休暇の過ごし方 01

霧の晴れたモードゥナの上空を一頭のチョコボが駆けていく。遠くに臨むクリスタルタワーと眼下の銀泪湖が陽の光を反射して眩いほどだが、熟練のチョコボもその騎手もむしろ調子を上げて目的地へ向かう脚──否、羽を早めていた。

ひと気のない石造りのアーチ前に降り立ったその男はチョコボの手綱を引いて通い慣れたレヴナンツトールへと歩き進む。銀泪湖上空戦、そして第七霊災の影響で壊滅してしまった後、凄まじい速度で復興発展を続ける冒険者の街でその人の顔を、黒い鱗の輝きを知らない者はいない。方々からかけられる声に手を振り、チョコボを預けたその人は酒場セブンスヘブンの奥にある扉を押し開く。
「お! おかえり、あんたも呼ばれたんだな」
「グ・ラハ、君もか」

酒場の奥、もとい暁の血盟の本拠地〈石の家〉に入ってすぐのところではグ・ラハ・ティアが荷物を降ろそうとしていた。少し前に壮絶な旅路を経て暁に加入した彼もその口振りから男と同じく待ち合わせをしていることが分かる。
「リック、グ・ラハ・ティア! 来てくれてありがとう」

衝立の奥から銀糸と青い衣、そして彼にそっくりな赤い衣がひょこりと顔をのぞかせ、気さくな様子で二人に手を振る。邪魔にならない場所に荷物を降ろしたグ・ラハ・ティアとリックと呼ばれた男は手招きされるまま奥へと歩み入っていった。
「アルフィノ、アリゼー。呼び出しなんて珍し……珍しくはないな」
「ふふ、そうだね」

リックの軽口にも上品に微笑むアルフィノの隣りにはアリゼーが腰掛け、机を挟んだ対面にグ・ラハとリックが並ぶんで席につく。円卓の上には元の木目が見えないほどたくさんの書類が広げられていた。
「今日は二人にお願いがあって来てもらったんだ」
「ねえ。これ、どう思う?」

いつになく神妙な顔つきのアリゼーが書類を指さして、二人に問う。書類は少しずつ形式は異なるがいずれも間取り図が書かれているようだ。ところどころ赤いインクで丸がつけられ、かなり真剣に物件探しをしていたのだろうことが見て取れた。
「……二人で引っ越しでもするのか?」
「いいから。ほら、どれが良い?」

グ・ラハの問いには答えず、アリゼーは二人に書類を半ば押し付けるような形で読むように促した。いまいち状況が掴めないリックとグ・ラハだが、そっと視線を交わして大切な仲間であるアルフィノとアリゼーにとって最適な環境を選ぼうと物件の吟味を始めた。

書面に書かれている住所はいずれも各地の冒険者居住区か、それに近い区域。更に言うなら一等地ばかりだ。アルフィノとアリゼーの二人一緒とはいえ、初めての自活になる。初めてのことばかりだろうから住む場所くらいは不自由のない、二人にとって最高の場所を提案したい。リックとグ・ラハはそれぞれ尻尾を揺らして真剣にいくつもの選択肢を見比べ、その中から一つを引き出した。
「……俺は……ラノシアのここかな。二人で住むには丁度良さそうだ」
「オレも同じところが良いと思った。一人部屋も作れるし、共用スペースも広い。街も近いから便利そうだな」

うんうん、と互いのおすすめする点に頷き合いながら、リックとグ・ラハは双子の反応を待つ。
「分かったわ。じゃあ、はい」

だが、差し出されたのは一本の鍵だった。普段は鋭い冒険者としての勘や百年間積み上げた知恵でもその意図が読めず、二人は首を傾げる。
「……何の鍵?」
「何って、今選んだでしょう? あなたとラハで住むのよ」

あなたとラハで住む。

つまり、先程までリックとグ・ラハが必死で選んでいた物件はアルフィノとアリゼーが住むものではなく、選んだ当人たちが住むものだったという意味らしい。聞いてもやはり意図が分からない状況に堪らずリックは理路整然とした説明が期待できるアルフィノに向き直る。
「……ルヴェユールさん?」
「大丈夫、私から説明するよ」

アルフィノ・ルヴェユール曰く、第一世界の記憶と魂を受け継いだグ・ラハの体はまだ本調子とは言い難く、しかし石の家にいるとゆっくり落ち着いて調子を整えることも 難しい。だが、ただ休んでほしいと言われて休むはずもなく、どうしたものか頭を悩ませていた時、近くで話を聞いていたヤ・シュトラが一つの策を思いついたのだ。
「リックも第一世界で大立ち回りをしてから……いいえ、それ以前からずっと全然休めていないじゃない。だから、二人揃ってしっかり休暇を取ってきたらいいんじゃないって」
「そ、んなこと言っても……今、帝国の動向を探ったりやることが山積みだろう? オレたちだけ休むなんて」
「グ・ラハ・ティア、君にはもう一つお願いしたいことがあるんだ」

