ふれる

※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

ふと視界の端に紅がちらつく。自分とは対照的な朝焼けにも夕陽にも似た紅い色が呼吸で微動する度にキラキラしている。

彼は本当に俺と同じ生き物なのだろうか。

疑問が沸き上がると途端に落ち着かなくなって、文字を追えなくなった本を閉じてしまう。

窓の外では今朝からしとしと小雨が降っていて、今日予定していた森での探検は延期になってしまった。分かりやすく気落ちするグ・ラハを何だか見ていられなくて、代わりにシロガネに設けてあるセーフハウスに誘ったのは今朝早くのことだ。以前から行きたいと言ってくれていたし、そこなら彼の満足する本もたくさん揃えてあるから喜んでくれるだろうか、と自然に出た言葉は彼の勢いの良い返答ですぐにテレポで地脈を辿って久し振りの我が家へ赴いた。

本を読むことは嫌いではない。知識を得ることはその分だけ人生が豊かになるし、自分の好奇心を満たす方法は冒険以外にもたくさんある方がいい。根なし草である冒険者という身分ながら贅沢な趣味だと少し気後れするところがなかったわけではない。ただ、興味の向くまま集めた本の山を見た時のグ・ラハの顔を見られた時に、もうそんなことは気にしなくても良いことを知った。

彼やアルフィノとアリゼー、他にも旅を一緒にしたみんな。一人で気ままにいるのも性に合っているけれど、誰かと一緒にいると自分だけでは気付かないことが見えてくる。

ラグに寝そべっていた体の隣りに本をそっと置いて、すぐ近くで物語に夢中になっているその人に気まぐれで手を伸ばしてみた。本を置いても、本を抱える手にふれても、彼はまだ文字をずっと追い続けている。

指先でふれたかんたんに握り込めるほど小さな手指は、意外と節立っていてゴツゴツしている。指先と手のひらの皮が厚いのは弓と剣を執る証。人を護り、癒やし、戦う人の手だ。

耳。やわらかくて、ふわふわしている。先の方の毛並みは少しパサついているが、中の方は一等ふわふわなのは多分俺しか知らない。

睫毛。俺より長くて、頬に薄い影が落ちている。髪と同じ燃えるような夕焼け色だ。

頬。もちもちしていて触り心地が良い。若いからか、それとも誰も知らないところで手入れに力を入れているのか。双子たちとは違った感触にやみつきになりそうだ。

ふれたところはどれもこれも自分のそれとは違っていて、でも本質は同じで面白い。怒られないのをいいことに、好奇心に任せてあちこち触り倒していたが、流石に尻尾を握った手は止められてしまった。
「どうしたんだ、急に」
「……特に意味は、ないな?」
「オレに聞くなよ……」

ゆるく握った指を擦り抜けていった尻尾は見逃して、次はどこを突こうかと手を彷徨わせていたら指先からしなやかな動きで両手を絡め取られる。いつの間に本を置いたのか、両手をいっぱい使って俺の手のひらを握る少しかさついた指がぬくもりを伝えてくれていた。

目の前でゆるくしなる尻尾が鼻先を擽ってくしゃみが出る。恨めしく見上げれば悪戯っ子のような満足げな笑みを湛えていた。
「何、甘えてぇの?」
「そうかもな」
「……明日は雨か」
「もう降ってる」
「そうだったな」

いつもとは逆で見下される格好になっているせいか、ゆるく結わった髪紐をグ・ラハの指がなぞっている。

至極真剣にどうしようもない遣り取りをする俺たちはひどく愚かだ。だけど、彼となら愚かでいても良いと思えた。
「本、飽きたか?」
「いいや、ちょっと休憩」
「そっか」

するり、と紐の端を引かれて紺色の髪がバラリと落ちる。カーテンのように視界を妨げたその向こうで悪戯が成功してご満悦というように意地悪な笑みを湛える頬をついてやると、全く悪びれずに髪を掬い上げられた。
「あんたの髪、一回結びたかったんだ」
「そんなこと、いつでも言えば良いのに」

結びやすいように体を起こしてやると、膝立ちのままずるずる俺の背後に回って、起きた時に逃した髪をまた掬って梳いて、楽しそうにしている。落ちた紐を肩越しに手渡そうとすると、手がいっぱいだから肩にかけておいてと置かれた。
「……本、気に入った?」
「勿論。あんたも本好きって知ってたけどさ、まさかこんなにすっげーいっぱい持っているとは思ってなかった。なあ、結び終わったらあんたのおすすめの本、教えてくれよ」
「ああ、どういう本が良いかな……」

初めての髪結は彼にとって存外難しかったらしく、髪との格闘に集中して途切れがちになってきた鼻歌を聞きながら、俺はお気に入りを集めた棚に並ぶ背を思い浮かべていると遠雷の音が聞こえてきた。

こんな日にはギラバニアに雷を呼ぶ神獣の物語が良いかもしれない。きっと気に入ってくれるだろうか、と彼の挑戦が終わる時を楽しみに、俺はやや強さを増した雨を見遣った。