Day041~050

Day041:水晶公のポケット

※ゆっくり休日を過ごす冒険者といつも通りの水晶公のお話。

彼が歩く度にふわふわと赤と白の布が風を受けて、豊かな波を作っている。揺れる波間に、かつて本人は隠しきれていたと思い込んでいた、紅い尻尾が揺れていて思わず手が伸びそうになる。
「うん?どうかしただろうか?」
「ううん、何でもない」

第一世界の知り合いたちの間を飛び回って、久し振りにクリスタリウムに帰還した今日は、深慮の間でゆっくりと体を休めてほしいという『依頼』を受けてしまったお陰で彼の隣りで過ごす理由が出来た。

依頼主本人は忙しそうに床に散らばった書類を眺めたり、本棚を漁ったりしてこちらには基本的に構ってくれない。それでも、私はこの何でもない時間を彼と持てることが心から嬉しかった。
「すまない、急ぎの案件があったことをすっかり失念していて……本には飽きたかな?」
「飽きるどころか、初めて読むものばかりで時間が足りないよ。それに、第一世界の言葉はまだ読み慣れていないから、良い練習にもなる」
「そうか、ならよかった」

すう、と目を細めて幾分かやわらかくなった微笑みを見せてくれた水晶公は、そのまま本棚の近くの床に座り込んで本の山を作る私に歩み寄ってきた。そして隣りに腰を下ろして、書類に目を通し始める。ふわふわひらひらと波打つローブの裾を慣れた様子で折り込む何気ない仕草に、グ・ラハ・ティアという青年が導き手として生きた時間の長さを感じた気がした。

手元の本に視線を落とす振りをして碧い光が差し込む横顔を見ていると、流石に見過ぎだと苦笑されてしまった。
「もう少しできりがつくから。そうだ、良いものをあげよう」

そう言って贅沢に布を使ったローブの腰で絞られたその弛み、ちょうどポケットのようになっている部分に何故か水晶公は手を突っ込んでその中をまさぐり始めた。
「えぇ……何してるの……?」
「まあまあ、待ってくれ……ええと……あった。ほら、手の平を」

未だにおじいちゃんの奇行には戸惑いが残るが、言われた通りに右手の平を差し出す。得意げに、そうっと両の手から落とされたそれは、彼の懐から出てくるには些か可愛らしいクッキーの包みだった。
「公、これどうしたの……?」
「……これはライナには秘密なのだが」

まだ孫娘が幼い頃、やはり今のように仕事が忙しくて彼女を拗ねさせてしまうことが多々あったという。積もり積もった不満が爆発して大層怒らせてしまった時、お詫びにとねだられたのがこのクッキーだという。
「それ以来、持ち続ける癖がついてしまってね。もう彼女は幼い子どもでもないのに」

この深慮の間にも懐かしい物語があるのだろう。目を細めて微笑む彼は私を通して、幼い少女の残影を見ているようだった。
「よかったら、摘んで待ってておくれ。もうじき終わるから、散歩にでも行こう」
「はぁい、おじいちゃん」

ふざけて返事をしてみると、コツンと額を左手でやわらかく小突かれてしまった。カサカサと包みを開くと、およそ幼い少女が一人で食べるには多すぎる量のクッキーが詰め込まれていて、思わず笑ってしまう。どこかの魔導士を象ったクッキーはサクサクとしていて、じんわりやさしい味がした。

Day042:二人の幸い

※若い冒険者夫婦の『いい夫婦の日』にまつわるお話。
※二人は光の戦士ではありません。

「お疲れ様です、冒険者殿。報酬はこちらをお持ちください」
「ありがとうございます。今後ともどうぞご贔屓に」

一日の終わりに太陽が見せる最後の煌めきを背に、コスタ・デル・ソルで一仕事終えた槍術士は愛しい人が待つ海都への渡し船に乗り込んだ。隅の席に腰を下ろして人心地ついたところで、手渡されたばかりのリーヴ報酬を確認する。

