祭の夜
※2020年12月27日(日)にオンライン開催された「頭割りだョ!ヒカセン集合」にて無配ペーパーとして発行しました。
後夜祭
街が眠っている。
鏡面に映る街は動く者の方が少なく、歩き回る衛兵たちが時折映り込むばかりだ。繰り返されていた乾杯の声も踊らずにいられない音楽も、心地良い眠りのさざ波に全てさらわれた民たちは夢路の只中で夜明けを待っている。
静かだ。
平穏を目の前にして、ふわふわと浮ついた心をどうやって鎮めようかとひとときの思案の後、夜の散歩へと出かけようと思いつく。早速、道具箱から薄縹色の花を混ぜ込んだあの人手製のロウソクを選び取って火を灯す。ほんのりとやさしい光を放つランタンを片手に星見の間を抜け出し、昼間に若い二人を祝福したドッサル大門を通り過ぎた。
エクセドラ大広間を突っ切るように歩を進める度、ふわりとやわらかい花の香りが私の後ろで気まぐれに踊るようについてくる。一人きりの散歩なのにまるであの人も一緒にいるような不思議な気持ちになり、誰も見ていないのをいいことに口角が上がるままにさせる。
あの人、私の一番憧れの英雄。
ひとときであっても戦場で肩を並べることが出来た今、あの人の遺した光を胸にひたすら駆け抜けた年月も全てが報われたような気すらする。
まだ賢人たちを元の世界に還す方法を完成させるという課題はあるものの、それでも。
今すぐこの身が果てても良い、そう思えるほどの充足感。だけど、そんな道はもう選べない。
思い出してしまったのだ。
ふとした拍子に呼吸すら苦しくなるほどこみ上げてくる熱を耐えるように背を丸め、丁度水晶と生身の境あたりのローブをぐっと握り締める。
一つ、二つ、肺の奥の奥まで花の香りが染みていくようにゆっくりと呼吸をする。
しゃんとしろ、まだ役目は終わっていないのだから。そう言い聞かせて私はまた水晶公として足を踏み出す。
いよいよ空が白んできたようだ。
街に暁が訪れる瞬間を見たくて、彷徨う階段亭の裏手、物見台になっているギャングウェイへ向かう。
ふとキラリと煌めく光を背に感じて振り向くと、薄明かりを受けたクリスタルタワーから照り返した光が降りて、街を淡い碧に染めていた。乱反射する光に目を潰されないように右手をかざすと、同じ碧色が私の顔だけに降ってくる。
あの人が静寂の夜にふれた人ならざる証。
この光に賭けて、私はこの先に迎える結末を必ずあの人の微笑みで終えられるように。
暁光を得て冴えざえと注ぐ二つの光に、一人誓いを立てた。
そうして佇んでいると徐々に空が明るくなり始めている。少しゆっくりしすぎたようだ。円蓋の座を、ムジカ・ユニバーサリスを次々と通り過ぎていく。比較的朝が早いマーケットがまだひっそりとしている様子は珍しいものを見られたようで、そう、この街が開かれた当時を思い出させた。
差しかかった彷徨う階段亭は誰かが忘れていったのだろうストールや片方だけの靴が落ちていたり、多少は夜の内に片付けられたものの、そこかしこに宴の名残が見られた。今日は街中が大掃除に勤しむ中、きっとあの人も手伝いをして回るのだろう。民たちと笑顔と言葉を交わしながら楽しそうに駆ける姿を想像し、頬が緩む。
すると、あの凛々しい姿を想像したからか、頭の中を駆け回っていた英雄本人がペンダント居住館の方から歩いてくるではないか。
逸って駆けだしそうになる体を抑えつけ、努めていつも通りの水晶公を装い、恐らく私以外に唯一この街の中で目を覚ましている人に近付いていく。
気配に敏いその人はすぐにこちらに気付き、風のない日に寄せる波のような微笑みを向けてくれた後、その視線を外に通じる門へと向ける。
もしや、という期待は私が隣りに並ぶのを待って再び歩き出した時、確信に変わった。どちらともなく合わさる歩調で門を越え、当初の目的地へと歩みを進めていく。
二人肩を並べて階段を上る、そこに会話はなくとも確かに私たちは同じ気持ちでいると、のぞきはじめた太陽から差す暁光をたたえるその瞳が教えてくれていた。
とうとう階段を登りきると、一陣の風が二人の間を吹き抜けていく。隣りではその人が目を細めて風の行方を視線で追い、その先にあるクリスタルタワーを仰いだ。
眩しい。
「おはよう、水晶公」
「ああ、おはよう。私の、一番憧れの英雄」
街が起きる前に
街が眠っている。
