ひんがしの酒はよく回る
※冒険者はアウラ・ゼラの男性です。
正直、意外だ。
光の戦士、エオルゼアの英雄、救国の英雄、解放者、闇の戦士。いくつもの呼び名を持つこの人が今、オレの目の前で酔い潰れている。
暁の英雄に関する本や、人々の間に残る歌や語り継がれてきた思い出話に第八霊災の先の世界でふれて、それこそ覚えるまで読み込んだその物語たちの中でのこの人は少なくとも大勢の人の前で酒を飲まない人だった。そう、一滴も。
理由はいくつかある。まず、『英雄』が堕とされた祝賀会。そして、ファルコンネスト。身近な人、そして自分に毒を盛られたあの時はどちらも飲み物が小道具として使われている。特にナナモ陛下に毒を盛られた祝賀会の一件は、後に無事だと分かったといえど、やさしいこの人に深い傷を残していたことは想像に難くない。
だから、一人の時や特別な時にしかこの人は飲まないのだ。そう認識していたし、実際一緒に旅をしてきた中でもそうだった。時に誇張や歪みを持ってしまう物語の中でそこは真実だった、と発見した時は少し嬉しくて悲しかったことは誰にも言っていない。
そう、だから余計に意外だったのだ。
新年のお祝いのため、久し振りに暁のみんなが集まっていつか振りの活気が帰ってきた石の家の片隅で、何故かひんがしの国の酒瓶を抱えてオレの考えうる最強の英雄が寝ている。
「なあ、こんなところで寝たら風邪ひいちまうぞ? タタルにベッド用意してもらうから、そっちで寝ろよ」
「……まだここにいる……」
飲み物がまだ残っている自分のグラスを適当な木箱の上に置いて、英雄の体を揺り動かす。だが、この酔っ払いはまるで小さな子どものようにぐずって酒瓶を大事そうに抱え、梃子でも動かない姿勢だ。
困った。いつかもこういう場面に遭遇した気がするけれど、確かその時は単純に疲れて寝ているだけだった。誰かを呼んで運ぶのを手伝ってもらうか、しかしこんな状態のこの人を他の人に見せたくないような気もする。これはオレの我儘でしかないが。
「……グ・ラハ、これ飲む? 美味しい」
「ああ、ひんがしの米で出来た酒だったっけ? 飲みたいけど、エスティニアンがそれ探してたから譲ってあげような」
「だめ、これは俺の」
本当に困った。この人は酔うとこんな、なんというか、子どものようになるのか。嫌だ、と言う口ばかりが妙にハッキリしていて余程分けたくないのかと、また意外な一面を見た。
「これね、俺の父さんも好きだった」
「あんたの父さんが?」
「そう」
そう言うと、急に体を起こしてオレに酒瓶を見せてくれた。太陽の光が中身を劣化させないように深い琥珀色をした瓶の中でゆるりと水面が揺れている。
「グ・ラハ、乾杯しよう」
「ま、まだ飲むのか? 本当に大丈夫なのか?」
「うん、寝たらちょっとスッキリした」
酒精にあてられて目元が少し上気しているように見えるが、床に転がっていた時よりは口調がしっかりしているようだ。どこからか取り出した二つのグラスになみなみと酒を注ぐ姿は楽しそうで、まあ、新年だからいいかとこの人らしい控えめな我儘を許して、つい手渡されるグラスを受け取ってしまう。
「……こうやって、あんたとゆっくり飲めるのも久し振りだ」
「ああ。たまにシャーレアンには行くけど、お互い忙しいし。ご飯は行けても、お酒は久し振り」
「そうだな」
グラスを揺らして小さな波を眺める。得難い時間を噛み締めるように、手の中にあると実感するように。きっと幸せを見ることが出来るなら、このグラスの中の酒のように透明で、いつだって同じ形を取ることはないのだろう。
「オレ、ひんがしの酒って初めてだ」
「本当に? じゃあ、グ・ラハの初めてに乾杯」
「語弊がある気がするが……英雄じゃないただの酔っ払いに、乾杯」
チン、とグラスをふれあわせて煽ったひんがしの酒はまるで水のようで、しかし喉と鼻を通っていく強い酒精の香りがこれは危ないものだと教えてくれる。よくよく見れば瓶の中身はすでに半分以上なくなっていて、普段飲まない人が一気に飲めば床掃除に勤しんでしまうことは必然なのだと目眩という実感を以って突きつけてきた。同時に、これを平気そうに飲み続けているエスティニアンは酒に随分強いらしいことも。
「あんたって意外と……いや、なんでもねー」
「ん、足りないか? もっと飲む?」
「いや、まだあるからいいよ」
さらに赤くなりはじめた目元をつついてやると、酔いもあってか普段は見せないゆるんだ笑みを浮かべる。戦場のにおいなんて微塵も感じない、年相応のそれはきっとオレが取り戻したかったものだ。
せめてまた寝落ちてしまうまでは、嬉しそうにぐいぐいとグラスを傾け続けるこの人の隣りにいよう。機嫌良さそうに歌いはじめた鼻歌を聴きながら、オレは二人で宴を楽しむ暁のみんなを眺めていた。