いくばくかのギルに加えて食糧、そしてハイエーテルの瓶が数本。エーテル不足に陥りがちな待ち人に良い土産が出来た、と槍術士の頬が自然に緩む。波に揺られる間もうずうずと逸る気持ちが覗く視線は水平線の向こうに向けられていた。

「ダーリン!ただいまー!」
「おかえりなさい、俺の君。怪我はありませんか?」

ひとまずの拠点としている宿屋ミズンマストに槍術士が無事の姿を見せたことで、食事の準備を進めていた幻術士は戸口まで出迎えて、その長躯で愛しい人をしっかりと抱き締めた。膝を折って鼻をうずめた髪から潮風が香り、ようやく男の肩から力が抜ける。
「勿論よ。お土産もあるの、後で見てね」
「ありがとうございます、本当にお疲れ様でした」
「……あら?ねぇ、今日って何かお祝いの日だったかしら?」

自らを抱える大きな身体の陰から垣間見えた食卓には、ワインの瓶が一本と赤い薔薇の花が飾られていた。しかし、二人にとっての大切な日は全て記憶している女は、今日という日の意味を見出だせず首を捻る。
「今日は大切な人に感謝の気持を伝える日だと市場で聞いたので……」

少しだけ腕を緩めて互いの目が合うように男は膝をつき、女はそれに応じる。
「いつもありがとうございます、俺の君。君が一緒にいてくれることがどんなに幸いか、俺は一生涯を通して伝えましょう」
「ダーリン……私こそ、いつも感謝しているわ。折れかけた槍でしかなかった私を、折れ得ぬ鋼としてくれた……本当に、ありがとう」

空けた距離はどちらともなく埋まる。男の一等愛する黒い角がやさしく、傷つかないように耳へ擦りつけられた。女の鱗が男のイヤーカフスにふれる度、星が降るような細く甘い音が鳴る。
「さあ、先に湯浴みへ。その後、食事にしましょう」

名残惜しげにそうっと細い身体を解放して、槍術士から合財袋と愛槍を引き取った男は代わりにふわふわのタオルを手渡す。一日中走り回って少しばかりくたびれていた女は、どんな報酬よりも嬉しい抱擁の礼として、膝を床につけたままの男の頬へ口づけを一つ落としてから素直に浴室へと向かった。

浴室と居間とを隔てる扉の前で女は男を振り向き、背を見守るその視線に自らのそれを絡ませる。互いにやわらかい微笑みを渡し合った二人の夜は長い。

Day043:餌付け

※待ちぼうけになったエスティニアンと冒険者がご飯を食べるお話。

「うわ、っと」
「おっと、すまん」

ドラゴン族との戦を続けるイシュガルドを護る要である象徴を感じさせる、雪風を防ぐ重い扉に手を伸ばすと、ひとりでに開いたそれに思わず驚いてしまった。それなりの力をこめようとしていただけに、勢いが殺しきれずそのまま前につんのめった体は扉を開けた人に支えられてしまう。

お礼と謝罪を口にしようと目を上げる。すると両肩をしっかりと掴んだ硬質な手は普段、神殿騎士団本部では見かけない人のものだった。
「エスティニアン?どうしてここに」
「お前と同じだ。アイメリクの奴、呼び出しておいてしばらく体が空かんようだ」

はあ、と竜騎士は心底面倒臭そうに溜め息を吐く。他の人ならすぐ別の用事に行ってしまうだろうが、ちゃんと待つつもりなのは相手がアイメリク卿だからだろう。
「……お前も来るか?」

ピ、と親指で指した先はすぐ近くの酒場だ。フランセルの実家に縁のある主人が営んでいるそこは、非番の騎士たちや市井の人々が見えない線を引いた上でそれぞれの時間を過ごしている、私にとっても良い距離感の空間だ。
「作戦会議前に飲んだら流石に怒られるよ」
「誰が飲むか。腹が減ってるだろう、行くぞ」

