スープのレシピ

「なあ! あんたがこれ作ったのか?!」

ややくぐもっているものの元気いっぱいな声と衝撃に体の右側から襲われた。襲撃犯の正体はわざわざ顔を向けなくても分かる。
「作るところ、見ていただろう? それとグ・ラハ。器を持ったままぶつかると危ない」
「だって、すっげー美味かったんだ! あんたって戦いだけじゃなくて料理も得意なんだな!」

キラキラと音が聞こえてきそうなほど緑と紅の両目を輝かせる彼こそ、俺が今日の鍋の番を受け持っている聖コイナク財団クリスタルタワー調査団──別名〈ノア〉のお目付け役殿だ。好奇心が姿を持ったような男はぶつかってきた姿勢のまま俺の体に寄りかかって、手にしてきた器からスープをすすっている。結構中身が残っているようだが、ぶつかった拍子によくこぼさなかったものだ。

技術者と研究者たちの知識、そして冒険者部隊の奮戦により古代の民の迷宮を突破した〈ノア〉は、その先に聳えるクリスタルタワーへ繋がる道を確保するために防衛機構の解析を始めようとしていた。しかし、何をするにせよまずは腹ごしらえと休息が肝要。調査団のキャンプにはひととき憩いの時間が訪れていた。治癒の術を持つ者たちは怪我人の治療にあたり、他の者たちはめいめいに休憩をとっている。俺は炊き出しの手伝いをして、そのまま火の側で鍋の番をしていたのだが、まさかこれから一番忙しくなるだろう賢人殿が近付いてくるとは思わなかった。
「お褒めに預かり光栄……得意というよりは必要に駆られて多少身に着けたっていうだけだよ」
「なるほど、冒険者ならではって感じだな」

うんうん、と何かを納得したように頷きつつ、器を差し出してきた彼に鍋からあたたかいスープのお代わりを注いであげると、器を手で包んですぐには口をつけようとしなかった。もしかして猫舌だったか。
「そうだ。折角こんなに美味いんだから、レシピ教えてくれよ! オレも料理やってみたくなってきたぜ」
「レシピなんて大層なものないぞ? いつも適当にあるものを組み合わせて作っているだけだ」
「なのに毎回失敗しないのか?!」
「毎回味はちょっとずつ変わっているけれど……まあ、食えるものにはなるな」

心底意味の分からないものを見つけてしまった、と目を丸くして。くるくる表情が変わる面白い人だ。出会った当初は若さだけの向こう見ず青年かと思ったが、接してみれば思慮深くて視界も広く、何より貪欲な知識欲を持っている。こういう人と冒険をすれば、きっと今までとは違った視点で世界を感じることも出来るのだろうか。
「なあ、調査が終わって本国に帰るまでにレシピ書いてくれよ」
「うん? まあ、気が向いたらな」
「あ、あと! もしあんたがレシピ本を出したい時は呼んでくれ。オレが責任を持って監修する!」
「……それ、監修にかこつけて食べたいだけじゃないのか?」
「へへっ……バレたか」

照れ臭そうにスープから野菜を掬い上げて口に含んだグ・ラハはたちまち涙目に変わっていたっけ。

クリスタルタワーのせいだろうか、〈ノア〉に協力していた時期のことをよく思い出す。無意識だったが、今日みんなに配ったスープはグ・ラハが異様に興奮してレシピを強請ってきた時のものと同じだ。もしあの時、グ・ラハにスープのレシピを渡せていたら、第一世界に召喚されたクリスタルタワーの中から発掘することも出来たのだろうか。今となってはどうしようもないことだが。

それにしても、まさかクリスタルタワーの元で炊き出しをする機会が再び来るだなんて、あの炊き出しの時も、クリスタルタワーを封印した時も思っていなかった。湯気が上がる大きな鍋から視線を上げ、頭上を振り仰ぐと塔が放つ淡くやわらかな碧い光が月光と共に街を照らしてくれている。ようやく炊き出しのスープが一通り手に渡ったのだろう、さっきまで続々と訪れてくれていた人波が途切れてようやく人心地つくことが出来た。二人も疲れているだろうに、ホルミンスターから帰ってきてから俺の急な思いつきを手伝ってくれていたアルフィノとアリゼーも側のベンチに座って休憩をとっているようだ。クリスタリウムを護る衛兵たちも、街を滞りなく動かし続ける民たちも、ホルミンスターから避難してきた人々も等しく夜の闇の下で安らぎの時間を過ごしている。
「私にも一杯いただけるだろうか」

