驟雨、あるいは足止めについて

※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。

鼻歌交じりに軽い足音が近付いてくる。

視線を遣れば旅の同行者──川へ洗い物をしに行ってくれていたグ・ラハが軽快なステップを踏みながら、ついでに洗った食器を振り回しながら戻ってきたところだった。危ないぞ、と笑ってやると気恥ずかしげに大人しくなり、しかし鼻歌は止めずに食器を仕舞いにいってくれる。沸き上がる笑みは抑えずに、ご機嫌な背中に向かって声をかけた。
「グ・ラハ、今から天幕降ろすから手伝ってくれ」
「おー了解」

出来たてのあまあまメープルシロップをたっぷり塗ったトーストとあつあつのコーヒー。黒衣森というエオルゼア随一の大自然の中で食べる朝食として最高のメニューを堪能した俺たちは、次の目的地へ向かうべくキャンプの撤収作業を進めていた。あとはテントの片付けと荷物をチョコボに積み上げるだけだ。

この旅の中で、背の高い俺は力仕事やテントの片付けを、小回りのきくグ・ラハには道具類の片付けをそれぞれ役割分担するようになっていた。とはいえ、今の形に落ち着いたのは最近だ。旅に出た当初はグ・ラハもテントの片付けを一人ですると言って聞かなかったものだが、成人のアウラが寝られる大きさのテントともなれば比較的小柄なミコッテにとってはかなり大きい。意固地になって一人で片付けようとした彼がテントに潰されかけてからは、大人しく俺に任せるか手助けに徹してくれるようになった。流石、シャーレアンの賢人殿は物分かりが良くて助かる、と火の始末をつけた俺は立ち上がりながら、くつくつと思い出し笑いを漏らす。

いつも通り、食器を片付けた後でチョコボの身支度をしてくれているグ・ラハを横目で見ながら、天幕を骨組みに固定していた紐を解いては捲り、解いては捲りを繰り返す。

一緒に旅を始めた頃は怯えてふれさせることを許さなかった相棒も随分とグ・ラハに慣れたものだ。俺以外の人に懐くなんてもう見られないと思っていただけに、じんわりとあたたかいものが胸に広がる。今ではお気に入りのレインコートを着せてもらう間も大人しくしていて、時折ふわふわの耳を突っつくくらいには懐いているようだ。

やがて落とすばかりとなった天幕を引っ張って、畳むのを手伝おうと近寄ってきたグ・ラハに手渡そうとしたその時。

視界いっぱいが真っ白に染まった。

そして一呼吸の後、森を揺るがすほどの轟音と滝のように力強く叩きつけてくる水が頭の上からぶちまけられる。
「!?」

すぐには何が起こったか分からずグ・ラハと揃って馬鹿みたいに呆けていたが、草を食んでいたチョコボが高い悲鳴を上げて俺の側に突進に近い勢いで駆け寄ってきてやっと異常事態が起こっていることを薄く知覚する。

そこからは二人とも素早いものだった。

完璧に怯えきって腕と体の隙間に無理矢理くちばしを通そうとする愛鳥の鼻先を掻いて宥め、俺は手綱を持ちながら天幕を引きずり降ろし、一旦相棒に被せてテントの骨を残らずかっ攫う。身軽なグ・ラハは踵を返して荷物を集めて、チョコボに括りつけていた。

この時点で視界はおびただしい勢いの雨でほぼ白くなっている。万が一、忘れ物があってもこれでは仕方ない。兎にも角にも雨宿り出来るところまで走らなければ。
「走るぞ!」
「ああ!」

全身ぐしょ濡れにして、自慢の耳は完全に寝かせきってしまっているグ・ラハは既に隣りに並んで駆け出そうとしているところだった。だが、彼がまだ本調子でないこと、そして風邪をひかせたり怪我でも負わせたらアリゼー直々に説教地獄を味あわせるときつく言われていたことを思い出し、慌てて彼の頭上に雑な畳み方をした天幕を掲げてやる。もう遅いけれどないよりはましだと信じて、些かかんたんすぎる傘の下、今度こそ二人で暴風雨の中へ駆け出す。

がむしゃらに足を前へ、前へと踏み出して。

靴や服、顔にも跳ねる泥にも、飛んでくる木の葉にもお構いなし。

ただただ二人と一匹は走る。

踏み出す度に鳴っているだろうびちゃびちゃ酷い水音も、ふつふつと腹の底から湧いて抑えきれない二人分の笑い声も、強すぎる雨脚やひっきりなしに鳴り響く雷鳴にかき消されて聞こえやしない。

流石にこんな雨風は冒険者になって初めてだ、と思いかけて、ふとそうでもないかと考え直す。いつも必死だから気付いていないけれど、六属性のエーテルを司る神々との戦いはいつだってこれくらいの激しさだった。

