幸せを頬張る
※2020年12月27日(日)頒布のweb再録短編集『しじまにふれる』の書き下ろしです。
夜が戻ったお陰で正常な気候の変化が訪れるようになったノルヴラントにも冬がやってきた。クリスタリウムの彷徨う階段亭ではすでに定番となった夜がテーマのメニューに加え、あたたかい煮込み料理も人気になっているらしい。第一世界の住人たちは毎日厳しさを増していく寒さに戸惑いながらも、楽しげにその変化を受け入れている。
吐く息が白く浮かび、視界を少し煙らせる。歩みを進める度、カサカサと存在を主張する紙袋の音が少々早めのテンポなのは気のせいではない。厚手のコートのポケットから泣くなく引っ張り出した手を、こめかみに当ててリンクシェルを起動する。待つこと数コールで接続完了を報せる音が鳴った。
「ん、水晶公。私です。今、大丈夫?」
『君か。ああ、星見の間に一人でいるから問題ないよ。何か報告だろうか?』
「そうか……星見の間なら大丈夫かな」
『うん?』
「何でもない!今から行くから待ってて!」
終わり際に何か言っていたような気がするが、一方的に通話を切断してやった。白い息をふわふわ連れて、一気にドッサル大門への階段を駆け上がる。
「水晶公!お鍋食べよう!」
私が来る時は何故かいつも半開きになっている扉を勢いよく開けて、そのまま大鏡の前に立っていた水晶公に突っ込む。ぶつかると吹き飛ばしかねないからしっかりと直前で急停止すると、紅い目を白黒させた彼と視線が合った。
「あなたは……全く……」
はあ、と盛大な溜め息も今はこの後の展開の余興にしか見えない。きっとその溜め息は次の瞬間には感嘆のものになるはずだ。
「で、オナベとは……確か、ひんがしの国の料理だったか?」
「そう!最近寒いから、あったまるものが食べたいかなぁって……迷惑だった?」
さっきまでの勢いは少ししまって、しおらしい態度をわざと見せてみる。すると水晶公は予想通り、嬉しそうな困ったような微妙な表情を見せてくれた。今日は何としてでも美味しいお鍋を食べてもらうと決めてきたのだから、多少の演技だってこなしてみせる。
「迷惑だなんて!その、オナベ?是非ご相伴に預かろう」
「やった!じゃあ、準備するね」
「ありがとう……ちょっと待ってくれ、ここでするのか?」
「はい、もちろん」
「……生憎、塔の中には調理スペースがないのだが……?」
「大丈夫大丈夫、私を信じて」
ドン、と胸を叩いて見せてもまだ信じきれない様子の公は一旦放っておいて、ひとまず抱えたままだった紙袋を隅に置く。何も見えないのに何かに当たった気がするが、知らない振りをしておこう
「鍋の材料はほとんど切ってきたから、鍋に入れるだけなのです」
「その、鍋が見当たらないのだが?」
その問いへの返事代わりに、降ろした荷物の中から一緒に持ってきたエプロンと金属加工用の工具を取り出す。とろこどころ水晶が張り付く頬にやがて驚きが浮かび上がってきた。
「もしかして鍋自体を今から作るつもりか?」
「ご明察。ええと、材料は……」
パラパラと愛用の製作手帳をまくって二人で使うのに丁度良い手鍋を見繕う。すると手帳の古いページにスキレットを見つけた。これなら手持ちの材料で出来るし、底をもう少し深くすればクガネで見た鍋に近い見た目にはなるはずだ。
「少し下がっていてね」
今は彼と私しかいないとはいえ、ここはクリスタリウムの住人たちが水晶公に会いに来る大切な場所だ。あまり散らかすのも申し訳ない。
小さなハサミ状の工具といつも振り回している斧より小振りなハンマーでこね回した素材は、ギャッギャと苦しげな音を鳴らして徐々に完成へと近付いていく。
「上手いものだなぁ」
「ふふ、修行しましたから」
座り込んだ私の頭上から手元を覗き込む公は、感嘆という言葉が相応しい声音で褒めてくれた。たまに材料が光る度、ビクッと反応する尻尾が視界の端で揺れている。
駆け出し冒険者の頃、怪我をして戦えなくなった時の保険として始めた製作業も、彼とこういった時間を持つことが出来る口実になるなら途中で辞めなくてよかったと思える。それに、巡り巡って彼の街を助ける手の一つになった。これまでの全て、何一つとして無駄なことはなかったようだ。
手を傷つけないように荒い部分を磨いて整えれば、ピカピカの特製深めスキレットの完成だ。これなら二人分の具材も十分に入るだろう。
「はい、完成!」
「お疲れ様。流石、工芸館のみんなが褒めていただけある」
「ありがとう。さて、いよいよ本番です」
「まだやるのか?その、英雄殿……今度は一体何を……?」
公に見せるように続けて取り出したるは、軽めに加工した煉瓦の山とファイアシャード、そして防炎シート。床を汚さないようにシートを敷いた上に、煉瓦を丁寧に一つずつ積んで簡易的な炉を作るのだ。
「炉だよ。ノアの調査団にいた時もこうやってご飯を作ったっけ」