どうしてご飯を食べ損ねて来たことを知っているのだろう。考える間にも長い足をめいっぱい使ってさっさと行ってしまったエスティニアンを慌てて追いかけために、疑問は一旦頭の隅にやってしまった。
「こんにちは、ジブリオンさん!」
「お?珍しい取り合わせだな」

階段を降りてすぐに出迎えてくれた酒場の主人の正面、カウンター席に二人で並んで座る。
「まあな。何かさっと摘めるものとあったかい飲み物を頼む」
「酒は?」
「次の機会に取っとく」

ひらひらと手を振って了解を示したジブリオンの背を見送って、少し待つ間の暇を持て余して隣りに座るエスティニアンをじっと見てみる。戦闘中にはあまり気にしたことがないけれど、こうやって隣りで落ち着いているとやっぱりエレゼン族は迫力を感じる背の高さがある。おまけに彼が常に身に纏っている竜騎士の象徴、ドラケンメイルが更に威圧感を上乗せしていてなんだか面白い。
「……どうした」
「うん、背が高くて面白いなぁって」
「はあ?」

呆れた口元がまた面白くて隠しきれなかった笑いが漏れる。不機嫌そうな顔をして髪をかき混ぜられてもこの人なら悪い気はしない。
「お待ちどうさん」

じゃれている内に肉の煮込み料理と芋のサラダ、綺麗に切り揃えられた野菜が浮かぶスープが届けられる。どれも湯気が上がっていて美味しそうだ。
「ほら、肉だ。全部食え」
「いただきます!」

エスティニアンに勧められるまま、まずは肉料理に手を付ける。何の肉かは分からないけれど、少し筋っぽいのにやわらかいしソースも濃厚で美味しい。ひたすら口を動かしながら隣りを盗み見ると、スープを飲んでいたエスティニアンの口元がふわりと緩んだ気がした。
「美味しいね、エスティニアン」
「ああ。しばらくは冷えた飯が続く、しっかり味わっておけよ」

そうだった、と気持ちを締め直しながら、飲みこんだあたたかいスープが体に染みていく感覚を、誰かと食事を摂ることの楽しみをしっかり覚えていようと目蓋を閉じる。
「隙だらけだぞ」

ひょい、と私の皿から肉を持ち去っていったエスティニアンのことも一生忘れてやらない。ゆるく肘鉄を食らわせると、くつくつと漏れ出る笑みとまた髪をかき混ぜる手が伸びてくる。機嫌良さげな彼と美味しい食事に免じて、今日ばかりは誤魔化されてやろう。

Day044:少女の夜明け

※リーンが朝の支度をしているお話。
※5.3終了後の時系列です。

一人分の衣擦れの音がこんなにも静かだったなんて知らなかった。いや、本当はずっとそんな静けさの中で生きていた。けど、あの時の私は虚ろで、それを寂しさだとは知り得なかったんだ。

ペンダント居住館の一室で一人暮らしを始めて、もう随分と時間が経った。朝起きるのも、食事を準備するのも、お洗濯やお買い物も全部自分でやらなくちゃいけない。

一人では上手に出来ないこともたくさんあったし、失敗だっていっぱいした。いつだって見守ってくれていたやさしい眼差しも、差し伸べられる手ももう側にはいない。

でも、きっと心は繋がっている。

暗い夜でも迷わずに道を照らしてくれる灯火がいつも隣りにいてくれるから、分からないことにも楽しそうだねって笑って向かっていける。
「おはよう」

ベッドの横に立て掛けたガンブレードに朝の挨拶をする。朝日を受けてきらめく銃身がサンクレッドの白い髪とコートのようで、頬がほころぶ。

ベッドから降りた裸足の指先が冷たい床にふれて、少しだけ身震いした。段々寒くなっていくこれは『季節が巡っている』と呼ぶんだって、最近顔を出してくれたあの人が教えてくれた。みんなが救った世界の息遣いが聞こえるように、季節が巡っている。

