いつかお前のように笑ってみたかった

「もし、明日世界が終わるとしたら、何をしたい?」

カピトル議事堂からの帰り道、久方ぶりにアーモロートへ戻った同胞が唐突に呟く。溜まりに溜まった事務仕事を泣きながらこなしていたさっきまでの姿を微塵も感じさせない快活な表情とは裏腹に、声は妙に落ち着き払っていた。だからだろうか、隣りから投げかけられたそれが私へ向けられた問いだと理解するまで、少しばかり時間を要した。

永遠に近い時間を生きる私たちにとって、“終わり”というものは身近とは言い難く、まして世界が終わるなど考えたこともなかった。
「有り得ないことだが、なかなか面白い議題じゃないか。弁論館で議論してはどうだ?きっと皆、珍しいイデアに飛びついてくるぞ」
「お言葉だが偉大なるエメトセルク殿。想像出来ることは、全て起こり得ることだよ。それに、これはごく個人的な興味だから弁論館で話すつもりはないよ……さぁ、あなたは最後の日に何をする?」

いつも十四人委員会の仕事を放り出してはあちこちへ出歩いている落ち着きのなさはあるものの、会話をしていて相手の答えを急かすなんて子どもっぽいことは決してしないこいつが、珍しく言葉を待ちきれない様子だ。だが、今まで本当に微塵も考えなかったことに答えを出すにはあまりに問いが難しすぎる。

世界が終わる。この身が滅び、エーテルの海に魂が還るということ。

この目で何度も視てきたことではあるが、自分の身に起こるとなると想像がつかない。その時の私は一体、何を感じ、考えているのだろう。
「……難問だな。お前はどうする?」
「私はね、みんなで食事がしたい」
「食事?やけに呑気だな」
「きっと、そんな場合じゃないだろうね。でも、あなたとヒュトロダエウスと一緒に食事をして、お腹も心も満たされたい。それから、終わりを止めに行くよ」
「実に、お前らしいな」

心の底から感心してしまった。きっと最後の最後まで、こいつはこいつらしく在り続けるのだろう。周りの者たちばかりを心配し、自分のことは後回しにして、どんな苦境や難題に直面してもいつでも笑顔を絶やさず居続ける究極のお人好し。こいつはそういう奴だ。
「ちなみに、ヒュトロダエウスは仕事を放り出して昼寝するって」
「……あいつらしいな」

表情にこそ出さなかったが、内心驚いていた。

ずっと長い間、短くない時間を共に過ごした二人が私の想像の外にあるこの難題に一つの答えを持っているとは。万能に近い私たちの世界に在って、終わりが来ることを想像出来る者は決して多くないだろう。昏い世界を視る目を持つヒュトロダエウスはともかく、こいつは他の者たちと同じく悠久の時の流れに揺蕩う者だ。さしずめ、たまに発揮される妙に鋭い感性が光ったのだろう。
「それで、エメトセルクの答えは?」
「私は……そうだな、これは課題とさせてもらおう。私にとっては難題らしい」
「そうか……あなたの答え、楽しみにしているからね」

しかし、翌日あいつは例によってアーモロートを飛び出し、行方をくらませた。正確には行き先は分かっているが、また誰に一言残すでもなく冒険とやらに出ているらしい。海の向こうには十四人委員会の仕事よりも大事なものがあるというのか。
「今回は随分と長いねぇ」

窓際の席で己の管轄の書類を読んでいたヒュトロダエウスが気怠さを隠さない声音で呟く。遥かな空から注ぐやわらかな光が心地よいのか、ふわふわと欠伸まで付け足している。
「……何がだ?」
「もちろん、あの人が海を渡ってからさ。分かってて聞いているだろう?意地悪だなぁ」
「うるさい……余程あちらで気になることでもあるのだろう。何でも突き詰めないと気が済まないのはあいつの悪い癖だ」
「フフ、流石偉大なるエメトセルクはあの人のことなら何でもお見通しだね」

ふん、と鼻を鳴らして沈黙を促すと、ヒュトロダエウスは渋々といった様子で書面に視線を落とした。

旧友だという理由だけで、私の元へ持ち込まれるあいつの分の仕事に忙殺される日々ももう随分と長くなった。長期間に渡って職務放棄、もといアーモロートを不在にすることは今に始まったことではない。それが半分あいつの職務であることを差し引いても、今回のように全く音沙汰がないのは珍しいと言えるだろう。
「海の向こうと言えばさ、エメトセルク。あっちで“終末”が起こってるって話、聞いた?」
「ああ、最近噂になっているらしいな。十四人委員会もその話で持ちきりだ。お陰で他の議題が全く進んでいない」

