彼らのセレネイド

折角だから、と渡された服に袖を通す。糊のきいたシャツ、夜闇で染めたような深い藍色のジャケットとスラックス、そして白いネクタイ。いつも重くて分厚い装備を身に付けている自分にとって、どれもこれもがひどく頼りなくて、心地よい肌ざわりだった。今日ばかりは武骨な斧も大剣も天球儀も、全部ぜんぶ部屋で留守番。

ネクタイとの激しい戦いを制した後、空っぽの受付を横目に居住館を出ると、賑やかなクリスタリウムの街は輪をかけて活気づいていた。ガラスになっている屋根を見上げると、穏やかな光が注いでいた。嗚呼、佳い結婚式日和だ。
「おはよう、アルフィノ!」
「おはよう。ああ、晴れ着がよく似合っているよ」

エーテライト・プラザに至るまでに見知った背中を見つけて声をかけると、彼もまたいつもとは趣の異なる、白を基調とした衣装に身を包んでいた。服に着られている私とは対照的に、妙に着慣れた雰囲気のアルフィノを見て、そういえば彼は良家のお坊っちゃんだったことを思い出す。
「ありがとう。アルフィノもいつも以上に格好いいね」
「ふふ、ありがとう。きっと、エスティニアン殿が見たら『ふん、馬子にも衣装だな』とでも言われそうだけどね」
「あっはは!今の似てる!」

他愛もない会話をしつつ、二人でエクセドラ大広場の片隅でその時が来ることを待っていると、やがてエーテライト・プラザの方向から大きな拍手が上がる。

街の東西に分かれて仕度をしている花婿と花嫁が落ち合うエーテライト・プラザ。クリスタルタワーに次ぐ街のシンボルと言える、地脈の錨を囲うように通路が作られている円蓋の座は、街一番の幸せを一目見ようと街中から集まった人々で埋め尽くされていた。

長い長い年月をかけて平和を手に入れたクリスタリウムは、ようやく役目を果たすことができた純白に身を包んだ彼らへと惜しみない祝福を贈っている。それに応えるように二人はエーテライトの前でやわらかく腕を絡め合い、幸せが溢れる笑顔で見物客たちに手を振っている。

これから二人はクリスタルタワーへと歩み、ドッサル大門の前で祝福を受けることになっているらしい。

彼らは普段、クリスタリウムに詰める衛兵であり、厳命城で兵士たちの命を預かる医師だ。長く敷かれていた臨戦態勢が解かれたことを機に、夫婦の契りを交わすことになった二人がそれぞれの上司へ報告に行ったところ、とある人の提案で街を挙げての結婚式を執り行うことになったという。光の氾濫以前の平和な時代のように、誰もが幸せを我慢しなくてもよくなったのだと皆に報せてほしい、と。

さて、いよいよパレードが始まるようで、新郎新婦二人が肩を並べて段差を降りる。すると、待ちわびていたように、どこからともなく花びらが空を舞い始めた。降り注ぐ薄縹色はまるで二人を祝う恵みの雨のようだった。最初は驚いた様子を見せていたクリスタリウムの人々も、決して悪意のあるものではないと分かったのだろう。美しい光景に大きな歓声が上がる。花に混じるやさしくてあたたかい光の粒子に気付き、雨を降らせた犯人を推して知ったのはきっと〈暁〉と私くらいだろう。

予定よりもやや遅れて、二人は花の雨を連れてクリスタルタワーへと歩を進めていった。

彼らを守り育てた街のようにあたたかい眼差しを注ぐ大人たち、そして転がるように走って後ろをついていく子どもたち。少し離れたところからこの幸福を見ているだけで、胸の底からこみ上げる熱い波にさらわれそうになる。
「美しいね」

傍らで同じようにパレードを見ていたアルフィノがぽつりと独り言のように言葉をこぼす。心の底から湧き出た言葉は音となって彼自身に染み渡ったのだろう。うっすらと潤む瞳に、彼だけの軌跡を垣間見た気がした。
「うん、本当に」

いよいよ二人は大門へと至る階段を登っていく。一歩ずつ、一歩ずつ。手を取り合って、確かめるように進む二人の姿を私はこれからずっと忘れないだろう。彼らがこの世界の未来そのものなのだ。

そして、二人は塔の主を前にする。

闇が訪れるまで頑なに取られることがなかった黒いフードは払われ、愛しさを隠すことのない深紅の瞳が二人に注がれている。水晶公はずっと待ち望んでいたのだ。原初世界の救済を掲げながら、この世界で確かに生きる善き人たちにとっての幸せを。
「二人とも、本当におめでとう。そして、本当にありがとう。クリスタリウム…いや、世界が新しい君たちを祝福している」

