星を見に行こう

「星を見に来ないか?」

つい最近、シルクスの塔の地下に眠る遺構を調査するために鳴らした時に使い方を思い出したのか、それまで滅多に鳴らなかったリンクパールで連絡を寄越したあの人。こざっぱりとした誘いにオレは一も二もなく了解を返して、集合場所に指定された白壁の街モラビー造船廠へ向かった。

気が急いて仕方なかったとはいえ、通信を切って数分で着いてしまったのは流石に浮足立ちすぎだっただろうか。とはいえ、着いてしまったものはどうしようもない。もしかしてもう居るかもしれない、と人混みの中でも一際目立つ長身と黒い鱗を探したがまだ居ないようだ。やっぱり浮かれすぎて早く来すぎてしまったのだろう。
「よお、あんたがグ・ラハ・ティアか?」

無意識の浮かれ具合に誰に対してでもなく気恥ずかしさがこみ上げてきて首巻きに鼻を埋めていたら自分の名前を呼ぶ声がする。聞こえてきた方向にピ、と耳を向けると海賊風の男がこちらに大きく手を振っていた。
「そうだけど……あんたは?」
「ここで案内人をしてるバルディンってんだ。英雄殿から言伝を預かって待ってた。あの人、あっちで待ってるってさ」

英雄。オレをここに呼んだその人は先に目的地に向かっているらしい。どうせなら道中も一緒に行きたかったが、あの人にも都合があるということだろう。なら、オレもいつも通りにするだけだ。残念な気持ちは鞄の奥底に詰め込んで、バルディンの案内に従って港の方へ歩き出した。

先導するバルディンが足を止め、指で示したのは海──ではなく桟橋につけられた小舟だ。数人乗ればいっぱいになりそうなそれにバルディンはオレから引き取った荷物を積み込もうとしていた。
「もしかして、舟に乗るのか?」
「ここは海だぜ、当たり前だろう? さあ、あんたも乗った乗った!」

ぐいぐいと背中を押され、オレは荷物共々舟に積み込まれてしまった。もしかしたら造船廠の何処かにいるのかなとか甘い考えをしていた自分を張り倒したい。あの人がオレの予想を越えていくことくらい日常茶飯事だったはずだ。たとえ軽い口調で呼び出された集合場所が海の向こうでも今更驚いていられない。
「それじゃあ出発だ!」

威勢の良い声と共に舟を桟橋に留めていたロープが取られて、たぷりと波がオレたちを沖へと運んでいく。きっと二人じゃろくに記憶に残すことも出来ない潮風のにおい、肌を焼く太陽の暑さ。思いがけない海の旅はあの人の贈り物ということにしておこう。

海の男ならではの熟練の技で快適な海の旅を楽しむ暇もなく、渡し舟はすぐに島に着いてしまった。バルディンはオレと荷物を降ろすとさっさと来た道を戻っていったから、今オレは謎の島に一人ぼっち。本当にあの人がここにいるのだろうか。それに、ここはどこの島だろう。

砂浜に荷物を落として、これからどうしようか考えながらぼうっと突っ立っていると足に何かがぶつかってきた。砂浜だからカニや陸生のクラゲかな、と視線を落とすとそこには緑と黒の縞模様をした球体が転がっている。
「何だこれ……」

確かウォーターメロンという名前の果物のはずだ。まさか悪戯好きのあの人が何処かから転がしてきたのか。ひとまず波にさらわれないように拾っておこう。屈んで手を伸ばすとその球体はひとりでに真っ二つになってみせた。
「うぉあ!?」

屈んだ状態で後ろに飛び退り距離を取るが、その球体は依然として真っ二つだ。断面は赤く、ところどころに黒い種のようなものが見えるしほのかに甘い匂いもしていた。紛うごとなきウォーターメロンだが、勝手に割れる植物があってたまるか。もしかして果物が変異したモンスターの一種だろうか。なら、この島にはこういった魔物が原生している可能性もある。あの人は無事なのか。こんなところで謎の球体に怖気づいている訳にはいかない。あの人を探さなければ。

球体から視線を外さず立ち上がり荷物を回収し、島の奥へ進むべく道を探す。すると、丁度海を背にして山の方角から土煙がもうもうと上がってこちらに近づいてきた。それにその方向には舗装された道路、高台には風車や灯台が見えて人の手が入っていることが分かる。いや、今はそんな悠長に分析をしている場合ではない。

あの土煙の主とどう相対するか。もう逃げるには遅すぎる。もし危険な生き物なら戦うしか、ない。

オレは背負っていた杖を構えて、土煙の主を待ち構える。すると、とんでもない速度で駆けるチョコボに跨がってあの人が坂を駆け下りてきた。あの人のチョコボの足はこんなに速かったっけ。

