たまには懐かしい日のように

いたずらに肌を冷やしていく寒風に負けじと熱っぽく浮足立っている森の都グリダニアをアルフィノは足早に歩いていた。ぷかぷかと浮かぶ赤い風船に荷物をぶつけないように器用に避けながら、時折見かけた顔馴染みに挨拶をしつつ、青年は一心に周囲を見回している。毎年この時期になると手伝いをしているらしいことは聞いていたからきっといるはずだ、と止まり木を持たないその人の姿を探し求めて。

もしかして擦れ違ったのだろうか。恋人たちや家族連れで大盛況の野外音楽堂の隅で不安を抱えながら、なおも諦めずに少し高くなった視線で見逃すはずのない仲間を探す。すると、唐突にポンと青年の肩に気安く手が置かれた。
「アルフィノ、久し振り」
「ああ、よかった……! 探していたんだよ」

振り向くより前にアルフィノは肩に置かれた手を握り、今この時一等会いたかった冒険者──あるいは光の戦士、もしくはエオルゼアの英雄──に安堵の笑みを向けた。笑顔を向けられた当の本人は状況が掴めず首を傾げながらも、ひとまず久方振りの再会を喜ぶように握られた手を握り返す。

ここでは何だから、という妙に歯切れの悪いアルフィノの提案で二人はカーラインカフェに場所を移した。ハーブティーを片手に人心地つく頃、冒険者はずっと視線の端に捉えていたものを指差す。
「珍しいね。アルフィノがここにいるのも、そんなに大きな荷物を持っているのも」
「あ、ああ……その、君にしか相談出来ないことがあって。荷物はそのための道具なんだ」
「道具? もしかして、謎の魔導具が見つかったとか?」

二人が出会った当初からすると、いくらか大きくなった体をもじもじ小さくするアルフィノとは対照的に冒険者は荷物の中身が気になって仕方がない。暁の賢人たちが神秘のヴェールの向こうに姿を隠してから随分と経つが、この人の好奇心は衰えるどころか増すばかりのようだ。

懐かしいやり取りにやっとアルフィノの表情が和らぎ、お待ちかねの荷物の中身を机の上に出してみせた。大きさも形も材質もさまざま、ありとあらゆる種類の調理器具が店を始められるくらいずらりと並べられる。魔導具から程遠い道具たちはどれもピカピカ輝いていて、これからの活躍を心待ちにしているようだ。
「私にお菓子作りを教えてほしいんだ」

冒険者にとって大切なことはいくつもある。今、その一つである『直感』が調理器具たちと同じくらい輝き、ある仮説をもたらした。この場は何も問わずにいるべきだ。
「もちろん、自分で良ければいくらでも手伝うよ」
「ありがとう……! 早速だけれど、〈とまり木〉のキッチンを借りれるか訊いてくるよ!」

アルフィノは普段の落ち着きを荷物の代わりに何処かへ置いてきたのか、カーラインカフェの主人ミューヌの元へ跳ねるように駆けていった。

あからさまにほっとした表情はお願いを断られなかったからか、それとも何も問われなかったからか。冒険者は久し振りにもたらされた大切な仲間との時間、そしてほのかなアーゼマローズの香りに頬をゆるませた。

「……さて、作りたいものはあるのかな?」

旅館〈とまり木〉に備え付けられているキッチンを無事に借りられた二人は、主の几帳面さが伝わってくる整理整頓された空間に持ち込んだ荷物を拡げていく。その最中、冒険者からの問いを受けてアルフィノは一冊の厚い本を引き抜いて渡した。
「ああ! この初心者向けレシピ集に載っている、トリュフというものを作ろうと思うよ」
「それなら初心者でもかんたんに出来るね。それに、アルフィノは器用だから大丈夫」

冒険者もレシピに一通り目を通したが、初心者向けとあって手順も手間もかかるものではなかった。歴戦の戦人でありながら優れた職人でもある冒険者のお墨付きをもらって、また一つ安心出来たように青年はほっと胸を撫で下ろす。

既に買い出しまで終わらせていたアルフィノは早速バブルチョコ、水牛乳、ココア──イシュガルド風の紋章が刻まれた缶が出てきた時には冒険者の動きが一瞬止まった──とエプロンを荷物から取り出した。魔導書の代わりにレシピを、賢具の代わりに調理器具を携えた青年に今日の師は大きく頷いてみせる。始まりの合図だ。
「まず、水牛乳をクリームにしよう」

