街道を行く
歩みを進める度、下ろしたてのブーツが街道に敷き詰められたレンガでカツカツと小気味のよい音を鳴らす。街道が整備された当時から人々の往来を支え続けてきたレンガは随分と年季が入っているが、それも味となって一層のたくましさを感じる。
商隊の警護についている青年は、この街道を通る任務が一等好きだった。モルド・スークから出立してレイクランドに抜け、厳命城を経由する街道の終着点に近付くほど、青年は軽くなっていく足取りを感じる。初めてこの街道を抜けてその終着点に足を踏み入れた時、田舎の農村で生まれ育った青年はひどく懐かしく、喉の奥に込み上げる熱いものを抱いたのだ。その理由は未だに分からないままだが、だからこそ青年はここが大好きだった。
遠いとおい昔、ノルヴラントを襲った滅びへの反逆のため、大魔道士と民たちによって創られた都市、クリスタリウム。
都市のシンボルであるクリスタルタワーは、その大魔道士と共にどこからともなく現れ、絶望する人々に希望を運んだそうだ。この塔が現れてからもう何百年と経った今もその輝きは衰えるどころか増すばかり。まるでこの都市の、いや、ノルヴラントの繁栄を喜んでいるかのようだとクリスタリウムの人々は微笑みながら話していた。
商隊をしっかりと送り届けた青年は、ミーンリーヴカウンターに報告した折にもらった報酬を握り締め、都市の中でも一際活気のある市場、ムジカ・ユニバーサリス、正しくはそこに併設された酒場へ足を向ける。
この地域一帯で最も人の往来が多いクリスタリウムの酒場、彷徨う階段亭は噂話や儲け話など、明日の飯の種がそこかしこにゴロゴロ転がっている。青年も他の旅人や賞金稼ぎ、冒険者たちと同じく、クリスタリウムの近くに来た時は積極的に立ち寄っては情報収集と称して酒を飲みに来るようにしている。何より歴代の酒場の主人たちが都市の食薬科と作り上げたという料理が絶品なのだ。
カウンターを陣取った青年は重い荷を下ろし、顔馴染みの店員に名物の麦酒と軽い料理を頼む。待つことなくに来たジョッキに口をつけつつ、青年は周りの声に耳を傾ける。同業者たちの声高な武勇伝に混じって、青年の耳はいくつか興味深い話題を拾い上げた。
コルシア島の大昇降機に数年振りの大規模整備が入るらしい。じきに始まるドワーフ族の村祭までに間に合わせようとダイダロス社がかなり頑張るそうだ。
ケンの島が動いているのではないかと近隣から報告があり、クリスタリウムとユールモアから調査隊が派遣されるらしい。調査と警備はクリスタリウムの衛兵団とユールモア軍が受け持つらしいが、何故か妖精語の話せる人材を探しているという。
「お待ちどうさま」
目の前に差し出された皿とその芳しい匂いに青年は意識を引き戻すと、エプロン姿のエルフの女性がきれいに微笑んでいた。青年も微笑みを返し、パンッと手を合わせる。
「ありがとうございます、サイエラさん。いただきます」
「どうぞ。今日も任務上がり?」
「はい、アム・アレーンルートの商隊警護任務です。今回は希少な品が手に入ったって、問屋さんが喜んでましたよ」
「そうなの、良いことを聞いたわ。市場に行くのが楽しみね」
現れた時と同じように気配もなく青年の側を離れ、給仕へと戻っていく酒場の主人の背中を見送る。だが、いつもなら飲み物がきれた頃か皿がきれいになった時に再度声をかけてくれる彼女にしては珍しく、すぐに青年の元へ引き返してきた。
「ねえ、良い話があるのだけれど……興味、ない?」
「良い話?」
他の客には聞こえないようにひっそりと、サイエラと呼ばれた酒場の主人は青年に囁きかける。
青年はまだ熟練と呼ぶには青く、新人と呼ぶにはいくらか経験を積んでいる冒険者だ。知らないものを知りたいという単純な理由で生まれ育った深い森から旅立った彼は、訪れた土地で人と関わって縁を結び、美しいものにふれてきた。時にはお人好しが裏目に出てしまい、裏切られたり騙されたり手痛い失敗もしたが、それでも生きていれば旅は続けられるし、次から危険なもののにおいを嗅ぎ分ければ良いのだ、ときっぱりしていた。
