待ち人二人
天より注ぐうららかな陽射しをかざした右手の指の合間から覗き見る。手の平から光を透かし見ることが叶わなくなって随分経つが、やはりむず痒いような懐かしさはいつまでも拭えない。
そよいだ風の向かう先に視線をやるが、待ち人の姿はやはり見えなかった。待ち合わせ場所はグリダニアのマーケット、黒壇商店街の北側出入口。東桟橋に向かう方だと言っていたから場所は間違ってはないはずだ。
勿論、約束の時間はとっくに過ぎているが、きっとあの人のことだ、来る途中で頼まれごとを引き受けているのだろう。そういう人だと分かっていて共にいるのだから、今更腹を立てることはないが、少しばかり心配になることはある。多少の荒事は自分でなんとかするだろうけれど、傷つけられていないか心を向けることくらいは許してほしいものだ。
こうなったら本でも読んでいよう、と提げた鞄から読みかけの本を探り出したところで不意に視線を感じる。ちらりと周りを見回してみると、オレのすぐ隣りで所在なさげに立っている若い女の子と目が合った。パチリ、と大きな目をまたたかせる彼女は大きな襟のついたワンピースと共色のリボンを身にまとっており、少なくとも道士や冒険者でないことは分かる出で立ちだった。
「お兄さんも誰か待っているの?」
自然に手渡された声は高すぎず低すぎず、決して大きな声ではなかったのに人が行き交うマーケットの片隅でも聞こえやすいものだった。本当に自分に話しかけたのか疑わしくて、つい後ろを振り返るが壁しかない。改めて彼女を振り返るとクスクスと品の良い笑みを漏らしていた。
「あ、ああ」
「そう、私と同じね」
「あんたの待ち人も来ないのか。折角おめかししてきたのにな」
「まあ、お上手ね」
上手く話せているだろうか。額にじわりじわりと妙な汗が滲んでいる気がする。あの人、本当にいつ来るんだ。
「今日ね、久し振りにお休みが重なったから恋人とのデートだったの。だから、とっておきで揃えてきたのにあの人ったら! 急な仕事だから待っててくれ、ですって!」
「あー……オレが待ってる奴も似た感じだな」
脳裏には忙しなく駆け回るあの人の背中が浮かんでいた。きっと今もどこかで誰かのために走り回っているのだろう。好奇心を我慢しないあの人に似た女性の視線に促されて、ついつい言葉がまろび出る。
「……お互い忙しいから、やっと会えるって決まってからずっと楽しみにしていたんだ。だけど、きっとあの人は真っ直ぐ来てくれない」
「分かるわ。なかなか来ないと心配になるわね……」
「そうなんだよ! でも、まあ……その、うん……そういう奔放なところが良いんだけどな」
「……何故か身に覚えがあるわ……」
深く頷き合っていたことに気付き、顔を見合わせた彼女との間に笑みが生まれる。オレが持っているもやもやは特別じゃない、極自然なものみたいだ。
「ねえ、待っている間だけで良いわ。悪いけれど、私とお話ししない?」
「……あんたとの話はいろいろ参考になりそうだ」
「ふふ、私もよ」
木々がそよ風にささめく合間、オレたちは互いの待ち人との思い出を語り合った。
彼女の待ち人は双蛇党の鬼哭隊に所属する槍術士だそうだ。
「彼、とっても背が高くてね。人混みの中でも、どんな混戦でも見つけられるの」
うっとりと目を細めて、いつか見た勇姿を思い描く彼女から語られる彼は本当に強くてやさしい良い青年そのものだ。彼女が一等熱を上げて話してくれたのは、エレゼンらしい長駆から繰り出される突きで華麗に魔物を討ち取った場面のこと。恋人の勇姿や好きなところを語る彼女の頬がほんのりと朱に染まっていくのを見ていると、オレまで嬉しくなってしまう。恋や愛を眺めていると、どうしてこんなにやさしい気持ちになれるのだろう。
「ね、あなたの待ち人さんのことも聞かせて?」
「……そうだな……あの人は、その、すごく強い人なんだ。でも、寂しがりでさ」
ふわふわとした気分が舌の滑りを良くしたのか、ついついあの人の冒険譚の欠片を一つ、二つほろほろと語り出していた。活躍を文字でなぞるのではなく、肩を並べて同じ時間を過ごす内に気付いた素敵なところ。強くて、格好良くて、でもたまにお茶目で子どもっぽいところもあるオレの──
「あなたって本当に恋人さんのことが大好きなのね!」
恋。
「こ、い……恋人!?」
「違うの?」
聞き慣れた低い声、耳を少し雑に撫ぜる馴染みのある手の重み、頭上から肩口に現れた影。その全てが一気に落っこちてきた。振り仰ごうとすると耳と髪をかき混ぜる手に邪魔される。
