帰郷

※2022.9.11頭割り4無配

空の旅、と言えば多くの人々は各国から定期的に運航している飛空艇を思い浮かべるだろう。オレもその一人だった。

過去形で話すことしか出来ないのは、あの人──英雄と旅をする時はあの人の仲間たちの背に乗せてもらって空を飛ぶのが当たり前になってしまったからだ。ある時は長年連れ添ったチョコボを譲ってくれたり、とんでもない大きさのチョコボに二人乗りしたり、ある時はバルダムの試練を成し遂げた証である怪鳥ヨル、また別の時はいつの間に連れてきたのか懐かしい濡羽色を持つアマロ、恐らくアラグ文明に関係ありそうな球体、更には全く飛ぶようには見えない立派な汗血馬に乗せてくれたこともある。

ともかく、あの人が連れてくるすごい仲間たちの背に体を預けて、体全体で風を切る素晴らしさを知ってしまった今、イシュガルド・ランディングで飛空艇の搭乗手続きをしているのは逆にむず痒い。
「なあ、どうして今日は空を飛んでいかないんだ?」

オレの前に並んでいるあの人の背中に質問を投げると、熱心に書きつけていた紀行録から目を上げて、こちらを見てくれた。にまり、と笑う目元が恥ずかしいのか少し赤らんでいる。
「ほら、折角だから初心に戻ってみるのも良いかなって……」

ポリポリ、と頬を掻くあの人は冒険者そのものだった。たとえ便利な方法を知っていたとしても、やりたいことをやりたいように実行する。好きに生き、世界を楽しみ尽くす冒険者。
「……嫌だった?」
「そ、んなはずないだろ!!」

ことん、と小首を傾げて問うてくるこの人にオレは思わず両拳を握って、尻尾も勝手に膨らむほど全力で声を出してしまった。あの人の肩がびくっと跳ねて、オレはようやく自分の声の大きさに気付いて怪訝な視線を向ける周りに頭を下げることが出来た。それでも尻尾はまだ動き回っているし、きっと目もギラついていることだろう。

嫌なはずがない。オレの憧れそのものである人がただただ己のために旅をする、その道程のご相伴に預かっているこの状況に何の不満があるのだろう。強いて言うなら、心の準備をするために今日の朝食や宿を出る段階で言ってほしかったくらいだ。いや、しかしこの人は行き当たりばったりで旅程を決めていて、街を歩いている時に思いついただけの可能性もある。むしろその方が勝手気ままな旅らしくて良い。
「グ・ラハ、乗るよ」
「あ、ああ! 今行く!」

いつの間にかオレたちの番になっていた手続きを済ませて、二人で飛空艇に乗り込む。まだ寒さの厳しい時期ということもあって、吹きさらしに近い船内はヒトよりも荷物の同乗者の方が多いようだ。疎らに乗り込んでくる人たちもオレたちと同じように、あるいはもっと厚着をしてキリリと覚悟を決めた顔をしている。
「イシュガルド発、グリダニア行き。発進します」

操縦士の案内と共にタラップが上がり、ゆっくりと船体が浮き上がる。地上で手を振ってくれているクルーたちに手を振り返して、オレは新鮮な空の旅に興じた。

そう、そこまでは順調だったんだ。

オレたちを乗せた船が航路を辿り始めて数分経った頃、ふと耳にひりつく感覚を覚えた。あの人を見遣ると同じように何かを察したのか、ついさっきまで楽しそうに話していたのが嘘だったみたいに異変を探るような鋭さを辺りに撒いている。

次の瞬間、ガタンと船体が大きく揺れて思わず膝をついてしまった。殺気はない、つまり敵襲ではない。だが、不測の事態に備えて杖を構えようと背にやろうとした手はあの人に握り止められて、座席につかされてしまった。そして、操縦士の焦った声でオレは揺れの元凶を知ることになる。
「皆様、酷い乱気流です! 振り落とされないように手すりに掴まってください!」

その名を呼んだからか、また一層強い風が船体にぶつかってくる。ガタガタと揺れる荷物の横でオレたちは風に吹き飛ばされないように丸まっていた。

何故だろう。一歩間違えば命に関わるような危険な状況なのに、腹の底からむずむずと笑みが湧いてくる。きっと未知との遭遇に対する好奇心がそうさせるのだ。なら、オレの隣りにいる好奇心の塊はとっくに笑みを堪えきれていないだろう。そう確信して生粋の冒険者の顔を見遣れば、それはもう、子どものように目をキラキラさせたあの人が外をチラチラ見ては何かを我慢するように手を握り締めていた。その横顔はオレがずっと手を伸ばしたかったもので、やっと辿り着いた結末の一つだ。
「なあ! すっげー風!」
「ガルーダ様が大暴れしてるなあ。グ・ラハ! 大丈夫?」
「すっげー興奮する!」
「なら良かった!」

びゅうびゅうと吹き荒れる風に負けないように声を張り上げて、年甲斐もなく馬鹿みたいに声を上げて笑って。風に混ざって聞こえてきた場にそぐわない笑い声は近くにいた同乗者たちの強張った表情を段々と和らげていき、ぎょっとして振り返った操縦士も楽しそうに騒いでいるオレたちを認めると、ニヤリと笑ってみせた。そして、操縦桿をぐっと握って船体で風の波を切るように威勢良く荒波に挑んでいく飛空艇へ示し合わせるでもなく自然と声援が響く。

なんて楽しい冒険なのだろう。あんたが英雄だって気付いていないのに、あんたの破天荒な冒険者たる振る舞いは誰かを勇気づける。そんな英雄譚の一節を目の当たりにするなんて。なんて楽しく、得難い旅だろう。

今まで経験したことのないくらい荒っぽかった空の旅は、やがて乱気流の渦を抜けたのか、徐々に穏やかな風へと移り変わっていった。丁度グリダニアも近付いてきたのだろう、瑞々しく深い緑の匂いが鼻をくすぐる。
「グ・ラハ、あっち見て」

風と一緒に落ち着いたあの人に袖を引かれて、指し示された手すりの下を一緒に覗き込む。日も落ちきった黒衣森はその名の通り真っ暗な夜色の衣が敷きつめられていた。だが、その生地目の合間から控え目にぽつりぽつり、と光が漏れている。
「市街の灯りだ」

グリダニアの旧市街と新市街、そして名士区にある住居や店、ギルドの明かりだ。時折ちらついているのは篝火か。あの一つ一つの下に人々がいて、暮らしを営んでいる。
「きれいだな……」

じんわりと滲み出た言葉は本心そのものだ。星を覆う絶望にさえ打ち克ち、得た未来が大河のように一つの流れになってオレたちの眼下に広がっていた。
「たまには飛空艇の旅も良いものだろう?」
「……ああ、そうだな」

何故か自慢げなあの人の足を尻尾で軽く叩いてやれば、それも楽しいと言うように笑みを深くしていた。目尻にくしゃりと皺が寄る、幾度と向けてくれたあたたかい笑み。

やがて飛空艇は、オレたちはあの灯りの中へ溶けていく。ただの人としての営みの中へ。