熱を纏う人

意識が浮上すると同時に、自分が何処にいるのか把握していない恐怖に襲われた。

軋む体と未だにぼやける視界に違和感を覚えながらも、状況を把握しようと辺りを見回す。薄暗い中でも分かる程度に親しんだ天井と調度品を認めて、ひとまず息をついた。どうやらペンダント居住館に宛がわれた部屋で寝ているらしい。

首だけを動かして更に広く周りを見ると、丁寧にたたまれた服が懐刀と一緒に枕元に置かれていた。

なるほど、誰かがここまで私を運んで寝かせてくれたらしい。だが、何故こんなことになっているのかは分からないままだ。

さて、よくよく自分の状況を観察していると、お腹周りになんだかあたたかい重みがあることに気付く。少しだけ上体を起こしてみると、掛け布団の上に美しい銀の川が流れていた。肩にかけられた毛布からのぞく上着に青い色が見えるから、どうやら坊っちゃんの方が人のお腹の上で眠っているらしい。ぴすぴすと可愛らしい寝息が聞こえて、思わず頬が緩む。

これは竜詩戦争が終わった後、相棒の病室で頻繁に見た風景だ。まさか自分がされる側になるとは思わなかったが。

まだ起きるにも起こすにも早い時間らしいと、薄明かりが教えてくれている。一先ずは呼吸が辛くならないように少しだか体の位置をずらしてやって、毛布をそっとかけなおす。疲れが溜まっているのだろう、呑気な息遣いが聞こえるだけで起きる気配はない。

しばらくうとうと微睡んでいると、扉がそうっと隙間を作ってそこから人影が滑り込んできた。そろりそろりと足音を立てないように私たちがいるベッドへ真っ直ぐ近づいてくる。淡い光をたたえた碧色がゆっくり、額に添えられた。ひんやり、外気よりも低い温度のクリスタルが心地好い。
「おはよ、水晶公」
「……起きていたのか」

傍らで眠るアルフィノを起こさないように、声を潜める。深い森のように落ち着いた声音がいつもより少し近い距離で鼓膜を揺らす。
「うん、ずっとうとうとしていた。今は何時?」
「まだ夜明け前だよ。ところで、具合はどうだ?熱は?」
「?」
「まさか、覚えていないのか?」

ゆるりと首肯すると、思い切り盛大な溜め息をつかれてしまった。
「アム・アレーンからアマロポートに帰り着くなり、意識を失ってしまったんだ。原因は過労による発熱……ここまで運んでくれたアマロ使いの彼には、また今度礼を伝えてくれると嬉しい」

情けないことに言われて気付いたが、そういえば体が火照っている気がする。これはアルフィノがお腹の上に乗っているからではなかったらしい。
「それと……あなたが倒れたと聞いて、アルフィノとアリゼーが真っ先に駆けつけてくれたのだ」

水晶公はアルフィノの肩にかけられた毛布をかけ直しがてら、手に握られたままだった数字がたくさん書かれた紙片を取って、サイドチェストに避難させた。そうっと紙を摘まみとる仕草一つとっても、彼の優しさが滲み出ているようで、こそばゆいようなあたたかさが胸に広がる。
「アリゼーが夜通しあなたの側にいると言って聞かなくてね。夜中にアルフィノが交代で居るからと部屋に帰したらしいよ」
「そっか。起きたらお礼言わなきゃ」

碧が離れて、代わりに生身の手のひらが額に降りてくる。かつて母にしてもらったような仕草に、何だか気恥ずかしいような微妙な気持ちが沸き上がってきたけれど、今は大人しくされるがままになっておく。
「……まだ少し高いな。後で医療館の者も寄越すから、ちゃんと診てもらうように。いつもあちこち飛び回って落ち着きがないのだから、快復するまでゆっくり休むといい」
「……君だって全然休まないくせに」
「……返事は?」
「はぁい」

間延びした返事にも、いい子と言い聞かせるように髪をすいてくれた。彼の指先に呼ばれたように、引いていたはずの眠気の波が不思議とまた寄ってくる。
「あなたが臥せっていると、どうにも気になってしまう。早く元気な姿を見せておくれ」
「うん……何だかごめんね」
「ああ、どうか気にしないでくれ。ほら、夜明けまで時間がある。もう少しおやすみ」

言うや否や、しなやかに身を引いた水晶公はあっという間にサイドチェストの紙片をさらって、手の届かないところまで離れてしまった。
「では、私は戻ることにするよ。何かあれば遠慮なく言ってくれ」

彼はクリスタリウムの管理者として、文字通り日夜働き続けている。何かに追われるように、自分の休憩すら満足に取らない彼は、本来ならばこんなところに来られるような時間はないはずなのだ。
「ね、水晶公……」

眠気でとろとろになった目蓋を無理矢理開けて、既に扉へ手をかけていた彼を呼び止める。ゆるりと紅の尻尾が揺れる。
「ありがとう、またお礼させてね」
「……あなたが元気でいることが、私は何より嬉しいよ。さあ、今はゆっくりおやすみ」

お互いに手を振って、彼を見送る。ふわりと揺れる魔術師の衣の裾が見えなくなるまで、目蓋を開いて。

「……んー」
「おや、目が覚めたんだね」

次に目を覚ました時には太陽は中天を過ぎ、やや傾きかけていた。人のお腹の上で寝息を立てていた少年はしっかり覚醒して、ダイニングテーブルで魔導書を広げていたらしい。
「おはよう、体調はどうだい?」
「うん、スッキリ。ありがとう、ずっと付いててくれたんだね」
「どういたしまして。私に出来ることをしているだけだよ、いつもの君と同じさ」

好ましい答えが聞けたのだろう、彼はにっこりと爽やかな笑顔を見せてくれた。やっぱり彼らのような美人には笑顔が一番似合う。
「さあ、私はお湯をもらってくるよ。汗をかいただろう?体を拭うといい」
「ありがとう、助かる」

ひらひらと手を振って、早速部屋を足早に出ていこうとする彼の後ろ姿にふとあることを思い出した。
「アルフィノ」
「なんだい?何か必要なものがあるかな?」
「狸寝入り、バレバレだからね」
「…………」
「………………」
「……すまない、タイミングを逃してしまっただけなんだよ……」

アルフィノはガックリ肩を落とし、申し訳なさそうに眉をハの字にしてしまった。どのタイミングかは分からないが、水晶公が訪れた時にも身動き一つしない彼に怪しさを感じたのは間違いではなかったらしい。
「いや、むしろ気を遣わせてごめん」
「しかし驚いたよ。水晶公が君には特に甘いのは分かっていたつもりだけど……ふふ、アリゼーが知ったら怒ってしまうかもしれないね」
「……口止め料は元気になってからでいいかな」
「おや、そんなつもりはなかったのだけれど?」

白々しい態度を見せる天才少年に、ふっと笑みが溢れる。
「はいはい。イシュガルドティーでも調達してくるよ」
「本当かい?これは看病にも力が入るね」
「……君、そんな現金な奴だったっけ?」
「人は変わるよ、それは君がよく知るところだろう?」
「そうだねぇ、発進の号令をかけていた時からは考えられないほど成長したアルフィノくん」
「そ、それは止してくれ!」

次第に重なる二人の笑い声が、一人には少し広い居室を満たした。

「お湯をもらいついでに、アリゼーと水晶公にも君が起きたことを伝えてくるよ」
「ああ、なら水晶公に会ったら『他人の仕事までしていたら、またアリゼーの一撃が飛びますよ』って伝えてくれる?」
「やっぱり書類は彼が持っていったのか……!」