活気のある市場、さまざまな土地から運び込まれる好事家向けの珍品の数々、腕自慢の冒険者や賞金稼ぎを募る儲け話、そしてちょっとした騒動。めまぐるしく移り変わる様は毎日違った祭が開かれているような、心地よい喧噪だとオレは感じる。
そんな街も夜明け間際、空が白み始める前は表立った往来に人はおらず、酔客も酒瓶を抱えて沈んでいる。
静かだ。
なんとなく目が覚めて寝直すには冴えてしまったから本でも読もうかと思ったが、寝床として借りている未明の間の一角で明かりをつけると誰かを起こしてしまうかもしれない。
ならば久し振りに夜の散歩と洒落込もう、とラムブルースに返してもらった荷物の中からランタンを引っ張り出してくる。ロウソクはどうしようか、と視線を彷徨わせると油紙に包まれたあの人手製のものを見つけた。
折角なら祝福に溢れたあの日と同じ、薄縹色の花を混ぜ込んだ一本を選び取って、マッチと本と、一応風除けの毛布も一緒に小ぶりのカバンにそうっと入れて肩から提げる。一人だけどちょっとした冒険のようで気分が上がってきた。
石の家の大広間に詰めている人たち、酒場で潰れている誰も彼もを起こさないように扉を開ける音も足音も立てず、呼吸すら薄めて外へ抜け出す。
裏通りの人間や巡回の人が来なさそうな場所を探すために辺りを見回すと、丁度良い塩梅の高台が目に入った。寝起きでも軽い体を夜闇に溶け込ませて、するすると足場を伝って上へ上へと登っていくと、まだ日の出には早いはずなのに淡い光が瞳を少しだけ細くしたような気がした。
登りきった高台は予想通り誰かが来た形跡もなく、そこに立ってやっと光の正体に気付く。南東の方角に聳え立つ黙約の塔の向こう、クリスタルタワーだ。
まさかここからでもこんなに綺麗に見えるとは思わなかった。しばらく突っ立って遠くに佇む古の塔を眺めていると、いろんな想いが胸の内に渦巻き始める。
ここに今、オレが目覚め、立っていることの意味、その軌跡。
オレも、私も見たことのない新しい未来に繋がる、今。
いつも背中ばかり見ていたあの人と肩を並べて共に歩むこと。
あの人、オレの一番憧れの英雄。
冒険に繰り出しては信じられないような強敵を打ち倒し、時には気ままに歌ったり料理をして、呼吸をしている。この身を満たす希望の光があの人に届いたのだという証は、ふとした拍子にオレだけを覆う雲になって雨を降らせる。
今もじわりと潤みかけた瞳を誤魔化すために、カバンからランタンとロウソクを取り出し、マッチで手早く火を灯す。途端にふわりと香る花の匂いはあの宴の後と同じものだ。
この体は知らないけれど魂が知っている。そんな一瞬のことでも地続きの生を、あの人が繋いでくれた夢を自覚する。実感が胸に広がっていく度に目頭を焼くような熱を何とかやり過ごそうと、ぐっと首に巻いたストールを握りしめた。
ほう、と大きく呼吸をすると少しだけ落ち着いたように感じる。
いつしか白み始めた空とランタンの灯なら持ち出してきた本も読めるだろう。手すりにもたれてカバンから一冊、長年読み続けてきて表紙が若干擦り切れた本を取り出す。これも、ノアで調査をしていた時に天幕に残した荷物の一つだ。憧れ続けた英雄たちの物語、オレのお気に入りの一つだ。
これから先、あいつもまたこの物語の主人公たちと同じように冒険を続ける。その隣りに自分が居られたなら、どんなに──
だが、夢は唐突に降ってきた羽ばたきの音とページを一気にまくっていく突風に遮られた。
驚いてつい取り落した本を拾うことも忘れ、バッと音がしたのではないかと思うほど勢いよく振り仰いだ暁の空。丁度、光を背負う影が立派なチョコボの背から飛び降りてきた。宙返りを決めてきれいに着地したその影の主は一瞬、背後で昇る太陽を見遣ってから足元に落ちる本を拾い上げる。
差し出されるそれと一緒にくれた笑顔が眩しくて、思わず目を細めてしまう。オレは今度はその瞳を真っ直ぐに見ることが出来た。
「おはよう、グ・ラハ・ティア」
「ああ、おはよう……そして、おかえり。オレの、一番憧れの英雄!」
前夜祭
街が眠っている。
沈むことを思い出した太陽がその姿を水平線の向こうに隠し、天鵞絨のようななめらかな闇がもたらされた──あの忌々しいハイデリンの使徒の大いなる活躍によって。全く、厭になる。
個人的にはこの臓腑の奥まで染め上げるような夜闇の方が好ましいが、大事な仕事を進めるためを思えばそうも言っていられない。
どうせこんな夜中ならば奴らも動くまい。少し眠ろう、と人目につきにくく、誰も登れそうにない高台を選んで、適当に創った椅子に腰を降ろす。