ペタペタと足音を落として、洗面台に向かう。ウリエンジェが褒めてくれた髪を梳かして、リボンを編み込む。綺麗に仕上がった今日はきっと良い日になる。

ワンピースに袖を通してブーツの紐を結わえていると、コンコンと強めにドアがノックされる音が部屋の奥まで響いた。そろそろ朝ご飯の時間だから、きっとガイアが誘いに来てくれたのだろう。
「はーい、今行きます!」

少しだけ声を張り上げて、歩きだす前にブーツの爪先で床をノックして体の調子を確認する。今日も絶好調だ。

待ってくれている友達を迎えるために、足早に部屋を横切ってドアを開け放つと今日もバッチリ綺麗に決めたガイアと、その隣りには一緒に旅をした仲間の影があった。

やあ、といつもみたいに片手を上げる姿に、今日という日が特別良いものになる予感が確信に変わっていく。
「おはよう、ガイア!それに、おかえりなさい!」

Day045:Chavah

※冒険者がレヴナンツトールでぼんやりしているお話。
※冒険者は戦士です。
※喫煙表現があります。

同業者の目を引く碧い戦斧の輝きは市場帰りの賢人ウリエンジェの目にも飛び込んで来た。

酒場セブンス・ヘブンから輝きを連れて出てきた青年は辺りを見回し、そして街を形作る石材に足をかけ、ウリエンジェが見守っているとも知らず身軽に上へ上へと登っていく。

銀泪湖方面に通じる門の上、常であれば人が立ち入ることもない場所。登りきった青年は懐から何か小さいものを取り出し、頬を小さな灯で照らす。ゆっくりと息を吸い込み、肺に溜め込んだ空気を吐き出しながら欄干に片肘をついた青年の横に、先程まで地上で彼を見上げていた賢人が立つ。
「休憩ですか?」
「……っうわ!」

完全に不意打ちを食らった青年はビクリと肩を跳ねさせて、思わず手に持っていたものを取り落しそうになる。
「ウリエンジェ……驚いた、こんなところに来るなんて」
「あなたが登っていかれるのをお見かけいたしましたもので……不躾ながら後を追わせていただきました」

ささやかな悪戯が成功したウリエンジェの満足そうな微笑みを見れば、青年の喉元まで出かかっていた文句の一つ二つはすぐに霧散していった。
「しかし、あなたがそれを嗜まれるとは存じ上げませんでした」
「あー……その、たまにだけど……」

す、とエレゼン族の長い指がさした、今も細い煙を立ち上らせるそれに青年はバツの悪そうな表情を見せた。
「私のことはお構いなく、紫煙には慣れておりますので」
「……流石にちょっと離れるよ」

真横に並んでいた賢人との距離を少し空けてから薄い唇で紙巻煙草を咥え、気道の浅いところに留める息を吸い、また煙を吐き出す。幾度か呼吸を繰り返す青年の視線は、黙約の塔とその奥で淡い光を浮き上がらせているクリスタルタワー──シルクスの塔へと注がれていた。
「考え事するの丁度良いんだ、ここ」

青年が細く煙を吐き出し、二人の間にあった沈黙のヴェールを吹き揺らす。

青年とは逆に街を見下ろしていたウリエンジェは、気遣いが見える距離の向こうにいる仲間を見遣った。彼の視線は変わらず彼の背にある戦斧と同じ輝きを持つ塔へと注がれていた。
「誰も来ない、お気に入りの場所なんだ」
「確かに……ここであれば街の喧騒も遠く、何よりかの塔を抱く絶景を独占出来ましょう」
「うん」

最後に肺を満たすように深く呼吸をした後、青年は短くなった煙草を握り消して残り滓は携帯しているポーチに入れてあった灰入れへと放り込んだ。流れるような仕草をウリエンジェは見逃さなかったが、何も言わずに変わらない微笑みを向ける。
「しかし、ここは些か風が冷たい……石の家にて、あたたかいお飲み物でもご用意いたしましょう」
「ありがとう、ウリエンジェ。嬉しい」

