ものがたってみせて

星見の間を訪れる民には二つの楽しみがある。

一つ目は水晶公と言葉を交わすこと。無尽蔵に降り注ぐ光と同じくらい長い時間を生きる偉大な魔術士に相対することは緊張を伴うが、それ以上に親愛の滲むその人の──目深に被ったフードに隠れていても分かる──眼差しにふれる時間は何にも代えがたいものだ。

二つ目は彼の孫の顔を見ること。その子、ライナはいくつもの運命を経て水晶公とクリスタリウムの街に見守られ、育まれることになったヴィース族の幼子だ。博物陳列館での勉強会や同じ年頃の友人たちと遊んでいる以外は一日の大半を星見の間で過ごしており、水晶公への報告や相談を持ち込む民たちは魔術士のローブの足元に小さな影を見かけると仕事そっちのけになりがちになる。本来なら水晶公は仕事を促すべきなのだろう。だが、塞ぎがちだったライナが徐々に笑みを見せるようになってからは彼もまた微笑むばかりの好々爺然としていた。

この日も水晶公の元にはクリスタリウムの民たちの訪いが絶え間なく続いていた。最近起こった罪喰いたちの襲撃に対する後処理、ユールモアとの外交、街の環境整備などそのほとんどが民たち自身で考え推し進めることの報告だったが、今日は珍しく水晶公の判断を仰ぐ案件が続いていた。

ユールモア軍が各地で快勝を続けていても尚、故郷を追われる人々は後を絶たない。人伝に広がる噂やレイクランドの何処からでもその姿が見えるシルクスの塔に引き寄せられた難民たちを受け入れることでクリスタリウムの人口は増加の一途を辿っている。居住区の拡張は決定事項だが、街の防衛機構との兼ね合いもあり水晶公の意見を聞きにさまざまな分野の技術者たちが入れ代わり立ち代わり訪れているのだ。真剣な話し合いの間、ライナは星見の間の隅で絵本を読んだり、読み書きの宿題をこなしたり、邪魔にならないよう子どもなりの気遣いを見せていた。しかし大好きなおじいちゃんと一緒にいたいという可愛い我儘を両立する強かさに水晶公は未来の傑物の影を見出して、民の話に相槌を打つ中でゆるく微笑んでいる。
「ありがとうございます、光明が見えてきました。後は持ち帰って詰めてきます」
「分かった。だが、無理はしないように。皆にも休息は取るようにと伝えておくれ」
「はい。公もちゃんと休んでくださいね」

難しい話の応酬がやっと途切れた頃には既に夕刻と言うには遅く、夜と言うには少し浅い時分になってしまっていた。本日最後の訪問者であろう工廠の技術者が星見の間を去ったことを確認した水晶公は、ふうと深呼吸をして部屋の隅で本を抱えて丸まっている愛し子へ歩み寄る。
「ライナ」

名を呼べば、耳がピンと立った耳がふるりと震える。本を抱えたまま振り返ったその子が言葉を発するより先に腹の虫が盛大に鳴き声を上げた。
「遅くなってすまない。夕飯にしようか」

ここで笑ってしまってはきっと小さな人は機嫌を損ねてしまうだろうことは、水晶公にとって初めての短い育児で得た経験から導き出せた。努めて平静を装って、大人たちと接する時と同じように言葉を手渡した。しかし、ライナはゆるゆると首を横に振って、抱えた本をまた開いてしまった。
「まだ読みたいから、ご飯は後がいい」
「でも、ライナのお腹はご飯が食べたいと言っているぞ? 本は逃げないから後にしよう」
「でも、今いいところだから……」

どこかでよく聞く会話の内容だと内心焦っている水晶公の冷静な部分が分析していた。似なくていいところばかりが似てしまう、子どもはよく見ているな、と関心しつつ普段の生活を改善しようと水晶公は密かに決意する。
「……何を読んでいたんだ?」

まずは知ることから始めよう。星海を模した床にローブの裾が広がるのも気にせず、水晶公は孫の隣りにしゃがみ込む。孫が差し出した本の表紙には『ヴォレクドルフのふたりの騎士』と印字されていた。フッブート王国に古くから伝わる民話で、王国の騎士と人の言葉を解するアマロとの友情と冒険の物語だったと水晶公は記憶している。子ども向けの絵本としては物語が重厚で、勧善懲悪ではない複雑な構成が大人にも人気な一冊だ。