「お待たせ。お嬢さんが一緒に待っていてくれたんですか?」
「ええ、あなたの恋人さんがお話してくれたの」
「そうなんだって、鬼哭隊さん」
「待たせてほんっとうにごめん!!」
頭上で繰り広げられる軽やかな会話に混ざる、というよりはオレと彼女の待ち人が一緒に現れた経緯を訊きたくてあの人の手の下でじたばた足掻いてみるが徒労に終わる。その間に彼女の待ち人は謝罪の言葉を繰り返しながら事情の説明を始めてくれた。
「でも、この方が……エオルゼアの英雄殿が救援に来てくださったお陰で本当に早く片付いたんだ」
「英雄って……あの!?」
謙遜に謙遜を重ねるあの人を横目に、鬼哭隊士は興奮気味に英雄の活躍を語る。ただのファンガー退治だったはすが、突然変異でも起こったのか巨大ファンガーが群れを成して討伐隊に襲いかかった。かんたんな任務だと踏んで現地近くで手の空いていた隊士たちを集めただけの即興小隊は新人が多かったこともあり、あっという間に囲まれて絶体絶命の危機。ファンガーが大きく膨らみ、胞子を撒くまで数秒という瞬間、風の刃が戦場を吹き荒らす。雄々しく嘶くチョコボと共に戦場に馳せ参じたのがエオルゼアの英雄──オレの待ち人だったのだ。
なんだその話、オレも見たかった。隣りで一緒に戦いたかった。
相棒のチョコボが気を引いている間に比較的重傷な隊士に応急処置を施して、自分も身を翻して巨大ファンガー討伐に向かっていく。まるで異国の舞のように、ふわりふわりと攻撃を避けながら、きつい一撃を食らわせて次へ。その繰り返しの最中、要救護者を引き上げては仲間の元へ投げ渡す。
なんだその話、オレも見たかった。隣りで一緒に戦いたかった。
「まさに戦神ハルオーネの化身さながらの活躍! ああ、君にも見せたかった…!」
「もう、褒め過ぎですよ」
「遠目にお見かけしたことはあったけれど……そう、あなたが……本当にありがとう、あなたが来てくださってよかったわ」
その背中の頼もしさはいくら言葉を尽くしても足りない、と黄色い声を上げてあの人を褒めそやす二人からは気付かれないのをいいことに、思わず口元がゆるみそうになる。そう、オレの英雄はすごいんだ。
「あ、ほら。そろそろ出かけないと、遅くなっちゃいますよ」
「ま! 本当ね。あなたの大切な人なのに夢中になってしまったわ、ごめんなさいね」
「では、英雄殿。またお目にかかれる時をお待ちしております!」
興奮冷めやらぬどころか、これから二人っきりの時間を過ごせる嬉しさも相まって少々勢いよく、仲睦まじく歩いていく若い二人を見送って、やっとオレの待ち人様はオレと目を合わせてくれた。隠しきれないニマニマ笑いで目が半月のようになっていて、余程さっきまでの状況を楽しんでいたことが分かる。
「それで、どんな話をしてたんだ?」
「……秘密」
「なんだ、ケチ」
「遅れたあんたが悪い」
「そうだな、ごめんごめん。機嫌直して?」
ガサ、と手に押し付けられたのは古ぼけた紙だ。広げて、と目で訴えるあの人に促されて広げると、ところどころ破れているが地図のように見える。まじまじと見つめるとよく見知った地形が浮かび上がってきた。
「これ……!」
「そう、ギラバニア湖畔地帯の宝の地図。行くだろう?」
「行く!」
楽しそうに、ちょっと悪い笑顔で誘ってくる冒険者殿に思わず即答してしまった。我ながら甘いと思うけれど、目の前にこんな楽しそうな冒険を吊り下げられて我慢出来るはずがない。
それにギラバニア湖畔地帯といえば、英雄がアラミゴ解放の直後にアルフィノとアレンヴァルドと三人で水底に沈んだ遺跡の探索に挑んだ場所だ。そんな思い出深い場所を二人で。
「行くぞ、グ・ラハ」
「……ああ!」
地図を手に手招きするあの人の隣りに並んで、一緒に歩き出した。自然と調和する歩みがこそばゆい。
「そうだ、素材見つけたら夏服作ってあげる」
「本当か!」
「ああ。俺もお揃いで作っちゃう。恋人、だもんな?」
一瞬、足がこんがらがってたたらを踏んでしまったが、なんとか踏み留まってあの人に顔を向ける。畜生、楽しそうに笑っている姿も眩しいなんて。
「あ、あんた!! 聞いて……!?」
「さあな。ほら、置いていくぞ」
これ以上は待たない、と言うようにオレの耳ごと頭をかき混ぜたあの人はさっさと歩いていってしまった。勿論、すぐに追いかける。ちらりと垣間見えた頬がさっきの女性と同じ色をしていたのをオレは見逃してやらない。