落ちてる
星見の間から続く深慮の間。
少し前までは仮眠くらい出来る空間が残されていたそこは、今やソウルサイフォンの研究に使うあらゆる文献、資料や史料の数々が持ち込まれているために、足の踏み場すらない。さながら戦場だ。隠者殿とウリエンジェに休息を取らせている間、流石に掃除でもしようと、気持ちと一緒に重くなる足を引きずって、何日か振りに星が瞬く広間へ出る。
「……ん?」
本来硬いはずの床の感触が、何故かやわらかい。もしや、星見の間にも荷物を侵食させていたのだろうか、と視線を落とす。
そこには、私が一番憧れる英雄が落ちていた。
そう、『落ちている』という表現が一番しっくりくるのだ。数々の冒険を乗り越えてきた強靭な四肢と大事な武器が無造作に投げ出されている。すわ光の暴走の再来かと、異常がないか診てみたが、健やかな息が漏れていることを確認出来ただけだった。どうやら、本当に落ちているだけらしい。ほっと胸を撫で下ろすと同時に、エーテリアルステップよりも速く動いたところを誰にも見られなくてよかったと安堵した。
「んん……」
音もなく騒いでいる間にも、英雄殿はもにょもにょとくぐもった寝言を漏らしながら、丁度良いポジションを探して身動ぎを繰り返していた。体の向きを変える度に服の装飾が床に当たってカンカンと軽快な音を立てているが、痛くないのだろうか。大層気持ち良さそうに寝ているが、冷たい床は体を冷やしてしまうだろう。そろそろ起こさなくてはいけない。肩に手を置いて体を揺すりながら耳元で声をかける。見た目は完全に酔っ払いの相手だ。
「こんなところで寝ていてはいけないよ。ほら、起きてくれ」
「んー……」
「んーではない。ほーらー、おーきーて!」
「……た……誕生日席は、嫌だ……」
「一体どんな夢を見ているんだ……こんなことで風邪をひいたら、医療館の苦いシロップを飲まされてしまうよ?」
「……シロップ、は、いかが……」
「要らないよ。もう、服がシワになってしまうから。早く起きておくれ」
「…………」
遂に寝惚けた返答すら出なくなってしまった。余程疲れているのか、頬をつついても無反応だ。少し前から何やら強敵に挑むとかで仲間を募っていると聞いているから、その疲労が未だに抜けきらないのだろう。
こうなったら起こすのは諦めて、気が済むまで寝かせる方が得策だろうか。ただ、問題は装備をフルで身につけた人間を一人で寝台まで運べる腕力も体力も私にはないことと、その運ぶ先の寝台すら資料に占領されてしまっていることだ。せめてもう少し軽装であれば何とか運べただろうが、全身ガチガチに固められてはどうしようもない。
気の毒だが、やはり起きて自分で歩いてもらおう。
「英雄殿、頑張って起きてくれ。こんな固いところではなく、ふわふわのお布団に行こう」
いささか乱暴だが、籠手をはめたままの腕を引っ張って何とか起きるように促す。籠手も重いが、脱力しきった人間の体の重さにじんわりと額が湿気りはじめた。
「……ふわふわ……」
「そう、ふわふわだ……多分」
魅力的な言葉に揺れているのだろう、うごうご床掃除を続ける様子をしばし見守る。
「……ぅぐ……わ、かった……」
「えらいぞ。さあ、頑張って」
生まれたてのチョコボのような弱々しさで何とか体を起こした我らが英雄殿の手を取って、寝台へと導く。目をしっかり開けていられなくても、足元の障害物を器用に避けているあたり、流石私の英雄だ。短い旅路を終えて辿り着いた寝台の端に一旦座らせて、大部分を占領していた資料たちをひとまず一まとめにして適当に床に置いておく。こうやって足の踏み場がなくなっていくのだ。
「よく頑張ったぞ。さあ、存分にお休み」
肩をやわらかく押して、お待ちかねのふわふわへと落としてやる。ぼふん、と顔から飛び込んだ重みでスプリングが悲鳴を上げた。活躍する頻度が決して多くなかった寝台も、やっと本懐を遂げられて満足だろう。
「……ゆっくりおやすみ」
佳い夢を見られるように願いを込めて、さわり心地の好い髪を撫でる。深くなる呼吸を感じて、何となく達成感を覚える。
さて、目を覚ましたら驚いてもらえるように、まずは手近な書類の整理へと乗り出すことにしよう。