お先に、と一瞬で地上に降りたウリエンジェにまた驚かされながら、青年もまた来た時と同じように欄干に足をかける。そして、もう一度だけ碧い塔を見遣ってからその身を宙に躍らせた。

Day046:面影

※冒険者に弟弟子の面影を見るシドゥルグのお話
※暗黒騎士ジョブクエのネタバレがあります。
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

「……ごめんね、シドゥルグ……またいっぱい怪我して……」
「気にするなと言ってるだろう……それが俺たち暗黒騎士の戦い方だ」

淡い光を受ける腕が徐々にじんわりとあたたかくなり、額に汗が浮かぶ程度に鎧が暑くなってきた。

弟弟子に指南を受けていたリエルには少し荷が勝ちすぎる傷に向かって真剣な眼差しを注ぎ、一言も発することなく治療に集中する同胞の横顔にもじわりと汗が滲んでいる。その波一つ立たない水面のような集中力には恐れ入ると同時に、エーテルに交じる激情に懐かしさを覚えた。

呆けていた間に処置が終わったらしく、俺と同胞の間にあった光が収束して、よく知った気配も薄れていった。
「はい、おしまい」
「すまん、助かった」
「流石に無理しすぎだ、もっと深かったら危なかったぞ」

たまたま同行していた同胞と共に神殿の追手を打ち払うまでは良かったものの、最後の最後でリエルを狙った敵の矢を腕で庇い受けてしまった。魔法で強化されて甲冑すら貫通した矢傷は、とてもリエルの手に負えるものではない。

そこで近頃は癒やし手としても戦場に立つという同胞の世話になることになった。
「……器用だな」
「必要に迫られただけだよ。ちゃんとした処置はイシュガルドまで我慢してね」
「ああ」

ぐっと手を握って開いてを繰り返し、調子を確かめてみる。応急処置と言っていただけに綺麗さっぱり、とはいかないが戦いの中で動かせる程度には治してもらえたようだ。本当に器用なものだと感心する。

そして、何も言わずにこちらをじっと見ているチビに腕を掲げて見せてやる。
「おい、見ろ。もう大丈夫だ」

こくり、と頷いたのを認めてから穴の空いた篭手を嵌め直す。少し格好がつかないが再襲撃があってもおかしくはない今、ないよりはましだろう。
「シドゥルグ、帰りは私が前を歩く。良いね?」

リエルの分まで荷物を背負い直しながら、有無を言わさない声音を放ったそいつに何故か黒い影がちらつく。似ても似つかない、むしろ種族が同じ俺に近い長躯、黒い鱗、尻尾を持つ姿にもう亡くした面影が重なる。
「……今回だけ頼む」
「分かっているよ。さあ、リエル。もう少しだ、頑張ろうね」

おおよそ暗黒の名には相応しくない人好きのする笑顔をガキと俺へ順に向けた同胞に先導されるまま、俺たちはまた雪道を歩き出した。

Day047:夜の畔

※見張り番の交代のために起こしてくれるエスティニアンのお話

無言で肩を揺り動かされて無理矢理意識を浮上させられる。無遠慮なそれにも何となくあたたかみを感じるのは、きっと一緒に過ごした時間と戦場で共に呼吸をしているせいだろう。

段々と苛立ちを含んできた手に無反応を貫くのも難しくなってきて、側で眠る人たちを起こさないように無言で「分かった分かった」と肩を掴む手に二、三回軽くふれる。まだ目蓋は上がらない。

はあ、と大きい溜め息を溢した手の主はカチャカチャと金属の擦れる音を残して、私の真横から離れていった。

ここ最近、野宿の時にやたらと眠りが深くなることが多い。疲れが出ているのかとも思ったが、人里に寄ってふかふかのベッドで眠った翌日も関係なく体は貪欲に睡眠を求めた。今までこんなことなかったのに。

