Day081~090

Day081:光の向こう

※ゆっくり休日を過ごす冒険者といつも通りの水晶公のお話。

彼が歩く度にふわふわと赤と白の布が風を受けて、豊かな波を作っている。揺れる波間に、かつて本人は隠しきれていたと思い込んでいた、紅い尻尾が揺れていて思わず手が伸びそうになる。
「うん?どうかしただろうか?」
「ううん、何でもない」

第一世界の知り合いたちの間を飛び回って、久し振りにクリスタリウムに帰還した今日は、深慮の間でゆっくりと体を休めてほしいという『依頼』を受けてしまったお陰で彼の隣りで過ごす理由が出来た。

依頼主本人は忙しそうに床に散らばった書類を眺めたり、本棚を漁ったりしてこちらには基本的に構ってくれない。それでも、私はこの何でもない時間を彼と持てることが心から嬉しかった。
「すまない、急ぎの案件があったことをすっかり失念していて……本には飽きたかな?」
「飽きるどころか、初めて読むものばかりで時間が足りないよ。それに、第一世界の言葉はまだ読み慣れていないから、良い練習にもなる」
「そうか、ならよかった」

すう、と目を細めて幾分かやわらかくなった微笑みを見せてくれた水晶公は、そのまま本棚の近くの床に座り込んで本の山を作る私に歩み寄ってきた。そして隣りに腰を下ろして、書類に目を通し始める。ふわふわひらひらと波打つローブの裾を慣れた様子で折り込む何気ない仕草に、グ・ラハ・ティアという青年が導き手として生きた時間の長さを感じた気がした。

手元の本に視線を落とす振りをして碧い光が差し込む横顔を見ていると、流石に見過ぎだと苦笑されてしまった。
「もう少しできりがつくから。そうだ、良いものをあげよう」

そう言って贅沢に布を使ったローブの腰で絞られたその弛み、ちょうどポケットのようになっている部分に何故か水晶公は手を突っ込んでその中をまさぐり始めた。
「えぇ……何してるの……?」
「まあまあ、待ってくれ……ええと……あった。ほら、手の平を」

未だにおじいちゃんの奇行には戸惑いが残るが、言われた通りに右手の平を差し出す。得意げに、そうっと両の手から落とされたそれは、彼の懐から出てくるには些か可愛らしいクッキーの包みだった。
「公、これどうしたの……?」
「……これはライナには秘密なのだが」

まだ孫娘が幼い頃、やはり今のように仕事が忙しくて彼女を拗ねさせてしまうことが多々あったという。積もり積もった不満が爆発して大層怒らせてしまった時、お詫びにとねだられたのがこのクッキーだという。
「それ以来、持ち続ける癖がついてしまってね。もう彼女は幼い子どもでもないのに」

この深慮の間にも懐かしい物語があるのだろう。目を細めて微笑む彼は私を通して、幼い少女の残影を見ているようだった。
「よかったら、摘んで待ってておくれ。もうじき終わるから、散歩にでも行こう」
「はぁい、おじいちゃん」

ふざけて返事をしてみると、コツンと額を左手でやわらかく小突かれてしまった。カサカサと包みを開くと、およそ幼い少女が一人で食べるには多すぎる量のクッキーが詰め込まれていて、思わず笑ってしまう。どこかの魔導士を象ったクッキーはサクサクとしていて、じんわりやさしい味がした。

Day082:メガリス

※冒険者がエメトセルクに遊びを教えてもらうお話。
※メガリスの遊び方が分からないので、それっぽく描写しています。つまり捏造です。

「何をしている」

ぬ、と手元が陰ったかと思えば低くて無愛想な声が降ってきた。背後から覗き込むように大きな体が影を作って、どういう構造になっているのか分からない赤い布が頭の上に無遠慮 に垂れ下がってくる。赤いヴェールを退けて見上げれば、その人の視線は並べたカバンの中身に注がれていた。
「荷物の整頓。また出先でいろいろ収集しちゃうだろうから」
「なるほど、それでガラクタばかりの店を拡げていたというわけか」
「ガラクタって……まあ、大半はそうなんだけどさ」