光の氾濫で第一世界が失くしたのは住める領域だけではない。人が紡ぎあげてきた文明や文化、習慣など暮らしに根付く土台そのものが揺らいでしまったのだ。それ故に以前よりも輪をかけて貴重品となった本は本来、大切に保管されて易々と手を出せるものではない。

しかし、ある人がそんな現状を憂いて「貴重になったからこそ、本に記される知識はそれを望む者がふれることが出来るものであるべきだ」と自身が持つ蔵書を含めてすべての本を誰でも気軽に読めるものとしたのだ。それは後に博物陳列館と呼ばれる知識の集積地として、好奇心を持つ者たちにとって宝島に、子どもたちにとって学びの場になり、望む者へ知識を手渡す意志が受け継がれている。

勿論、水晶公も本館の常連の一人だ。孫の好奇心に愛おしさを覚えた彼はいけないと思いつつも、つい幼子が望むだろう言葉を紡ぐ。
「久し振りに私も読みたくなってしまった。ライナ、私にも読ませてくれるだろうか? そして、このお話が終わったらご飯に行こう」

不安げだったライナの耳は嬉しそうにピンと立ち、返事代わりの首肯に合わせてぶんぶんと揺れていた。おじいちゃんとの読書はライナにとって最高の贅沢だ。水晶公も普段は我慢している幼心を重々理解しており、嬉々としてページを開いたライナの笑顔に鈍い痛みを感じた。

今日の執務はなかなか重いもの続きで自分も疲れてしまったから、少しくらい良いだろう、と水晶公は幼子の軽い体を抱き上げ、胡座をかいた膝の上に乗せる。驚きで丸まるライナの目がやがて細まっていく一瞬を水晶公はすぐ近くで眺めていた。
「さあ、どんな冒険が待っているか……楽しみだな、ライナ」

物語の最後のページ、最後の一節をなぞったグ・ラハ・ティアがふ、と顔を上げると少し離れたところで猫背になった背中が視界に入る。近くに積まれた本の山から察するに、何かレポートでも書いているのだろうか。星見の間の幼子と比べると随分大きいが、ナップルームに備え付けられた机で本に齧りつくように丸まった背中は同質の好奇心に満ちていた。

長い時間、同じ姿勢を取っていたせいで凝り固まった節々をゆっくり伸ばし、グ・ラハはゆったりと歩み寄ってその人の隣りに腰掛けた。
「何を読んでるんだ?」
「ん?」

グ・ラハの問いに休日の英雄は戦場の剣呑さなんて微塵も感じない、のんびりとした眼差しと一緒にページに手をかけていた本を一度閉じて表紙を見せてくれた。『東の騎士とチョコボ』と書かれたそれは、エオルゼアで広く知られる冒険譚の一つだったとグ・ラハは子どもの頃に読んだ記憶を思い起こした。確かいくつかの連作で、東西南北それぞれの名を冠した騎士が相棒のチョコボと冒険を繰り広げるのだ。
「騎士から戦術のヒントをもらおうと思って」
「なるほど、あんたらしいな」

珍しく熱心に書いていたのは騎士の戦い方についてだったようだ。羊皮紙には気紛れな文字で剣と盾、魔法の使いどころについてさまざまな気付きが書きつけられている。そういった視点でこの物語を読んだことはなかった、とグ・ラハは驚きと共に英雄の貪欲な好奇心を感じること自体にそわそわとした嬉しさを覚えていた。
「グ・ラハも読む?」
「え? でも、あんたが読んでいる途中だろう?」
「一緒に読めばいい」

さも当然のことのように宣った英雄は、二人の真ん中になるように本を開き置く。丁度新しい節が始まるところで、騎士とチョコボが次の目的地へ歩き始める場面だった。
「どんな冒険が待っているんだろう……本の中でも冒険はわくわくする」
「ふふ、あんたがそれを言うのか?」

まるで物語の主役を体現しているような英雄その人が物語に心躍らせる。それがなんだか面白くて、グ・ラハは紅い耳をくつくつと震わせた。
「なあ、読み終わったらラスト・スタンドで休憩しないか? コーヒーとサンドイッチが恋しい」
「いいね。クルルたちの分も買ってこよう」

はじめこそ軽い感想を口にしていた二人の間にやがて言葉はなくなり、穏やかな陽光が射すナップルームで二人の影が寄り添って共に文字を追いかけ始める。冒険はまだ始まったばかりだ。