遣らずの雨

※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

肌を切り裂くような雪風が頬を削ぐように通り過ぎていく。

今にも凍てつきそうなほどの寒さの中をチョコボで駆けるのは苦手だ。鱗という鱗から肌に伝わる冷たさは、まるで氷を直接当てられているようで余程の用事がない限り、寒さに弱い自分がここに足を向けることはなかった。

だが、この景色は彼の護りたいものなのだとやさしい声音が語り聞かせてくれた時から、雪も寒さもどこか誇らしいものに感じられるようになった。風雪も彼に会えるという実感を与えてくれるものになり、吹雪いていたとしても、少しくらい鱗が凍っても気にならない。

空の向こう、キャンプ・ドラゴンヘッドのエーテライトが見えればつい口角がゆるく上がり、あたたかく迎えてくれる顔馴染みの騎士たちへの挨拶も普段の何倍もにこやかになってしまう。
「やあ、雪には慣れたか?」
「お陰様で!」

石造りの門からは相棒の背を降り、擦れ違う騎士たち、そして同業たちと挨拶を交わしつつ、まずは真っ直ぐチョコボ厩舎を目指す。いつもより張りがちな手綱を持って、幸いにして空いていた定番の一角に引き入れてやると相棒はそれだけで満足そうに俺の髪をやわく食んできた。
「ちょっと待っててな」

荷物を下ろして、風で少し凍てついている首元の毛並みを梳いてやれば機嫌良さそうに一鳴き。冒険の最中、相棒を屋根とふかふかな干し草のある厩舎で休ませてあげられる機会はそう多くない。

旅の途中、ここに来ようとしていると分かると常より脚が速くなることを俺はよくよく知っていた。単にこの辺りのリーヴ報酬が旨いだけでは、苦手な寒冷地に足繁く通うことはなかっただろう。手土産の入った合財袋を携えて、厩舎から執務室のある立派な詰所に向かう。そうそう転ぶこともなくなった雪道を歩いていくのも、もう何度目か分からなくなってしまった。
「あら、ようこそ」

扉を開けばすぐにあたたかい空気と彼の補佐を務めるヤエルが迎えてくれる。その声に気付いて室内にいる何人かが同じようにあたたかい言葉を、視線を寄越してくれた。
「こんにちは、ヤエルさん」
「我が主ならコランティオと一緒に奥よ」
「コランティオさんと?……もしかして、出直した方が良いですか?」
「いいえ、あなたの顔を見ればきっと主も元気になるわ。さあ、どうぞ」

ウールで編んだマフラーを外しながら彼女に歩み寄れば、いつもの執務机ではなくその横の衝立の方を指し示してくれた。大抵はここで書類や戦略図と睨めっこをしているか、鍛錬をしているかなのに珍しいこともあるものだ。

賑やかな机の前を通りすぎて、衝立の向こうをひょいと顔を覗かせれば何やら顔を突き合わせて書類に視線を落として相談している真剣な横顔が二つ並んでいた。オルシュファン卿の眼差しに戦場で見たことのある熱の籠ったものではない、彼の奥底に流れる冷静さと知性を感じて、肌が少し粟立つ感覚を覚えた。彼の持つもう一つの顔、いや、これが本来の彼なのだろう。

しばらく静かに二人を眺めていたが、やがて目線を上げたコランティオに気付かれてしまい、ひとときの間諜ごっこは終わりを迎えた。ちょいちょいとコランティオが指さした先を振り向いて、俺を見つけた時のオルシュファンの表情はきっと忘れられない。
「オルシュファン卿、コランティオさん。こんにちは」
「おお!お前ではないか!よく来たな!」
「ようこそ、冒険者……オルシュファン様、では手配は進めてまいります」
「ああ、よろしく頼む」

軽く会釈をして衝立の向こう、そのまま建物を出ていくコランティオの背中を視線で追いながら、もしかしてタイミングが悪かったのかもしれないと不安がむくむくと膨らみ始める。よく見ればオルシュファンの彫りの深い顔にも濃い影が射しているような気がした。戦となれば力になれることがあるかもしれないが、どうもそうではないらしいことは彼の普段より散らかった机を見れば推し量ることが出来る。
「……立て込んでいたなら出直すぞ」
「いいや、問題ない。話がまとまったところだったからな」

