市井に芽生える
さわさわと紫色の木々を風が揺らす。屈めていた体を伸ばして、すっと深く息を吸い込むと水辺の草木の匂いがする。刈り取った白い花を数えると、あともう少し頑張れば足るだろうとちょっとした満足感を感じた。
「店長さーん、あとどのくらい必要ですか?」
「そうですね……あと、100組分はほしいです」
「はーい」
少し離れたところで同じように屈んで鎌を構えるその背中は、普段私のお店を懇意にしていただいているお客様その人だ。傍らには可愛らしい黄色いレインコートがよく似合う相棒のチョコボを連れて、これまで採集した花や今回の目的以外の植物を背に載せた積み荷にたくさん詰め込まれている。
私自身が頼んだ結果だというのに、その楽しそうな横顔と一緒にレイクランドの片隅で植物採集をしていることが未だに信じられない。
はじまりは数日前のことだ。レイクランドだけでなくノルヴラント各地に拡がっていく闇が私たちにもたらしたのは光のない夜だけではなかった。今日と明日だけではなく、その先を生きることに目を向ける気持ちの余裕。それは失われた習慣を取り戻そうとする動きだったり、泣く泣く手放した文化であったり。
街中にそんな前向きな気運が覗き始めた頃、私には何が出来るのだろうかと多くの民と同じように博物陳列館に足を向けた。モノを売る私に出来ること、それはモノを通して文化を思い出し伝えていくことだろうか。何か手がかりがないかと歴史書の集められている棚を回遊して、目についた本を片っ端から引き抜き捲っていく。
そうしてお店の業務の合間に文字の海を泳ぐ日々を数日過ごして、ようやくその中に一つ、一年が巡る節目にするお祝いがあるという記述を見つけた。なんでも、街を飾り付けて新しくやってくる次の年とその守り神の到来を祝うとのことだ。守り神のことは詳しい記述がなかったので分からなかったが、お祝いの飾りについては形の図や材料までかなり詳しく記録されていた。
本来は麻や稲の藁を使うようだが、これならレイクランドに自生している白亜麻で代用出来るはずだ。ただ、問題はどうやって白亜麻の自生地──確か厳命城の南だったはず──まで行くかだ。隊商はあの辺りを通過するだけで留まることはないから、連れて行ってもらったとしても魔物が跋扈するレイクランドを一人で無事に帰ってくることは難しいだろう。
ならば、やはり自分で用心棒を雇うのが一番確実だ。パタンと本を閉じて元の場所に差し戻して、早速手を貸してくれる腕自慢を求めて一路、彷徨う階段亭へ向かった。
「あ、店長さん。こんにちは」
階段亭に足を踏み入れてすぐ声をかけてくださったのはカウンター席に座っていらした水晶公のご友人だった。酒精の匂いの代わりに香り高いコーヒーの匂いと談笑の声を背景に、ゆるりとした時間が流れているそこによく馴染んでいらして何だか嬉しくなってしまう。歩み寄るとお召し物が少し土に汚れていて、表情もいつもより緩慢さを含んでいらした。
「こんにちは、お客様。随分くたびれていらっしゃるような……?」
「はい、さっき護衛任務から帰ってきたばかりで」
「そうでしたか、護衛任務に……」
急激に頭の中でパーツが組み上がっていく。
水晶公のご友人。罪喰いすら倒してしまわれる腕の持ち主。用心棒。
気付いた時にはお客様との距離を大股で歩き詰めてフォークを持っておられた手を引ったくるように握っていた。
「お客様!お願いがございます!」
「……うん?」
「それにしても、いっぱいいっぱいになっている店長さんが見られて面白かったです」
「その……大変失礼いたしました……」
笑いを噛み殺したお客様の声を背中越しに聞きながら、サクサクと白亜麻を刈り取る。
「それに……お帰りになってすぐお出かけいただくことになり、申し訳ございません」
「いいえ!店長さんはちゃんと止めてくれたのに、私が早く行きたいって無理を言ったんですよ。それに、」
