僕らの物語へ
愛鳥が力強く土を踏む振動に合わせて体を弾ませると、まるで自分が地を駆けているかのような心地になる。最近は空の旅が多くなったが、今日はどうしてだろう、遠くに駆けていきたい気分だったのだ。
久しぶりのアジム・ステップは、変わらず気持ちの良い風が吹き抜けている。雄大な草原は、初めて訪れた時に感じたまま、小さな私たちを受け入れてくれた。
昇り始めた太陽の光の中、活気づく再会の市から草原をぐるりとほぼ一周思い切り駆け抜けてきた。
少しばかり張り切りすぎた愛鳥はいつもより早く息が上がったらしい。休憩がてら水を飲ませようと、明けの玉座を戴くアジム・カート湖の滸で荷を降ろすと同時に鞍や手綱を外してやる。近くではダタク族が束の間の居を構え、羊の世話をしていた。
そういえば、まだドマを奪還する前のことだ。通りがかりに羊の乳搾りを手伝わせてもらったことがあった。羊は人懐っこくてふわふわで可愛いかったけれど、それを見ていたチョコボがヘソを曲げてしまったっけ。長旅になる今日は怒られると困るので、愛鳥のふわふわの羽を撫でつつ遠くから手を振るだけに留めておくことにしよう。
守護神たるアジムが燦々と美しい大地を照らす。草原を渡る風が吹く。水面が揺れる。
きっと、こういうことはずっと昔から変わらないのだろう。
水分補給をしていた相棒は水遊びに移ったらしい。こうなればしばらくは動けないし、私は昼寝でもしようとごろんと草原に転がる。
すると、不意に胸元に固いものが当たった。水底の都で返してもらってからずっと忍ばせているそれは、たまに存在を示すかのように身動ぎをしている気がする。
懐に手を入れてふれてみてもあの時の輝きが再び灯ることはなく、じっと目を閉じて黙していても聞こえたはずの声に呼びかけられることもなかった。
次に目を開くと、中天にかかりかけていた太陽はとっくに天辺を過ぎて傾き始めていた。随分と寛いでしまったらしい、夢すら見ていたような気がする。
愛鳥は水遊びから帰ってきていて、日光浴がてら寝入っていた私に影を落としてくれていた。手を伸ばしてまだしっとりしている羽を撫で、そろそろ次の場所に移ろうと体を持ち上げる。
「おはよう。こんなところでよく爆睡出来るな」
「……おはよう。驚いた、いつから居たの」
「ついさっき」
呼び掛けられた声でやっと気配に気付いた。決して大柄とは言えない体躯はすっぽりと愛鳥の陰に隠れてしまっていたらしい。勢いづけて体を起こすと、呆れたような微妙な表情を浮かべた彼と目が合った。
「思ったより早く追い付いたね、ラハ」
「再会の市で馬を借りたんだ。あんたの知り合いだって言ってたから、チョコボと行った方角も聞いたんだけど……さては、あんた一周してきただろう?」
「ご明察。久し振りの草原で楽しくなっちゃったんだよね」
赤くてふわふわの耳をつついてくる愛鳥の満足げな様子に、ラハは紅玉海で唐突に私が始めた追いかけっこの道中を察したようだった。きっと少し前の彼なら目的地だけ言い残されて置き去りにされれば、尻尾を逆立てて怒っていただろう。
「急に置いて行ったこと、怒ってる?」
「……あんたの足跡を探すのは慣れているよ」
だが目の前の彼は少し疲れた様子ではあるが、知らない土地への好奇心がまさっているように爛々と目を輝かせている。
「オレさ、あんたを追ってる途中でいろんな奴にあんたを見かけてないか聞きながら来たんだ。そしたら、みんな口を揃えて『ああ、解放者殿か』とか『同盟者のことか』とか言うんだぜ?あんたって本っ当に……本当、すげぇ英雄だよ」
風に吹かれて前髪に隠された横顔が露わになる。アジム・ステップの草原を眺める瞳には深い安堵、そして揺れる何かがあった。それは未だに自らが掴み取った今が現実だと飲み込み切れていないのか、それともかつて彼が吐露したような背中を押してくれた人々への想いがそうさせるのか。
「あのさ、ラハ。私はこれから君や暁のみんな、それからまだ出会っていない人たちといっぱい冒険に行ってさ。楽しいことも不思議なこともたくさん見て回ろう」
何度となく伝えたこれからの希望を、改めて音に乗せる。大らかな草原の風が背中を押してくれるように吹きつけてきた。チョコボはラハの耳をつつくのを止め、私の声に耳を傾けるように大人しく頭を私の膝に乗せている。
「勿論、強敵に逢うことも苦いことも経験すると思う。今までだってぶつかっては助けてくれる人がいたから旅を続けて来れたし、巡り巡って英雄だなんて呼ばれることにもなった。だけど、人間だからさ、折れそうになったこともあった」
どんどん言葉が散らかっていく。でも、あの時みたいに彼の碧い輝きに頼ることはしない。今、もう渦巻く奔流はここにはない。
「でも、これからは君も一緒にいてくれる。隣りにいて、共に居てくれると思ったら、全然怖くないんだ」
彼と同じように草原に向けていた視線を、ようやくその紅に合わせる。彼が遠い祖先から受け継いだ約束の色はアジム神の膝元であっても鮮やかで、眩しくて。あの背中を見た時から、私はこの時を待っていたのかもしれないと感じた。
「だからさ、これからもよろしく頼むよ。グ・ラハ!」
───
何度となく味わった、抗えない力に引き寄せられる。
光に塗りつぶされた視界が戻る頃、さわやかな緑の匂いをまとう風が頬を撫でた。アーモロートに集うエーテルの輝きがあんなにも遠い。どうやらまたあいつの仕業らしい。
「お前な……」
「ごめんよ、でも、あなたじゃないとどうにもならなくてね」
急に喚び出したくせに悪びれもせず能天気な笑顔を振りまく姿には、毎度のことながら怒る気も失せる。せめて盛大な溜め息を吐いてやれば、疲れているのか?少し休むか?などと心配している風の言葉をかけてくる。私は知っているぞ、お前はお前について来れない奴に存外厳しいことを。
早く終わらせるぞ、と今回喚び出された原因に向き直る。長閑な草原に相応しくない、燦々と輝く太陽を遮るほど巨大なモルボルの変異体。否、ある意味では居てもおかしくはないのかもしれない。
生態系を壊しかねないその力はどうやら周囲に漂う環境エーテルを食って得たものらしい。食あたりのように中がぐるぐると渦を巻いている。
「どうだろう?視える?」
「ただの食い過ぎだ、下がっていろ」
無理矢理一つになったエーテルの塊なら、ほどけかかっているところがあるはずだ。そこを突けば、なんの影響もないただの魔法生物に戻ることが出来る。なるほど、見えないこいつには荷が重い解決策だ。
何度目かの溜め息を吐いて、パチンと指を鳴らす。すると、みるみる内にモルボルはしぼんでいった。初歩的な分解だ、失敗することもない。
だのに、こいつはまるで大術式が成功したかのようにはしゃぎまわり、随分と小さくなったそれを嬉しそうに両手に抱えて見せる。
「流石!ありがとう、エメトセルク。見事なものだね」
「……今度喚ぶ時は、もう少し骨のある仕事にしろ」
「仰せのままに……だから、これからもよろしく頼むよ。ハーデス」