雪風が運ぶ
地脈を抜けて、地面に足が着いた安心感にほう、と息を吐く。もくもくと白い煙が上がるのに釣られて顔を上げると、しんしんと降ってくる雪が鼻にくっついて冷たさに耳が震えた。
行き交う人々の話すことには、今夜のオールド・シャーレアンは観測史上一等冷え込むらしい。道理でいつもより耳と尻尾が縮こまるわけだ。周囲を見渡すと、風や海流、大気中のエーテルの動きに天気予報士たちが目をギラギラさせて、そして少し気味の悪い笑みを浮かべては街のいたるところで観測機器や陣を広げていた。楽しそうで何よりだ。この街ではいつもどこかであらゆる専門家たちが自分の興味に対して一心不乱に挑んでいる姿が見られる。オレはそれがどんなに得難く、貴いことなのかを識っている。
近付いても全然顔を上げない研究者たちの間を擦り抜けると、寒さに負けじと熱気を帯びた会話が聞こえてくる。その熱さと活気が予定よりハードになってしまったフィールドワークで疲れた体にゆっくりと活力を流し込んでくるのを感じた。烏滸がましいことだけれど、オレはこの風景を護りたいと思ったのだ。だから、寒いから、疲れたからとへばっている場合ではない。オレはオレの出来ることをやると決めたのだから。調査のことや今来ている依頼についてあれこれ考えを巡らせながらずんずん歩みを進めていると、あっという間にバルデシオン分館に帰り着いた。
「おかえり〜グ・ラハ」
「おかえりなさい、ラハくん! ふふ、惜しかったわね」
「ただいま、オジカ、クルル……惜しいってなんだ?」
「まあまあ、まずは部屋に荷物を置いてきたら?」
何故か謎のあたたかい眼差しを二人から受けつつ、このままだと何も答えてくれないのは今までの経験上分かっていたから、オレはひとまず部屋に戻ることにした。もしかしたらそこに答えがあるのかもしれない、と少しだけ期待を胸に潜ませて。
バルデシオン分館も北陽の寒さに耐えうる暖房器具をつけてはいるものの、やはり例年以上の冷え込みには敵わないようだ。普段は適温の廊下も少し、いやかなり寒い。小走りで廊下から部屋に逃げ込むと、部屋は随分とあたたかくなっていた。クルルがあたためておいてくれたのだろうか。
定位置に鞄と杖を置いて、本が積み上がった机の空き地に現地で取ったレポート用紙を置こうと部屋の奥に目を遣る。すると見慣れない紙包みがベッドの上に置かれていた。荷物が届く予定なんてなかったはずだが、一応警戒のために置いたばかりの杖を取りに行って、クリスタルの付いた先の方で包みを開ける。
中から出てきたのは、あたたかそうなもこもこした服と一枚の手紙だった。どうやら悪意のあるものではないらしい。オレにとって都合の良すぎる一つの可能性に指先が浮つきつつ、恐るおそる手紙を手に取り、丁寧に封書の中に入っていた便箋を引き出してたった数行の言葉に目を走らせる。
〈お仕事お疲れ様。オールド・シャーレアンはいつもより冷えるらしいから、あたたかくしてください〉
手紙の最後に記されたのは、あの人の名前。思わず尻尾が逆立つ。クルルたちの惜しかった、とはあの人と擦れ違っていたという意味か。もしかして部屋があたたかいのは、あの人がここで過ごしていたからだろうか。だとしたら、あまりにも。
「あの、薄情者……!」
あと少しだけ待っていてくれたら、いや、オレの帰りが予定より遅れたのが悪いのだ。部屋に冷えを一切感じなかったから、きっと出たのはついさっきだ。あの人はまだ街に留まっているだろうか。会って直接お礼を伝えたい。あんたもあったかくしてちゃんと休んで、それからまた冒険に誘ってくれって言いたい。
思うが早いか、オレは包みから取り出したもこもこの服に早速着替えて、バルデシオン分館を飛び出していた。走っている最中、もこもこのお陰であんなに冷たかった風も雪も全然辛くない。
魔法大学、市場、カフェ、ルヴェユール邸周辺、エーテライトプラザと一気に駆け抜けたが姿が見えない。なら、最後に残った知神の港か。雪で滑りそうになる足に力を込めて、エーテライトプラザから伸びる階段を駆け下りる。この際、周囲の人たちに驚いて振り返られている現状は無視だ。それより、あの人にちゃんと伝えたいことの方が大事だから。
リーヴカウンターあたりまで来ると流石に息が上がってしまって、周りを見渡しながらも肩が上下する。何処だ、きっといるはずだ。
ぽつり、港に向かう人波の中に視線が吸い寄せられる。あの背中、見間違えるはずがない。
オレは残った全ての力を振り絞って、あの人へ一歩駆け出した。あんたに伝えたいことがある、その一つだけで。