ここが水晶公に与えられた部屋にも関わらず平気で入ってくることには、この際何も言うまい。特に次の行動を起こす様子のないエメトセルクは放っておいて作業を続けていると、その人は何か気になったのか綺麗な鉱石を一つ摘み上げた。

まじまじと眺める姿は妙に堂に入っていて、 そういえば皇帝をしていた人だったからこういう審美眼も持っているのだろう、と勝手に納得する。
「これはメガリスの駒じゃないか。お前、なかなか懐かしいものを持っているな」
「メガリス?」
「なんだ、知らずに持っていたのか。これはガレマール伝統の遊戯だ」

パチリと指を鳴らした彼は、見たことのない板と摘み上げられた似た色とりどりの駒をどこらともなく取り出して配置につけていく。
「どうせ暇を持て余しているのだろう、少し付き合え」
「ルール知らないよ」
「私が教えてやると言っているんだ。光栄に思え、蛮族の英雄よ」

エメトセルクは駒を一つ取って、盤上で動かして見せながらルールを一つ一つ丁寧に説明しだした。基本的な動きから定石の戦法まで、それはそれは懇切丁寧に。
「あとは実践で覚えろ。そら、お前に先攻を譲ってやろう」
「……分かった」
「難しく考えるな。兵を扱うのと同じだと思え」

普段から先導をすることはあれど、用兵なんてしたことがないのに無茶を言うな、と肩を落として見せる。アルフィノやウリエンジェ、アイメリクたちならもっと上手く出来るだろうな、と興味を持ってこなかった自分の怠惰に少し頬が熱くなった。
「……これでどうかな」
「ふむ、なかなか筋がいいじゃないか。ならば……」

盤面の小さな戦場を駒が動き回るパチリ、パチリという剣戟ばかりが広い部屋に響く。
「……子や孫が幼い頃も、こうやって教えてやったものだ」

舌に乗りかけた音をすんでのところで噛み殺す。良い親でおじいちゃんだったんだね、なんてどの口が言えたものか。
「待て、そこには置けないぞ」
「あ、えっと……」

エメトセルクに見守られながら、改めて盤上の駒たちを観察していると、さっき彼の説明にあった戦法の配置に似ている気がする。なら、ここぞというところに自分の駒を置くと、待っていたとばかりにエメトセルクが手袋でくぐもった拍手をしてくれた。
「よく気付いた。そこが正解、お前の勝ちだ。よかったじゃないか」
「やった……!」
「どうだ、なかなか奥深くて面白いだろう」
「うん、楽しかった。もう一回したいな、今度はあなたも手加減しないでさ」
「言ったな?その言葉、後悔するなよ」

くっく、ととても楽しそうに笑む彼が飽きてしまうまでは、今までになかった裁定の時間を過ごしていたいと願ってしまっている自分に気付いた。

でもその気持ちは一旦、盤上の駒と同じようにきれいに流し落とし、改めて二人で開始の配置につける。さあ、もう一度だ。

Day083:小さな冒険者

※ドリッピーが冒険者についてきちゃうお話
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。
※ドリッピーもらって嬉しかった記念。

きゅるきゅる。ぽよぽよ。

俺が立てるにしてはあまりに可愛すぎる足音がずっと後ろを付いてくる。諸々を終わらせた後、所有しているクガネのセーフハウスへ久し振りに向かう途中で気付いた自分も悪いのだが、何せ悪意が全くないし、もしかしたら俺じゃない誰かに付いてきているかもしれなかったから放っておいてもいいかと思ったのだ。

だが、渡し船から降りてもなお付いてくるそいつに俺はいよいよ向き合う覚悟をした。小さく肩を落として、可愛い追跡者が隠れているだろう方向へ出来るだけやわらかい声音で呼びかける。
「おいで、ちびちゃん。お話しよう」

辺りを見回して待っていると、おずおずと細い杖と小さな水色がよろず屋の柱の陰から顔を出す。

そこからなかなか出てこない水玉の様子に、そういえば自分は子どもにとって恐ろしい見た目なのだった、と尻尾が地面に擦れるのもお構いなしにしゃがんでみた。すると、ふよふよと小さな水の精霊が近寄ってきてくれて、つぶらな目をきゅるきゅるさせて俺をじっと見ている。
「おうちに帰る道が分からなくなったのか?」