“終末”と呼ばれる災厄は各地で散発している現象だと報告が上がっている。報告によると、大地が鳴き出すと同時に、私たち人間を含む生物すべてに異変が起こる。最後には炎が、獣が、あらゆる悪意がすべてを飲み込み、何も残らないという。

故に、『終末』。
「流石は当代の賢人が集う十四人委員会だね」
「既にいくつかの文化圏が跡形もなく消えている……俄かに信じがたいが、最優先で対策を講じる他ないだろう」
「ふぅん……それで、キミはどう考える?」
「私は、エーテルの異常だと考えている。十四人委員会も概ねその見解だが、まだ議論は十分とは言い難いな……だが、必ず有効策は見つかる」
「そうか。いやぁ、頼もしい限りだ」

ヒュトロダエウスはニヤニヤと、どこか腹が立つ笑顔を浮かべている。何か言いたいことがある時、こいつはこういう顔をする。嗚呼、気付いてしまった自分が厭だ。
「……何だ」
「偉大なるエメトセルク、もし我らがアーモロートにも“終末”がやってきたら……明日、世界が終わるとしたらキミはどうする?」

思わず、息を飲む。あいつが最後に投げかけてきた問いと全く同じだったというだけでなはい。

あの時、有り得ないと一蹴したそれがまさに今、目の前に迫っているという事実。もしかして、あいつは終末が訪れると知っていたのか。だから、海を渡り、未だに帰らないのか。胸の内側に冷たい風が吹き抜けるような心地がした。
「……その問いに、今の私は答えられない。お前と違ってな」
「おや?その口振りだと、さてはあの人からも同じことを訊かれたね?」
「ああ、あいつが発つ前日にな」
「そう……ねぇ、エメトセルク。ワタシはキミにも答えが見つかると信じているよ」

エーテルは口ほどに物を言うと、何でも見通しているとでも言いたげな視線が好きになれない。癪に障る笑みはいつのまにか穏やかさを感じるものになっていた。

逃げ惑う人々の波を掻き分け、カピトル議事堂へ向かってアーモロートの街を駆け抜ける。道すがら、瞬く命の輝きを見つけては避難所へと転移させる。同胞をこれ以上失うわけにはいかない。

きっと今、私は必死の形相を浮かべているのだろう。だが今更、感情を隠すことに意味などない。静を美徳とするアーモロートの民たちですら、周りを気にする余裕すらなく取り乱しているのだから。

災厄は私たちの予想をはるかに上回る速度で拡大を続けた。海の向こうは文明の影もなくなるほど、すべてが飲み込まれてしまったという。“終末”は遂に海を越え、あいつの帰還よりも早く私たちのアーモロートに押し寄せてきた。

はじまりは唐突だった。報告通り、大地が鳴いているとしか形容出来ない地響きにも似た何かが街を包み、それを合図にして世界が一気に崩れ始めた。創造魔法は理を失ったかのように暴走し、普段なら造作ない初歩的な術式ですら怪異に転じてしまうようで、私でも気を抜けば危うい。まるで大きな織物の端から糸がほつれ、形を失っていくように壮麗だった街並みは今や見る影もない。厳かで心地よい静寂が占めていたアーモロートは、人々の悲鳴と獣たちの咆哮に支配されている。

エーテルを視るもう一つの視界も酷いものだった。生き物すべてが持つ輝きが異様な色を放っている。恐怖と絶望に塗りつぶされた光は今まで見たことのないものだった。

これが、世界の終わりだというのか。

絶望に足が引きずられそうになる。あの問いに答えを。今の私を突き動かしているのはあの約束だ。嗚呼、流石にあいつでもこの状況では食事などと悠長なことは言えまい。

魔術に制限があるせいでいつもより時間がかかったが、カピトル議事堂が見えたところで、急に毛色の違う光が視界の端に飛び込んでくる。

忘れるはずもない。この魂のきらめきを見間違えるはずもない。

すぐそこにいる。そう気付いた時にはカピトル議事堂へ向かっていた足は光に向かって方向を転じていた。大声で名を呼んでも聞こえないのか、返事はない。

終末の獣の咆哮が一際大きく響く。

終わらせない。終わらせてなるものか。私たちの世界は、この光はまだ終わらせない。
「……エメト、セルク……?」
「お前!どうしてこんなところにいる?!早く議事堂に行け、あそこはまだ安全だ」
「ああ、ごめん。すぐに行くから。先に、行ってて」
「何を言っている!……お前、怪我をしているのか?早く来い、今すぐ治療を」