ふと言葉を止められたお客様を振り向くと、腕いっぱいに白亜麻を抱えて立ち上がり、東に聳え立つクリスタルタワーを眩しげに眺めていらっしゃった。
「ふふ……さあ、もうちょっとですよね。日が暮れてしまう前に終わらせちゃいましょう」
お客様は次の言葉を継ぐことはなく、代わりにそよぐ風に任せてお髪を揺らして柔和な笑みを浮かべ、嬉しげに白い花にお顔を埋められた。ただの馴染みの店の者であり、今は依頼人である私が踏み込むことの出来ない感情が垣間見えた気がして、気恥ずかしさに視線をさっとずらす。すると、先ほどまでお客様に寄り添っていた黄色い姿が見えないことに気付いた。
「お客様、チョコボのお姿が見えないようですが……」
「ああ、大丈夫です。ちょっと遊びに行っているだけなので、すぐに戻りますよ」
さして気にしていないように作業に戻られたお客様に、それでも私はどうにも不安が拭えずにいた。この辺りは夜が戻ってきたとはいえ、未だにはぐれ罪喰いの脅威は去ったわけではないし、何より魔物もたくさん生息している。だからこそ、お客様に護衛を依頼したのだ。お客様のチョコボも訓練を受けているとは聞き及んでいても、一人でふらっと散歩に行ってしまっては心配になる。
既に傾き始めている太陽に急かされて私も作業に戻ったが、やはり気になって手元に集中出来ない。強い魔物に襲われていないだろうか、ちゃんと迷子にならずに戻って来れるだろうか。そんな気持ちを汲んでくれたのか、ピュイピュイとご機嫌な足取りでチョコボが帰ってきた。
「……よかった」
「ふふ、心配してくれてありがとうございます」
何もかもお見通しな微笑みに少し頬が熱くなる。お客様は傍らに寄り添うチョコボを伴ってこちらに歩み寄ってこられて、私の足元に置いていた収穫物をチョコボの背にどんどん積まれた。一緒に白亜麻を積もうとその黄色い翼に近づくと、すかさず髪を啄まれてしまう。
「こら、悪戯しちゃ駄目」
お客様が大きな嘴を軽く叩いてたしなめられたチョコボは、髪をつつく代わりにじっと荷を積む私たちを観察しはじめたようだ。つぶらな黒い瞳が愛らしい。お気に入りだというレインコートについていた土を払い落としてやると、ピイと嬉しそうに鳴いてくれた。
「このくらい集まりましたが、足りそうですか?」
「ええ、むしろ余るくらいです。ありがとうございます」
「いえいえ。じゃあ帰りましょうか、クリスタリウムへ」
幸い採集途中や帰路でも魔獣や罪喰いに襲撃されることもなく、無事に帰還した私たちは早速お祝いの飾り作りに取りかかることにした。流石にお疲れが溜まっているであろうお客様をこれ以上私の我儘に付き合わせるわけにはいかない。この後の仕度は一人ですると丁重にお断りしたにも関わらず、乗りかかった船だからと更に丁寧に断られてしまった。
退いてくれそうにないお客様を伴って、店の倉庫に案内したのが夕方頃のことだ。至極楽しそうに白亜麻の茎を繊維状に裂いていく手はとても早く、まさに職人のそれだった。
「実は私の故郷でも似たような飾りをするんです」
「そうなのですか!遠い異国と同じ習慣があったなんて……」
「ね、なんだか嬉しくって」
つまり、この飾りは水晶公にも馴染みのあるものということだろうか。公にお持ちすれば喜んでくれるだろうか。
そんなそわそわとした気持ちを抱えて、お客様と一緒になって資料を片手に四苦八苦しながら組み上げたお祝いの飾りはお世辞にも本で見た写真の通りとは言えなかったが、少し歪な円形のリースに達成感が沸いてくる。
「お客様、出来ました!」
「うん、良いですね。やっぱり、季節を感じられるものは良い」
「ああ、本当に……何から何まで本当にありがとうございました」
「いいえ、私も楽しかったです。それに、」
ふ、とまた言葉を止められる。今度は灯るロウソクに視線をあたためられてから、少し恥ずかしそうにはにかんで次の言葉をぽつりと落とされた。
