今、声が聴きたい
※冒険者は男性寄り。種族の描写はありません。
クリスタリウム上空に大きな影がかかる。鯨のような大きな船体は、空を渡ってやってくるユールモアからの定期便だ。
アシエンに糸を引かれ、快楽と停滞によって堕落したかつての歓楽都市は、観光や貿易を武器に自立の道を歩み始めている。ユールモアの有志たちと縁のある旅人とが協力して実現した交易は、ヒトやモノの動きを活性化させ、光の氾濫から立ち上がろうとするノルヴラントにとって大きな推進力となるだろう。
事実、クリスタリウムの台所であるムジカ・ユニバーサリスや、知識と技術の最先端と言えるミーン工芸館はかつてない活気を得ていて、それぞれを統括するブラギとカットリスは毎日嬉しい悲鳴を上げながら帳簿両手に駆けずり回っていた。
皆が一様にこれからのために奮闘しているなら、少しでも助けになれば、と誰よりも奔走するのが彼──ノルヴラントの闇の戦士、そしてエオルゼアの英雄だ。
ある日は商隊の護衛、別の日は工芸館で使う素材収集や店に並べる商品の納品、また違う日にはエデンの調査。文字通り、ひと所に留まらず転戦を重ねていた。
今日は久々にクリスタリウムでの依頼、それも珍しいことにレターモーグリからの救援だった。
「旅人さん、お手伝いありがとクポ!今日はこれをお届けしてほしいクポ!」
そう言って、モーグリはその小さい体でどうやって運んだのか、どっさり手紙が入った木箱を青年の前に差し出した。パッと見ただけでも、青年には読めない文字が書き付けられた葉っぱからシーリングが施された封書まで、サイズや様式もさまざまな手紙が詰め込まれている。確かにこれは一人で配るには骨が折れそうだ。
「じゃあ、モグも配達に行くクポ!旅人さんもお願いしますクポ!」
真面目にお辞儀をしてから、慌ただしくポンポンを揺らしてモーグリは自分の分の手紙配達へと出掛けていった。まず近場の配達をしていたであろう、忙しなく人の間を動き回っていた大きな鞄はじきに見えなくなってしまった。
「さて、私も行かなきゃ」
配達先は手紙と一緒に木箱にメモを入れたと言っていた。この量を配達するのだ、受取人リストもきっとエレゼン族の身の丈ほどになっているだろう。青年はある意味の覚悟をして木箱を探ったが、見つけたメモはララフェルの掌ほどの紙片しかなかった。
もしかして豆粒ほどの文字でびっしり書かれているのかと若干不安を覚えながらメモを翻すと、そこにはただ一行だけの名前が記されていた。
「こんにちはー」
眩い青と金に彩られた螺旋階段に青年の静かな、しかしよく通る声が響く。
両手で抱えたままではノックが出来ないことに気付いた臨時レターモーグリは、恐らく星見の間にいるだろう隠者へ届くことを期待して訪いを告げた。
程なくして悠々とした足音が近付いてきた。ゆっくりと扉を開いた影に青年は微笑みかける。
「こんにちは、ウリエンジェ」
「これはこれは、あなたでしたか。ご機嫌麗しゅう。本日はクリスタリウムにいらしたのですね」
「うん、今日はレターモーグリ君のお手伝い」
原初世界にいた時と変わらない青年の物言いに、ウリエンジェは微笑みを返す。さりげなく青年から箱を引き取ろうとしたが、そこは避けられてしまったが。
すると、奥から青年が当初想定していたペタペタという足音が聞こえ、ウリエンジェの長躯の影からひょこりと善き隣人が顔を出す。
「おお、おぬしか。その箱は届けものかな?」
「全部水晶公宛のお手紙です、ベーク=ラグ様」
「この箱全て?流石、反抗都市の管理者は余程慕われているとみえる」
中を勧めてくれるウリエンジェの横をすり抜けた青年は、深慮の間へ通じる扉の近くの床に傷をつけないよう、そっと荷物を降ろす。つい職業病で扉の向こうの気配を探ると、確かにいるが音は聞こえない。
「水晶公は中で試作中?」
「えぇ。先程まではこちらに出ておいでだったのですが……擦れ違いになってしまいましたね」
「そうか……じゃあ、ひとまず仕分けして置いて行くから、また出てきた時に見てもらえるように伝えてもらえるかな」
「承知いたしました。必ずお伝えいたします」
「なに、もうしばらくの辛抱。おぬしはおぬしのことを成し、来たるべき時に大いに活躍しておくれ」
「ありがとう、ベーク=ラグ様」
もしかして分かりやすくガッカリしてしまったのだろうか、と青年は少し頬を染めて、二人から離れて手紙の入った箱へと近付いた。ララフェルなら二人は入るだろう箱に、これでもかと入れられた手紙の山を切り崩そうと青年は作業をすべく床に腰を下ろした。石材らしきアラグ時代の素材はひんやりとしていて気持ち良い。
青年が手紙に手をつけ出したことを見て、ベーク=ラグとウリエンジェも同じように自らの作業に戻ろうとしていた。だが、長身の彼はふと何かが気になったのか、自分の荷物から持ち出したふわふわとしたものを青年に差し出した。
「床に座っては冷えてしまいますよ。よろしければ、この敷物をお使いください」
「これは……東方のふかふかクッション!どうしてここに?」
「少しばかり繕い物をする機会がありましたので……不馴れ故、形は歪ですが座る分には問題ございません。さあ、どうぞ」
「ありがとう、ウリエンジェ」