土煙を盛大に巻き上げてオレの目の前に止まったあの人の相棒はふんす、と誇らしげに息をついてから挨拶代わりにオレの耳をつついてくる。嘴を撫でてやりながら耳を離してもらって馬上のあの人を見上げると、直前まで何か作業をしていたのか愛用のつなぎをところどころ汚しているが、愛鳥と同じくひどくすっきりした表情で微笑んでいた。
「ようこそ、俺の島へ! 思ったより早かったな」
「俺の島……って、ここが!?」
「そう! タタルから聞いてない?」
「聞いてないぞ!」
「じゃあ、今言ったってことで」

ガックリと膝の力が抜けて砂浜に尻餅をついてしまった。

手をざらつかせる砂も、目の前の山も林も、その向こうに広がる大地も、恐らくいつの間にか転がってきて座り込んだオレに寄り添っているこの謎の球体も全てが英雄のもの。あんまりにも規模が大きな話だというのに、あっけらかんと言い放つ豪胆さを持っているから英雄と呼ばれるほどの偉業を成し遂げることが出来たのだろう。やっぱりオレの憧れはすごい。
「あんたって……本当に、何と言うか……」

やっとの思いで絞り出した感想に当の本人はぱちくりと目を丸くして、そして普段よりも大きな声で笑っていた。

ひとまず拠点に行こう、と手を引いてもらってオレは砂浜から立ち上がる。持ってきた荷物はチョコボに預けて手ぶらで登る坂道は舗装されていることを差し引いても楽な道行だった。
「黒渦団も思い切ったことをするよな……しかし、時にはそういった勢いも必要か」
「まあ、難しいことは置いておいて」

拠点への道中、教えてくれた島の主になるに至った経緯に素直な感想を漏らせば、隣りを歩く主殿は随分と穏やかな横顔で目の前に降ってきた葉を避けてくれた。その向こう、眼前に広がったこの人のための拠点は自然が色濃く匂い立つ中に人の技術が同居しており、そこを魔法人形たちとミニオンたち、小さなものが所狭しと駆け回っている。確かにこの人が好きなもので満ちた世界だった。
「好きなだけのんびりして、好きなことをして行って」

そう言い残すと、あの人は畑仕事があるからと更に高台の方へ飛び立っていった。のんびりしてって言ったのに自分はのんびりしない、あの人らしいといえばらしい。

普段なら手を伸ばしてしまう本も持ってきそびれてしまったから、折角だから本のない時間を満喫させてもらおう。羽を伸ばすようにぐっと伸びをして何処か座れそうなところを探すと、ロッジの風通しの良いところに置かれているハンギングチェアを見つけた。のんびり店番をしている魔法人形たちに挨拶してからクッションが敷き詰められた椅子に腰掛けると、ふわふわで午睡にうってつけだ。ぼうっと風に揺られながら、あちこち走り回るあの人を眺めていることにしよう。

穏やかだ。気温は高すぎず、風も強くない。ゆっくりくつろぐにも、外で働くのにもぴったりな気候だ。畑仕事の次は家畜たちの世話があるんだ、とあっちこっちに毛や羽をたくさんつけたままの英雄殿が愛鳥に跨がって駆けていく。時折、旅の途中で姿を見たことがあるミニオンたちが目の前を通りすぎていったり、来訪者を物珍しそうに見つめてきたり、人懐っこい魔物の子どもは尻尾にじゃれついてきたり。主以外の人間がいない空間だからか、小さな彼らも外の世界で出会う時よりも自由に振る舞っていた。

なんて穏やかなんだろう。

体をすっぽり包むハンギングチェアにゆったり背中を預けて、ゆらゆらと風に揺られるうちに抗いがたい微睡みがとろとろと意識を溶かしていく。さあさあとさざめく木の葉と波の音が心地良い。

時計の針の音がない世界なんていつぶりだろう。

どれくらい夢現だったのか、ふ、と閉じた目蓋の上に影が落ちてきた。ゆるゆると目を開けて影の正体を視界に捉えると、手作り感溢れる織物をオレにかけようと構えているあの人が真正面にいた。ピタリ、動きを止めてじっと見つめてくる姿が何となく足元を駆け回っているミニオンたちの愛らしい姿と重なる。本人はミニオンとは似ても似つかない立派な体躯を持つ勇猛果敢な英雄だというのに。
「ごめん、起こした?」
「……いいや、うとうとしていただけだから大丈夫。あんたは休憩?」
「そう、一段落ついたから。ココナッツジュース、飲む?」
「ありがとう、もらうよ」

