甘やかしたがり

※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

「アルフィノ」

少し遠くからよく通る声に呼びかけられる。振り返れば満面の笑みを顔全体に貼り付けたあの人が円蓋の座で紙袋を片手に手招きしていた。

ああ、この顔は何か言いたいことがある時だな、と短くない付き合いの中で知ったあの人の機微を読み取る。きっと気付かれていることには気付いているのだろうけれど、あえて何も知らない振りをして彼に近付いていく。
「やあ、買い物帰りかい?」
「そう。アルフィノは博物陳列館からの帰りか?」
「ああ、そうだよ。司書の方から文献を借りてきたんだ。君も読んでみるかい?」

抱えていた数冊の内、好きそうなものを一つ取って手渡すと彼はパアッと表情を明るくして、すぐに何かに気付いたように元の満面の笑みに戻ってしまう。残念ながら彼が大好きな本でも気を逸らせなかったようだ。
「ありがと、後で読ませてもらう。ちなみに、この後の予定は?」
「そうだね……特に急ぎの用事はないよ」
「ならよかった。ちょっとついて来て」

何処へ、どうして、という疑問を挟ませることなくガシリと大きな手に肩を鷲掴みされ、そのまま彼の望むままの方向へと引っ張られていった。この人の満面の笑みも相まって、端からは水晶公の同郷同士が仲良く街を散歩しているように見えることだろう。その実、彼は何か穏やかでないものに突き動かされているのだけれど。

普段自分が歩くより数倍速いペースで景色が流れていくのを楽しんでいると、彼はスウィートシーヴ果樹園の一角で足を止めた。中休みの時間帯なのだろう、作業をしている人はおらず、さわさわと風に揺れる木の葉の音が心地好く耳を楽しませてくれる。
「この辺でいいか……」
「何がだい?」

キョロキョロと周りを見回して何かを確認していた彼がぼそりと呟く。一体何のためにここまで連れてこられたのかも分からないままだが、そろそろ教えてくれる頃合いだろう。まだ私の肩を掴んだままの彼を見上げて声をかければ、ますます笑みを深くして視線を落としてくれた。
「こういうこと」
「え、うわっ!?」

突如足がふわりと浮き上がる。いや、足だけじゃなく体が浮いて、まさに地面へ叩きつけられようとしていた。ぶつかる!と腕の中の本を抱き締めて痛みを待つけれど、その瞬間は来ない。代わりに背中に添えられた大きな手に導かれて、ゆっくりと体は地面に横たえられていた。しかも、頭はやわらかいような固いようなものに乗せられているようで、確認のために身動ぎしてみるとなんだかこそばゆい。
「はは、膝枕が気に入った?」
「膝枕!?」

真上から降りてきた声に目を見開いて視線だけを横に滑らせると、なるほど、彼の言う通り膝枕をされている。状況を把握するほど顔に熱が集まってくる。こんなにくつろいでいる姿をアリゼーに見られたらと思うと少し恐ろしい。
「す、すまない! すぐに退くから……!」
「こらこら、動かないで」

咄嗟に起こそうとした上体は彼の手に抑えられてびくともしない。純粋な力比べで私が勝てるはずもなく、抵抗する力はすぐに弱める羽目になってしまった。諦めきって真上にある彼を見上げれば、角から覗く眼尻がやわらかく細められているのが見える。
「アルフィノ、最近はゆっくり過ごす時間も取れていなかっただろう? 少し我儘きいてくれよ」

サラ、と目にかかった私の前髪を避けてくれた先には彼の穏やかな表情が浮かんでいて、それはかつて雪深いクルザスの夜に、聖竜を訪ねる旅路のひとときに見たものと同じだった。

彼の言うように、最近は星見の間に籠もって研究を進めている水晶公の手助けをしているために、個人の時間を持てていなかったかもしれない。それはつまり、『闇の戦士』ではない彼との時間を持てていないということとほぼ同義。

それに気付けば、甘えるように手の甲で私の頬を撫でる彼に言えることは一つだけだ。
「……そうだね。話をしよう、出来るだけたくさん」

サアサア、と木々を揺らす風に混じってそう伝えれば、翡翠色の瞳が嬉しそうに細められる。

それからはゆっくりと互いの近況や気になったこと、嬉しかったことなど他愛のない会話を交わした。決して義務感からではない言葉の遣り取りには確かにあたたかい温度が、血が通っていて、それを感じられることがどんなに貴いことなのかを噛み締める。

しかし、穏やかな陽の光が午睡の遣いを寄越したのか、うつらうつら、と舟を漕ぎだした彼の頭と同じ調子で、視界の端を黒い鱗がふよふよ行きつ戻りつし始めた。
「眠いのかい?」
「うん、そうだな……」

頭上で返事を漏らす口元は既に眠気でゆるまりきっていた。随分年上な人が見せるあどけなさに、どうしてか呆れからの溜め息よりも小さな笑みが漏れる。
「こんな佳い日和だ、私も居眠りしてしまいたいな」
「……ね、良いよな……」

そんな私の誘い文句を待っていたかのように、眠気のまま倒れ込んでしまえばよかったものを、律儀に私を膝の上から持ち上げて彼の倒れ込んだ芝生の横に降ろし、きっちり寝かしつける態勢に入ってしまった。やけに手慣れた様子だったが、もしかして冒険者稼業では子守なども請け負っていたりしたのだろうか。

問おうにもその冒険者は既に夢の中。さっきよりは近い頭上にある頬を指でつついても起きる気配がないどころか、ふわふわと大欠伸をうつしてくれた。噛み殺せなかった欠伸は風にさらわれて何処かへと連れ去られていく。不安になるほど穏やかな午後だ。

そんな私の勝手な不安もよそに彼はすうすうと規則正しい寝息を立て出している。隣りで横たわる私ももう抗えないほど目蓋が重くなってきた。ゆっくりとまばたきを繰り返し、ようやく目蓋を落とすその瞬間まで幼ささえ感じる素顔を眺めていよう。