二人、深い霧の中にて

※光の戦士ではない、ある若い冒険者の馴れ初めの話。
(関連するお話は800words, 100daysにて)

その日はひどく風が強い日だった。

深夜ではあったが、幻術士ギルドに所属する若いエレゼンの道士も同僚たちと共に、妙に騒ぐ森の見回りへと出る。途中で出会う怯えきった精霊たちを鎮めながら原因を探すがなかなか結果は出ず、月の明るい夜ということもあってそれぞれ歩き慣れた森に散り、手分けしてこの騒ぎの元凶を探すことになった。

月明かりに照らされる森の空気は普段と種類の違う清廉さを纏っている。

すでにいくつもの戦場を経験している男も流石に少々緊張した面持ちで、愛用の杖を握り直して森の奥へと歩みを進めた。

だが、踏み出した足は地面に着くことなく、ローブを纏った体は中を舞う。唐突なことに目を白黒させながら、男は何かに絞めつけられている足首を見ると、自らの腕よりも太い植物の蔓が絡みついていた。そのロープのような蔓を遡ると、大きく弧を描く口──ここにいるはずのないモルボルがまさに男を捕食せんとしていた。

男は宙ぶらりんの体勢のまま、咄嗟に蔓を切り落とす風のエーテルを練り上げようと神経を研ぎ澄ませる。だが、モルボルの口から臭い息が漏れたかと思った次の瞬間、抵抗も受け身も許さない圧倒的な力で男の体は思いきり地面に叩きつけられた。
「──……っ!」

声にならない悲鳴を上げながらも、意識と杖だけは取り落とさぬように必死に指に神経と力を込める。蔓に掴まれていない方の足はさっきの衝撃であらぬ方向を向いてしまって使い物にならない。最早、男は逃げることも助けを呼ぶことも出来ない。

なら、この荒くれ者は一人で何とか鎮めなければならない。たとえ、自分のエーテルが尽きたとしても。

痛みと出血で靄がかかり始めた意識を手繰り寄せ研ぎ澄ませ、杖から風の刃を繰り出し、足首を掴む蔓を切り裂く。やっと自由になった体はある程度の高さから落ち、痛みに悪態を吐きながらも男は再び練り上げた風の刃をモルボルへ打ち込んだ。だが、二度目ともなればあえなく避けられ、反撃の蔓がまた伸びてくる。

今度こと捕まったら終わる、と痛む体に鞭打って今度はより火力の高い土のエーテルを練ろうとしたその刹那、モルボルの頭上高くから音もなく、黒い稲妻が落ちた。

たった一撃。

それだけで自分を苦しめていた荒くれ者は短い断末魔を上げて沈黙した。
「っ大丈夫ですか!?」

モルボルの巨体から降りた言葉を解する稲妻が振り向くと、張り詰めていた糸が切れるように男の意識と杖とは取り落とされていた。

次に幻術士の男が気付くと、ほのかなろうそくの明かりが目蓋をあたためていた。

背を少し固いマットレスに支えられ、体にはふっくらとした毛並みの毛布がかけられている。つん、と鼻をつく消毒液や薬草の匂いが自身も何度か傷病者を運び込んだ病棟だということを知らせる。どうやら自分は助かったらしい、と理解した男は慣れ親しんだ匂いをゆっくり吸い込み、深く体の中に染み渡らせた。
「あっ起きてる!」

病床で身動ぎする気配に気付いた同僚の幻術士がパーテーションの向こうから顔を出し、すぐに薬や包帯などを抱えて出直してくる。体の状態の確認と説教、覚えている顛末の報告の合間、男は自らが槍術士の女に運び込まれたことを伝えられた。
「それで、その人は今どちらへ……」
「そう言うと思ったから聞いてある。彼女、冒険者なんだってさ。しばらくはグリダニアに滞在するらしい。早く治してお礼しに行けよな」

その後、代わるがわる見舞いに訪れる上司同僚部下や友人たちのお小言を聞きながら一週間の療養期間を経れば、一番酷かった足も何とか歩くことが出来るようになった。ただ、咄嗟の無理が祟ってか、エーテルを練り上げる速度が多少落ちている。だが、命があればこの程度の後遺症は乗り越えられると男は信じていた。