大股で近付いてきた彼の大きな手がぽすぽす、と安心させるように肩を叩く。この図体のお陰で難なく俺の肩に手が届く人はあまりいないから、彼の距離感が少しだけこそばゆい。

そう、こそばゆいのは気持ちの話であって、実際にそういう訳ではなかったのだが。徐々にオルシュファンの手つきが叩くというよりも、掴むとか撫で回すといった表現が合うようなものに変わっていっている気がしてならない。
「……あの、オルシュファン……」
「しかし……お前、また一段とその肉体を、そして何よりそこに宿る心を鍛え上げているようだな……イイ、イイぞ!さあさあ、火の側に……いや、共に鍛錬で呼吸を重ね合わせ、熱くなろうではないか!」
「なあ、近い……」
「む、すまん。お前の姿を目にするとついな」

気のせいではなく確実に鼻息が荒くなっていくオルシュファンの鎖帷子をそうっと抑えるように押すと、肩を掴んだままの彼はハッとして固まり、ややバツの悪そうな曖昧な笑みを浮かべた。目の前のことに一生懸命になれる人なのだと実感して尊敬すると同時に、ただ、それが今回に関しては自分が原因だいうのがどうにも気恥ずかしくてならない。

一旦、呼吸を整えて肩を離してくれた彼は、改めて穏やかな笑みで訪問を喜ぶ言葉と共に暖炉を勧めてくれる。ありがたく申し出を受けさせていただき、暖炉の側に備えられた椅子に二人向かい合って腰掛けた。忘れていたが自分の髪も相棒の毛並みと同じく凍てついていて、あたたかい室温で溶け出した水滴が防寒着をじんわりと濡らしている。風邪を引くことはないだろうけれど、いつでも何に対してでも念には念を入れるのが冒険者の心得だ。
「ところで、今日も何か火急の要件か?」

火に手を当ててようやく人心地ついた俺を見て取ったオルシュファンが待ちきれないというように口火を切る。心配半分、純粋な興味半分。正直な視線だ。
「いいや、単に近所に寄ったから。それと、茶葉を貰ったのでお裾分けに来ました。みなさんでどうぞ」
「そうだったのか。皆も喜ぶだろう、礼を言うぞ」

肩にかけていた合財袋から茶葉の入った缶を引っ張り出して手渡すと、切れ長の目がぐっと細まる。大きな手がガパリと蓋を開けて香りを嗅ぐと、小さく「イイ香りだ」という一言と共に更に目が細まった。喜んでもらえたようで一安心だ。

第七霊災の影響で雪に閉ざされる以前から寒冷な気候だったクルザスでは、体をあたためるために茶を飲む習慣が根付いていたとオルシュファンから聞いたことがあった。だから、依頼の報酬のおまけで上等な茶葉を分けてもらった時、真っ先に彼が優雅に茶を嗜んでいる姿が思い浮かんだのだろう。それに、落ち着いてティータイムなんて柄でもない自分の手元にあるよりは、由緒正しい貴族に仕える騎士の手で美味しく飲まれる方が茶葉も冥利に尽きるはずだ。
「丁度、休憩を入れるところだったのだ。早速、このオルシュファンがあたたかい茶を淹れてやろう。菓子もあるぞ」
「でも、忙しいだろう?流石に悪い」
「遠慮はするな。それに、ほら。ヤエルも良いと言っている」

そう言われて、俺の荷物を引き取って部屋の隅に避けてくれていたヤエルを振り向くと、眉をやや下げた彼女が大きく頷いてくれていた。オルシュファンの部下たちは主を好いてはいるが、いや、だからこそ駄目な時は駄目だとはっきり言ってくれるから俺も安心出来る。
「……じゃあ、折角だ。ありがたくご相伴に預かるよ」
「そうこなくてはな!そうだ、茶飲み話にはお前の旅の物語を聞かせてくれ。何がお前の心に響き、何がお前のその筋肉を鍛えたのか……フフ、今から楽しみだ!」

エレゼンサイズのティーポットが空になる頃には、オルシュファンにせがまれるまま前回ここを訪れた後から今日までの旅路を丸ごと話していた。古い遺構に分け入ったことや、大きな船の上で戦ったこと、酒場で出会って意気投合したお嬢さんと飲み比べをして潰された話にも興味深げに頷いてくれるものだから、ついつい言葉が止まらなくなってしまう。少なくとも、俺がこれまでに出会った誰よりも彼は聞き上手だと思う。