まだ眠気が残る目蓋を擦り、差し出されたココナッツを受け取ると、あの人はいつもより雑な仕草でどっかり床に腰を下ろした。直接実に口をつけているあの人の分とは違って、オレのものにはおしゃれなカフェで出てくるみたいにストローが添えられている。休めって言ったくせに自分は気配りばっかりして。

ついつい出ていきそうになる小言を飲みこむようにストローに口をつける。甘い。だが、さわやかで自然な甘さは水みたいにごくごく飲める。

途中から夢中になって飲んでいたことに気付いて、あの人に絶賛の言葉を伝えようと顔を向けると、あの人は今まで見たことのないくらい穏やかな顔で海を眺めていた。だが、視線に気付いたのか、まばたきを一つしたら島の主の顔からいつものあの人に戻ってオレにはにかんでくれる。
「美味しい?」
「ん、あ、ああ! こんなに旨いジュース、初めて飲んだよ」
「そっか、嬉しいな。島で採れたものなんだ。島の特産品として交易に出したりしてる」
「前からマーケットにモノを売り出していたのは知っていたけど……ついに交易まで」
「楽しいよ、コツを掴むまでは苦労したけれどさ」

ねこみみさんやおやかたくんを始めとした魔法人形たちと相談しながらモノを作ったり売り出してみたり、時には手分けして採集活動をしたり、失敗することもあったらしいが一緒に乗り越えてきたこともたくさんあったそうだ。楽しそうに語り聞かせてくれる姿を見ていたら、どうして今まで教えてくれなかったのかと問い詰めたくなる気持ちも何処かに流れていってしまった。オレは英雄が、否、この人自身が思うままに生きているだけで満足なのだ。
「ところで、星を見に来ないかって?」
「そのままの意味。ここ、周りに何にもないから星がめちゃくちゃきれいに見えるんだよ」

実はすぐに空っぽにしてしまっていたココナッツを引き取ってくれたあの人の背中に問いかけると、素直な答えが返ってきた。確かに諸島とはいえ海の真ん中。余程強くなければ魔法の光も届かないだろう島は天体観測にうってつけだ。
「神域調査の時も、この間のオルト・エウレカの時もゆっくり出来なかったから。たまには君との時間を作りたいなって……迷惑だったか?」

だが、あの人が継いだ言葉は予想外だった。片付けに行こうとした足を止めて、半身だけ振り向いている。言葉に自信があまりない時、肩越しに見つめるこの人の癖だ。

問いには答えず、クッションにうずめていた体を引き起こして、あの人の背中に思いきり体当たりしてやった。

後先考えずに遊び回ったのは久し振りかもしれない。

やりたいことはすべて終わったと言う彼と連れ立って海に行き、波と戯れていると唐突に水泳対決が始まったりしたのは驚いた。速くゴール出来た方が勝ちだと泳ぎ出したのはいいのだが、ゴールを設定し忘れていて単に沖に向かって全力で泳いだだけに終わったことはきっとふと思い出す度に笑ってしまう記憶になるだろう。そして疲れたら木陰で昼寝して、また泳いで潜って遊び回っているうちに陽が傾き始めていた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。オレたちは慌てて拠点に駆け戻り、彼が準備していたという荷物を引っ掴んでランタン片手に今度は島の真ん中へ繰り出した。

みるみるうちに太陽は海に吸い込まれていき、とっぷりとした夜闇が島を覆っていく。草木も眠るという言葉がひんがしの国にはあるらしいが、朧気な月明かりに照らされる南国の木々は寝息を立てているような穏やかさで佇んでいるようだ。寝入り始めた木々を起こしてしまわないようにオレは心持ち静かにあの人の背中を追って、島の奥へ歩みを進めていった。
「静かだろ」
「……そうだなぁ……あ、流れ星」

フェアリーアップルに似た実のなる木やもこもこの綿花畑の間を抜けて、いくらか歩いた小高い丘で島の主は荷物を広げ始めた。今夜はここで星を眺める算段らしい。

特に何かを言われるでもなく、淡々と敷物を広げてそこに座るよう勧められ、礼を言いながら座った瞬間にふっくらとした手ざわりの毛布でぐるぐる巻きにされた。さては、これがやりたくて静かにしていたな。
「島をもらってすぐの頃、この丘でうとうと昼寝していたら夜になっててさ」
「……あんた、またそんな風邪ひきそうなことを……」

目元も覆っていた毛布をずり下げながら思わず溜め息が出てしまう。言ってしまった、と少しバツの悪そうなはにかみを浮かべた彼は何もかも誤魔化すように勢いよく、しかしちゃんと角が地面に刺さらないように腕枕をして横になってしまった。
「元気だから平気平気。でさ、視界いっぱいに広がる星空が本当に本当にきれいで。真っ先に君を思い出した」
「……オレを?」