「みんなが取り戻そうとすることを、手伝えて嬉しいんです」
少し赤く染められた頬は年相応のやわらかさを持っていっしゃって。この方にとっての幸いの片鱗を見せていただいたような気がした。それはひどくやさしい、きっと誰もが持ちえる『当たり前』で。公がこの方を『一番大切な人』だと仰った理由をまた少しだけ理解したような気がする。
「さあ、店長さん。あとは量産ですね!私、頑張ります!」
「えっ、今からですか?そんな、お疲れのところに更に重ねてお願いするなんて、」
「良いんですよ、すごく楽しいからむしろ元気になっちゃって」
心底楽しんでおられるように見えるけれど、それでも朝から戦闘を伴う護衛任務に就かれていたことを考えるとここは素直に引き下がってはいけない予感がした。
公やご同郷の皆様もよくお客様には休むようにと仰っている姿をお見かけするので、もしかするとこの方は止められない限り、それこそ倒れるまで無限に動き続ける人なのではないかと疑念が過ぎる。
「では、せめてお食事を。その後、全体の三分の一を作りましょう。残りは明日、一緒に作ってくださいますか?」
「……分かりました。店長さんとご飯なんて、なんだか不思議ですね」
「ええ、私もなんだか不思議ですが……嬉しいです」
抑えきれなかった気持ちが頬を緩ませて、それを見たお客様もまたパッと太陽のような笑みを見せてくださった。
浮き立つような足取りで連れ立って倉庫を出ると既にとっぷり日が暮れていて、すぐ近くの彷徨う階段亭からは酒精に背中を押された活気が溢れ出ていた。昼間にお客様が座っていたカウンターにもう一度戻り、今度は二人並んであたたかいリゾットをいただく。食べながら持ってきたリースを見つつ改善点を相談していると、なんだか不思議な心地だ。
「おや、珍しい組み合わせだな」
「水晶公!」
そろそろ戻って改良版を作ろうというところで、背後からコツンという金属が床のタイルに当たる音とやさしい呼びかけが聞こえてきた。すかさず振り向いたお客様が嬉しそうにその人を呼ぶと、応えるように水晶公はゆっくりとこちらに歩み寄ってこられた。その僅かな合間、お客様はそうっと私に身を寄せて常より低い声で耳打ちをされる。
「これ、見せてあげたら喜ぶと思いますよ」
「ふふ、秘密の相談かな?この老人にも教えておくれ」
「ほら、店長さん」
「え、ええ……」
さっと身を引いたお客様はまるで相棒のチョコボのごとく悪戯っぽい笑みとウインクを寄越してくださったが、こちらとしては心臓が早鐘のように打っていて何が何やら分からなくなっていた。公とお客様に見守られる中、完食した皿の横に置いていたリースを震える手で取って、静かに待っていらっしゃる公に差し出す。
「これは……」
「その、この時期に作られていたらしいと本で知りまして……お店でお出しするため、お客様にお手伝いいただきました」
「……そうか、ここにも……」
公は手に持たれていた杖を背に仕舞い、差し出したリースを両手で受け取ってくださった。表から裏からそれを眺め、うっそりと呟かれたきりリースから目を離せない様子だった。
「あの……」
「ああ、すまない。よく出来ているよ。きっと皆も、特に古い習慣を知る者たちは喜ぶだろう」
耐えきれなくなった私にも公はやさしく、その真意すらも見抜いたお言葉をくださった。こちらに戻してくださったリースは変わったことなどないのに、何故かさっきよりも良い出来に見える。
「あなたも、手伝ってくれてありがとう。全く、頭が上がらないな」
「良いんだ。私が好きでやっていることだから。これから量産に入って、お店で出せるようにするんだよ」
「それは頼もしい。だが、今夜はもう遅い。製作は明日からにしてはどうだろう?」
「え、まだ大丈夫だよ。ご飯食べて元気になったし」
何だろう。水晶公のまとう雰囲気に肌がピリつくような、常とは違う空気をまとっておられる気がする。しかし、これは好機だ。このままご無理をさせるわけにはいかない、その気持ちは私も同じなのだから。
