星海の面影

深夜、早チョコボで一通の書状が届けられた。有事の際にしか遣わされることのないチョコボの到来にクリスタリウムの人々は大いに騒ぎ、すぐに報せは水晶公へと伝えられる。

光の氾濫から十数年、罪喰いたちとの戦いを共にする同志であるユールモアの印章が捺されたそれに急ぐ用向きの心当たりが水晶公にはなかった。もしや彼の地の情勢や戦況に変化があったのか、と背筋に冷たいものを感じながら、まだ不慣れな水晶の手でペーパーナイフを使って封を開ける。

内容は確かに戦況の変化を報せるものだった。しかし、〈良い〉意味での変化だ。ユールモアは罪喰いとの抗戦を続ける中、どうにか形勢逆転の糸口を見出だせないかと研究を続けてきた。その結果、罪喰い化──つまり光の力に耐性のある少女を見つけたというのだ。彼らは救世主とも呼べるその者を中心とした対罪喰い特殊部隊を結成し、これより反転攻勢に打って出る。この世界で未だ藻掻き続けている全ての人の標となるようにその救世主の名を普く示そう、とまさしく希望と同義の名を以て書状は締め括られていた。

気が付くと、書状を持つ手が震えていることに水晶公は気付き、ひとまず近くの椅子に腰掛ける。書状が顔に被さるのもお構いなしに手の甲で目を覆っても、彼の脳裏には鮮明な光が輝いていた。

ミンフィリア。

同じ時代を生きたその本人を見たことはなかったが、霊災前に記された書物やわずかな人々が伝えてきた言葉で数々の功績と彼女が背負った運命を見てきた。第一世界をおいては未曾有の大厄災、光の氾濫を押し留めた伝説的存在として普く知られるようになった光の巫女だ。その名を冠するということの意味を水晶公ほど理解出来る者は他にいないだろう。

こんな運命があっていいものか。

ギリ、と歯噛みした力はそのま立ち上がる気力に変えて、彼は自らの計画の準備を再開し始めた。一刻も早く彼の大切な人を、そして戦禍に絡め取られた少女を救い出すために。

罪喰いたちはヒトに引き寄せられる。ヒトが群れをなして社会を作らなければ生きていけない限り、白い異形たちとの戦いは避けられない。フッブート王国が斃れた今、都市国家として機能出来る規模を持つユールモアとクリスタリウムが難民の受け皿となり、戦いの日々を続けることは必然だと言える。

その日もレイクランドには白い霧が立ち込めていた。小型から中型問わず、罪喰いを倒す度に吹き上がる光の粒子が視界を煙らせるほど大挙としてクリスタリウムへ攻め込んできたのだ。

最前線には水晶公の指揮の下、クリスタリウムを護る衛兵団が立って一進一退の防衛戦を演じていた。いつも通りなら問題ない勢いだが、今日は何かが違う。繰り返される戦の中で研ぎ澄まされた水晶公は予感めいたものを感じて、周辺一帯を炎で焼き払いながら敵の後方をじっと注視していた。

一瞬、やわらかな光が射す。姿は見えない、だが明らかに場の空気が重くなった。大物だ、それもとてつもない力を持った。
「退却だ! 大物が来るぞ!」

方々で防衛線を張っていた衛兵団も肌で感じたのだろう。水晶公が張り上げた声を合図に壊走を避けつつ、しかし迅速に戦線を下げ始めた。水晶公と殿を務める兵たちが集い、魔道士の詠唱を邪魔しようとする罪喰いたちを撃ち落とし斬り払う。まるで長年連れ添った戦友のような魔道士と騎士たちの連携は目をみはるものがあった。

あと少しで魔法障壁の内側へ退却が完了する。そのわずかな間を待っていたかのように、要の水晶目がけて白い影が降ってきた。頭の横と背に羽を提げた少女型の罪喰いは手にした杖を掲げ、水晶公に向かって降り下ろす。
「っ水晶公!!」

すぐ近くで戦っていた騎士が地を蹴る。水晶公も反射的に詠唱を止め、エーテルの盾を取り出そうとする。だが、いずれもあと一呼吸が間に合わない。

生死の合間、針に糸を通す繊細さで狙いましたように白い影が水晶公の視界を覆いつくした。同時に響く高い剣戟の音と、歌のような咆哮。

まるで英雄譚の一場面のようだ、と騎士に覆い被さられて地面に転がった水晶公は冷えた思考の隅で懐かしく、胸が痛くなるページを思い出していた。自らの主が意識を過去に飛ばしているなどついぞ気付かず、盾になった騎士は状況を把握しようとすぐに顔を起こした。その眼前に傷だらけの華奢な手のひらが差し出される。
「ご無事ですか、水晶公」

