今、ひとときの力を
生命を生み出す大樹と聞けば、さぞ神々しいものなのだろうと想像するだろう。少なくとも古代の創造魔法を見て、でたらめなほどの規模の大きさや幅広さを知っている俺はそう思った。
「まただ……あの繭から出てくるぞ!」
何度目かの絶叫が響いたと同時に足場の外に繭が降り立つ。濃いエーテルがこもったあの繭から新しい命が生まれるのだ。古代の創造魔法だから成しえる、現代にあっては奇跡に等しい術。だが、目の前に佇むそれは神々しいものであっても、決して善いものではない。
大樹の表面にかすかに形を残す獄卒長が俺たちを見下ろし、獲物を見逃さぬようギョロギョロと動き続ける赤い複眼が狙いすました先に、たわわに実った繭が立派な枝から産み落とされる。すべては〈平穏〉を乱す邪魔者たちを排除するため、歪な創造生物たちが命を賭して咆哮を上げる。本来は世界をより良くするために創り出されたはずなのに、なんて哀しい生物だろう。
以前、古い時代を冒険した時に感じた居心地の悪ささえ感じるほどの善性はこのパンデモニウムには存在しない。だというのに、ごうごうと体が消し飛ばされそうになるエーテルの中にかすかな人間性を感じてしまい、武器を握る手に要らぬ力がこもる。早く決着をつけて、終わらせなければならない。
先ほど落ちてきた繭からは大きく翼を広げて鳥型の創造生物が飛び出て、様子を見るように滞空してこちらを見据えている。数は多くない、だが同時に発動しようとしている魔法陣の対処も含めると増援の手を借りてやっと何とかなるくらいだ。
「気をつけろ! 来るぞ!」
この声は吟遊詩人だろうか、戦況を見渡す目を持つその人の掛け声を合図に癒し手と相方の護り手が障壁を張る。流石歴戦の猛者たちだ、対応が速くて的確。あたたかいエーテルが体に行き渡ったその一呼吸後、魔法陣の発動と共に鳥が一気に加速して俺を含めて近くにいる冒険者に突進を仕掛けてくるが障壁のお陰でまだ耐えられる痛みに収まっている。さらに駄目押しとばかりに充填されたエーテルによって生じた強い光が視界を焼き尽くす。だが、星空を思わせる輪が展開され、これもまだノルヴラントを焼いた無尽光に比べればぬるいものにまで軽減された。
それでもなおじくじくと内側から痛む肌を無視しながら正面を見据える。お互いに背中を預け合うように集合した俺たちを叩き潰そうと異常なまでに茂り過ぎた緑が振り上げられていた。テミスの焦りを滲ませる声がどうやら足場を崩そうとしていることを教えてくれる。何にせよ、この衝撃は真正面から受けるとまずい。
「こちらへ」
場にそぐわない落ち着いた声音と共に見慣れた賢具が迸り、星が辺り一帯を巡る。竜騎士が槍を握り直しながらニヤリ、と鎧兜の下で笑っていた。
来る。
力任せに振り落とされた樹の腕の有り得ないほど強い衝撃で体が打ち上げられ、眼下では帰り立つべき足場すら崩れ落ちている。だが、それでも何故か恐怖はない。共に肩を並べて戦ってくれているみんなの瞳からも闘志の光は消えておらず、むしろ星の輝きを得て煌々と輝いてすら見える。
どうしてだろう、テミスとは長い時間を過ごしているわけでもないのに息が合うと確信があるのだ。だから自由落下する体が本来の高さに戻る頃、丁度良い足場が生成されていることにもあまり驚きはない。勿論、魔法の正確さや素早さ、規模にはいつまでも慣れないがそれも彼ならやってくれるという信頼がある。
戦闘に加わっている八人全員がきっちり体勢を整えて着地したことを確認しつつ、右手で腰につけていたポーチを探る。
〈大丈夫か!?〉
「ああ、大丈夫。だから、見ていろ」
この深みに降りてくるまでにテミスからの親愛と心配、さらに言えばラハブレアからの期待のようなものを感じていた。古代の人はみんなやさしいからか、それともアゼムのお墨付きだからか。だけれど、彼らの想いは確かに自分のためのものだ。なら、俺はその想いに応えたい。冒険者としての旅路は想いを手繰ってきたものなのだから。
右手が硬く、しかし馴染んだ瓶の感触を探り当てた。一気に引き抜いて力任せに蓋を引き抜き、毒々しいほど赤い中身を一息に飲み干す。勢い任せに投げ捨てた用済みの瓶が小気味の良い音を立てて割れた瞬間、エーテルが体中に迸る心地よさと激痛が胸を掻き回した。腕の良い錬金術師お手製の薬だ、効かないはずがない。まるで過ぎた熱を吐き出す魔導兵器のように一つ深く呼吸すると、ぶれそうになる視界が焦点を結び、最大限の力が全身を蝕んでいく。戦歌、竜の祈り、星の加護。すべての準備は整った。
さあ、ここからもう一勝負だ。