密偵物語(※)

※性的な表現があります。
※暁所属の冒険者(ミコッテ・サンシーカーの男性/光の戦士ではないが超える力持ち)のお話です。
※光の戦士はアウラ・ゼラの男性です。

暗闇の中、ほっそりとした脚と尻尾の輪郭がゆらゆら揺れる。

その動きに合わせて大袈裟な女の艶声が響いて、わざとらしい声に辟易としながらも胡粉色の尻尾を持つ男は自分が組み敷いている女を揺らし続けていた。
「それで、頼んでたものは?」

熱っぽい場の雰囲気にはそぐわない淡々とした声音で息一つ乱さずに男は問いかける。それを合図にしたのか単純に冷めてしまったのか、ひっきりなしに声をあげていた女も啼くのを止めて、だが男の首に腕を絡めて互いの体同士を引き合わせた。ぴったりふれ合う肌は熱く、その温度だけは嘘だらけの二人の間にある本当なのだと突きつける。
「私を誰だと思ってるの?もう終わってるわ」

男に巻きつけられていた女の手が背中を滑り降り、男のズボンのポケットに小さな紙片を突っ込んだ。そのまま尻尾の付け根に悪戯しようと更に伸ばされた手を男は握りこんで、満足げに微笑んで見せる。
「流石、あんたに頼んで正解だな」
「ありがと。でも、良い仕事には言葉より報酬で誠意を見せなさい」
「はいはい」

男は口角をゆるく上げて褒美を強請る女をその白い背中からシーツの海に沈めた。

彼女への『報酬』は男の時間だ。この時だけはまるで唯一の愛を注ぐ間柄のように、男は蜂蜜酒を思わせる甘い金色の瞳をそっと閉じ、女のやわらかい髪に口付けを落とした。

薄明かりが空を染め始めた頃に男が一人で安宿から出てきた。ところどころで転がっている空き瓶やチラシ、泥酔している人を避ける軽い足取りは彼の日常がここにあることを雄弁に語っている。

男はふわふわと欠伸を繰り返しながら勝手知ったる裏通りからいくつか抜け道を使って最短距離でサファイアアベニュー国際市場へと向かう。彼はウルダハでは珍しいミコッテ族ということに加えて、暗い中でも浮き上がる黄色混じりの白い髪が人目を引く。市場までの道中も顔見知りや同業者からかんたんに見つけられては手を振られたり、次の約束を投げかけられたりと忙しない。特に今日はやたらと知り合いに出くわすせいで、男はなかなか目当ての店まで辿り着けずにいた。
「セレステ」

話の長い同業者からなんとか逃げた矢先、またしても男の名を呼ぶ声にげっそりとしつつも律儀にセレステは振り向いた。だが、その声の主を認めるや否や、セレステの金色の瞳はキラリとした輝きと、そして悪戯っぽい笑みを取り戻す。
「あれ? おはよ、エオルゼアの英雄さん。ウルダハに来てたんだ」
「依頼を受けた帰りだ。それより、その『英雄』は止めてくれって何度も言っているだろう……」
「何回でも言うけど、みんなからそう呼ばれてるのに俺だけ駄目なの? あ、解放者殿の方がお好みだったか?」

何度となく交わされたやり取りの再演として軽口を返せば、『英雄』と呼ばれた青年は大袈裟な溜め息をついて歩み寄る。

ウルダハでも少し前よりは見かける機会が増えたとは言え、ミコッテ族より珍しいアウラ族の青年はただ立っているだけでも目立つというのに、人混み中でも頭ひとつ飛び出るほどの長身に相応しい大きさの斧を背負っているせいで『英雄』は面白いほど目立っていた。それこそ寝不足のセレステには少々耐え難いほどに。
「……なんだか機嫌が良いな。良いことでもあったのか?」
「ああ、あったよ。ふふ……はー、笑った笑った……あ、そうだ」

頭の中が疑問符で埋め尽くされているだろう英雄が更に質問を投げてくるより前に、セレステは視線の高さにある胸板にポケットから取り出した紙片を押し付けた。
「依頼帰りなら石の家に帰るんだろ? 俺もあんたにお使い頼むわ。このメモ、サンク兄さんに渡しておいて。頼まれてた情報だって言えば分かるから」
「……直接渡さなくても大丈夫なのか?」
「俺はこの後も任務なの。それに、あんたに頼めば絶対大丈夫。じゃあね」

半ば無理矢理渡した紙片が大きな手の平の中に収められたことを見てから、セレステはミコッテらしいしなやかな動きで踵を返し、人混みの中に消えようとする。
「待って」

しかし、相手が悪かった。英雄が伸ばした手に呆気なく捕まった男はつんのめって危うく転びかけてしまう。不満を隠そうともしない視線で以て離すように威圧してみせるが、数多の戦場を駆け抜けてきた英雄その人には大した効果もなく、何か荷物をまさぐる横顔を眺めるだけに終わってしまった。

冒険者を生業とする者たちが身につけている謎の収納術はいつ見ても慣れない。セレステは英雄が鞄から取り出した大判のストールにやや驚かされつつも、矜持がそれを表に出すことを許さなかった。
「何? そろそろ暑ぃんだけど」
「……首、隠した方が良い」

ぼそりと耳打ちされた言葉、そして大真面目な顔。

セレステの任務──密偵としての生き方を知っていて尚、英雄は彼に純すぎるほどの気持ちを向ける。誇りを持って仕事をしているセレステたちにとって、先のような言葉は一歩間違えれば侮辱と取られてもおかしくはない。

だが、英雄と呼ばれる目の前の男が憐れみや何かそういったものによって言葉を紡いでいるわけではないことを知っている。だからセレステは、そして光の中に潜む者たちは命を懸けて自らの任務を全うしている。名の残らない身でも、自分の手の先にいる人たちが繋いでくれると知っているから走り続けられるのだ。
「英雄さんさぁ……もしかして童貞?」
「どっ、はぁ?」
「嘘うそ、冗談だって。そんなに睨むなよ、顔怖いぜ?」
「……からかうなよ、心配してるんだ」
「ご忠告どーも。でもさ、これも作戦の内だから」

逃げの体勢を取っていたセレステは、顔を真っ赤に染め上げて狼狽える青年に向き直る。
「まあ、でも? 折角あんたが貸してくれるなら借りてくわ。砂漠の夜は寒いから丁度良い」

まだ呆気にとられている英雄の手の中に収まっていたストールを引けば、それは意思を持った風のようにすり抜けてセレステの手の中に泳いでいった。やわらかくてなめらかな手ざわりは質の良い素材と、腕の良い職人によるものだろう、とセレステは蜂蜜色の瞳を細める。
「じゃあな、英雄さん。お使い頼んだぜ。途中で寄り道すんなよ?」

今度こそ長い腕に捕まる前に身を翻して男は人混みの中に紛れて消えてしまう。彼がその気になれば人波の中、たとえ目立つ髪色であっても英雄の視線を躱すくらいなんでもなかった。

決して見つけられないだろうに、市場のただ中で立ち尽くす英雄がしばらくは自分の姿を探しているだろうことを背中で感じて、機嫌の良さそうなセレステの尻尾はウルダハを抜け出してもしばらくの間、ゆるりと宙を掻いていた。