青年が素直にクッションを受け取ると、すうと不器用そうに賢人の目元が細まる。初めて出会った頃よりもやわらかくなったウリエンジェの笑みを青年は好ましく思っていた。そこにこれまで関わった人たちの思い出を見るからだ。優雅なお辞儀を残してから自らの役目に戻っていったウリエンジェを見送って、青年もまた自分の作業へと手を出し始めた。
街中のさまざまな差出人から届けられた手紙は、見た目も雰囲気もそれぞれ個性的だ。
繊細な文字が浮かぶ上品な封書。
文字を覚え始めたばかりであろう子どもが送ってきたのだろう、質素な葉書。
葉っぱの山は何人かの妖精が一緒に書いたのだろうか。
大きさで仕分けをしていく中でたまに速達マークが入っているものは避けて、最後に引き渡す時に一番上に乗せて渡す心算だ。
青年は元々魔術師ではない。治癒魔法もイシュガルドで星を学んだことが始まりで、賢人の面々には決して敵わない。それでも敵意を感じることくらいはできるだろう、と手紙にふれた時にエーテルを探りながら作業をしていた。
しかし、青年はその疑いの気持ちが全くの杞憂だったと、逆に申し訳なくなる。
手紙には差出人から受取人への気持ちが、たとえ無意識であってもエーテルとなって込められる。クリスタリウムの人々から水晶公に宛てられた手紙には、あたたかくて活気があって、手を差し出してくれるようなやさしいエーテルを感じた。
春の日溜まりのようなエーテルにあてられて、青年に思わず微笑みが溢れる。こんなにも彼は想われている。やわらかいエーテルにもっとふれたくて、青年の手はどんどんと手紙を仕分けしていくことが出来た。
「ふぅ……終わった」
ようやく箱の中の手紙を全て仕分け終わり、青年が顔を上げると丁度ウリエンジェとベーク=ラグの二人もきりがついたところだったらしい。分厚い本やびっしりと文字や何かの式が書き込まれた羊皮紙の束を片付けながらウリエンジェが青年に声をかける。
「お疲れ様です。随分熱中なさっていましたね」
「うん……これ、全部が水晶公宛なんだって思ったら何だか嬉しくなっちゃって」
「そうでしたか……ここで、一つご提案をば」
賢人はごそごそと紙の束の中から取り出したものを青年に差し出す。上質な手ざわりで、透かすと淡い青が映る不思議な便箋だ。
「きれいだ」
「あなたも水晶公にお手紙をしたためられてはいかがでしょうか。ここ最近、ずっとお顔を合わせていらっしゃらないのでしょう?」
「私が手紙を……?」
「ええ。言い難いことや想い……手紙であれば伝えられるものもありましょう」
ソウル・サイフォンの研究を開始してから、水晶公は今まで以上に深慮の間に篭りがちになっていた。ウリエンジェとベーク=ラグも一緒に試行錯誤している時間は長いが、水晶公に促されて今のように星見の間に出たり、食事や休憩を取っているために様子を見に訪れた青年やルヴェユールの双子、リーンとも顔を合わせる機会は持つことが出来ていた。
だが、水晶公は休憩は最低限で問題ない体だからと、文字通り昼夜問わず研究と街の運営を続けている。ここ数日はライナでさえまともに顔を見ていないらしい。青年は水晶公がただのグ・ラハ・ティアだった頃から、好きなことに没頭する驚異的な集中力を羨ましく思っていたが、まさかこんなところで発揮されるとは予想だにしなかった。お陰で休んでほしいと直接伝える機会もなく、たまに差し入れする食事を回収した時についてくる『美味しかった。ありがとう』というメモばかりが溜まっていく日々だ。
「ありがとう、ウリエンジェ。手紙書いてみる。ペンとインク、借りても良いかな」
「勿論です。お好きなものをお選びください」
そう言って差し出されたそれぞれ数種類揃えられたペンとインクの中から、澄んだ水面のようなガラスペンと夜空のような優しい紺色のインクを選び取る。ウリエンジェもそれが分かっていたかのように微笑んでいた。
青年にはいくつも伝えたいことがあった。
エーテルを通して感じた、水晶公がどれほどクリスタリウムの人々に慕われているのか。無茶をしないでほしい、頼ってほしい、もっと一緒にいたい。水晶公としての役割を投げ出せない、真面目な彼だからすぐには難しいだろう個人的な希望も合わせて、青年は願いを綴る。
程なくして書き上げた手紙は、さっきまで格闘していた手紙の山の中に青年自身が紛れ込ませた。街の人々の手紙の上に置いて読んでもらうのは簡単だったが、人々の想いに支えられて歩んできた英雄は決してそういった場面でのずるはしない性分だった。
「おぬしもピクシー族に負けず劣らず悪戯好きだの」
「ふふ、たまにはね。水晶公、驚くかな」
「ええ、きっと飛び上がって喜ぶでしょう。何といっても、あなたからの手紙なのですから」
「そうだといいな」
自らの仕事を終えた青年は、清々しい気持ちを抱えて星見の間を辞していった。
悪戯を仕込んだ後特有のうきうきとした感覚が心地良く、すっかり日が暮れてしまっているにも関わらず疲労感すら感じない。長いながい階段を降りるのも何だかこらえきれず、ジャンプで飛び降りて守衛の兵を驚かせてしまうくらいに、青年はしばらくぶりの遊びに心が浮かれていた。
きっと今夜か明日にはまた守衛の兵は驚くことになるだろう。それもなんだか面白くて、いつもより幼い笑みをこぼしながら手を振って挨拶を残し、ペンダント居住館への帰路についた。