退院して真っ先に彼が向かったのはカーライン・カフェ、各地から冒険者たちが仕事を求めて集うギルドだ。そこに男が床に伏していた間、焦がれて止まなかった人がいるはずだった。
「……どうして……」

だが、相手は旅を住処とする冒険者だ。退院後、日を変え時間を変えカーライン・カフェを覗いても未だ男は命の恩人に会えずじまいだった。同僚の言うように確かにまだ「とまり木」に部屋は取ってあるらしく、グリダニアに滞在はしているが少なくともこの一週間は帰ってきていないという。
「まあ、相手さんは自由に生きる冒険者だもんなぁ……その内、帰ってくるよ。気長に待てって」
「うぅ……もし、このまま帰ってこず、会えずに爺になったら俺はどうすれば……」
「お前、意外とそういうの不器用だな」

毎日足繁く恩人の姿を探す男を見かねて酒場へと男を引きずってきた同僚の道士は、もう飲んで忘れてしまえとばかりにジョッキを並べていく。琥珀色の酒をあおればあおるほど、本人すら気付いていない恩人への感情が会えない時間という栄養剤を受けて芽を出し始めていた。
「あの一撃、まるで雷のようでした……鬼哭隊でもそうそう敵わない遣い手ですよ!」
「こ、こら!声が大きい!」
「断末魔さえ許さないあのしなやかな身のこなし、見たことのない槍さばき……さぞかし名のある冒険者と思って探しているのに……どうして……っ」
「おいおい、泣くなよ……情緒不安定だなぁ」

道士は周りからじとりとした視線を感じてヘラヘラとした笑みを振りまきながら、酒で滑りが良くなった舌を必死に動かして恩人への想いを漏らしている内に遂に泣きが入った男の背をさすってやる。初めて見る同僚の情けない姿に驚きながら世話を焼く姿はひどく楽しそうだ。
「しかし、なんでまたそんなに必死になるんだよ。単に冒険者が通りすがりに助けてくれたんだろ?いつかまたグリダニアに来るって」
「いつかでは、駄目なのです……だって、俺も、あの人も……いつ死ぬか分からないんです、よ……」

酒で口調がとろけている男の言葉に同僚は思わず目を見張った。

彼ら幻術士は癒やし手としての役割を持ち、常に人の死に寄り添っている。男は他の術士や道士が思わず弱音を吐くような劣勢であっても、人を生かす最後の砦としての矜持を以て前線で立ち続ける人間だった。実際、同僚という立場ながら助けられた戦場は数しれず。

その鋼の男が珍しく萎れているとなれば、道士が面白いおもちゃを見つけたとばかりに目を輝かせるのも無理はない。
「なあ、そんなにその人に会いたいのか?」
「さっきからそう、言っているでしょう……」
「よし、分かった」
「……分かったならいいです……」

ここ最近の疲れも手伝って、酒精に思考を溶かされきって男は机に突っ伏した。それを見て、隣りに座っていた同僚の道士はローブをからげて席を離れる。衣擦れと共に離れていく足音に憚りへでも行ったのか、とわずかに残る意識の端が捉えた。

ほどなく戻ってきた足音は何故か席に座らず、潰れた男の隣りに立って肩にふれる。男は肩にふれた手の小ささに違和感を覚えるが、どうにも体が持ち上がらず、その正体を確かめることが出来ない。
「あの、大丈夫ですか……?」

何とか体を起こそうと踏ん張る最中も男は違和感を強くする。一緒に飲んでいた同僚は自分と同じ男だったはずだが、耳元で囁かれた声は女のものだった。まどろみで鈍る感覚の向こうからでも、幻術士はその声音に聞き覚えがあった。

遠雷のようなやさしさと、苛烈さを滲ませる声。

忘れもしないあの風の日、意識が途切れる直前に降ってきた、稲妻と同じだ。

そうと気付いた男は自らの状態も忘れて体を勢いよく引き起こすが、酔って重くなった頭は咄嗟の動きに耐えられるはずもなく、ぐわんと揺れる視界と痛む頭を抱える羽目になった。
「……いった……!」
「あら?あなた、もしかして……蔓のおばけの時の?」
「っあ……あなたを、ずっと探して……」

