水面の花とさまよえば

手練れの漁師がどんな魚をも釣り上げるように、深い微睡みの海に沈む体は光の粒子に腕を引かれて少しばかり浮き上がる。折角気持ちよく眠っていたというのに、一体誰がこんな酷いことをするのだろう。文句の一つでも言ってやろうか、としょぼしょぼ抵抗を続ける目蓋をやっとのことで押し上げ、私を釣り上げた漁師を薄目で探す。すぐに見つかったそのヒトもまた淡い光をまとい、彼女が座すのに相応しい可憐な花をいくつも従えて未だ水の中に顔の半分も浸けたままでいる私を見下ろしていた。
『私の若木、あなたって本当に罪なヒトなのだわ』
「呆れ顔も可愛いね、フェオ=ウル」

夢を渡って遊びに来たフェオと話すこと自体はこれまでも頻繁にあったが、いつだって彼女は一人で会いに来てくれていた。しかし、今日は珍しくお供にくるりとした黒い目が可愛らしい若いアマロを連れてきている。
「……ところで、そのアマロはどこの子かな?」
『あら、なんて酷い人なのかしら。ねえ、一言言ってあげなさいな』

私の髪を食んでいた若いアマロはキュル、と抗議の声を上げて水の中に首を突っ込んでまで私の服を引っ掴み、フェオが水面の上に出した薄紅色の花に座らせた。その動作だけでこの若いアマロが器用で賢い子だということが分かる。

クリスタリウムで訓練を受けている子か、もしくはヴォレクドルフで出会った子だっただろうか。こんなにも聡い隣人を忘れるはずがないのに、どうしても思い出せなくて申し訳なくなる。まだ濡れたままだった手を寝間着の裾で拭って、鼻先の毛並みを梳いてやるとクルルと小さく喉を鳴らしてくれた。
「こんな水底でしか眠れないような私だ、君の助けなしには分かりそうにないなぁ。答えを教えてほしいってお願いしても駄目?」
『ええ、そうね。対価を払ってまであなたに会いに来たこの子に悪いもの』

椅子代わりに腰かけたきれいな花をしっとり撫でるフェオと話している間も、アマロは撫でる手を催促するようにぐいぐいと鼻先を押し当ててくる。その視線がどこか不満げな色を帯びて彼らの王に向けられているのは気のせいだろうか。
『あら、意地悪じゃないのだわ。ええ、ええ、私はいつだって私のお庭のみんなの味方だもの』

キュルリ、もう一声鳴いたアマロにフェオは大袈裟に肩を落として見せる。その口元は妖精郷に射す虹光のようにやわらかく笑んでいた。
『揃いも揃って聞かん坊さんなのだわ!』

ふわりと花の座から飛び上がったフェオはアマロと私の鼻先を順につついて、射干玉色の毛並みに仁王立ちして見せた。台座にされたアマロ本人は怒るどころか、誇らしげにも満足げにも感じる鼻息をふんふんと噴いている。
『ねえ、鈍感で忘れっぽい愛しい私の若木。今度はよく覚えていてちょうだいね? この子はね、あなたのコスモス……ずっと大地を、空を駆けるあなたを見ていたのだわ』
「フェオ=ウル、それって」

私が次の言葉を継ぐ前に今までで一番大きな鳴き声と共にバサリと四枚の羽が広がり、吹き上げられた風に頬が打たれて思わず目を閉じてしまう。
『残念、時間切れ。ええ、ええ、勿論あなたなら答えを見つけられるのだわ!』

アマロが生み出した風はきゃらきゃらと楽しげに歌う笑い声を含んで、やがて私の体ごと花も水も何もかもを吹き飛ばしてしまった。

そうして体ごと浮き上がった意識に現実の目蓋もゆっくりと、だが自然に持ち上がる。今まで生きてきた中でも一、二を争うほどスッキリとした目覚めを迎えることが出来たのは、ウリエンジェの忘れ物を引き取りがてら、彼が拠点に利用していた館の屋根を一晩貸してもらっただけとは思えない。不思議な夢の残り香が今もこめかみのあたりに残っている気がして、それが消えてしまう前にあの子を見つけなければ、と身支度もそこそこに館を飛び出した。
「あっ」

相棒のチョコボが休んでいる軒先へ目を向けると、そこには太陽のような黄金色と月夜を思わせる美しい射干玉色が仲良く身を寄せ合っていた。
「おはよう」

探しに行くより前に見つけてくれていた聡いアマロは私が近付く気配にも気付いてくるりとした瞳を向けてくれる。キュウ、とチョコボは報告があると言いたげに一声だけ鳴いてアマロの毛並みに嘴を埋めていた。
「また会ったね……いや、見つけてくれてありがとう」

夢の中でしたように、鼻先の毛並みを梳いてやると、アマロもまた手に頭を押し付けるようにして催促してくれた。不思議な夢は確かにこのアマロが私の美しい枝に頼んで会いに来てくれたものだったのだ、と足元にじわりと波が寄せるような感覚がした。
「……一緒に来てくれるの?」

当然!と言うようにバサリと美しい四枚羽を広げて見せてくれた新たな仲間の首を抱く。少しだけ硬い毛並みはチョコボのそれとはまた違った感触で、自慢気に相棒のことを語ってくれたあの人の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「ありがとう」

様子を見守っていたチョコボも歓迎の意を伝えたいのか、早速アマロの毛繕いをし始めた。アマロも気持ちよさそうにクルルと喉を鳴らしていて。それがどうしても嬉しくて堪らない。
「ねえ、これからいろんな場所を見て回ろう。きっと君も気に入るはずだよ」

感触の違う毛並みを撫でてやりながら、これから彼らと体験するだろう未知の風景に想いを馳せる。賢い彼らはきっと理解してくれたのだろう、輝きを増した二組の瞳が荘園を照らす虹色を含んで瞬いた。