まだもう少しだけ蕩けるような微睡みを惜しんでいたい。あくびをもらしながら身動ぎをすると、体にかけていた上着が落ちた。ドラヴァニア雲海の風が肩を冷やす。
「おい、いい加減に起きろ」

潜められた声と一緒に頬を抓られる。ふすふす抑えきれない笑みと一緒に、私はようやく目蓋を半分ほど開くことにした。
「おはよ、屠龍の」
「全く……英雄ともあろう者が情けない」

寝起きでかさつく声と視線を浮かせて、私の側にしゃがみ込む山都の英雄を見遣る。いつもなら私が起きればすぐに自分のペースに戻る彼のきっちり着込まれた鎧とアーメットの奥にどこか気遣わしげな色がちらつく。
「……まさか、先の蛮神討滅の影響が出ているのか?」
「ううん、ただ朝が弱いだけだから。気にしないで」
「それはそれで問題だろう……」

何度目かの溜め息を聞きながら体を起こすと当たり前だが竜騎士との距離が縮まり、見上げる姿勢なら意外とよく見える涼やかな瞳をまともに見ることが出来た。
「今日は良い日になるよ、エスティニアン」
「だと良いんだがな。ほら、顔洗ってこい」

そう言って背を軽く叩くと、エスティニアンは哨戒に出ていく。彼の飛び去った方からは薄れいく夜の気配がした。

Day048:髪を切る日

※グ・ラハの髪を切ってあげる冒険者のお話
※冒険者はアウラ・ゼラです。性別の描写は多分ありません。

二人降り立った名前も知らない湖の滸には私たち以外誰もいなかった。水面を揺らすそよ風が気持ち良い。
「良い天気だな」
「そうだね。さあ、日が暮れる前にやっちゃおう」

石の家で借りてきた大判のシーツを敷いた上に、その辺で適当に集めてきた木材で作った椅子を乗せる。完成を待つ間、チョコボと一緒にそわそわとこちらを窺っていた赤い瞳へ椅子を勧めると、待ってましたとばかりに勢いよく、しかしそっと席についた。チョコボも彼の後ろをちょこちょこついてきて、広げたシーツの外側にどっかりと腰を落ち着けて昼寝を始めた。

相棒の落ち着きとは正反対の興奮が透ける肩に笑みを漏らしながら椅子の背に立って、ばさりと白いシーツを広げてグ・ラハの首辺りでゆるく結ぶ。代わりに後頭部で編まれた髪の束を解いてやると、自由に風に吹かれて細い赤髪が気持ち良さそうに揺らいでいた。
「じゃあ、始めよう」
「ああ、頼むよ」

髪を切ってほしい、とグ・ラハからハサミを手渡されたのは昨日の夜のことだった。確かに、いつもきれいに整えられている髪がまとめきれていなくて、カラクールのようにもさもさしている気がする。

どうせならプロを呼ぼうか?と訊いても、「あんたがいい」と言う彼にあっさり二つ返事をしたのは単純に嬉しかったというのと、彼の申し出が私にも利があったからかもしれない。
「お客様、本日はどれくらい切りましょうか?」
「そうですねー梳いてもらって、長さは整えてください」
「ふふ、かしこまりました」

指先を揺らす笑いをどうにか押し込めて、するりと指を通した赤髪はルヴェユールの双子たちやリーンのやわらかいそれとは違って、少し硬めでしなやかだった。霧吹きで湿らせながら櫛を通し、整えてからハサミを入れる。

はらはらと彼の破片が肩を、シーツを滑り落ちて私の足元を赤く彩っていた。
「なあ、どうしてこんな眺めの良いところまで出てきたんだ?髪切るなら、石の家でも良かったろ?」
「……昔、父さんに髪を切ってもらったのを思い出したんだ。その時も眺めの良い海辺で、岩場に座ってさ」
「良い親父さんだったんだな」
「ああ、尊敬出来る人だったよ。それでね、いろんな話を聞かせてくれたんだ」

