陽光射す庭
執務室の扉が控えめにノックされる音で気が付いた。
溜め込んでいた書類仕事と格闘する内に随分と没頭してしまっていたようだ。窓の外の空を見ると太陽が少し傾き始めていて、約束の時間までそう間がないことが分かった。
「閣下」
「ああ、今行く。トルガル」
急かすように扉の外から呼び掛けてくる従者に返事だけ寄越し、相棒に呼びかける。午睡を邪魔されて迷惑そうに大あくびをしつつも、トルガルはしなやかな動きで扉に向かって歩き出した。
それを見てから傍らに立てかけていた愛剣を帯びて鏡の前に立ち、服に皺がないか念入りに確認する。父に似た様式の赤い外套も少しは様になってきたか。最後に伸びてきた黒髪を後ろに流して俺は相棒と部屋を出た。
「閣下、お早く。夫人はすでにお着きですよ」
「それはまずいな。少し急ごうか」
肯定するように一鳴きした相棒と従者を連れて、俺は静かな城内をいつもより大きな歩幅で歩き進む。途中で擦れ違う兵士や使用人たちと挨拶を交わしながら、ふとバルコニーから射し込む陽光に気が付いた。今日はなんて良い日和だろう。
歩き慣れた廊下を進み、すぐに謁見の間の前に辿り着いた。衛兵の礼に応え、押し開かれた扉をくぐる。玉座周り二人分の視線が一斉にこちらへ視線を寄越した。
「大公殿下、クライヴ参上いたしました」
「兄さ……クライヴ将軍。さあ、こちらへ」
恭しく最上級の礼をこなし、声がかけられるのを待って顔をあげる。一連の動作は体に染みついた癖のようなものだ。我が主、ロザリア大公──我が最愛の弟ジョシュアはこういった形式張ったことをすると、すぐに眉を下げる。トルガルでももう少し取り繕うというのに、我が君には困ったものだ。同意を求めるように隣りについている相棒に視線を遣ると、また大きな欠伸をお見舞いしてくれた。
「クライヴ、ジョシュアがやさしいからって遅刻したらいけないわ」
「すまない、ジル。書類仕事に没頭していたらしい」
「……もう、仕方ないわね」
先に謁見の間に参上していた右腕に素直に詫びながらその隣りに並び立つ。肩を竦めるその仕草すら愛らしく、眼尻が下がりそうになるのを必死に取り繕った。
「んん……さて、今日みなを呼び立てたのは他でもない。ザンブレク神皇猊下との会談が決まった」
わざとらしく咳払いをしたジョシュアの表情は困り顔の影もなく、凛々しいロザリアの守り神の顔をしていた。そこには誇らしさと少しの緊張、何よりもこれからへの期待に満ちた瞳が輝いている。
「あちらもルサージュ卿が新しい神皇に代わって間もない。当代も二国の同盟を強め、これから新しい世を紡ぐという姿勢を表すため、互いの都を行き来することになった」
俺とジル、順に視線を手渡すジョシュアに迷いはないようだった。先代より同盟関係にあるザンブレクとの会談はジョシュアの念願であり、ロザリアの民にとっての希望の証。会談を成功させ、民が安心出来るような世を作るという決意が見えた。
「ザンブレク行きは次の満月の頃。クライヴ将軍、卿にも同行願う」
「フェニックスのナイトとして、つつがなく旅が運ぶよう身命を賭しましょう」
首肯するジョシュアはジルへ視線を移すと、ゆるりと誘うように手のひらを彼女へ差し出した。優美で品の良い仕草は武芸に裏打ちされた無駄のない動きで、やはり俺の弟は君主という立場であってくれて良かったのだと不意に胸に落ちた。
「それと、ジル。君にも一緒に来てほしい」
「私も、ですか?」
またゆっくりと首肯したジョシュアはちょいちょい、と俺たち二人を手招きした。玉座の近くまで来いということらしい。ジルと顔を見合わせて俺はジョシュアから見て左、ジルは逆側に膝をついて頬を寄せる。ス、と近付いてきた我が君の金糸が肩口からさらりと落ちてくるのも構わず、彼は至極楽しそうに声を潜めて秘密の計画を明かしてくれた。
「……折角だから宮廷の外の時間を二人で楽しんでほしいんだ。だって、兄さんたちってば結婚してからゆっくり休暇も取れていないじゃないか」
「ジョシュア……」
昔からよく気の利く子ではあったが、最近は少し強引なほど俺たち二人の仲を取り持ってくれる。こうなっては聞かないな、とまた顔を見合わせたジルも呆れたような、しかし旅への期待で口元はゆるく弧を描いていた。彼女が楽しいならそれが良い。
「もちろん、役目は果たしてもらわなければならないけれどね。よろしくね、兄さん、ジル」
いつの間に出来るようになっていたのか、パチリとウインクを寄越し、悪戯っぽい笑みを見せた彼は幼い頃の眼差しそのままを向けてくれている。宮中に在ってなお失われない純粋さにふれる度、フェニックスのナイトとしての自覚と責任が肩をたたいてくる。俺はずっと側で、この灯火を護り続けよう。
「ああ……承知いたしました、殿下」
「ご厚情痛み入ります」
二人揃ってわざと固い言葉を遣って答え、いくらか厚みを得た肩に手を添えると、ジョシュアは手の甲で隠していてもバレてしまうほど笑みを深くしていた。行儀良く座って待っていたトルガルも雰囲気を察知したのか、自分も返事をとひと鳴きしている。
立ち上がるジルにさり気なく手を貸しながら視線を上げれば、バルコニーから夕陽が射していた。ジルの背後から漏れる陽光はあたたかく、落ちることのない太陽が見守っているように輝いている。
ロザリアの、ヴァリスゼアのこれからはきっと明るい。