ぐっと背もたれに体重を預け、そのまま空を仰ぎ右掌で額から目を覆うと、この瞬間を待っていたように体は深い奥底から重い空気を吐き出した。
ソル帝という大きな仕事を終えて間もなく駆り出されたせいか、器を乗り換えても取り払うことが出来なかった疲労を感じる。エリディブスの奴、人使いの荒さまで真似をせずとも良いものを。
もう一つ、先のよりは幾分か浅いところから出た溜め息を吐き出して、目に当てていた手を腕ごとだらりと下ろす。椅子に背中で座って足を放り出し、完全にだらけきった姿を晒しているが、誰が見ている訳でもないなら問題ないだろう。もしあの水晶公とかいう奴がご自慢の大鏡でこちらを覗いていてもそれはそれで面白い。
くっくと喉奥に噛み締めた笑みを仕舞い込んで、思い出しついでに例の男が何処にいるのかを見てやろう、と街を見下ろした。
何にも遮られない高さまで上がってきた甲斐もあり、ここからは百年かけて造り上げられたという街を一望することが出来る。
なるほど、塔を始め随所にアラグの遺産を利用しているらしい街並みはなかなか褒めてやっても良い出来だ。時折ちらつく懐かしい様式の建物を見つけると、この終わりかけた世界も確かに取り戻すべき世界の欠片なのだと嫌でも思い知らされる。
しかし、これも取るに足らない紛い物だ。本来在るべき私たちの時代のものと比べると稚拙極まりない。
一通り街を眺めた後は、もう一つの視界で彼方のあわいを見遣る。
あの男の魂はこの世界に生きる誰よりも、あの英雄殿と比べてさえ鮮やかで色濃い。すぐに見つかったその明滅は、何処からか塔へと戻る途中のようだ。百年以上はこの街と共に在るらしい水晶に侵されたそいつは、妙に機嫌良く堂々とした足取りで塔の中へと戻っていった。
特に面白いものでもない、全くの期待外れだ。さっさと寝よう、と椅子からゆっくりと立ち上がろうとすると目の前に影が飛び込んできて、上がりかけた腰がまた着地してしまった。
相当な高さまで登ったつもりだったが、どうやらこいつにはあまり意味がないことだったらしい。ひらりと身軽に宙返りをして見事な着地を決めた英雄殿に最大限の賛辞と皮肉を込めて、その背中に拍手を贈ってやる。
すると、いくつかの世界と数多の命を勝手に賭けられた肩が面白いほどビクリと跳ねる。酒瓶とグラスを片手にゆっくりと振り向いたそいつは、まるで幽霊を見つけたように怯えた目を向けてくる。敵に向ける反応としてはまずまず、及第点と言ったところか。しかし、間抜け面にどうしても耐えきれず吹き出すと、露骨に嫌そうな顔を見せてくれた。全く、仕方のないやつだ。
ふと湧き出た悪戯心を満たすべく、ちょいちょいと手招きをしてやる。戸惑う英雄様に足組みをしたまま両腕を広げてこちらは丸腰だ、何も企んではいない、と示す。詠唱などなくてもすぐに魔法が使えるこの私に丸腰という状態があるのか、という疑問はきっと気付いてはいないだろう英雄殿は若干怯えを残しつつも無防備に近付いてきた。こういう素直さがこいつを『英雄』にしたのだろうか、と吐き気を覚える。
のこのこと目の前までやってきたそいつに更に手招きをして、近付いてきたその額に思い切り指を弾いてやる。まるで尻尾を踏まれたファットキャットのような酷い悲鳴を上げてさっと素早く距離を取る英雄様の様子に声を出して笑ってしまった。じわじわ痛むだろう額を両手で守りつつ信じられない、という目を向けてくるこいつはなかなか揶揄い甲斐がある。
「良い子は眠る時間だ。お前のことが気になって仕方がないお仲間たちが騒ぐ前に部屋に戻れ」
「……あなたも、ちゃんと寝た方が良い。目の下の隈が酷くて見ていられないよ」
恐らく赤くなっているだろう額をさすりつつ、出てくる言葉はこれだ。お人好しにも程がある。興が削がれた、今夜はもう終わりだ。さっきは近付くようにと誘った手で、今度はさっさと消えろと追い払う。
何故か肩を竦めたそいつはまた素直に踵を返し、手に持っていた酒瓶とグラスを縁に置いた。興が削がれたのは奴も同じということらしい。
「おやすみ、アシエン・エメトセルク」
来た時と同じように身を宙に躍らせたそいつの影が帰路に就いたことを見てから椅子を立つ。少し軽くなっている酒瓶から果実酒をグラスに注ぎ、今この時は私だけを照らす月光に翳す。深紅の水面がとぷりと揺れる。
「……良い夢を」