ふわりふわりと魔道士のローブを風に靡かせてやってきた彼こそ、俺が炊き出しのために酒場の一角を借りた大都市クリスタリウムの管理人だ。
「勿論。急なお願いだったのに、場所を貸してくれてありがとうございました、水晶公」
「礼を言うのは私の方だ。しかし、あなたこそ一番に休むべきだというのに……民のためにありがとう」
「いいえ、何かをしていた方が落ち着く性分なので」

パチリ、とウィンクをして見せると、あたたかいスープがなみなみ入った器を受け取ろうとしていた水晶公の動きが固まる。以前、サンクレッドから聞いたようにやってみたが、流石に気障過ぎただろうか。やはり、こういう仕草は彼みたいな人じゃないと似合わないらしい。もう二度とやらないと心に決めて、小首をかしげてみれば水晶公は呼吸を思い出したようにぎこちない動きで器を受け取ってくれた。もう二度とウィンクなんてしない。
「……これは」
「俺が駆け出しの頃から作っているスープです。お口に合えば良いのですが」
「そう、これはあなたの……」

器を両手で包んで、じっと水面を見詰めたまま何か考え込んでいる様子だった。やや時間を置いて湯気の勢いもやや弱まった頃、水晶公はスープに口をつける。もしかしてグ・ラハみたいに猫舌だったか。
「……ああ、美味しい。あなたは本当に料理が上手なのだな」
「へへ、ありがとうございます。旅の中で得たものの一つですよ……ああ、そうだ」

いくつかの旅路を経たことで、〈ノア〉でスープを振る舞った時よりは素直に料理の腕を誇れるようになった。行く先々で素材を調達し、これまでに培った経験や知識を以て料理という一つの完成を形作ることの楽しさ。俺はその楽しさを覚えておくためにレシピを記録するようになっていた。鍋の近くに置いていた羊皮紙の束を持ち上げて水晶公に見せると、彼はスープに口をつけながら器用に小首を傾げている。
「クリスタリウムの近くに代用出来る食材が生えていたので、お気に召したならレシピもお渡し出来ますよ」
「ほ、本当に!?」
「あ、ああ……珍しいものではないですけれど……?」
「是非! あなたさえ良ければ是非いただきたい!」

普段の落ち着きはどこへやら、まるで新しいおもちゃを目の前にした子どものように水晶公は身を乗り出してきた。薄々勘付いていたが、老人のように振る舞うこの人の中には若い心が宿っているらしい。いつまでも衰えることのない好奇心の塊のような人だ。はた、と自分の姿勢に気付いたらしい彼がすごすごと元の位置に戻って、手にしたままだった器を両手でこね出す。スープはまだそれなりの量が入っていたというのに器用にも一滴もこぼしていない。
「……すまない、みっともない姿を……」
「いいえ。でも、いや、止めておきます……ふふ」
「な、なんだろう……?」

ふと思いついてしまった考えは堪えきれない笑いになって表に出てしまった。いけない、この人の機嫌を損ねるようなことはしたくないのに。だが、ローブ越しだというのに心配そうにそわそわし出した水晶公がなんだか見ていられなくて一つ思い切ってしまおうかと悪い考えが頭を過っていく。
「言っても怒りませんか?」
「私があなたに腹を立てるのは無茶をする時だけだ」
「ふふ、肝に銘じておきます。じゃあ……」

さっき水晶公がしたように身を乗り出して、恐らく耳があるだろう側頭部に顔を寄せる。悪戯が成功するかを見守っている時のような、幼心が疼くような感覚が胸に広がっていった。
「……意外と食いしん坊なんだなって、ふふ」