「あ、ああ……そうだったな。あの時はあなたが習い始めの黒魔法で火をつけようとして、うっかり天幕に火が移ったんだ。ラムブルースがあんなに怒ったところ、初めて見たよ」
ファイアを打った私だけでなく、それを煽ったとしてグ・ラハも一緒にラムブルースの雷を落とされたのだ。懐かしそうに目を細めて、くっくと喉奥で笑う彼は本当に楽しげだ。なら、その楽しい気持ちをもっともっと増やしたい。
煉瓦をきれいな四角形に積んだら、次は触媒になるファイアシャードを中に敷き詰めていく。入れすぎると暴発して大変なことになるから加減して少なめに。足りなくなれば足せばいいだけのことだ。
次は具材の準備。確か具材を入れる場所や順番も大事だと東の若様が言っていたことを思い出して、みんなで囲んだ食事の風景をうっすら脳裏に浮かべながら次々に具材を詰め込んでいく。流石に煮込むだけだから、多少間違えても食べられないほど不味くなることはないだろう。
「ふふ、流石に星見の間でファイアなんて止めてくれよ?あの時みたいに燃えてしまっては大変だ」
「大丈夫、もうそんなヘマはしないよ。ちゃんとするから」
「……待ってくれ、どうして杖を構えている」
「下がっていてね」
止められる前に素早く極々少量のエーテルを練り上げ、火花程度のファイガを小さな炉に仕込んだファイアシャードに撃つとポフン、と可愛らしい音を立ててシャードが火種となった。モンスターに当たれば問答無用で消し済にしてしまう術すらも、使い方さえ知っていれば火打ち石代わりにもなる。
「出来た!」
「随分と魔術も上手くなったのだな……あの時とは比べ物にならない……どうして杖を降ろさないんだ」
「さて、ここからが本当の本番!」
エーテルを練り上げる久し振りの感覚が体の内側を掻き回す。迸る魔力の流れを手繰り、爆発的な火力を想像する。鼻腔をくすぐる炎の匂い。杖で指向性を持たせて、より精度を上げて。
研ぎ澄ます。
「なあ、ちょっと、待っ」
「美味しくなーれ!」
破壊の術も使い手次第。
狙い澄まされた熱源は掛け声と共に寸分違わずシャードに至り、火種を強火程度の勢いに育てた。強い術はそれを操るだけでも相当な技術と精神力が必要だ。普段杖を握ることが少ない私に出来るか正直五分五分だったが、無事に抑え込めてよかった。若干体が火照っている気がするが、じきに収まるだろう。
「ふう……さあ、煮えるまでもう少し待ってね」
ファイガの扱いを褒めてくれた彼もまた黒魔法を扱う術師だ。より強力で扱いが難しい上位魔法を上手く制御出来たのだから、きっと褒めてくれるに違いない。そう期待を滲ませて、万が一に備えて背後に押しやった水晶公を振り向く。だが、そこにはかつてのラムブルースを思わせる気配がこちらをじっとりと見つめていた。
「……っの馬鹿‼︎」
「いったい!」
目にも留まらぬ速さで避ける間もなく水晶公の水晶パンチが飛んできた。どうして。
「なにも殴ることないじゃないか……!」
「あんたなぁ……塔を吹き飛ばすつもりかよ⁉︎自分の実力くらい弁えろっての‼︎」
そのままの勢いで大きな目をかっぴらいてガミガミ──もとい、私を心配していろいろとお小言を頂戴する羽目になった。どうやらこれまでも我慢していたらしい昔のあれこれまで持ち出してきて、いよいよ終わりが見えなくなってきた。グ・ラハはこんなにも心配症だっただろうか。それとも百年培ってきたおじいちゃん精神の賜物だろうか。いずれにせよ心配されて悪い気はしない。
しかし、そろそろ鍋の様子が気になる。煮えすぎると折角のケナガウシの肉が固くなってしまう。
「大体あんたは前から無茶を……おい、聞いているのか?」
「き、聞いてます……!」
「だったら、」
ボフッ!と煮えたぎった鍋が吹き出す音でピタリと二人の時が止まる。思わず見合わせて、ふつりと糸が切れたように途切れた緊張の代わりに笑いが漏れた。
「もう……オナベを食べ終わったら絶対続きを聞いてもらうからな」
「はぁい、分かってますぅ」
「もし逃げ出したらクリスタリウムの総力を上げて捕まえる」
「それは流石にどうなんだ……?」
まさかと盗み見た紅い目が据わっていて、これ以上彼を怒らせるような真似は止しておこうと胸の内にひっそり決意をしまい込んだ。代わりに荷物から揃いの茶碗とカトラリーを二組ずつ取り出す。
愛用しているレードルで鍋をかき回すと、やさしい匂いがふんわりと舞った。味付けはほぼしていないけれど、具材から染み出た出汁が調和しているはずだ。
具を茶碗によそう最中、ずっとレードルの動きを見つめる公のキラキラとした瞳は未知の味への期待に満ちている。手渡した茶碗を両手で恭しく受け取り、すんすんと香りを嗅ぐ姿はかつて天幕でこっそり秘蔵のおやつを分け合ったあの日を思い出させた。
「どうぞ、召し上がれ」
「じゃあ……いただきます!」
真っ先にケナガウシの肉を掬った彼を微笑ましく見守り、きっとくれるだろう言葉を待つ。鋭い歯が見えるくらい口を開いて頬張ろうとする癖は治っていないらしい。
「あ、熱いから気をつけて」
「あっつ!」