ぽわぽわ、水玉が横に振れる。流石魔女ヤ・シュトラの使い魔、小さくても意思の疎通は問題なく出来るようだ。
「じゃあ、どうして付いて来ちゃったんだ?」

きゅるぽわぽわ、と使い魔は全身全霊をもって訴えながら妙に見覚えのある踊りのような動きをして見せた。こういう時に超える力を身につけていてよかったと思う。
「……つまり、家出してきたと……」

大正解と機嫌よく一回転する使い魔にがっくりと肩が落ちる。ヤ・シュトラに怒られる前に連れ帰る考えが頭をよぎった。しかし、外が見たくて家出してきたこの小さな冒険者の心を無下にすることは、旅に生かされている俺には到底出来なかった。
「分かった。なら、俺と一緒に来るか?」

その言葉を待っていた、とばかりに使い魔はあの妙なダンスを踊りながら、ぽわぽわ細かい泡を吹き出して喜んでいる。ひとしきり茜坂商店街の一角を泡だらけにした新たな旅の仲間を引き連れて、俺はようやく久し振りの帰り路を再開した。
「これからよろしくな、ドリッピー」

Day084:今日も一日お疲れ様

※くたくたのエメトセルクをアゼムがお迎えに来るお話

自分のもののはずなのにひどく体が重い。それもそのはずだ。朝から晩まであちこちに呼び出されてはやれ議論だ、やれ魔法で解決しろと散々振り回された一日だった。お陰で本来の予定が一つも片付かないまま、日付を越えようとしている。

いつもの自分なら執務室に泊まり込んででも仕事を片付けようとしただろうが、今日ばかりはもう何もしたくない。冥界との繋がりのお陰でエーテルこそ無尽蔵でも、精神ばかりは摩耗してしまう。こんな日は早く帰って何も考えずに眠るに限る。

散らばったままの未決裁の書面や記憶媒体をごっそり机の引き出しにガラガラと流し入れ、足早に執務室の扉へと向かう。帰ったら心地よい眠りが待っている、ただそれだけが今の私を突き動かしていた。

扉に手をかけようとしたその瞬間、今一番見たくないものが視界に飛び込むのと同時に扉がひとりでに開く。
「やあ、ハーデス。遅くまでお疲れ様」

見間違えるはずがない色彩を持つ奴は、どこを通ってきたのか頭から爪先まで泥に塗れて、ヘラヘラと笑って出入り口を塞いでいた。勿論、帰ることだけに集中している私がこいつを相手にするはずがない。
「戻っていたのか。なら、お前の部屋に積まれている仕事をどうにかしていけ。じゃあな」
「ちょっと、そんなに急いでどうしたんだよ。あなたらしくない」
「私は早く帰って休むと決めている。お前に構っている暇はないんだ。用事なら明日にしろ」

横を擦り抜けて帰路に着こうとするも、行儀の悪い足が扉の縁を抑えてしまい進路を阻まれてしまう。じとりと睨めつけても効果は薄く、奴はゆるりとした微笑みを浮かべるばかりだ。
「……早く通せ」
「残念ながら、偉大なる当代のエメトセルク。私はすぐに発たなければならない」

笑顔の裏に何かを隠すのはこいつの常套手段だ。潜められた色を探るように問いを投げてしまった時点で私は負けている。
「……何かあったのか」
「まさに今ね」
「おい、いい加減にしろ。ちゃんと分かるように話せ」
「ごめんごめん。エメトセルク、あなたを迎えに来たんだ」

油断していた奴の足を無言で跨いで廊下へと出ていき、今度こそ帰り路を急ごうとするがローブの裾を引っ掴まれてしまっては足を止めざるをえない。
「待って待って……!」
「本当に疲れているんだ、早く帰らせろ」
「だからこそだ。東の方に疲れを癒やすとされる泉を見つけたんだ。私のとっておき、きっとあなたも気に入る」

曰く、大地に溜まった火属性のエーテルが地下水脈をあたため、それが吹き出している場所があるらしい。嗅ぎ慣れない匂いに、もし有害であれば対処しなければとふれてみたところ、手先の傷が癒え、一時的にではあるが体内エーテルの巡りが良くなった。人里離れたそこはまだ誰にも見つかっていないらしく、今なら静かに楽しめるだろう、と。
「今から向かえば日の出の頃には着くだろう。勿論、移動は私が責任を持ってあなたを安全に運ぶからその間は休んでいてくれて構わない。ねえ、たまにはいいんじゃないかな?」