チャキチャキとハサミが鳴る度、幼い日々の思い出が、懐かしい過去の匂いが喉の奥に蘇る。
「なあなあ、オレにも何か話してくれよ」
「何かって……ふふ、困ったなぁ」
「冒険の話がいい!そうだな……ひんがしの国の話とか!」

切り落とした髪を取るために一旦頭の近くからハサミを離したタイミングを見計らっていたのか、グ・ラハが肩越しに私を振り仰ぐ。

きらきらとした瞳とゆるく揺れる赤い尻尾に無邪気なまでに大きな期待が見えて、思わず私の黒い鱗の尾も同じペースで空を混ぜていた。どうか不甲斐ない尾には気付かないでいてほしい、と散髪を続けるために彼の頬を両手で包んで前を向かせる。
「そうだね……あれは、クガネの市場でのことだ」

ふんふんと鼻息荒く冒険譚に聞き入るグ・ラハの髪の束をまたすくって、ゆっくりハサミを入れる。きっと髪を切り終わる頃にも物語は尽きないだろうから。

Day049:花束を抱えて歩く

※冒険者がアーモロートに花束を置き去りにする話

腕の中の花束を抱え直すと、ふんわりと鼻孔を瑞々しい甘やかな香りがくすぐる。

これはただの思いつきだ。特に意味もなければ、何かを成そうという目的があるわけでもない。強いて言うなら、私が忘れてしまわないように確かめたかったのかもしれない。

彼の置いた地脈の錨を目印に降り立った海の底には、主を失っても尚綻び一つ見えない古い都が拡がっていた。

今日はなんとなく相棒のチョコボも置いて来てしまったから、当たり前だが大通りを往くのも自分だけだ。静かな水音に満たされたここは心地良く、一人でいるには広すぎる。

きっとこの大通りにも、道を挟むように天まで伸びる建物にも名前があったのだろう。最早それを知る術はない。それが少し惜しいと感じるのは旅を住処と定め、自分で地図の密度を高める生き方をしてきたからだろう。

ここはいつまでも空白のままだ。

五感とこの身を満たすエーテルに街並みとその匂いを焼きつけようとあちこちを眺めながら歩き回る内、レイクランドに群生するものに似た淡い紫色の街路樹に見下される通りに出た。

そのまま真っ直ぐ坂を登り、ずっとそう在り続けたように威厳ある佇まいに圧倒されながらカピトル議事堂の門をくぐり、終末の日を仕舞い込んだ扉の前に立つ。押しても引いてもびくともしない、創り手の頑固さを感じるそれに早々に見切りをつけ、扉を正面にして座り込んだ。

抱えたままだった花束は横に置いて、しばし瞑目する。

語り聞かせてくれた知らない世界の理。

ビリビリと肌を突き刺すような圧倒的な魔法の圧。

目に染みる朝焼けの色。

そして、古い術式から香った懐かしいエーテル。

大丈夫だ、ここにあって、覚えている。

そうっと目を開くと、まだ閉まったままの扉で視界はいっぱいになった。材質すら知れないそれにふれて一つ深呼吸をする。不思議と息がしやすくなった気がした。

帰ろう。転移術を繰り、水晶の塔を抱く街の導を探るとあたたかい光が手を差し伸べてくれていた。戸惑いなくそれを取って地脈に解ける間際、懐かしい声に呼ばれた気がしたが、私ではない名を呼ぶそれに振り返ることは出来なかった。

