やさしい問い

「こんにちは、店長さん」

声に振り向けば店先には柔和な笑顔のお客様がいらしていた。

いつだってお客様がいらっしゃれば心が浮き立つような嬉しさに身は包まれるものだが、水晶公のご友人であるこの方は格別だ。はじめこそ、そういった贔屓にも見えるような真似はするまいと思い留まっていたけれど、街の誰もが公のご同郷の皆様には特別あたたかい視線を向けていることに気が付いてからは、もう我慢することは止めてしまった。思うだけなら自由。そう、思うだけならば。
「いらっしゃいませ。おや、今日は珍しい装いで」

お客様はよく身に着けていらっしゃる鎧ではなく、術士のような軽い武装と杖を携えられていた。見たことのない装備に思わず声が出てしまったついでに詳しくお話を伺うと、これから遠方にて討伐任務があり、すでに配置されているメンバーと役割を被せないように武器を持ち替えられたということだった。

以前から感じていたけれど、お客様はこれまでにどんな苛烈な人生を歩まれてきたのだろうか。

手練揃いのクリスタリウム衛兵団の団員たちでも扱う武器は一種類、多くてもニ種類が限度だ。公でさえ魔杖による二種類の魔法と、昔、騎士から教わったという剣術で精一杯だと仰っていたのに、それよりも多くの術技を使いこなされるお客様はどれほど修練に励まれたのだろう。

ついつい明後日の方へ行きそうになる思考を撚り戻して、改めてお客様へ向き直る。お忙しい方なのだから無駄な時間を使わせてはいけない。
「では、旅支度でいらっしゃいますね」
「はい。今日はクッキーじゃなくて、キャラメルください。あと、修理用のダークマターも」
「かしこまりました」

商品の準備を整えている間、お客様は旅先での思い出を私に分けてくださるのがいつの間にかお約束になっていた。体験した光景を思い出しながら、時に身振り手振りを交えて繰り広げられる冒険譚に街の外をあまり知らない私の心は躍る。

私もいつかそんな世界を見てみたい。願わくばお客様と同じように、大切な仲間と共に。
「いた!」

トロッコでの大冒険のお話の途中、人波の向こうから凛としたお声が飛び出してきた。軽快なステップで白いワンピースを靡かせる小さな影が真っ直ぐにお客様を目指して駆け寄ってこられる。まだ目に馴染まない、しかしよくお似合いの夕陽色をした御髪の少女こそ、当代の光の巫女様だ。
「いらっしゃいませ、巫女様」
「こ、こんにちは……!」

きっちり礼儀正しくお辞儀を返してくださる巫女様をお客様と一緒に微笑ましく見ていると、はたとここに来られた目的を思い出されたように真剣な表情でお客様に詰め寄っていかれる。
「リーン、どうしたの。水晶公が呼んでる?それともサンクレッドから逃げてる?」
「ふふ、サンクレッドからはもう逃げていないです。あの、私も任務に連れていってもらおうと思って……駄目ですか?」

おずおずとお客様を見詰める巫女様のご様子がなんとも健気で微笑ましく、思わず頬が緩んでしまう。しかし、お客様は腕を組んで珍しく眉間に皺を寄せてお悩みになっていた。

お客様が私の前で見せてくださるお顔といえば、やわらかい微笑み、クッキーを頬張る嬉しそうなお顔、そしてご友人を見守られる強い光をたたえた眼差し。そのどれでもないお顔になんだか私まで緊張してきてしまった。
「そうだな……今回は危険な任務だし、リーンにはちょっと早いかもしれない……」

そうして、たっぷり間を置いて出てきたお声は初めて聞く低い真剣味のあるもので、全く関係のない私も巫女様と同じようにお客様を見詰めてしまっていた。
「それでも行きたい?」
「は、はい!今の私に出来ること、なんだってしたいんです……!」

両手をぐっと握り締めて固唾を飲み、お客様の唇が次の言葉をかたどるのを待つ時間は、何故だろう、ひどくゆっくりと流れて、これ以上ない永遠のように感じられた。クリスタリウムが生まれてから今までほどに思えた間を開け、お客様は眉間の皺からは想像出来ないやわらかな言葉を紡がれる。
「うーん……じゃあ、リーンが問題に正解したら連れて行くことにしよう」
「本当ですか!頑張ります!」

お客様の言葉を聞くや否や、巫女様の喜色で店先がパッと華やぐ。きっとこんなことを思うのはとても失礼なことなのだろうけれど、この平和なひとときがずっと続けばいいのにと願わずにいられなかった。
「それでは問題です。このお店で売られている食べ物に私の大好物があります。さて、どれでしょう?」
「好物?えっと……」

お客様の出された『問題』の答えを探すように、ふよふよと視線に合わせてワンピースのリボンが右に左に揺れる。まるでミステルやドランの尻尾のように感情を持つそれは巫女様がある一点を見留められた瞬間にピタリと止まった。ほっそりとした指先が陳列棚の一番目立つところに置かれた瓶を指し示す。
「あ、コーヒークッキー!」
「正解!」
「やった!いつも食べてますもんね!」

旅先ではご友人の皆様にも分けられていると伺っていたから、きっと巫女様にも召し上がっていただく機会があったのだろう。ここで買ってたんですね、と得心がいった巫女様はクッキーの瓶へうんうんと頷いていらっしゃった。

しかし、嬉しそうに小躍りされる姿は、少し前に都市内でお見かけした時からは想像出来ないほど明るく、年相応の女の子という印象を受けた。冒険で得た経験が彼女をそうしたというなら、お客様たちはなんて素敵な旅をされているのだろう。光に溢れている外の世界での旅はきっと平坦であるはずがなく、お辛いことも多々あることだろう。それでも、少しだけ羨ましいと思う自分がいることは否定出来なかった。
「ふふ、じゃあご褒美にクッキーを買ってあげよう。アマロに乗っている間に腹ごしらえだ」
「いいんですか?わぁ、ありがとうございます!」
「ということで、店長さん。やっぱりクッキーも追加で」
「ふふ、承知しました」

もうほとんどご用意出来ていたお品物にクッキーの瓶を追加して、そのままカウンター越しにお渡しする。いつものことながらまだ軽くならない『水晶公のあれ』から代金を頂戴することをお伝えすると、やはりお客様は困ったような笑顔を見せられていた。こればかりは私にもどうしようもないところだ。
「水晶公のあれって何ですか?」
「ん?そうだな……道すがら話してあげる。そろそろ行かなきゃ」

ちらり、空を見上げて太陽の位置を確認されたお客様はいよいよカウンターから一歩後ろへ下がられて、幾分か馴染んだ異国のお辞儀をされる。
「店長さん、ありがとうございます。じゃあ、いってきます」
「いってきます!また来ますね」
「いってらっしゃいませ。またのご来店をお待ちしております」

きっちりとご挨拶を残したお二人は円蓋の座へ駆け出していかれた。そのお背中が人混みの向こうに見えなくなるまで視線を送り、やがて途絶えた影にほうっと充足感から出る溜め息が漏れる。

お客様とお話出来るだけでなく、巫女様の元気そうなお姿を拝見出来るなんて、今日はなんて良い日だろう。この後の仕事にも身が入るというものだ。

店の中に戻ろうとした時、ふと影が落ちた気がして空を見上げれば、アマロに跨ったお二人がこちらに手を振っていらっしゃった。私もそれに応えて、精一杯大きく手を振り返す。旅の無事を祈り、そしてまた元気なお姿でお土産話をお聞かせいただける日を願って、私はここにいるとお伝えするために。