ようやく会えたあいつは両手を広げて、魔法で瓦礫を浮かせたまま動けないらしい。仮面が半分割れ落ちていて露わになった顔に血が滴っている。治療と避難をさせようと近づくと、動けない理由が分かった。足元に倒れたまま動かない状態の市民が数人、それと同じく動かなくなった獣が複数体。こいつはこの後に及んで、他人を助けようとしていたのだ。
「待っていろ。お前も必ず私が助ける」

まずは倒れたままの怪我人を一人ずつ慎重に転移させる。普段ならこの程度の人数、安全なところまで一気に転移させるどころかこいつの頭上の瓦礫すら消し去ることなど児戯に等しい。だが、私の魔法ですらいつ暴発するともしれない今、全神経を指先に集中させて冥界から深く流れを引き寄せる必要がある。親しげな水流に似たそれは、もう荒れ狂う奔流そのものだ。私たちは今まで一体何を扱ってきたのだ。

ぞわぞわと背筋を這う不快感に耐えながらようやく怪我人全員を転移させた頃には、瓦礫を支え続けているあいつの額に汗が滲んでいた。自身のエーテルが尽きかけているのか、息も荒い。
「次はお前だ。今、瓦礫を消す」

一瞬で終わるはずの分解もやたらと時間がかかる。質量のせいか、なかなか解けない瓦礫の塊に苛立ちが募る。
「ねえ、あの答え……聞かせてよ」
「後に、しろ……今はお前が先だ」
「いいから……お願いだよ」

聞いたことのない、温度を感じられない声に思わず肩が跳ねる。こいつはこんな声を、悲哀や絶望を含んだ声を持つ奴ではなかったはずだ。一体、海の向こうで何があったというのだ。ずっと隣りに居て、初めて触れる感情に私まで揺らされて、分解が止まりそうになる。
「ねえ、ハーデス」

名を。

どうして今、名を呼んだ。そう問おうと顔を上げたその時。ふつり、魂の輝きが一際強く視界を焼き、消えた。

耳をつんざく瓦礫が落ちる音ばかり、私を現実から離さない。

咄嗟に切り替えた視界で捉えた淡い光に手を伸ばす。だが、それは擦り抜けて、奔流の中に掻き消されていった。

あまりに暇すぎて博物陳列館に備え付けの本棚から手当たり次第に書物を手に取って読みあさっていると、思わず没頭してしまっていたらしい。のんびりクリスタリウムでの生活を楽しんでいる様子の当代の英雄様がのこのこと歩いているのに、随分近づいてくまで気付けなかった。

どうやら奴もこちらに気が付いたらしい。古き時代の見る影もない光が少し歩調を早めて歩いてくる様子に、思わず嘆息が溢れる。こいつには警戒心というものがないのか。それとも、他人を疑うことを知らないお人好しなのか。嗚呼、厭だ。
「こんにちは、エメトセルク。今日は昼寝してないんだね」
「おやおや、世界を股にかける英雄殿。これはご機嫌麗しゅう。まさか私なぞの普段の行動を認識しているとは。いやはや、その視野の広さには恐れ入る」

いかにも話しかけられるまで気付いていませんでしたよとばかりに、わざとらしく芝居がかった大仰なお辞儀をして見せると、英雄殿は苦い顔を浮かべた。どうやら英雄殿は芸術的な仕草がお気に召さなかったらしい。かつて子や孫が幼い頃はこうしてやると喜んだものだが、この年頃の奴の感性はよく分からないものだ。
「そういうのいいよ……読書?」
「ああ、第一世界の書物はなかなか面白いぞ。どこぞの英雄殿がなかなか大罪喰いを倒しにいかないお陰で、昼寝にも飽いてしまった私には丁度良い娯楽だ」