Day050:紺屋のタタルさん

※タタルさんが冒険者の服をお直ししてくれるお話
※冒険者はタンク、多分戦士です。

「ただいま戻りました」
「おかえりなさ……ど、どうしましたでっすか!?」

石の家に入るなり出迎えてくれたタタルの悲鳴が響く。彼女はその辺で昼寝をしてしまうミコッテのために置かれるようになった毛布を掴んで駆け寄ってきてくれた。

抱えていた荷物を床に置いて、代わりに毛布を受け取る。上半身はインナーなり、ズボンもたまたま持っていた園芸用のそれで斧を背負っていた間抜けな姿をようやく隠すことが出来た。
「ありがとう、タタル」
「そんな薄着でいたら風邪を引いてしまうでっすよ。装備はどうしたんでっすか?」
「それが……」

おずおずと床に置いた包みの中身を見せるとその大きな瞳がまんまるに見開かれる。そこにはまだらに汚れのついたコートが丸められていた。
「実はモルボルの体液をもろに被っちゃって……とりあえずすぐに水洗いしたけど、もう駄目かもしれないね」

ギバラニアで手に入れた護り手にぴったりな分厚いコートは黒い胴はともかく、裾の部分が白を基調としているから汚れがよく目立ってしまう。アルフィノとアレンヴァルトとの思い出が詰まった大切なものだったけれど、ここまで汚れてしまったらもう駄目かもしれないな、と諦めの色を含んだ溜め息が漏れた。

だが、よく分からない液体でぐちゃぐちゃになったそれをタタルはしばらくじっと凝視していたかと思えば、にっこりと気持ち良い笑顔を見せてくれた。
「大丈夫でっすよ。私に良い案がありまっす」
「良い案?」
「はいでっす!私は手配をするので、その間にお風呂に入ってきてください。お着替えは準備しておくでっす!」

そう言うなり自分が汚れてしまうのも気にせず私のコートを抱えて、タタルは何処かへと走り去ってしまった。置いていかれた私はひとまず言われた通り、体にもついていた汚れを落とすためにシャワーを借りることにしよう。

「お待たせしました!出来ましたよー!」

去っていった時と同じように何処からか軽やかに現れたタタルは、その両腕いっぱいに包みを抱えて帰ってきた。鞄の中を整理していた私はすぐに席を立って我らが受付嬢に駆け寄る。

彼女の満足げな顔が時間にして半日ほどの冒険がとても実りあるものだったのだろうと知らせてくれる。
「おかえり、タタル!何処に行っていたの?」
「ちょっと市場まで!」

引き取った包みからはあの嫌な濡れた感じは全く伝わってこない。もしかして。開けてもいいか目で問うと、満面の笑みを返してくれた。

ドキドキと高鳴る胸を押さえつけて、床についた膝の上で包みを開くと、元の色よりも美しく鮮やかな白と紺色に染め上げられたコートが収まっていた。
「すごい……!」

コートはまだらになっていた汚れなんて存在しなかったように綺麗になっていて、更に修理しようと思って先延ばしにしていた端々のホツレも綺麗に修復されていた。

早速着てほしいとせがまれるまま、立ち上がって染め直してもらったコートを羽織る。白い布はより白く、そして元々夕陽のような朱色だった部分は夜の星空のような紺色になっていて美しい対比になっていた。
「タタル、これ……!」
「えへへ、前にクガネに居た時に紺屋さんに教わったことを思い出したのでっす」
「コンヤさん?」
「染め物の専門家でっす!エオルゼアのカララントみたいなものでっすね」

アジムステップでの旅の間、クガネに残ったタタルは受付嬢としての役目の他にも役に立ちそうなスキルを多々身につけていたのだと言う。今、ようやく役に立ってよかった、と笑う彼女の小さく、少しだけ青く染まった手をきゅっと潰さないように握る。
「ありがとう、タタル。お気に入りのコート、また思い出が増えちゃった」
「喜んでくれて嬉しいでっす。これからも好きな服と一緒に、いっぱい旅の思い出を作ってほしいでっす」
「勿論!」

新生したコートを翻し、まずはタタルとの思い出を作りに行こう。彼女の手を引いて向かう先はロウェナ記念会館のカフェ。きっと旅先でも心を支える笑顔を見せてくれるだろう。