いつもの調子で強請るようでいて、潜ませた色は確かに心の底から湧き出ているもので、それを見てしまった私はいつだって同じ答えを返さざるをえないのだ。
「……今回だけだぞ」
「っありがとう、ハーデス!なら、早速出発だ」

厳粛な議事堂、しかもその最深部だというのにこいつときたら夜明けのように鮮やかな色の翼を持つドラゴンを創りあげてしまう。私が小言を言うよりも早くアゼムは私の手を引いたまま飛び乗り、二人乗っても全く動じていない翼竜に合図をした。旅の仲間は気合を入れるように咆哮をあげ、その翼を力強く羽撃かせて議事堂から飛び立つ。

ぐんぐん遠くなるアーモロートの街並みに少しの罪悪感を覚えながら、それでも当代の誰よりも広い見聞を持つアゼムを以て『とっておき』と言わしめる泉を待ちきれなくなっている自分が居ることも感じた。

家に帰るのは、後にしてやってもいいだろう。

Day085:大遅刻

※あらゆるものに遅刻する冒険者と彼の美しき枝のお話
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

彼女のために誂えられた椅子、もとい部屋に備え付けられたベルをチリリと数回鳴らす。すると、すぐに美しい音色が形を得たようにしなやかな四肢と精巧な羽が舞い降りた。

妖精王たる彼女へ山の都仕込みのお辞儀をしてみせると、鈴の音のような笑い声が二人の間にだけ響く。
「ご機嫌麗しゅう、フェオ=ウル、俺の美しい枝。お願いを聞いてほしいんだ」
『あらあら、あなたからお願いなんて。なんて素敵なことなのかしら!』

顔を上げると機嫌の良さそうなフェオがベルに腰掛けて、身を乗り出して私の話を今か今かと待ち構えていた。ならば、と用意していたものをカバンから取り出そうとすると、途端に慌てた様子の彼女はプイと顔を逸してしまった。
『で、でも、若木?ピクシーアップルが実をつけ、熟すほどのながぁい間放っておいて、なぁんにもなしなんてあんまりなのだわ!』

やはりそう来たか。

世界を行き来しつつあちこち飛び回っていると、不器用な自分は必ず何かを取りこぼす。特に連絡。命に関わるようなことは流石に忘れないが、近況報告や気の利いた便りはどうしても後回しにしてしまうきらいがあった。今回もそのケースの一つ。
「ええと……俺に何が出来るかな?」
『ふんだ!教えてあげないのだわ!』

取りつく島もない様子のフェオにどうにも困りきって、角をカリカリと掻いてしまう。こういう時はどうすればいいのだろう。そういえば同業者が嫁を怒らせた時はひたすら尽くすと言っていた気がする。気持ちのこもった言葉、好きなもの、行動の一つ一つ。

ならば記憶の片隅に見つけたフェオを怒らせた水晶の友を手本に、俺なりの言葉を。
「……私の可憐なアイリス、どうか君の国にかかる虹のように鮮やかな笑顔を見せておくれ」

カバンから取り出した花を一輪差し出しつつ、少ししおらしい表情と声で君しかいないと全身で表してみる。これでフェオが機嫌を損ねたら彼に八つ当たり、もとい文句を言ってやろう。

だけど、そんな考えは杞憂に終わってくれたようだ。フェオは綺麗な羽を忙しなく羽撃かせて顔を両手で覆って、隠しきれない笑みを何とかしようとしていた。
『まあ!まあまあまあ!!若木ったらいつの間にそんな言葉を覚えたのかしら!美しい花に例えられるのは大好きよ!』

ビュン、と風を切って俺の鼻先まで飛んできた彼女は嬉しそうにくるくると身を翻して、先程までの不満はどこへやら、満足そうな表情で俺の角をコンコンとつついた。
『さあ、あなただけの美しい枝に何だって言ってご覧なさい!』
「ありがとう、俺の美しき枝、フェオ=ウル」