必死に意識をかき集めていく内に徐々に冷めていく酔いを感じながら、ぐらぐらと頭痛で揺れる視界にその人を捉える。

その背にはあの日、幻術士を救った身の丈を軽く越すほどの長槍を背負っていた。頬と額、そしてシャツの首元から覗く黒い鱗が薄暗い酒場の照明を受けて月のようにやわらかい光を放っている。冒険者風の衣装に身を包む姿には可憐という言葉がよく似合い、声の奥に確かにあった苛烈さを感じさせないが、髪と同じ新緑色の瞳の奥には隠しきれない鋭さ、強い光があった。

男はようやく、この光を探していたのだと気付く。自らを救った鮮烈な稲光をずっと求めていたのだ。
「私を……?」
「はい……ずっと、お礼を言わなければと……あの日からずっと、お慕いしておりました……」

ピシリ、二人の近く、少なくとも男の声が届く範囲の空気が凍りつく。

男はまだ残る酔いで口からついて出た言葉を自覚していないが、側で様子を伺っていた同僚が口を閉じ忘れるほど驚いていること、何より目の前の恩人が白い肌を真っ赤に染め上げて止まっていることに、ようやく自分が紡いだ言葉の意味を飲み下した。
「……あっ」
「その、あの、ごめんなさい!」

槍術士は赤い顔をひた隠しにして、すさまじい勢いで後ろに飛びすさると、そのまま店を飛び出していった。残された男はというと、居合わせた他の酔客や同僚に慰めの意を込めて肩を叩かれるまで、ただただ呆然と立ち尽くすばかりだった。

「槍術士のお嬢さん、お一人でクルザスへ?」

国境の関所を預かる鬼哭隊士はグリダニアの顔見知りたちであったり冒険者であったり、往来する人々へ分け隔てなく声をかけて見守り、時に悪意を持って現れる者たちを防ぐのが仕事だ。酒場での一件の翌朝、黒衣森北部森林からクルザス地方へ通じるフロランテル監視哨を訪れた件の槍術士にも隊士は無論声をかけた。
「えぇ、ちょっと人に会うために」

にこやかに返答する槍術士に鬼哭隊士は決して悪意ある人間ではないことを確信した。真っ直ぐに芯の通った武の者同士は視線や声、仕草から通じ合うことが出来る。役割上、警戒は解くことが出来ないが隊士はこの冒険者を同士と認めて接し始めていた。
「あちらは森に住む魔物たちよりも強く、獰猛な牙を持つ獣が多い……お一人だと危険です」
「ええ、それも承知の上です。これでも武者修行の身故……ご心配ありがとうございます」
「……そう、ですか。ならば、我らは祈るばかり。あなたに精霊の加護と、クリスタルの導きがあらんことを」

何か言いたげな隊士は、だがその口を閉ざし、笑顔で道を示したその人に丁寧な異郷のお辞儀で応じた槍術士はまた歩み始める。彼女の求めるものが待つだろう、第七霊災の影響が色濃く残る雪原はその日、珍しく晴天に恵まれていた。ささやかなあたたかさを肌に蓄えながら、槍を背負う女はひたすら慣れない雪道を歩き進めていく。ひらけた視界はひたすらに真っ白で退屈かと思っていた雪道の旅を想定外に楽しいものにしてくれた。

槍術士は遥か東の海の向こうから、ただ一人の英雄に会うために彼女を戦士へ育んだ草原を飛び出してきた。物心つく頃には既に武具にふれていた女は特に槍、それも身の丈の倍はある長槍を好んだ。

より高みを求める内に一族や草原にいる腕利きたちだけでなく、書物の中にも師を求めるまでそう長い時間はかからなかった。ある時、彼女はある異国の物語に出会う。自分と同じ槍を使い、巨大で恐ろしい竜と対峙する騎士の物語。それは遥か海の向こう、今はイシュガルドと呼ばれる国を創った英雄たちの物語だった。それまでに出会ったどんな物語よりも胸を焼き、ただ武の立つだけだった少女を冒険者として草原から 旅立たせるに余りある力を持っていたその竜詩を抱えて、彼女はここにいる。