カップに残った最後の一杯に口をつけつつ、部屋の様子に目を遣れば、どうやら雨が降ってきたのかずぶ濡れの騎士が外から飛び込んできていた。
「クルザスにも雨が降るんだな」
「面白いことを言う。雪が降るのだから、気温が高ければ雨にもなる」
「そうか、そうだな」

出入口付近では雨宿りの騎兵たちへ執務室に詰めていた人たちがタオルを手渡していて、俄に賑やかになっている。どちらともなく暖炉の前から立ってタオル配りを手伝いながら扉の隙間から外を見ると、雨脚がかなりきついようで、雨宿りに急ぐ冒険者風の一団や向かいの建物も白く煙っていた。風は出ていないようだから、きっとチョコボ厩舎で休んでいる相棒が雨に濡れることはないだろう。
「ふむ、これはしばらく止みそうにないな」
「天気予報では降るなんて言ってなかったのに。この雨足だとチョコボも辛そうだし、参ったな……」

タオルを配り終えたオルシュファンがすぐ隣りに立って、俺と同じように外を覗き込んでいる。どんよりとした分厚く暗い雲の色からも彼の言葉は正しいだろうことは明白だった。幸い、急ぎの依頼や用事がない今、雨で足止めをされていても特に影響はない。むしろ、相棒が休める時間が取れると思えば願ってもない機会だとも思えるが、どうしても一つ懸念があった。
「何、案ずることはない。雨が止むまで……いや、止んだとしてもお前の時間と心が許す限り、ここに居るとイイ」

一瞬、タオルを差し出す手が止まる。まるで俺の胸中などお見通しと言わんばかりの物言いに少し驚いた。錆びついた魔法人形のようにぎこちなく言葉の主を見れば、オルシュファンはいつも通りの騎士の顔で雨と駆け込んでくる部下たちを眺めていた。
「あなたはここの頭だ。俺が想像出来ないほど忙しいだろう?流石に悪い。歩いてる内に止むだろうから、もう行くよ」
「……冒険者、我が友よ。お前と私の仲にそういった遠慮は不要だ」

正直、魅力的な提案でしかなかった。旅の身ながら何度もここに足を運んでしまう程度には、キャンプ・ドラゴンヘッドは居心地が良い。

俺もチョコボも冒険者として過ごした時間は短くなく、突然の暴雨に殴られるなんて珍しいことでもない。そう、普段ならこの程度の雨に足を止めることもないのに。
「せめて、この甘雨が止むまで……その筋肉に刻まれた技と冒険の物語を、このオルシュファンに余すことなく聞かせてはくれないか?」
「……仕方がないな、あなたは」

きっと他の誰に同じことを言われても、俺は発っていただろう。だが、少しくらいなら、と思わせるものが彼にはあった。やや呆れた風を装ってしまったのはせめてもの抵抗だ。きっとその虚勢すら砦を護る騎士にはお見通しなのだろうけれど。

返答を聞くや否や、満足げに持ち上がった口角と細まる目が少しだけ憎らしい。
「それに、忙しいお前が足を運んでくれているのだから、ヤエルたちも大目に見てくれるはずだ」
「さてはそれが狙いだな?」

悪戯っぽくウインクをして見せた騎士様の肩を軽く小突いて、また暖炉前の椅子に二人で戻った。いくらあたたかい暖炉の側でも置きっぱなしにしていたティーカップの中身はすっかり冷えきっていて、また新しく淹れてこようとすぐに椅子を立ったオルシュファンに俺も一緒になって立ち上がる。
「なあ、お茶の淹れ方を教えてくれよ。今度は俺が淹れてあげる」
「おお、勿論だ。この雨が止むまでに覚えていくとイイ」

そこそこ大きな男が二人も並べば詰所の簡易厨房は流石に手狭で、押し合いへし合いしながら淹れた紅茶はお世辞にも美味いとは言えなかった。それでもオルシュファンは今まで飲んだどんな飲み物よりも格別に美味いと笑ってくれる。

気恥ずかしくて逸した視線で外を見遣れば、雨はまだ降ってくれていた。