もう一度恭しくお辞儀をしてから、今度こそカバンから包みを取り出す。
「この包みをあっちにいるリテイナーに渡してほしいんだ。後は勝手にやってくれるはずだから」
『花とお菓子ね。素敵な贈り物!大切に運ぶから安心してほしいのだわ』

ピクシーたるフェオが持つには大きすぎる包みは、彼女がふれると俺の手の上から姿を消してしまう。いつも通り、恙なく運ばれるだろう。

そして、早速発とうとする彼女を呼び止めて、隠していたもう一つを差し出す。
「あと、これは君に。いつもありがとう、フェオ=ウル」
『焼き菓子の良い香り……ありがとう、私の若木』

彼女はいつも秘密の話をする時のようにそっと角にふれて、今度こそ境界を渡っていった。

さあ、俺も発たなければ。各地にいる仲間たちにも差し入れと、それと感謝を伝えに行こう。

Day086:砂浜の記憶

※アウラ・ゼラの親子のお話

「てやあっ!!」

潮騒に混じり、打撃の音と少年の気合の入ったかけ声が上がる。まだ小さな拳は身の軽さを活かした速さだけでなく、将来立派な体躯を約束されているアウラの男性らしい力強さも備えていた。

その発展途上の攻撃をひらりひらりと事もなげに受け流すのは、少年と同じ黒い鱗を持つ男だった。口元は面頬で隠れているがやさしげな眼差しを少年に注いでいて、強面ではあるが柔和な雰囲気すら感じる。
「っこの!!」

少年は小さな体をめいっぱい使って渾身の技を絶え間なく繰り出し、男はそれを一つ一つ丁寧に受け流しつつ時々自らも攻勢に出る。少年の動き一つ取っても、男のそれも信頼の上に成り立つ本気のものだ。二人にとってこの時間は楽しくて何物にも代えがたい時間だと端から見てても分かるほど、師弟の手合わせは果てしなく続くかのように思えた。

一度間合いを切った少年がやわらかい砂浜で器用に体勢を整え、再びぐっと体重を動かしかけた、その時。
「そこまで」

二人の丁度真ん中に弓矢が刺さっていた。ギギギと師弟は揃って矢の出処にして声の主へと顔を向けると、そこには彼らと同じ黒い鱗を持つ小柄な女性が仁王立ちで弓を構えていた。
「昼ご飯までには戻る約束だったでしょう?」
「ご、ごめんなさい母様……!」

師弟、改め父子はそれぞれ身振り手振りと言葉で以て、笑顔のまま鬼の形相を浮かべて弓を背負い直す母の元へと駆け寄っていき、子はそのまま母の腹に顔をうずめるように飛び込む。鬼をどこかへ仕舞い込んだ母は汗に濡れた子の髪と父の頬を撫でて、やさしい眼差しを二人へと向けた。彼女の手も瞳も歴戦の戦士の鋭さがあり、また同時に母のやわらかさを湛えていた。
「今日は組手だったのね。二人とも汗びっしょり。水浴びをしてからご飯にしましょう」

こくり、と頷いた父を認めた母は満足そうに笑み、砂浜に三人分の足跡をつけて彼らの家であるチョコボキャリッジへと連れ立っていった。

Day087:千年分の楽しみ

※聖アンダリム神学院近くのベンチでお喋りする少女たちのお話

ほう、と息を吐くともくもく立ち上っていく自分の髪と同じくらい白い湯気を何となく目で追っていると、不意に肩をやさしく叩かれた。
「寒いでしょ。中に入らないの?」
「うん、ちょっと考えごと」

ベンチに腰かけたまま動こうとしない私に仕方ないな、と言うように彼女はしばらく皇都には顔を見せない春のように朗らかな微笑みを見せて隣りに座ってくれた。彼女のきれいな黒髪が皇都の寒空の下でも艶やかに揺れていて、やっぱり目で追うなら彼女の髪の方がいいなとぼんやり思う。
「寒いよ」
「いいの。くっついちゃうから」

ベンチで隣り同士に座ってぎゅうぎゅう押し合いへし合い暖を取っていると、不思議とさっきまで感じていた寒さも和らいだような気がした。
「私には言えない考えごと?」

私の肩に頭をしっとりともたれかけさせて、手持ち無沙汰に二人の指を絡めて遊んでいた彼女がふと呟く。ひっそりと潜められた声に何だかいけないことを話しているような気分になる。
「……ううん。あのね、本当にちょっとしたことなの」