そう思えば、当たり前のように天幕を避ける雨に顔を打ち付けられながらでも、軽口くらい叩ける余裕が出てきた。
「さては誰かラムウちゃまを怒らせたなぁ」
「ラムウちゃま!?雷神の!?」
「そうでふっち」
「ふっちって何だ!?」

一音すら聞き逃さないぞというように、ぐるんと俺を見上げて重そうな耳を持ち上げたグ・ラハの律儀な反応が初々しい。必死の形相が面白くて大声で笑ってしまえば、むっと拗ねたように彼の頭上にある俺の腕は軽く小突かれてしまった。

どうせこんな轟音の中で話したって俺の声が枯れるだけだ。街に着いた後でシルフ領で対峙した雷神と、第一世界に顕現した二柱の雷神の話をしよう。

腕を小突いたついでにグ・ラハは俺の右手から天幕を引き取っていってくれた。実を言えば上げ続けていた腕が怠くなり始めていたから、素直にありがたく右手だけ交代させてもらうことにした。

また突風が吹く。

これはラムウだけでなくガルーダも怒ってるのかな、と冗談ではない状況にやはり笑いは止まらない。

真正面から殴りつけるような風は雨を伴って全身を痛めつけるだけに留まらず、なんと並走しているグ・ラハの体まで浮き上げてしまった。
「グ・ラハ・ティア!」
「っ!」

踵を使って急停止しつつ咄嗟に伸ばした右手でグ・ラハの肩を引っ掴み、とにかく攫われないようにチョコボと俺の体を風除けにして地面につけてやる。
「大丈夫か!?びっくりさせるなよ……!」
「あっはっは!すっげー!浮いたぞ今!」

バクバクととんでもなく喧しい俺の心臓を余所に、風に攫われかけた当の本人は笑いが止まらないようだった。しおれかけていた耳も尻尾も本人の気持ちを表すように動いて忙しない。

これだけ元気なら大丈夫か、と密かに胸を撫で下ろし、気休めにもならないが頬と髮についている泥を袖で拭ってやった。
「街に着いたらご飯にしよう」
「おう!あ、でもまずはシャワーな!風邪引いちゃ大変だから」
「君が言うのか……」
「え?」

頭二つ三つ分上にある俺を見上げるきょとんとした表情には、あどけなささえ感じる。内側に仕舞い込んだものの存在を知っているのにそう感じるのだから、この人は本当に。
「……仕方ないな」

こぼした言葉は丁度都合よく愛鳥の甲高い催促の声にかき消された。いい加減この酷い雨風の中、立ち止まっているのも耐えきれない。
「さあ、もう少しだ。踏ん張れよ」
「ああ、あんたも!お前も、もうちょっと頑張ろうな」

機嫌を取るためにくちばしを掻いている俺に倣って、グ・ラハは首の毛並みにふれる。二人の気持ちに応えるように、「仕方ないな」と言うようにピュイ!と一鳴きした愛鳥はおもむろにグ・ラハの背中へくちばしを押さえるようにくっつけた。
「っはは!飛ばないように押さえてくれるってさ」
「……なんか複雑だけど……ありがとな」

半身分振り返ったグ・ラハは丁度脇腹あたりにあったチョコボの頭を撫でる。それが合図になったようにチョコボと、彼に押される形のグ・ラハは駆け出した。俺も彼らの傘になるように天幕を掲げ直して、遅れないように泥濘を踏んで後を追う。

「あなたは……ど、どうしてそんなずぶ濡れに!?」

近くの建物を目指して走っていた俺たちは、息が上がってきたところでようやくベントブランチ牧場に駆け込むことが叶う。全身びちゃびちゃのまま、ひとまず屋根がある有り難みに一息ついていると、たまたま通りがかった顔見知りの双蛇党の人にぎょっとされてしまった。
「あー……キャンプしてたら急に降られてさ。タオル貸してもらえると嬉しいんだけど」
「い、今すぐに!お連れさんも中で待っててください!」
「ありがとう、助かる」

きっちり去り際に敬礼だけ残して、双蛇党の人は奥へと走っていってくれた。嫌がられるかと少し心配だったが杞憂になってよかった。
「ふふ……ひでーな、オレもあんたも」
「ほんと……悪いな、こんな急に降るとは」
「いいんだ。これも旅の醍醐味だろ?」
「っふふ……そうだな」

親切な双蛇党の人を待つ間、下が土なのをいいことに二人揃ってずぶ濡れの服を絞ってしまう。洗濯で水に浸けた後、脱水した時くらいにおびただしい量の水が落ちてまた二人で顔を見合わせて笑う。

屋根の外はまだ酷い雨風模様だ。まだ無理はさせたくないグ・ラハと愛鳥、そして俺自身のためにも、しばらく出発は遅らせてた方がいいだろう。幸いにも足止めを苦に思わなくていい相棒たちがいるのだから。