途中、エーテライトの置かれたキャンプで一休みしつつ、槍術士の女はただ憧れの地を、そして蒼の竜騎士を目指してひたすらに歩みを進める。雪が滲んでかじかむ爪先も、視界を薄く煙らせる白い息もただただ心を急かせるだけだった。

雪を踏みしめる度に鳴る濡れた土の音がやがて石畳の固い音へと変わる。槍術士は知らずしらずに下げていた視線をゆっくりと上げ、壮麗でいて何人も通さない厳しさで来訪者をあまねく圧倒するその門を見た。

大審門を越え、雲廟という宙に浮かぶ道を越えればその先には戦神に見守られる都があるという。そこに彼女の求めるものがある。
「待て、そこの者」

大審門に進み入るとすぐに青色が印象的な甲冑姿の兵士に呼び止められる。それは決して先程の森の衛士とは違った色の声で、槍術士の背に外気ではないひやりとした風が通り抜けた。
「あの、イシュガルドに行きたいのですが……」
「残念だが、この先に身元の知れぬ者を入れるわけにはいかん。引き返すのだな」
「っあの、そこをなんとか」
「くどい!竜の鱗を持つ女よ、二度は言わせるな。我らの都には入れぬ。帰れ」

ぴしゃりと言い放つと同時に石畳に打ちつけ鳴らされる盾の高い音が取りつく島もない現実を槍術士に叩きつける。このまま居残れば冗談ではなく叩き切られると直感した女は、勇み歩んできた雪道を辿ることとなった。まるで心中を表すかのように雲行きも怪しくなってきた。女は努めて冷静に動揺で震える手足を動かして、ひとまず最寄りのエーテライトへと急ぐ。じわじわと滲む視界はきっと吹きつける風のせいだと、ただひたすらに泥濘む雪道を進んでいく。

ようやく辿り着いたキャンプ・ドラゴンヘッドは、彼女と同じように雪に降られた冒険者たちや一角獣の紋章を持つ騎士たちでごった返していた。大声で指示と檄を飛ばす騎士に従って忙しなく働くキャンプの兵たちは楽しそうで、それが文字通り門前払いを受けた槍術士の女にとって今だけは嫌な眩しさに映る。
「そこの、槍術士様!」

キャンプの雑踏の中、人の合間から大きく節くれ立った手が伸びて女の左手を掴んだ。驚いて振り向きざまに槍を抜こうとしたが、それは予見していたかのようにもう一方の手で抑えられてしまう。

槍術士を捕らえたその人は雪風に髪を揺らすエレゼンの優男だった。
「あなたは、酒場の……っ」
「あの時は大変失礼いたしました。酒に溺れるだけに飽き足らず、初対面に等しい女性に対する態度ではございませんでした」

手は掴んだまま、深々と謝意を込めて頭を下げる姿に流石の槍術士も慌て始める。

方やクルザスでは些か悪目立ちしすぎる黒鱗のアウラ、もう一方は明らかに森の匂いを漂わせるエレゼン。キャンプの真ん中では目立ちすぎる、と女は掴まれた手をそのままに男を引っ張って、ひとまず座れる屋内に避難することにした。
「気が利かず申し訳ございません……」
「いえ、別に……ところで、どうしてグリダニアの道士様がクルザスに?」
「勝手ながらあなたを追って、森を出て参りました。あなたの旅路に、俺をお連れください」

今日という日は槍術士にとって驚きに満ちた一日らしい。幻術士の男の視線は決してふざけたり騙そうとする色はなく、真っ直ぐに向けられるそれに女はただ動揺を隠せない。その純な想いの根拠が全く分からない、と困惑する気持ちをそのままに女は口を開く。
「どうして……?たった二度会っただけなのに……?」
「あの夜、俺を救ったその稲妻のような槍捌きに、心を奪われました……俺は、幻術士です。いくつもの戦場を経験しましたが、こんな気持ちになったのは、あなたが初めてです。側に居たい、と。そのためなら、俺の治癒の術もなにもかもをあなたに預けましょう」