近くをバタバタと足音がいくつも行き来しているのが聞こえて、そっと息を詰める。私たちのいるベンチはちょうど神学院に向かうまでの人通りの少ないところだから見つかることはないけれど、それでも彼女との時間を誰にも邪魔されたくなくて。足音が途切れた頃を見計らって、再び言葉を繋ぐ。
「最近、いろいろあったでしょう?」
「そうね、たくさんいろいろあった」
「それでね、神学院って大変そうだなぁって」
「……それだけ?」
「そう、それだけ」

本当に何でもないこと。いろんなことが次々起こって、歴史も私たちが信じていたものも全部引っくり返ってしまった。ドラゴンの背に乗って皇都の上空を颯爽と舞う英雄様は、私たちの何もかもを塗り替えてしまったのだ。それを悪く言う人もいるけど、私はそれが良いことなのか悪いことなのか正直分からない。
「君は心配性だから」
「そうだね。でもね、大変そうだけど楽しそうだなぁって」

大人たちは毎日ゲイラキャットの手でも借りたいくらいの忙しさだって嘆いて、いろんなことを決めたり実際に行動したり本当に文字通り右往左往している。それでもなんだか楽しそうにしているから、大変そうだけど羨ましいなと思ってしまった。
「そうね。きっと私たちが大人になっても大変なのはずっと続くでしょうね」
「やっぱりそう思う?だって千年分だもんね」
「そう、だからその千年分の大変さも楽しさも今からなのよ」

そう言って彼女はベンチから立ち上がって私の前に跪き、さっきまで遊んでいた手を神殿騎士様みたいに取り直してそうっと口付けをしてみせた。
「私は君と一緒に、千年分を楽しみたいわ」
「……どこでそんなの覚えてくるの……」
「ひみつ」

バレないように取られていない方の手で顔を覆って、はあ、と深く息を吐き出す。さっきよりも濃くなった白い湯気はまた空へと立ち上っていった。

Day088:ホットワイン、おかわり

※とある冒険者がイシュガルドで出会った、エレゼンとヒューランの二人組について
※ややギドサンギド風味

寒い寒い。今夜もクルザスはよく冷えている。こんな夜は一杯引っかけてさっさと寝てしまうに限る。

エーテライトプラザから坂道は登らずに、木の板を張り合わせて作られた通路を伝って雲霧街から目的地の酒場兼宿屋に転がり込む。開けた扉は風に押されたのだろう、バタンと思いの外大きな音が出てしまい、出入口の近くでたむろしていた先客にじろりと睨まれてしまった。視線で謝りつつ、酒場の主人がいるカウンターを目指して足早に進んでいくと、ここにもまた先客がいてジブリオンさんと話している様子だった。

先に部屋を取ってしまおうと思っていたが仕方ない。暇そうにしていた店員に声をかけて、カウンターで先に体をあたためるものをいただくことにした。早速差し出されたホットワインをちびちびやりつつ、ジブリオンさんと話している先客に視線を遣る。気になった人間を観察してしまう、これはもう冒険者としての職業病だろう。

さっきは気付かなかったが、男二人連れだったようだ。一人は野暮ったい感じのヒューラン、もう一人はすらりとした良い感じのエレゼン。それぞれ槍と弓を背負っているが、どうにも冒険者には見えない行儀の良さがある。駆け出しにしては落ち着きすぎているし、素性がいまいち見えない。

それにしても宿の部屋を取るだけのはずが、やけに時間がかかっているようだ。悪いと思いつつも、ジブリオンさんと二人組の会話に耳をそばだててしまう。仕方ない、私も部屋を取りたいのだから。
「――こんなところでごねごねしても仕方ねぇだろ?何より粋じゃねぇ」
「粋じゃなくても何でも、お前と二人部屋なんて絶対に嫌だ!」
「仕方ないだろ、あとは一人部屋と二人部屋が一つずつしかねぇってんだから」
「嫌だ!日中はずっとお前と一緒なのに夜までなんて……」
「全く……別に同じベッドで寝るわけじゃねぇんだからガタガタ言うなよな」

