザインのものだった。
「おや?随分と……その、可愛いピンだね」
「……あんまり見んなよ……」

三人分の視線を一身に受けて流石に恥ずかしくなったのか、ピンを隠すようにトレーを頭の上に被って小さく収まってしまったラハに私は勿論追撃を重ねる。
「あの人も見慣れない髪留めだったし。また二人だけでお揃い?」
「いや、ここのオーナーに借りたんだ……似合わねーのは分かってるから言うなよな!」
「……ラハ、そのオーナーって女の人?」
「え?あ、ああ……そうだ。前はリムサ・ロミンサのレストランで働いてた超一流の料理人なんだとさ。すげーよな!」

カフェのオーナーがあの人の調理師ギルドでお世話になった先輩であることや、身嗜みに厳しくてあの人もラハもカフェ店員として恥ずかしくないようにすっかり着せ替え人形にされたこと。聞かれてもいないのにラハはトレーを抱えて興奮気味に語ってくれた。エスティニアンの生ぬるい視線にも気付いていないみたいで、今だけはそれで良かったと思えた。
「っ!?やべっそろそろ行かねーと!じゃあ、みんなゆっくりしていってくれよ!」
「ありがとう、グ・ラハもあまり無理はしないようにね」

私たちも感じるほどに鋭い何かに弾かれるようにして、慌てたラハはそのまま勢い付けて次のゲストの元へと早足で向かっていく。見送った尻尾がぶわぶわに広がっているのが面白くて、思わず三人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「……よかったな、アリゼーよ」
「何が?」
「ふん……さあな?」

意味ありげに笑むエスティニアンに、さっきまで浮かべていたからかいの色はない。でも何だか悔しくてグラスについていた水滴で指先を濡らして、広い手の甲をつつき回してやった。

それでもなんとなく手持ち無沙汰で店内を見遣れば、料理を運んだり、注文を取ったり、呼び止められて少しだけ談笑をしたり、忙しなくも落ち着いた雰囲気の二人が花々の間を飛んで遊ぶ蝶のように、テーブルの間を動き回っていた。

あの人がテラス席を気に入るだろうと言ってくれたのはきっと景色が良いとか、風が気持ち良いとかそういうことなのだけど、私にとってはもっと違う良いこともあったみたいだ。

今は丁度お昼時。あの人が料理を持ってきてくれるまでもう少し時間がある。