男は槍術士を追って初めて森を飛び出した旅路を想いつつ、ろうそくの火の影をゆるく震わせるように、滔々と言葉を紡ぐ。自らの意思で森の外に出ることはこんなにもかんたんだった、と気付いたのはこの稲妻の人に出会ったからだ。

静かな語り口に滲むその激情を武人として感覚を研ぎ澄ませ続けてきた槍術士は敏感に受け取っていた。同時に、そんな想いを向けられる人間でないことも。
「私はもう、旅も……槍も、辞めてしまおうかと思っています……だから、ごめんなさい」

彼女は吹雪の只中、標を見失っていた。大審門の兵が投げて寄越したのが拒絶の言葉だけであれば、ここまで数多の難関を乗り越えてきた草原の槍術士は決して心を折ることはなかっただろう。だが、彼らからは憎しみさえ感じられた。それが女が生来持つ、黒い鱗に由来すると理解するのにキャンプまでの道程は長く、孤独だった。
「……あなたの槍を折ったのは、一体何者でしょう。挫折でしょうか、それとも誰かの言葉でしょうか」
「あなたには、関係ありません」

拒絶と戸惑いがない混ぜになった女の声に最早、男がかつて森で感じた苛烈さはなかった。それほど彼女を打ちのめした何かへ男は身勝手と知りつつも怒りを感じずにはいられない。震えそうになる声を必死に抑え込みつつ、男は努めてやわらかく傷つける色を持たない声音で問いかける。
「いえ、大いにございます。俺はあなたを慕っている……そんな人が落ち込んでいるなら、何かしたいと思うのは必定でしょう」

元来、森の精霊たちと渡る道士である男にはたおやかな絹のような性質があった。受け容れ包むのは、癒すという役割のために身に着けたものではない生来の素質だ。それを女もまた感じ取ってしまった。ただ真摯に言葉に耳を傾けるその人なら、灯を示してくれるのではないかと。
「……旅をする、目的がなくなりました」

ぽつり、滲んだ言葉が向かい合う二人の間に落ちる。周囲が話すがやがやとした喧騒に溶けそうなほど、か細い煙のようだった。
「ずっと、憧れて……そのために草原を離れて。でももういいです。私は、もういい……」

ふつり、ふつり。遂に項垂れて両手で目を覆った女の途切れながらの言葉を男は結び、すぐ隣りでその細い首にひたりと這う剣の閃きを見出した。かの都は未だ永いながい戦の渦中。余所者、それも肌を飾る黒曜石のような輝きを前にして冷静でいることは難しいのだろう。ヒトであり、竜とは無関係だと理解していても同胞や大切な人たちを亡くした悲しみはどうあっても蘇る。

男は考え、知りたいと願う。自分の心を埋めつつある稲妻がもう一度空高く飛び立つために何が出来るだろう。
「……なら、俺と探しに行きませんか。あなたは旅の目的を、俺はあなたの光を」
「っだから!どうしてそこまで私にこだわるの!?」

女は初めて向けられた理解し難い感情に苛立ちを露わにして立ち上がろうとするが、男に掴まれたままの手が飛び出していこうとする軽い体を引き留めてしまう。幸いすぐ真横に酒が入って声が高くなりつつある集団がいるお陰で、女の悲鳴じみた非難は辺りには聞こえていないようだった。

体の中が沸騰しそうなほど熱く渦巻く何かを発散することも出来ず、ただもどかしさばかりが募る。
「何度でも申し上げましょう。俺は、あなたのその槍に、一条の光に……心奪われたのだと」

それだけなのだ、と男は眉を下げて微笑む。ただ内側にあるものを伝えるしか出来ない、凝った演出も飾りたてた言葉も彼は持ち得なかった。だからこそ、槍術士らしいしなやかな筋肉からふと力が抜ける。そこにはもう道に迷い、蹲る女は居なかった。
「……もう、好きにしてください……」

大きく溜息を吐く些細な仕草さえ、男は目を離せなくなっていた。細い腕を掴んでいた手はゆっくりと外され、代わりに年中杖を握っている硬くて大きな手の平が槍術士へと差し出される。
「ありがとうございます。では、まず旅の仲間として名を預けましょう。俺の名前は──」