どうやら部屋割で揉めているようだ。確かに今夜はやたらと冷える上に、団体客が入っているようで酒場も混んでいるし部屋も同じ調子ということか。なら、私もそろそろ本腰を入れないと野宿になりかねない。
「ちょっとお兄さん」

まだギャンギャン吠えていた二人組がぐるんとこちらを向く。なるほど、どちらも顔は好みだと言える。
「私も今夜、ここに泊まる予定なの。で、どっちかが私と相部屋するのってどう?勿論、部屋代は折半するから」

みるみるうちに目を丸くするヒューランと段々ニンマリと笑顔になるエレゼン。こうも反応が対照的だと、どうして二人旅なんかしているのか気になってきた。
「へぇ、なるほどな。そんなら、サンソンは一人部屋使えよ。俺ぁこのお姉さんの申し出をありがたぁく受けるからよ」
「ど、なっ、はぁ?ギドゥロ!」
「決まりね。ジブリオンさん、そういう訳でよろしく」
「はいはい」

早速荷物を背負い、カウンターに座る私の隣りに来たエレゼンはちゃっかり私の腰に腕を回している。かなり遊んでいるようだけれど、ますますあのヒューランとつるんでいる謎が深まる。

少しぬるくなったワインを飲む私を大人しく待っているエレゼンを改めて見ると、イシュガルドの冷えた男たちとは違う雰囲気をまとっているように感じる。弓を背負っているところからグリダニア出身が妥当だろうか。

ワインをゆっくり堪能してようやく席を立つと、それまで静かにしていたヒューランの男がエレゼンの腕を掴んだ。
「っギドゥロ!お前は!俺と相部屋だ!」
「はぁ?いや、俺はこのお姉さんと……」
「任務中に不埒なことは許さない」

ヒューランにギンッと鋭く睨みつけられるとエレゼンはやれやれという風に仕草を見せて、私にウインクを寄越してきた。これはもしかして利用されたかもしれない。
「そちらのお嬢さん、見苦しいものを見せてすみませんでした。ぜひ一人部屋を使ってください」

深々と森都風のお辞儀をしてヒューランはエレゼンを引っ張って、宿の部屋へと入っていった。

嵐のような一幕に思わず溜め息が漏れる。ひとまず、今夜の湯たんぽを逃した私がするべきことは一つだ。
「ホットワイン、おかわり」

Day089:ダルメルフリカッセ

※冒険者が皇都でスープを振る舞われるお話
※冒険者は男性です。

美味しそうな匂いがする。

きゅるきゅると切なく鳴く腹に背中を押され、誘われるままに皇都の石畳を歩く。どんどん近付いてくる良い匂いに混じって、チョコボの羽の匂いがする。よくよく周りを見れば右手にスカイスチール機工房、正面には聖大厩舎に囲まれていた。
「おや、お兄さんも誘われてきたのかい?」

不意に快活な声をかけられ、聖大厩舎の横手を見ると、もうもうと煙を立てる鍋とそれを掻き混ぜるエプロン姿の女性がいた。彼女の周りには神殿騎士の団員から庶民や蒼天街で見たことのある職人、果ては貴族までさまざまな人々が一様に器を片手に笑い合って、あつあつのスープをすすっていた。
「とても良い匂いだったので、つい……」
「あっはっは!恥ずかしがらなくてもいいんだよ、ここにいるみーんながそうなんだから!」

女性の大きな声に照れつつ、俺に笑いかけてくれる面々の表情は明るくてあたたかかった。初めて大審門をくぐったあの日からは想像出来ない皇都の姿に、俺もまた頬が緩む。きっと、あの人もこんなイシュガルドを見れば嬉しく思っただろうに。
「はい、お兄さんの分!あつあつだから火傷に気を付けなね」
「ありがとうございます、いただきます」

半ば押し付けるように手渡された器にはとろりとした乳白色のスープがたっぷり入っていた。すん、と匂いをかぐとダルメルの肉の特長的な香りがする。息を吹きかけて少し冷ましてから、器に口をつけて一口。スープが冷えた体の中心を通って体をあたためていくのがよく分かる。
「美味しい……!」
「そりゃあ良かった」

