Andante

「ガイア、ま、待って……!」

少し後ろから鈴のような声が追いかけてくる。さっきまですぐ隣りを歩いていたはずのリーンが今は追いつこうと小走りになっていた。いつの間に離れていたのだろう、ニコニコと笑顔を見せて気付かないうちに空いていた距離を詰めるその短い時間でさえも楽しそうだ。追いついた彼女の手から少しだけ荷物を預かってあげると、更に深まる笑顔が眩しい。細まる目と弧を描く口元を自覚して、ユールモアにいた頃にはこんな振る舞いをする自分なんていなかったな、と月日の移ろいを感じた。
「ガイアは足が速いね! 私とそんなに背も違わないのに、すごい!」

リーンがよく分からないところを褒めちぎってくるのは初めてではない。しかし、何とも思わなかったその言葉が今は何故か当然とは思えなくて、むず痒さを覚えるようになったのはいつからだっただろう。
「そう? これくらいのスピード、普通でしょ」
「でも、一緒に歩いてたらすぐに離されちゃうもん」

真正面から彼女を見ていられなくて顔を逸せば、周囲の様子だけは冷静に見えた。クリスタリウムのマーケットはいつも以上に人出が多くて、リーンが焦ったように追いかけてきた理由も分かる。

普段から嫌というほど人が溢れているマーケットには商人や街の住人以外にも、クリスタリウムという街自体やあの人、それに祭の名前になった水晶公に関わった人々が水晶祭の準備のために各地から集っているらしい。中には私にとっては見慣れた、しかしここでは目立つ色使いの装いをしたユールモアの人も見つけられた。そういえば、少し前にクリスタリウムとユールモア間に定期便が就航した、と何故かリーンが自慢げに話していたっけ。

そう考えながら歩いている内にもまたリーンとの距離が空いてしまっていた。気がついてすぐに足を止めて振り返れば、リーンの周りだけ明るくなったような気がする。光の巫女の力の一つなのかもしれない。

それにしても、人の間を器用に擦り抜けてこちらに近づいてくるリーンを見ていると、胸に違和感を覚える。苛立ちや面倒臭さに似た暗い気持ちではない、ほのかに明るいあたたかいもの。

そう、私は今更になってその正体を自覚してしまった。

なら、いつまでもうじうじと悩んでいるのは私らしくない。正直、痛いほど心臓が跳ねているけれど、でも。

私とは真逆の白いワンピースが隣りに並んで、裾の揺らぎが止まる。それを合図に、私は荷物を片手に持ち替えてリーンに右手を差し出す。
「ガイア?」

私が差し出した手をリーンが不思議そうに見つめる。双剣を手に持っている時は察しが良いのに、変なところばっかり鈍くて嫌になっちゃう。
「手よ、手。繋いでいたら遅れないでしょ」
「……うん!」

控えめに重ねられた手は私より随分あたたかくて、私から引き寄せて指に力を込めてみるとリーンは驚いたように目を丸くしていた。自分より動揺している人を見ると落ち着くもので、さっきまでうるさいくらいだった鼓動は徐々に普段通りを取り戻していく。
「ほら、行くわよ」
「うん!」

ツイ、と手を引いて歩き出せばまるで始めから示し合わせていたみたいに同じリズムで靴音が鳴る。心なしかリーンの足音は軽く跳ねるようで、今にも歌い出しそうなステップだ。手を繋いで一緒に歩いているだけ。なんでもないことで嬉しそうにしちゃって。これくらいのこと、これからいつだって何度だってしてあげるのに。