少しの皮肉を混ぜてやればすぐ表情に出る。油断しているのか、単純にこいつが足りないだけなのかはまだ量りかねるが、この様では交渉事には向かないだろう。哀れなものだ。
「それで?お前一人で私に会いにくるとは、水晶公の召集でもかかったか?」
「ううん。近くを通ったら、姿が見えて話しかけただけだよ」
「ふん、さしずめ世に混乱をもたらすアシエンたる私が何か悪さをしていないか見にきた、というところか」
「いや?別にそこまで思ってないけど……だって、あなたはそういうこと、しないだろう?」
「……知った口をきくな」

この英雄殿は妙に馴れなれしい時がある。距離感がおかしいとも言える。どうあれ、その絶妙な距離感がないない尽しのこいつを英雄たらしめる一つの要因となっているのは間違いない。この魂を持つ者の性質だとでも言うのだろうか。

ふと疑問が浮かぶ。魂、つまり根元が同じなのであれば、どう答えるだろうか。
「どれ、いつも質問されてばかりだからな。今日はお前に特別な問いを与えてやろう」
「急だな……」
「なに、簡単な問題だ……明日、世界が終わるとしたらお前はどうする?」

繰り返し自問自答を繰り返す羽目になったこの問いは、完全なる私たちにとっては非現実なものでしかなかった。だが、世界ごと魂が分断されて、いつでも死が寄り添っている不完全なこいつら“なりそこない”であれば興味深い答えを出すのではないか。
「明日世界が終わる、か……そうだな……」

素直に熟考するように口元に手を添えて、うんうん唸る英雄殿はしばらく悩んでいる様子だ。やがて、意を決したように目を開く。
「決まったようだな。さあ、忌憚なき意見を聞かせてみろ」
「うん、私はみんなとご飯が食べたい」

思わず息を飲む。咄嗟に呼吸を薄くしたお陰で目の前に居ても英雄には気付かれなかったようだ。何故だろう、全く異なる空気の場所なのに懐かしい匂いが鼻腔を掠めていったような気がした。
「ほう?お前ほどの英雄であれば、世界の終わりを止める、とでも言うと思ったがな。いやはや、身の丈を知り、早々に諦めるのは良いことだ。私たちの仕事も進めやすくなる」
「いや、誰も諦めるなんて言ってないよ?ご飯食べて、お腹いっぱいになってから立ち上がればいい。腹が減っては何とやらってドマの人たちも言っていたし」

嗚呼、本当に厭になる。

どうして、この英雄は--否、この魂はこうも諦めが悪いのだろう。どうして私を諦めさせてくれないのだろう。
「……無駄な足掻きだと、分かっていてもか?」
「うん、出来ることは全部するよ。たとえ一人になっても、ね」

呆れにも似た感情の発露は、溜息となって表出する。そんな弱々しい輝きしか持たない魂で、一体何を成そうと言うのだろう。幾度も、いくつもの世代を超えて繰り返してきた裁定は、いつも落胆させられる結果に終わってきた。きっとこいつも、こいつの仲間たちも合格に値する器である可能性は低い。
「ふん、なりそこないらしい答えだと評してやろう。精々その時には足掻いてみせるんだな」

ぐ、と何か言いたげな、だがそれを押し殺した眼差しを向けてくる。これに似た目を私はよく知っている。自分がこれに弱いということも。
「……何だ、言ってみろ」
「あなたは、何をするのかなって……」
「既に一度終わりを見た私に、それを問うか?」

少し意地悪く、わざと低い声を出してやると途端にしまった、と顔色を一変させる。くるくつよく回る表情にどこか懐かしさを覚えてしまい、心中で頭を振る。思考を散らすように言葉を重ねてやる。
「まあいい。お前の好奇心に免じて、答えてやろう」

口をついて出たものは自分でも驚く言葉だった。あの時は思いつきもしなかった答えが、何故この後に及んで浮かんだのかは分からない。災厄にすべてを奪われて以来、考え続けていた結果が出たのか、或いはあいつと同じエーテルを久しぶりに目にしたからか。

絶え間なく押し寄せるエーテルの奔流のように、同胞の顔が、失った者たちの顔が過っては消える。炎と後悔と、この身を満たす闇の力が掻き消していく。私の答えはこの中にあった。

すべてが終わる、その時に私ならば。
「……嗚呼、そうだ。その時、私は手を差し伸べるだろう」