よく通る彼の声が紡ぐ言祝ぎがこの場にいる全ての人々に響く。深い愛情を乗せて、彼らと街の歩みを祝福する言葉。水晶公が鼓舞するように二人の肩を叩き、杖を一振りすると、雨のように降り続けていた花が弾け、キラキラとした光の粒子に転じる。それを合図にやさしい光が溢れる空に祝砲が鳴り響き、わっと一際大きな歓声が上がった。

そこからはあっという間に街中が宴会場に早変わり。そこかしこで乾杯が繰り返され、各種族に伝わる祝いの歌や踊りが繰り広げられている。どこの世界も人が集まる宴というのは同じ光景になるらしい。第一世界に渡ってから学んだ大切なことの一つだ。

アマロに手伝ってもらい街全体がよく見える高台に登って、眼下のエクセドラ大広場で始まった演奏会に耳を傾けつつ、適当に作った肴を片手にちびちびと麦酒を舐めていると、背後に気配が降り立った。
「こんな所にいたのか」
「よく見つけたね。誰にも場所を教えていなかったのに」
「それなりに探したさ。街の者たちもあなたが居ないと探していたぞ。それに、〈暁〉も久し振りに揃っているのに。一緒にいなくてもいいのか?」
「アルフィノたちとはさっき喋ったよ。それに、今日の主役はあの二人だからね」

自惚れでも何でもなく、私やアルフィノたちが街の皆に混ざると、きっと〈闇の戦士〉の旅の話を聞こうとしてくれるだろう。それは今日という日の主役にとって良いことではない。そう判断した私たちはしばし姿を隠しつつ、宴はちゃっかり楽しませてもらうことにしたのだ。今頃、双子たちと巫女、大人組はそれぞれの場所で宴を満喫していることだろう。

水晶公はそんな私の返事を聞きながら、隣りに腰を下ろした。少し服がよれているところを見ると、彼は熱烈な歓待を受けたのだろう。普段シャキッとして人々の前に立っている彼とのギャップが面白くて、少し笑ってしまった。
「……何が面白いんだよ」
「別に?それより……水晶公こそこんな所にいていいの?あなたこそ、みんなといなきゃ駄目じゃないか」

クリスタリウムに滞在している間、水晶公に関することに触れない日はなかった。噂話や目撃情報、リーヴ、子どもたちの遊びの中にも彼の影はあった。街の主であり、父であり、祖父であり、時に永遠の恋人である碧色を想う時、誰もがその目に信頼と親愛を滲ませていることに気付いたのはかなり早い時期だったことを覚えている。ただ街を作ったからというだけでは出来ない、ひとときも努力を忘れなかった彼だからこそ、繋げてこられた関係性なのだろう。
「今日をちゃんと楽しめているか、気になっていて。ずっと円の外側にいたようだから」
「もう、折角の結婚式なのに。私なんか気にしなくていいよ」
「そうはいかない!街を挙げての式なのだから、しっかり楽しんでもらわねば」

勢いよく私の正面に立ち上がった水晶公はぷっくりと頬を膨らませている。老人ぶる割にはその姿に似合う仕草だが、きっと彼自身は気付いていないだろう。
「……門の前でお祝いの言葉をかけていた時、すっごく格好良かった」
「本当に?よかった、直前まで何と言おうか悩んでいたんだ」
「そうだったのか。堂々としていたから分からなかったよ。それに、」

彼が立ち上がったまま正面にいたおかげで、届く距離にあった碧色に手を伸ばし、エーテライトと交感するようにそっと触れる。この気持ちが余すことなく伝わるといいのに、と願いをこめて。
「……あなたが、君がここに居てくれて本当によかった、と思った」

小さく息を飲む微かな振動が触れたところから伝わってくる。視線は上げないままでいるから、彼の表情は見えない。
「ありがとう、今日を君と迎えられてよかった」

碧に触れている手に、おずおずとあたたかい体温が重ねられる。言葉に乗せられない想いを伝えるように、じんわりとした熱が寄り添った。

二人の呼吸音を彩るように、誰かが爪弾く楽器の音と細い歌声が聴こえる。以前、ラケティカ大森林で教わった、夜を唄う古い詩歌だ。
「水晶公、一緒にこれからのことを考えよう。君を含めた、みんなが悲しまない結末を迎えるために」

ゆっくりと顔を上げて、深紅の瞳を見つめる。旧い願いを託された瞳は、真っ直ぐに私を見つめ返していた。
「……ああ。必ず共にそこへ行こう」

依然として状況は良いとは言えない。でも、彼となら。異なる響きを持つ彼となら一緒に結末を迎えられるかもしれない。

いつからか吹き荒らしていた酷い嵐が去る予感がした。