アルフィノが身を乗り出して、グ・ラハにだけ聞こえるように細い声で耳打ちする。至近距離でも口元を隠されてこしょこしょ話をされては、流石のリックもその内容をうかがい知ることは出来なかった。
「……分かった。お言葉に甘えることにするよ」

ひとしきり話し終えたのか、アルフィノが身を引いた時にはグ・ラハは何か得心したようなすっきりとした決意の色を見せていた。アルフィノも安心したように朗らかな笑みを見せている。こうなればリックは後に退けないことを経験上知っていた。次はこっちに来るな、とアルフィノの笑顔を見ているとやはり真正面から目線が合う。
「リック」

まだ書類を持っていた手にアルフィノの小さな手のひらが重ねられる。こういう仕草を自然に出来るのはアルフィノという人の長所であり武器だ。
「たまには英雄ではない、ただ一人の君として過ごしてほしい……烏滸がましいけれど、私は」
「アルフィノ」

観念した、とばかりにリックの肩が竦められる。
「ありがとう、大丈夫。伝わっているから」

カリカリ、とリックは自慢の角を掻きつつすでに隣りでワクワクが抑えきれなくなっている紅い人に視線を向ける。
「ということだ、グ・ラハ。折角の休暇だ、楽しもう」
「ああ。アルフィノ、アリゼー、ありがとう。みんなにもよろしく伝えておいてくれ」
「勿論だ。ゆっくり羽を伸ばしてきてほしい」
「心配しなくても、何かあったらすぐリンクパールで知らせるわ。だから、存分に休んできなさい!」

鍵と住所の情報を持たせられた二人はすぐに石の家を追い出され、一路ラノシアへ飛んだ。冒険者居住区から少し外れた場所にある二人の仮住まいは、遠目からでも分かるほど立派な一軒家だった。何度も上空を行ったり来たりして本当に場所があっているか確認するほどには。
「……とんでもなく大きいな……」
「ああ、すごく……贅沢だ……」

ルヴェユールという名家の感覚に若干怯えつつ、二人は用意された鍵を使って家の中に足を踏み入れた。物件情報では見えていなかった内装は華美な装飾のない落ち着いたラノシア様式で統一されており、家具も一式備えてつけられている。そして何よりとんでもなく広かった。一階にはキッチン付きのリビング・ダイニング、風呂場などの水場も完備されている。二階に上がるとこれもまた広い部屋が二つあり、一人部屋を持つことが出来るようになっていた。
「……広いな」
「……ああ、広い」

広いのに二人はなんとなく寄り添って部屋の隅に佇み、ある意味で途方に暮れていた。リックは親の世代から旅暮らし、グ・ラハも生い立ち柄、こういった場に慣れているとは言えない。だが、しばらくはこの家が二人の帰る場所だ。じきに慣れるだろう、と冒険者らしい適応力でリックはひとまず荷物を適当な場所に降ろしてグ・ラハの肩を叩いた。
「とりあえず、散策がてら買い出しに行こう」
「そうだな。ここに来るまでの間、市場が見えたから行ってみよう」

まだ心持ちぼんやりとした気配が耳のあたりに残った心地のグ・ラハはふるふると頭を振って、自身もリックに倣って近所を散策出来るだけの荷物を準備し始める。
「……グ・ラハ」
「うん?」

しゃがみこんだグ・ラハの背中にリックが呼びかける。妙に静かな声にグ・ラハが振り返ると、石の家でアリゼーが見せたような神妙な面持ちの英雄がそこにいた。
「飲んじゃおうか、昼間から」

が、飛び出てきたのは真面目さからは程遠い、旅の中で気ままに生きるただの冒険者の言葉だった。
「……い、良いのか……そんな、昼間から?」
「折角の休暇初日だからさ、な?」

ガッ、と勢いよくグ・ラハの肩に腕を回したリックは普段見せないような悪戯っぽい笑みに満ちていた。

光の戦士。暁の英雄。救国の英雄。解放者。そして闇の戦士。数多の称号で呼び称えられる人も今はただの冒険者であり、若者でしかない。グ・ラハはそんな一面を自分だけが今、知っていることにじわりと胸が熱くなる。

今日からの時間はグ・ラハにとって大切でかけがえのないものになる。きっとこの先に何かがあっても道を灯す光になる。そんな確信を持って、グ・ラハは彼にとって一番憧れの人の胸板に頭突きして応えた。
「みんなのやさしさと、素晴らしい休暇に」
「乾杯!」