ごろごろと贅沢に入っている野菜や肉を夢中になって味わっていると、あっという間にぺろりと一杯飲み終えてしまった。俺の食べっぷりを観察していた女性は笑って、器になみなみとスープを注いでくれた。
「なんだかごめんなさい……すごく美味しいです」
「良いんだよ。腹が減ってちゃ、良くないことばっかり考えちゃうからね」

一瞬だけ陰った瞳と、器を手渡す間もじっと俺を見詰める女性に流石に違和感を感じた。俺の視線に気付いてか、女性はゆっくりと話し始めてくれる。
「お兄さん、前にもここにチョコボ預けに来たでしょう?あの時、死にそうな顔してたからさ、よく覚えているよ」

そう言って彼女が指したのは聖大厩舎だ。俺がここを使ったのは、フォルタン邸にご厄介になっていた間の数回だけ。その内の一回は、忘れもしない日のことだった。
「あの時もスープを作っていたから、声をかけようとしたんだけど、お兄さん歩くの速くてね」

あの時は周りなんて全然見えていなくて、俺の背中を見送る彼女に気付くことが出来なかった。なんとなく恥ずかしくなって俯くと、やわらかい手が肩に置かれる。
「でも、元気そうで安心したよ。またお腹が空いたらここにおいで。スープならたっぷり用意しておくからね」

顔を上げると彼女はにっこり微笑んでくれている。どうしようもなく熱いものがこみ上げてきて、誤魔化すように俺はまた器に口をつけた。あつあつのスープで舌が痛い。

Day090:白竜と友

※ヴェズルフェルニルと彼の友のお話

眼下の雪原から我が名を呼ぶ声がする。

見下ろせば小粒ほどの人影が手を大きく振っているのが見えた。人間の顔立ちはなかなか見分けるのが難しいが、我が爪と牙で鍛えてやった者は忘れるはずもない。

旋回しつつその人間の元へ降り立つと、ふわりと蒼い装束と艷やかな黒髪が風に舞い上がる。
「ヴェズルフェルニル殿!」
『久しいな、蒼い剣よ』
「はい、御身は変わらず雄壮なお姿で安心しました。しかし、まさかこんな人里に近いところでお会い出来るとは」

人の子――アイメリクの言う通り、今日は風に翼を任せていたからだろう、白亜の宮殿から存外離れて人の都の近くまで降りてきてしまっていたらしい。宮殿の近くにはあまり見られない雪が足元を冷やして敵わない。
『お前こそ、イシュガルドの長になったと聞いているぞ。何故一人で雪のただ中に居る?』
「……少し、考え事をしていました」

眉を下げて笑む蒼い剣の表情は以前、人の子らが困った時に見せたものに似ている。未熟な言葉で伝えきれぬことを身振り手振り、表情や声音までも操り、意志を伝えようとすることを我は識っていた。そして、こういった表情を見せる者には何が必要かも
『人の子よ、アイメリクよ。我が背に乗るが良い』

我が誘いに人の子は目を丸くする。これは驚きだ。誘いへの了承と取るべきか、それとも否と取るべきか、迷う間もなく蒼き騎士は我が翼が煌めく高き空のように澄んだ瞳を輝かせた。
「どうしてあなたからの誘いを断ることがありましょう!空を駆ける楽しみを教えてくれたのはあなたです。大いなる白き翼、ヴェズルフェルニル殿」

人の子らにとっては気の遠くなるほどの昔、だけど我らにとっては近い過去。

常春のように思えた我らの蜜月が突如として終わるより少し前、人々を守る騎士の中でも殊に気に入った強者を――友を我が背に乗せ、空を飛び回っては竜と人との暮らしを護ったものだった。今の今まであの日々を忘れていたのは、否、思い出を仕舞い込んでいたのは人間たちと過ごす時間をなくしたからか、それとも忘れねばならぬと無意識にでも思ったからか。
『征くぞ!振り落とされぬようにな!』
「はい!」

あの日々と全く同じとは言えずとも、しかし、我らはまた新たな詩を紡ぐことが出来る。再び背に感じる小さな重みが、宮殿より聴こえる我が比翼の咆哮が過去とは違う明日を予感させた。

願わくば、我が子らの征く末が幸多からんことを。比翼に応えるべく打ち鳴らした咆哮はソーム・アルを超えて空高く舞い上がった。