一緒になって寝転ぼうとした体が一瞬止まる。ぎこちなく横たえた背中から草の青い匂いが香り立った。
「そう。星だけじゃない、きれいな景色を見たら君を思うんだ。次は一緒に見に来たいなって」

気恥ずかしそうに、それでもちゃんと伝えようとゆっくり言葉を紡ぐあの人の目には満天の星空が映っていた。この気持ちをオレが言葉にするためには一体どれほどの時間と勇気が必要だろう。
「星といえばさ、星見の間で話してくれたことを覚えているか?」
「あそこではいろんな話をしたよな。大切なことも、他愛のないことも……やっぱり、あれか?」

何度と披露してはその度にひどく喜んでくれた魔法の星空が脳裏に浮かぶ。杖を持って振り下ろす真似をして見せると、彼は大きく頷いた。少しだけ安堵した自分に気付いて、きっとそれも見抜かれていて、耳ごと大きな手に髪をかき混ぜられる。
「鏡像世界の話を聞いたとき、本当にわくわくした。だってさ、原初世界にもまだ行ったことがない場所があるのに、未踏も未知も世界の数だけ増えていくんだぜ?」

片肘をついて横向きに寝て向き合い、なおも髪を梳いてくれる大きな手のせいで彼がどんな顔をしているのか見えない。声音は第一世界で初めての目的地を二つ示した時のものに似ていた。未知への期待。でも、あの時よりもずっと軽やかだ。
「俺は俺の方法でたくさんのことを知りたい。知って、その先を知りたい。それは旅を始めた時から変わらない」

やっと耳が解放されて見上げたあの人のかんばせは驚くほど澄んだ宙のようで、導かれるように、否、引き留める手が彼の黒い角に伸びる。無意識のことだった。きっと嫌がられるだろうとふれてしまった指先を引き戻すより先に、黒曜石のような美しい黒が擦り寄せられる。怖い夢を見て泣きじゃくる幼子を安心させるように、ここにいると示していた。
「君には君のやりたいことがあるって知っている。いつも一緒にいられないことも分かっているよ。俺、君がまっすぐに……たまに無茶しながら走る姿が……嫌いじゃない」

違う空の下で、そして遠い天の果てで願ったことは忘れ得るはずがない。擦り切れるほど想い続けた結末の先、すべてを連れて帰ってきた彼の眼差しがオレだけに向けられている。
「だから、もし君のやりたいことと俺の行き先が重なったら。その時はきっと側にいてほしい。いつか隣りにいるのは、君がいい」

深い眠りの膜を破った後、長い夢を見ていたような心地を今も覚えている。入れ代わり立ち代わりベッドの横に訪う人々の声すらまだ遠い微睡みの最中、一つだけ鮮やかな色彩を持っていたのはこの人の声だった。

横たえていた体を起こして、体に巻きつけていた毛布を彼にかけてあげると不思議そうな相貌が見上げてくる。
「意志を受け継いだってだけじゃない。オレはやりたいように、好きに生きる。だから、いつかなんて言わない。いつだってオレ自身の意志であんたの隣りにいる」

自由に旅を続けてほしい願いとそんな彼を間近で見ていたい、隣りにいたいという想い。一番憧れている人がオレを慮ってくれている事実。ゆっくり、ゆっくり。自分の中に在った、だが面と向かっては言えずにいた言葉を手渡したら彼はきょとん、と目を丸くして固まってしまった。やってしまった。
「あ……でも、あんたにもあんたの事情があるだろうし、だから……」

無意識に揺れていた尻尾が草のやわらかさと程遠い硬い鱗とふれあう。
「グ・ラハ・ティア、君はもっと我儘でもいいくらいだ」

よいしょ、と起き上がった彼はかけてあげた毛布を広げて、今度はオレと自身の頭の上から被せてくれた。ノアで調査をしていた時、天幕で騒いでいたら怒りに来てしまったラムブルースをやり過ごすために二人で毛布を被った夜を思い出して懐かしい。

悪戯好きの英雄はいつもより近くで見ると、角には細かい傷が無数についているし、肌には小さな痕もたくさん残っていた。逞しくて強い、誰もが憧れる英雄の姿に辿り着くまで一体どれほどの戦いを経てきたのかオレは知っている。だけど、知っているだけだ。
「なあ、次はどこへ行こうか」

確かにお互いに行きたい道がある。時には離れなければならないこともあるだろう。それでも同じ世界に生きている。これからは一緒に見て、聞いて、考えて歩いていくことが出来るのだ。

問いへの返事代わりに、はにかむ英雄殿の肩へ体当たりしてやった。