呆然としたままの水晶公と騎士とを見て、少女が鈴のような声で笑った。いつまでも地面と仲良くしている二人の背後から壮年の男が助け起こすまで、特に騎士は少女を見つめたままでおり、それがまた少女の笑いを生む。
「あなたがさっきの大物を片付けたのだろうか……?」

にこにこと戦場にはそぐわない朗らかな笑みで以て少女は水晶公の問いに答えた。書状を受け取った時と同じように顔を覆いたくなる衝動を抑え、水晶公はやや形式張った言葉で礼を述べる。
「助力いただき感謝する。私は水晶公と呼ばれている者だ。クリスタリウムの顔役のようなものをしている」
「お初にお目にかかります。私は〈ミンフィリア〉、ユールモアより罪喰い討伐に参りました」

あまりにも戦場で目立ちすぎる金髪、そして純白の衣装をまとう少女は水晶公の予想通り、ミンフィリアを名乗った。彼女は背後に控える男から何言か耳打ちをされ、星海のように深く強い光を湛える瞳を水晶公に向ける。
「周辺の罪喰いは我ら浄罪兵団により追撃、じきに殲滅出来ます。どうぞご安心ください」
「……ご助力痛み入る。クリスタリウムの民を代表して御礼申し上げる」

今度は水晶公が恭しい最上級の礼を示すのに倣って、騎士も同様にレイクランド式の礼をして見せる。疑っていた騎士も水晶公の言動やいつの間にか止んでいた鉄の音で少女の言葉が真であることを認めたのだ。
「どうかひと時でも街で体を休めていってほしい。傷があるなら治療もしよう」
「ありがとうございます。しかし、まだ倒すべき敵がいます。いずれ、また」

呼び止める間もなく丁寧にお辞儀を残したミンフィリアは控えていた男を伴い、踵を返して自陣へ引き返していった。水晶公と騎士がその背中を見送っていると、どこからか現れた少年が駆け寄って男に倣って少女の後ろを影のように従う。
「……救世主だなんて……まだ子どもじゃないか……」

たとえこの世界に存在しないとしても──戦場から遠い後方で護られるべき年頃の子に助けられた現実が信じられず、何よりも哀しかった、と後に騎士が語った想いのかけらがぽつりとこぼれる。遠くなっていくミンフィリアたちの背中を見遣って、二人も街へ戻る道に就いた。

歩く最中も水晶公の頭の中はミンフィリア、あるいはその名を初めて冠したある意味での恩人でいっぱいだ。きっと少女は英雄──希望の灯たる人なのだと短いやりとりの中で水晶公は確信していた。

事実、レイクランドでの邂逅の後もミンフィリアは転戦を重ね、武功を挙げ続けていった。報せが入る度にユールモアは勿論、ノルヴラント各地で抗戦している人々は熱狂の中で彼女たちに続けと立ち上がる。

ミンフィリアはまさに人類の希望に成った。

だからこそ、戦いの果てに彼女の幸いはあるのだろうか、と想いを馳せずにはいられない。白い服を汚さないほど圧倒的な力を身につけるまでどんなに厳しい修練を積み重ねてきたのだろう。ただ無邪気にいられる幼い日々を焚べてきたのだろうことは水晶公にとって想像にかたくなかった。

戦場で差し伸べられた華奢な手を思い出す。あの手が武器ではないものを持てる日をもたらすために、軍装を選ぶ必要がなくなるように、水晶公としての役目を果たすのだと彼は改めて背筋を伸ばした。

そして、長い時間を歩き続けた水晶公はミンフィリア──否、かつてそう呼ばれていた少女を前にしている。本来の名前すら与えられずに戦の波に呑まれていったミンフィリアたちの果てにその子は立っていた。

たくさんの仲間たちの助力によって編み出した召喚術で英雄を喚び出すという偉業を果たしたとはいえ、水晶公としての役目はまだ半ばだ。しかし、それでも彼の旅が終わる前にミンフィリアたちの先を見られたことには誰に知られることなく胸を撫で下ろしていた。

計画を果たした後、あるべき姿に戻った世界で生きていく少女を想う。この先は友人を持ったり、好きなことを見つけたり、戦いとは縁遠い暮らしを送るのだろう。それはきっと素敵なことだ。

一歩進むごとに重くなる体とは裏腹に、一つずつ何かが剥がれ落ちるように軽くなっていく心を感じながら、水晶公は彼の英雄が待つグルグ火山へと歩き出した。