これまで数えきれないほど踏んできた手順を改めて言葉にしながら、普段よりも数倍時間をかけて材料に手を加えていく。最初はまごついていたアルフィノの手つきも生来の器用さが手伝って、徐々に様になっていった。
「これでいいかい?」
「うん、大丈夫。バブルチョコとクリームをしっかり混ぜ合わせて」

レシピの手順が一つ先に進む度、嬉しそうに青年のかんばせが華やぐ。一緒に旅をしていた頃にも同じ表情を何度も見たな、とアルフィノの隣りで補助をする冒険者は懐かしく、同時にこういった顔は決まって誰かのために一生懸命になっている時だったことも思い出していた。
「よし、次はチョコレートを冷やすから少し待機。休憩しようか」

スツールを二脚引いてきて、冷気をまとったチョコレートを挟んで一度腰を落ち着ける。普段慣れないことをしているからか、キッチンを借りてからずっと立ちっぱなしだった足がじんわりと疲れをみせていることにアルフィノは気付いた。それも寝かせているチョコレートを眺めている内に誇らしいような気持ちが拭い去っていく。
「それにしても、君は本当に大胆だね。まさか冷やすためにブリザドを使うなんて思わなかったよ」
「本当はシャードを使えば安全だけど……アルフィノだから出来るかなって」
「ふふ、練習しておくよ」

溶かしたチョコレートを入れた容器をブリザドで作った氷で包んで冷やす、なんてどのレシピ本にも書いていなかった。驚きこそすれ、冒険者のこういうところが好きだからアルフィノはこの人にお菓子作りを教えてほしいと頼んだのだ。きっといつまでも知らないことばかり知っている不思議な人なのだろう、とアルフィノは旅の最中に感じた尊敬と少しの寂しさを思い出す。
「今まで料理をすることなんてそうそうなかったけれど、意外と楽しいものだね」
「楽しんでくれているならよかった! 初めてだから良い思い出にしたかったから安心したよ」
「君のお陰だ、本当にありがとう」

まだ完成していないというのにアルフィノは嬉しそうに、この時間を慈しむように笑顔を冒険者に向けた。初めて出会った頃やイシュガルドにいた頃と比べて、やわらかくなった眼尻に長い間隣りにいた冒険者の胸はあたたかいものでいっぱいになっていく。
「……羨ましいな」
「……え?」

同時に沸き上がってきた気持ちは音になり、取り返そうにも誤魔化そうにもアルフィノは逃してくれそうにない。どうしたんだい?と問いかける青年の視線に稀代の英雄も耐えきれずに諸手を挙げて知ってしまった心を言葉として紡いでいった。
「ごめん……その、アルフィノが手作りのお菓子をあげたいって思ってもらえる人。いいなぁ、羨ましいなぁと思って……」

キョトン。人間から効果音が出るならアルフィノからはきっとそんな音が鳴っていただろう。
「そうか……私は本当に、ふふ」

幾度か目をまたたかせたかと思えば、口元に手を当ててくつくつと漏れる笑みを留めようとしていた。見慣れた上品な仕草も正直な気持ちを吐露した冒険者からすれば、何か変なことを言ってしまったのかと不安にさせる材料になる。見るからにおろおろと慌てだした英雄らしくない冒険者に気付いたアルフィノはやっと次の言葉をその人のために継いでくれた。
「……いや、迂闊だった」
「迂闊?」
「ちゃんと出来たら伝えようと思っていたのだけれど……」

二人向かい合って座っていた椅子から降りたアルフィノは真正面から少し距離を詰める。細くて長い指、しかし最後に冒険者が手を取った時よりも大きく逞しくなった手がただ目の前の人の手を掬い取る。
「これは君に。私なりの精一杯の気持ちだよ」
「……私に?」
「そう。言葉にする機会はあったけれど、どうせなら君が好きなチョコレートも一緒に楽しめればと思ってね」

今度は冒険者がキョトンとする番だった。掬い上げた手をアルフィノは少し持ち上げて軽く唇を落としてみせる。まるで騎士のような仕草には街を包んでいた熱気と近い、しかしあたたかい情に満ちていた。
「いつも、いつまでも私たちを見守ってくれてありがとう。めいっぱいの親愛を込めて」