「お客様、ここは水晶公の仰る通りですよ。朝からお出かけが重なってお疲れでしょうに……」
「でも、」
「製作は明日からにしてはどうだろう」
口元は笑っているのに何故か怒っているような、この水晶公は過去に何度か見た覚えのあるものだった。例えば街の子どもたちがひどい悪戯をしでかした時や、無茶をした衛兵をこっそり叱る時。
その逆らってはいけない雰囲気を感じ取ったのだろう、お客様はしょんぼりと肩を落としてぽつりと諦めた声音で降参を告げた。
「……はい」
「良い子だ」
素直に頷いたお客様の頭に公は左手をぽすりと乗せ、ひと撫で。公にとってクリスタリウムの民は自らの子どもに等しいのだろう。それが遠い異郷からやって来た同郷の方であっても、今ここに生きている者であれば同じなのだ。
「明日であれば、アルフィノとアリゼーも手伝ってくれるだろう。皆ですると良い、その方が楽しいだろう?だから、今日はもうお休み」
「……分かった。無茶言ってごめんなさい、店長さん。また明日」
「いいえ、お気になさらず。また明日、どうぞよろしくお願いいたします」
お客様はゆるゆると手を振ってペンダント居住館へと足を向けられ、とぼとぼと少し疲れた背中を残して陽気に騒ぐ酔客の中に紛れて帰り路に就かれた。その人目を引く背中が見えなくなってから、ほうと少しだけ安堵の息を吐く。
「君もすまないな。もし今日中にする作業があるなら私が手を貸そう」
「いえ、公もどうかお休みになってください。こちらは明日でも問題ございませんので」
そうか、と口元を緩められた公はもういつもの雰囲気に戻られていた。フードに隠れた眼差しはきっとやさしい色をされているのだろう。ご同郷の皆様のことを語り、想う時、公は一等嬉しそうでやさしい雰囲気を醸し出される。それが私は大好きで、少しだけ寂しい。
「そうだ。もし良ければそのリース、私が貰っても良いだろうか?代金はいくらだろう」
ふと思い立ったようにピ、と指さされたのは先ほど私に戻してくださった試作のリースだ。そわそわと袖の中をまさぐってお財布を探していらっしゃる水晶公を慌てて制止する。
「そ、そんな!折角なら、ちゃんと改善したものをお渡しいたします!」
「いいや、それが良い。努力と文化を取り戻さんとする力が伝わる特別な第一号だ。せめて今夜は独り占めさせておくれ……駄目だろうか?」
正直、公にここまでお願いをされて断れるクリスタリウムの民が居るだろうか。いや、絶対に居ない。おずおずとリースを差し出すと代わりに握らせられそうになるお代を、せめてもの抵抗に固辞させていただく。無言の攻防の末、最後に公が折れてくださってようやく私たちの小さな揉み合いは終結した。
「ふふ、ではありがたく飾らせてもらおう。もし工芸館の手が必要になるならば呼びかけてくれ」
「かしこまりました」
「ありがとう。さあ、君も疲れているだろう。よく休むように」
左手にリースをしっかり抱えてから背中にしまっていた杖を右手に持ち直して、公もクリスタルタワーへと戻って行かれた。お客様とは逆にうきうきとした足取りはともかく、チラリと見えた赤い何かは見なかったことにしよう。その小柄な背中が人の波に隠れてしまう前に少しばかり声を張って呼びかける。
「おやすみなさい、水晶公!」
気付いてくださった公はリースを掲げて、完全に人の波間に姿を消されてしまった。
お二人をお見送りするとようやく人心地ついたようで、どっと眠気が押し寄せてきた。衆目を集めるお二人と一緒にいることがこんなにも緊張するとは。
しかし、なんだか夢のような一日だった。チョコボに頭をつつかれたのが今日の出来事だというのも信じられないくらいだ。でも、とても心が軽い。雲間から射す陽光のような、幾筋もの細い糸が手繰られ太い一本になっていくような。
ああ、明日がこんなにも楽しみだなんて。