その点、サイエラの『良い話』は最高の冒険の匂いがする。
「その話、ぜひ聞かせてください」
「……あなたなら、そう言うと思った。じゃあ、食事が終わったら声を掛けてちょうだい」
クリスタリウムのシンボルである塔は大昔、光の氾濫という大災害があってすぐ、偉大な魔道士と共にいずこからか現れたものらしい。滅びの運命を覆したクリスタリウムの人々はこの塔に見守られながら自分たちの足で立ち上がったのだと、青年は幾度となく街を訪れる内に住人から何度も繰り返し聞かされていた。
日の光を浴びてキラキラと光る姿は明日への希望を抱かせる力強さを持ち、夜闇を裂くように淡い碧が灯る姿はレイクランドの何処にいても導となる。
「ようこそ、旅人さん。サイエラさんから話は聞いています。ご案内しますのでついてきてください」
食後、酒場の主人から塔の入り口であるドッサル大門へ向かうようとだけ指示された青年を迎えたのはヴィース族の衛兵団員だった。内部へと通じる扉を開き、先に入っていく団員の赤いマントについて青年もまた塔へ潜り入っていく。
冒険の匂いに誘われ青年が足を踏み入れたそこには、まさに彼が求めていた景色が広がっていた。天まで高く伸びていく螺旋階段を上りながら、どこを見れば良いのか分からないほど不思議な雰囲気が漂っている空間に青年は視線を忙しなく巡らせる。少なくともこの地に百年以上在るにも関わらず、古さを全く感じさせない内装は絢爛そのもの。外とはまた違った輝きを持つクリスタルが淡いようでまばゆい光を放っている。
ロンカ文明に幼い頃からふれてきた青年もこの未知に満ち溢れている塔に、心臓が痛いほど胸を弾ませめいた。
「街を作った魔道士が執務室に使っていた部屋もまだ残っているのですよ」
まるで子どものようにそわそわと落ち着かない様子の青年にやわらかな微笑みを見せる団員は、螺旋階段に、途中の踊り場に、扉に、あらゆる場所を指しながら、まるで魔道士がいた頃を見てきたかのように丁寧な言葉で物語を蘇らせていく。その一つひとつに青年は心躍らせ、息を呑み、冒険を共にし、人々の暮らしに思いを馳せた。
「着きました。どうぞ、こちらへ」
青年の胸の内が物語で溢れそうになった頃、二人は拓けた場所へ至る。ゆっくりと言葉を辿りながら登ってきたからか、空は夕焼けで赤く染まっていた。
「あの、ここは……?」
「……この街を創った魔道士がいらっしゃる広場です」
魔道士。ここに至るまでにいくつもの物語を聞かされてきた、救世の英雄。ここにいるとはどういう意味だろう、と青年は団員が向ける視線の先を見遣る。
そこには、堂々と立っている人影があった。夕焼けに照らされるその人へ、ごく自然と足が動く。その人との距離がゆっくり縮まる間は街一つが生まれ育つほどにも、まばたきほどにも感じた。
その人は塔と同じ碧、本当の名も知れない魔道士。
堂々たる姿に何故だろう、自分との縁はないはずなのに目頭が熱くなる。視線を落とせば足元には花や瓶、手紙がどっさり入った箱、その傍らには大きな傘が置かれていた。
「こんにちは、水晶公」
いつの間にか隣りに立っていた団員が魔道士へ呼びかける声で青年は顔を上げる。手に持たれた複雑な紋様が描かれた杖も、揺蕩うように波打って手ざわりのやわらかさを思わせるローブも、やさしそうでいて芯の強さを感じる精悍な面差しも、全てが碧いクリスタルで形作られている。
「改めて、あなたへの依頼を。私とおじいちゃんに、冒険のお話を聞かせてくれませんか?」
遠いとおい昔、ノルヴラントを襲った滅びへの反逆のため、大魔道士と民たちによって創られた都市、クリスタリウム。
魔道士は仲間たちと共にこの世界の闇夜を取り戻し、長いながい旅の果てにその身を水晶と変え、ずっと民を見守り続けている。
彼が一等好んだのは心躍る冒険の物語。
今日も彼の周りでは街の住人や旅人たちが、時にリュートなどめいめい得意な楽器の音色に乗せて、自らの目で見てきた世界を語っていた。