焦げた朝ご飯
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。
オレの一番憧れの英雄は文字通り、東奔西走を体現するような人だ。
夜明け前に漁船に乗り込んでいたかと思えば、朝食はドマ町人地で米と味噌汁を平らげ、三国各地のリーヴカウンターで好奇心に任せて依頼を受けては速攻でこなし、道中で気になった人に話しかけて困りごとを解決して、アジムステップでは夜通し星を眺めてきたと言う。いくら物心ついた頃には両親と旅に身を置いていたとはいえ、これを数日の内、ともすれば一日で回ってしまうのだからその底知れない体力が恐ろしい。
てっきり暁の調査や討伐任務を生活の中心にしているのかと思っていたから、石の家にいることの方が珍しいのだとアルフィノがにこやかに教えてくれた時は驚いたものだ。
実際、時間が合った時にこうやって彼の所有するセーフハウスで一緒に過ごすようになってからも、途中でリンクパールが鳴って飛び出して行ってしまうこともよくある話だった。
そんな彼だから、何も予定のない日は本当に珍しい。
隣りのベッドで眠っている青年が寝返りをする衣擦れの音を聞きながら、何でもない日特有の高揚感を噛みしめる。普段は太陽と早起きの競争をしている冒険者だが、外が明るくなってもまだ夢を楽しんでいるようだった。ここが彼にとって安心出来る場所で、彼が手づから作ったふかふかで心地好いベッドだからだろう。
手を伸ばして、普段は何故か恥ずかしがって触らせてくれない彼の角にそっとふれる。自分のやわらかい耳とは違って、硬くてゴツゴツしている感触が面白い。しばらくその手ざわりを堪能していたが、口元がむずがるようになってきたので名残惜しくも手を離して、お寝坊さんのために朝食を用意するべくオレはするりとベッドを抜け出した。
朝食は何がいいだろう、と考えつつ好きに使っていいと言われている貯蔵庫を開くと、良い感じのウォルナットブレッド、それとプークの卵がいくつか見つかった。野菜がないが確か冷蔵庫にレモネードがあったはずだからそれを出そう。
二人分の食材を抱えてキッチンに入ると、雑に置かれたあの人のエプロンの隣りにきちんと畳まれた白いエプロンがもう一着置かれていた。昨日、一緒に夕食の片付けをした時はなかったはずのそれにはメモが載せられている。
『グ・ラハ
料理する時はこれを使ってください』
メモに目を通して数秒、ようやく内容が理解出来て思わず尻尾がぶわりと逆立つ。確かに体格差がかなりあるあの人のエプロンは大きすぎるな、と笑っていたがまさか。意を決して紐を通し、着けてみると丁度良いサイズだ。あの人がオレのために、オレにぴったりのエプロンを。そう自覚するほどにどうしようもない嬉しさで爆発しそうだ。
ひとまず落ち着こう。そう思って朝食の準備を開始することにする。しかし、手元が震えているせいで目玉焼きは潰れて、当たり前のように火加減が調節出来なくてウォルナットブレッドはやや焦げてしまった。エプロン一つでなんて無様なんだ、グ・ラハ・ティア。
「グ・ラハ……大丈夫か? すごい音だけど……」
寝起きで一段と低い声が裸足の足音と一緒に背後からかけられる。振り返ると長髪をとりあえず纏めるだけ纏めた寝ぼけ眼の英雄がふわふわ欠伸をしながら近付いてきているところだった。一人で大騒ぎしていたせいで起こしてしまったらしい。
「お、おはよう! 大丈夫、朝飯の準備してただけだから」
「おはよ……あ、エプロン気付いた? サイズどう?」
「ぴったり! ありがとう、この間の話覚えててくれたんだな」
「どういたしまして。俺のじゃエプロンが歩いてるみたいだったから……」
嬉しくて嬉しくて、ぴったり丁度良いサイズで着れているのを見てほしくてあの人に駆け寄る。まだ眠そうにうとうと目をしばたかせて、それでも満足そうに英雄は微笑んでいた。
「朝ご飯、用意してくれたんだな。ありがと」
「へへ、いっつも朝は任せちゃってるからな。あ、オレが運ぶから座って!」
早速運び出そうとする手の横から皿を攫って、さっさと先に行こうとしたら名前を呼ぶ声と一緒にツイ、と背中を引かれて咄嗟に立ち止まる。振り向こうとしたら何やらあの人はオレの腰あたりをじっと見つつ、何かしているようだった。
「縦結びになってた。もう良いよ」
「う、気付かなかった……ありがとう。あ、レモネードも取ってくる!」
「走らなくてもいいぞー」
くつくつ笑いながらかけられる声には尻尾で返事して、テーブルに皿を置いたらすぐにキッチンへ引き返す。短い距離なのに体が軽くて小走りにならざるを得ない。帰り道はピッチャーから中身が溢れないように意識的にゆっくり歩かないといけないくらいには、体が跳ねてしまっている自覚がある。
少なくとも座って待っていたこの人に隠しきれない程度には浮かれているようで、にまにまと少し意地悪い笑みを浮かべてオレを出迎えてくれた。
「ほら、早く食っちまおうぜ! いただきます!」
「ふふ、いただきます」
気恥ずかしさを誤魔化したくて必要以上に声を張ってやれば、あの人も笑って目玉焼きもどきに手をつけだした。この人ならもっと上手く出来ただろうに、目を細めて美味いと言ってくれるから舞い上がった気持ちがもっともっと高く舞い上がってしまう。今なら浮かれて何でも嬉しいオレもカリカリというにはやや焼きすぎたトーストを齧ると、流石に少し苦かった。